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2024/03/29 22:02 |
第74回 砂漠のリアリズムを求めて(安部公房)文学に関するコラム・たまたま本の話

電子書籍「文学コラム・いいたま」を公開しました
最初にちょっと面白いデータをお目にかける。安部公房が1958(昭和33)年に「キネマ旬報」誌で選んだ、その年公開の外国映画ベストテンである。
1958年といえば、日本の映画館の観客動員数が11億2700万人と戦後最高を記録した年だ。そんな映画産業の絶頂期に、安部の選んだ外国映画10本は次の通り。1)眼には眼を2)サレムの魔女3)地下水道4)手錠のまゝの脱獄5)黒い罠6)スパイ7)白夜8)くたばれ!ヤンキース9)私に殺された男10)先生のお気に入り。ちなみに各選者の票を集計して発表された、この年のキネマ旬報外国映画ベストテンは1)大いなる西部2)ぼくの伯父さん3)老人と海4)眼には眼を5)鉄道員6)死刑台のエレベーター7)崖8)鍵9)サレムの魔女10)女優志願――だった。
安部の選出と重なっているのは2本のみ。選評で安部はこう書く。「7位以後は、選ぶものがなくなって、本来なら何も書かないままにしておくべきだけれども、いずれ選ばれるようなことはあるまいと思ったから、少少、無責任な選択をしたが、7位以下どころか、上位に選んだ2作以外はぜんぜん選考からもれて、私の批評眼はまだ曇らされず、平均化されてもいないことがわかり、たいへんうれしかった」。
この頃は各人が選評を書く前に、全体の集計による選考結果がすでに知らされていたのであろう。いささか挑発的な書き方になっているのは他でもない。安部は当時「群像」誌上で映画時評を連載していた。やがて「裁かれる記録」として1冊にまとまるものだが、さすがに新興芸術運動や前衛文学のトップランナーらしく、専門の映画評論家とはまた違った角度からユニークな映画論を展開していた。その彼が日本の映画批評の権威であるキネマ旬報に呼ばれ、実際にベストテン選出に携わってみて、彼我の評価のあまりの違いに戸惑ったのだろう。安部が同誌でベストテン選出に携わったのは、後にも先にもこれ1回きりであった。
ところで安部が1位に挙げている「眼には眼を」は、言うまでもなくアンドレ・カイヤット監督の名作である。1950年代のシリア。現地の男が病気の妻を病院に運んだが、時間外だったので医師は診療を拒否する。代わりに同じ病院の若い医師の診療を受けたが、妻は亡くなってしまう。診療拒否した医師と、妻を亡くした男。その2人が灼熱のシリア砂漠で繰り広げる、何とも陰鬱な心理劇である。どちらも砂漠からついに脱出できないことが暗示されている。
素晴らしい映画であることは間違いないが、なぜ安部はそこまで「眼には眼を」に肩入れするのか。その理由を考えていたら、初期中編「壁――第一部 S・カルマ氏の犯罪」に行き着いた。重要な鍵として砂漠が登場するのである。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。引用は安部公房「壁」(1988年12月改版、新潮文庫刊)より。
ある朝突然、名前を無くしてしまった「ぼく」は病院に駆け込むが、待合室でふと眺めたスペイン雑誌の1ページに引きつけられる。そこにはこんな風景があった。「砂丘の間をぼうぼうと地平線までつづく曠野の風景が頁いっぱいにひろがっていたのです。砂丘にはひょろひょろした灌木、空には部厚い雲が箱のように積み重なっていました。人影はありません。家畜はおろか、カラスの影さえ見えません。曠野を一面に覆う草は針金のようにやせて短くまばらで地面がすけて見えるほどです。草の根もとには砂がさらさらと風に流れてひだをこしらえています」。「ぼく」はこの風景を自分の内部に吸収してしまい、ラストでは無限の曠野の中で静かに成長する壁と化す。
「S・カルマ氏の犯罪」が発表されたのは「近代文学」1951年2月号。カイヤットの映画が公開されるよりも7年早い。その後、芥川賞を受賞したことで同作は文学史に名を残すことになるが、本質的には日本の主流であるリアリズム文学ではなく、寓意に満ちた前衛小説である。かたや「眼には眼を」には動物の死骸を漁るカラスも登場するし、医師と男の砂漠の道行きにはリアリズム描写に不可欠な渇きや飢え、灼熱の気候といった切実な問題もつきまとう。つまり「S・カルマ氏の犯罪」との相違点のほうが際立つのだ。
しかしそうであっても、安部公房はこの映画に衝撃を受けたのではないか。かつて自分が非リアリズム文学の設定として導入した砂漠でさえ、リアリズム映画の舞台として成立する、シリアの砂漠の環境を眼前に突きつけられたことに対して。ここには観念を超える過酷な現実がある。砂漠を描くのだったら、やはり細部のリアリズムを克明に描写していくことは避けられないのではないか。
「眼には眼を」を見てから4年後の1962年6月、安部は自らの代表作となる書き下ろし長編「砂の女」を発表する。海辺の砂丘に昆虫採集にやって来た男が、女が一人住む砂穴の家に閉じ込められ、様々な手段で脱出を試みる物語である。逃亡と失敗を繰り返していた主人公は、最後に砂の力学を応用した「溜水装置」を考案する。砂の穴の中にいながら、水がいつでも手に入るようになったのだ。渇きが解消された彼は、脱出の機会が訪れてもついに逃げ出さず、やがて7年が経ち、失踪人宣告を受ける。
寓意に満ちた小説でありながら、その描写は科学的であり写実的である。安部は執筆に当たって、山形県酒田市の砂丘の村落に実際に取材に行き、砂の特質や部落の生活について綿密な調査を行ったという。「S・カルマ氏の犯罪」ではとらえられなかった砂漠のリアリズムをついにつかんだのだ。傑作「砂の女」を生んだ最大の要因は、あるいは映画「眼には眼を」との出会いだったかもしれない。(こや)



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2016/10/07 11:54 |
コラム「たまたま本の話」

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