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2025/02/04 07:54 |
第8回 再びチェスタトンについて(ギルバート・キース・チェスタトン)

第8回 再びチェスタトンについて

(ギルバート・キース・チェスタトン)

芸のない話で恐縮だが、3月に続いて今回もG・K・チェスタトンについて。
経済学者として出発し、類いまれなる学識によって幅広くヨーロッパ文化の領域にまで踏み込んだ著作を数多く残している論客に、高橋哲雄がいる。この人がミステリー評論の世界でも際立った仕事をしていることは、さほど知られていない。内外ミステリーの成長と発展を社会学的にとらえた「ミステリーの社会学」(1989年9月、中公新書刊)は話題になった本だが、実はそれに先立つイギリス文化史に関する長編エッセー「二つの大聖堂のある町」(1985年11月、筑摩書房刊)の中でも、高橋は1章を割いて「ハロゲイトのアガサ」という卓越したイギリスミステリー論を書いている。

アガサとはもちろんアガサ・クリスティのことだが、チェスタトンについても論の中で語っていて、「ミステリーが労働者の読物からどんなに遠いかは明白である」と、目からウロコの指摘を行っている(以下、ストーリーに触れているので未読の方はご注意を)。「たとえば、チェスタトンの代表作の一つに『青い十字架』という短篇があって、そこではにせ牧師に扮した盗人がブラウン神父によって正体を見破られる。そしてそれは彼が『理性を攻撃した』からであり、それは異端の神学なのだからだと『謎解き』が示される。しかし、そんなことを言われても、カトリックの教義に通じていない読者にはついていけるわけがないのである」

あわてて「青い十字架」(1982年2月、創元推理文庫刊「ブラウン神父の童心」所収、中村保男訳)を読み返してみた。確かに終盤にそういう箇所がある。ブラウン神父が犯罪者フランボウと並んでハムステッドの街を歩くシーン。神父はフランボウに対して「あんたは理性を攻撃したではありませんか」「それはよこしまな神学でな」と語る。読み返すまで、フランボウがヘマをやるか手かがりを残すかして、ブラウン神父に正体を見破られたとばかり思っていた。

私事で恐縮だが、筆者は小学生だった1960年代末に「ブラウン神父もの」と出会っている。それは一般向けの文庫や全集ではなく、あかね書房版「少年少女世界推理文学全集」で刊行されていた「ふしぎな足音」であった。「青い十字架」「ふしぎな足音」「飛ぶ星」「スマートさんの金魚」「霧の中に消えたグラス氏」「古城のなぞ」の6編が収められていた。ミステリー評論家の新保博久があるところで書いていたが、子供向けにリライトされた推理小説全集にチェスタトンが収められるのは、きわめてまれな例であるらしく、「難解なところは全部省略されているのに、原作の雰囲気を損ねていない離れ業で、チェスタトン入門書として最適だった」と絶賛している。当時、小学生だった筆者も「青い十字架」をその版で読んだので、作品にカトリックの教義が色濃く出ていることなど分かるわけもなかったのである。

もう一つ、「青い十字架」には分からないところがある。「理性を攻撃した」の少し前の部分で、ブラウン神父がこう言ってフランボウを追いつめる―「あんたはなぜ十字架を驢馬の口笛で引き留めなかったのか」「口笛吹きになるほど悪人ではなかったのか」「口笛を吹かれたら、あしぐろがついていても太刀打ちできなかったでしょう」。フランボウは「あんたはいったい何の話をしているんだ?」と神父に聞くが、これは読者にも分からない。

ヤフーの知恵袋でその点を尋ねていた人がいて、回答者いわく、原書では口笛吹きは「Whistler」または「Donkey’s Whistle」、あしぐろは「Spots」(斑点)になっているという。ニュアンスからして本義とは異なる意味をこめた隠語のように思われるが、どうもチェスタトンの造語らしく、回答者も意味がよく分からないと言っている。ブラウン神父が自ら言うように、悪人の告解をずっと聞いてきたカトリックの神父だからこそ、そうした裏社会の隠語らしき言葉にも通じていたということだろうか。

チェスタトンは1922年、知人のオコンナー神父の手によって、イングランド国教会派から、ブラウン神父と同じローマ・カトリック教会派に改宗している。ブラウン神父シリーズの短編集全5巻のうち、「ブラウン神父の童心」(1911年)と「ブラウン神父の知恵」(1914年)が改宗前、「ブラウン神父の不信」(1926年)、「ブラウン神父の秘密」(1927年)、「ブラウン神父の醜聞」(1935年)が改宗後に書かれている。タイトルだけ並べてみても、童心(Innocence)や知恵(Wisdom)に比べて、不信(Incredulity)、秘密(Secret)、醜聞(Scandal)と、改宗前と改宗後の違いは際立っている。作品内容も、後期になるにしたがって神学的、宗教的色彩が強くなる傾向にあることは、衆目の一致するところだろう。

コナン・ドイルはシャーロック・ホームズ短編集に「冒険」「回想」「生還」「最後のあいさつ」「事件簿」とタイトルを付けた。ほかの名探偵シリーズを見ても「事件簿」が多い(日本で独自の傑作選を作る場合はたいていそうなる)。なぜブラウン神父ものだけ童心(善)から始まって醜聞(悪)で終わるのか、不思議だったが、改宗と絡めて考えると腑に落ちる。カトリック教会派のチェスタトンは、そしてブラウン神父は、時とともに人間性の洞察をより深めていったのだ。(こや)

