忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2024/04/17 07:33 |
第79回闇の奥に見えるもの(ジョゼフ・コンラッド)文学に関するコラム・たまたま本の話

作品が雑誌に発表された1899年は、まだ19世紀だった。いつの頃からか「20世紀最大の問題作」と呼ばれるようになった。ジョゼフ・コンラッド(1857~1924)の代表作「闇の奥」(原題:HEART OF DARKNESS)である。それを含む短編集「青春、その他2編の物語」がまとめられたのは1902年。すでに20世紀に入っていた。
日本では4つの翻訳が出ている。中野好夫訳(岩波文庫刊、1958年)、岩清水由美子訳(近代文藝社刊、2001年)、藤永茂訳(三交社刊、2006年)、そして最新版が黒原敏行訳(光文社古典新訳文庫刊、2009年9月)。「闇の奥」といえば長らく中野訳だけだった。21世紀に入ってから立て続けに新訳が刊行されるようになった。著作権が失効したからかもしれないが、発表後1世紀が経過して、ようやく「闇の奥」の本格的な研究が進んできた感がある。それだけ難物だったのである。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。引用は最新の黒原訳による。
ある日の夕暮れ、船乗りのマーロウが、船上で仲間たちに自分の体験を語り始める。若きマーロウは各国を回った後、フランスの貿易会社に入社し、アフリカの出張所に着任した。そこでは、黒人が象牙を持ち込んで来ると、木綿屑やガラス玉などと交換していた。ここで奥地にいるクルツ(Kurtz、英語読みではカーツ)という代理人の噂を耳にする。クルツは、奥地から大量の象牙を送ってくる優秀な人物だった。マーロウは、到着した隊商とともに中央出張所まで行くが、そこの支配人から、上流にいるクルツが病気らしいと聞く。クルツは、象牙を乗せて奥地から中央出張所へ向かって来たが、荷物を助手に任せ、途中から1人だけ船で奥地に戻ってしまったという。マーロウは、本部の指示に背いて1人で奥地へ向かう孤独な白人の姿が目に浮かび、興味を抱いた。
マーロウは支配人、使用人4人、現地の船員とともにコンゴ川を遡行していった。クルツの居場所に近づいたとき、突然、矢が雨のように降り注いできた。銃で応戦していた舵手に向かって長い槍が飛んできて、腹を刺された舵手は死んだ。奥地の出張所に着くと、クルツの崇拝者である青年がいた。青年から、クルツが現地人から神のように慕われていたこと、手下を引き連れて象牙を略奪していたことなどを聞き出した。一行は、病気のクルツを担架で運び出し、船に乗せた。やがてクルツは、“The horror! The horror!”という言葉を残して息絶えた。この最期の言葉を、かつて中野は「地獄だ! 地獄だ!」と訳した。黒川訳では「怖ろしい! 怖ろしい!」とより直接的になっている。この言葉が「闇の奥」の核心であろう。物語は、クルツの婚約者にマーロウが遺品を届けに行くところで終わる。
さて――「闇の奥」を語るとなれば、どうしても映画「地獄の黙示録」について触れないわけにはいかない。監督のフランシス・コッポラが映画を作るに当たって、下敷きにしたのがコンラッドの「闇の奥」だということはよく知られている。コッポラは19世紀のコンゴの物語を、20世紀のベトナム戦争の世界に換骨奪胎した。立花隆が書いた名著「解読『地獄の黙示録』」(2002年3月、文藝春秋刊)を参考に、映画と小説とを比較してみよう。
コンラッドが小説で描いた槍で刺し殺される舵手や、クルツの崇拝者である青年といった存在は、コッポラの映画にも同じように登場する。立花が字幕スーパーの和訳にこだわる“unsound”という言葉があるが、これも出てくる。映画ではカーツ大佐殺害をウィラード大尉に命じた将校が「カーツは方法が不健全(unsound)だ」と語る。小説では支配人がマーロウにこう語る――「状況は危ういようだ――なぜこんなことになったかわかるかね。(クルツの)方法が不健全(unsound)だからだ」。そして“The horror! The horror!”は、映画でも小説でもカーツとクルツの最期の言葉として出てくる。
今回「闇の奥」を読み返してみて、むしろ「地獄の黙示録」との違いのほうが目についた。映画ではカーツを倒したウィラードはそのまま去っていくが、小説ではマーロウがクルツの婚約者に遺品を届けに行く。そのときマーロウは、彼女に向かってこんなことを言うのだ。「彼が最期に口にした言葉は――あなたのお名前でした」。
これは明らかに嘘である。クルツは「怖ろしい! 怖ろしい!」と口にして息を引き取ったのだから。しかし、それを聞いた彼女の反応のほうがはるかに異様で「怖ろしい」。マーロウはこう描写している――「小さな溜息が聴こえたと思うと、怖ろしいような響きの歓喜の声が、想像もできない勝利感と言いようのない苦悩の交じった声がほとばしって、俺(マーロウ)の心臓は止まりそうになった。『私にはわかっていました――きっとそうだと思っていました』」。
「闇の奥」のタイトルはアフリカ奥地の闇から来ている。文明と隔絶された未開の世界の怖ろしさを示しているが、真に怖ろしいのは西欧文明の闇ではないか。小説が発表された1999年当時、コンゴ川一帯はベルギー国王レオポルド2世の「私有地」だったという。コンゴ自由国と呼ばれ、1885年から1908年まで支配が続いた。現地民は象牙やゴムの採集を強制され、規定の量に到達できないと手足を切断する――などの刑罰が情け容赦なく科された。
西欧人クルツが現地民に対して行った残虐行為が、現実のものとしてそこにあったのである。そのクルツが最期に自分の名前を口にしたと喜ぶ婚約者も西欧文明の闇を抱えている――コンラッドはそう訴えている。(こや)



ジョゼフ・コンラッドをWIKI PEDEIAで調べる

にほんブログ村 本ブログ 海外文学へにほんブログ村  人気ブログランキングへ
ブログランキングに参加しています。
クリックしてご協力いただければ幸いです。

電子書籍「文学コラム・いいたま」を公開しました

海外文学作品についてのコラム「たまたま本の話」を掲載しています。
「たまたま本の話」はミニコミ紙「miniたま」に毎号掲載しているコラムです。
「miniたま」はインターネット古書店「ほんのたまご」とお客様を結ぶ架け橋として、
ご注文書籍とともにお送りしております。
PR

2017/03/04 14:11 |
コラム「たまたま本の話」

<<第80回21世紀の私小説(岡田睦)文学に関するコラム・たまたま本の話 | HOME | 第78回サラリーマン作家ここにあり(フランツ・カフカ)文学に関するコラム・たまたま本の話>>
忍者ブログ[PR]