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2024/04/20 07:43 |
第95回 時事風俗と「私」を描いた作家(星新一)文学に関するコラム・たまたま本の話
PDF版はこちらから

生涯で1001編を超えるショートショートを生み出したSF界の第一人者、星新一(1926年-1997年)の初期作品に「探検隊」という作品がある。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。
地球に大きな宇宙船がやってくる。中から現れたのは巨大な宇宙人と巨大な怪獣。どちらも人間に危害を加えない。どうやら地球を征服しに来たのではなく、観測か調査のために来たようだ。しばらくすると、宇宙人たちは大きな宇宙船に乗って空の彼方に去っていった。そのうち戻ってくるつもりなのか、宇宙船の去った後に、杭と鎖につながれた怪獣たちが残された。ところが、この怪獣たち2頭がやがて鎖を抜けて人間たちに襲い掛かる。人間たちは次々と怪獣の餌食になってしまう。時が経ち、宇宙船が再び姿を現す。怪獣たちを懲らしめてくれると思いきや、宇宙人たちは2頭を代わる代わる抱き上げ、怪獣のほうも牙を引っ込めて宇宙人たちに頬をすり寄せたのだ。誰かがポツリとつぶやく。「あの怪獣どもは、やつらのペットで、タローとかジローとかいう名にちがいない」
いうまでもなくこれは、1958年2月の南極観測隊の有名なエピソードが下敷きとなっている。南極観測隊が悪天候のため調査を断念して帰途に着こうとしたとき、収容し切れなかったカラフト犬を15頭、現地に置いてきた。飢えに耐え兼ねた2頭が鎖をすり抜け、ペンギンなどを食べて生き延び、翌年、再び訪れた観測隊と再会した。マスコミは心温まるエピソードとして大きく取り扱った。この2頭のカラフト犬の名前が、タローとジローなのである。後年、「南極物語」(1983年)という映画にもなって大ヒットしたから、ご存じの向きも多いと思う。
しかし星新一はこういう。「私はなにかひっかかり、ペンギンの身にもなってみろと思って書いたのが、この『探検隊』である」と。つまりカラフト犬に食べられたペンギンを、怪獣に食べられた人間に置き換えてみたのが、この作品なのである。再編集して刊行した短編集「ようこそ地球さん」(1972年6月、新潮文庫刊)のあとがきで、星新一はそう書いていた。
なかなかの問題提起だが、この「探検隊」は星新一に自省を促した1編としてもよく知られている。すなわち、「時事風俗と密着したものを、作品の題材としてなるべく避けようという点である」。「探検隊」のタローとジローも、「当時は読めばすぐわかる内容だったが、いまは、これだけの解説をつけないと、なんのことやら理解しにくいのではなかろうか。時事風俗に密着した題材は、かくのごとくはかない。いかなる大事件も、たちまち忘れ去られてゆく。私は、ニュース的なものから、ますます離れたくなるのである」と、前掲書のあとがきで星自身が肝に銘じている。
以来、長年にわたって星新一ファンは彼のことを時事風俗とは無縁の作家だと思ってきた。しかし、科学技術に詳しいノンフィクションライターの最相葉月は、秀逸な評伝「星新一 1001話をつくった人」(2007年3月、新潮社刊)の中で、こんなエピソードを紹介している。1986年夏ごろから着手した1001編達成後の自作の改訂作業についてである。星新一は、ゲラの直しを連日行ったが、「風俗は書いていなかったはずなのに、読み直すとあれこれと気になる言葉が目に付き、思いのほか時間はかかった」と、最相は書く。
それによれば、自分が吸わなくなったタバコ、酒に関する記述を削除した。「内職の封筒のあて名書き」は「内職」に、「高層アパート」は「高層マンション」に、「ダイヤルを回す」は「電話をかける」に、「UFO」を「宇宙船」に、路面電車の「安全地帯」や「すりばち」のように、最近の子供たちがイメージできないものも書き直したという。星新一自ら、デビューしたころを振り返って、「テレビの普及、オートメ化、宇宙進出などのスタートの時期でもあった。いまにして思うと、私の書くもの自体が風俗だったのだ」と、1986年当時のインタビューで答えている。また、テレビのニュース番組が好きだったという関係者の証言もある。実は誰よりも時事風俗におもねっていた作家だったのだ。
時事風俗に加えて、星新一は私小説的な要素を極力排除する作家というイメージが強かった。その点についても、最相は同書の中で興味深い指摘をしている。仲の良かった知人が戦後すぐに自殺をとげたとき、追悼文で星新一がこう書いているというのだ。「最近の雑誌で自殺を企てた学生に電波治療を行ったら全くそんな気のなくなったと云う記事を見て、なぜもっと早くと思うと今更ながら残念でたまらない」
「……これは、『セキストラ』だね」「ぱっと思いましたよ。どうですか。そう思いませんか」と、最相がインタビューしたある関係者は即座に語ったという。いうまでもなく、星新一のデビュー作「セキストラ」(1957年)に登場する電気性処理器の名前である。セックスよりも大きな満足を与える器械が開発され、世界中に普及して、各国の小競り合いはなくなり、平和な世界連邦が出来上がるという話。この現実離れした小説に、知人の苦悩と自死と、その後の星新一自身を襲った鬱屈が影を落としているのでは、と最相は書いている。
もう一つ、「小さな十字架」という短編についても、まだ作家になる前の星親一(本名)の心境がうかがわれる作品だと最相は述べている。「昭和のはじめにヨーロッパに遊学していた青年が骨董店で偶然手にした古い銀の十字架の飾りをめぐる物語で、戦争で傷つき、貧しさに苦しむ者に十字架が希望を与える」というストーリー。後年のオチのある作風ではない。
父、星一の会社を引き継ぎ、経営が混乱していた作家以前の時期に書いたもので、当時、精神的に追い詰められていた星新一の教会通いの私的な体験が基底にあるのでは、と分析している。(こや)



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2018/10/20 14:52 |
コラム「たまたま本の話」

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