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2011/04/09 10:35 |
コラム「たまたま本の話」
第7回 チェスタトンと「見えない人」(ギルバート・キース・チェスタトン)

第7回 チェスタトンと「見えない人」

(ギルバート・キース・チェスタトン)

イギリスの作家、批評家のギルバート・キース・チェスタトン。1874年、ロンドンのケンジントンに生まれ、1936年に没した。数々の作品を残したが、何といっても著名なのは短編推理小説の古典「ブラウン神父」シリーズである。いかにも冴えない容貌のカトリック教会の神父ブラウンが、人並み外れた慧眼と論理で難事件の謎を解いていく。その意外性が面白い。おそらく推理小説史上、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズと双璧をなすほど有名なキャラクターであろう。

 このブラウン神父シリーズについて、面白いことを言っている人がいる。SFの翻訳家で小説も書いている鏡明である。その鏡の言い分を、卓越した批評家でありエッセイストであった故・瀬戸川猛資があるエッセー(「夜明けの睡魔」所収、1999年5月、創元ライブラリ刊)で紹介していた。「彼(鏡)はチェスタトンが嫌いである。とりわけ、ブラウン神父ものの代表的短編である『見えない人』を、『あんな愚作はない』といってけなす」

 「見えない人」はこんな話である(以下、ストーリーに触れているので未読の方はご注意を)。ある男が家の中で殺される。この家を4人の男が見張っていたが、誰一人、出入りしたものはなかったと証言する。透明人間の犯罪か、と思われたところに登場したブラウン神父が、「みんなが見ていながら心理的に見えない人間」、すなわち郵便配達夫の犯行だった、と看破する。「江戸川乱歩をしてブラウン神父物のベストワンといわしめ、本格ファンの聖典とまで呼ばれるこの名作中の名作に対して、おそれおおくも鏡氏は悪口雑言を並べ立てるのだ。その理由がおもしろい」と瀬戸川は書く。「あんなバカな話があるかよ。だってね、おれ(鏡)んちの隣に空巣が入ったことがあるのよ。そんとき、近所の連中がなんといったと思う? みんな口をそろえて『郵便屋さんが怪しい!』っていいだしたんだぜ。それで、本当に警察に連れてかれちゃったんだ。結局はまちがいだったらしいけどさ」

 この鏡の発言に関して、瀬戸川は「なるほど、とわたしは感心してしまった。具体的で説得力があり、本格推理小説の問題点と魅力を同時に衝いている」と指摘し、次のように解説する。「郵便屋さんが実際に“見えない”などということはありえない。むしろ“見え見えの人”というべきだろう。“見えない”のは、実は読者に対してなのである。なぜなら、本格物の読者は、あくまでも架空の物語としてこの小説を楽しんでいるからだ。架空であるからこそ、郵便配達夫のごとき現実的な人物が犯人のはずはない、と心のどこかで考えているのである」瀬戸川の意見しかり、鏡の言い分しかり。かたや絵空事だから面白いといい、かたや絵空事だからけしからんという。トリックと論理に基づくブラウン神父ものを書き続けたチェスタトンにとって、物語が絵空事という指摘はむしろ最高の評価に当たるのではないか。

 しかし待てよ、と思う。ここで郵便配達夫の歴史と存在そのものについても考えるべきではないのか。21世紀の日本に生きる鏡にしろ、21世紀を迎える前に鬼籍に入った瀬戸川にしろ、郵便配達夫をきわめて現実的な「見え見え」の人物と考えている。ではチェスタトンの生きた19世紀末から20世紀初頭のイギリスでは、郵便配達夫はどんな立場にあったか。

 郵便事業の発展はイギリスを抜きにして語れない。従来、ほとんどの国の郵便事業には①国王の伝達②商業用郵便③国民用郵便の3種類があったとされている。このうち①は官営システム、②③は民営システムがおおむね担っていた。江戸時代の日本でいえば民営システムは飛脚に当たる。イギリスでもずっと官民混在の状態が続いていたが、1677年に民間の請負制度を廃止。1688年の名誉革命以降、郵便事業収入は国家財政に組み入れられた(諸説あり)。ところが利用者が限られ、国家負担が増えていったため、経費節減案として、1840年に新式郵便制度が発足した、とものの本は書いている。それに伴い、料金前納制や均一料金制の実施、郵便切手の導入、郵便ポストの設置などが始まる。つまりは郵便事業が広範囲化、大衆化したわけで、利用者が激増し、全土に郵便を届ける郵便配達夫の需要も飛躍的に増大した。これは推測だが、おそらく郵便配達夫はいくら人手があっても足りないという状態だったに違いない。「見えない人」の犯人のような素性の確かでないものも次々に採用された、という背景があったのではないか。

 チェスタトンは1874年に生まれている。イギリスに新式郵便制度が確立され、それがすっかり大衆に浸透した後である。生家は裕福な不動産業者だったから、郵便配達夫が商業用郵便や一般郵便などを頻繁に届けにくるような環境にあったはずである。そんなチェスタトンにとって、郵便配達夫は本当にありきたりな見慣れた人物、つまり「見えない人」だっただろう。「見えない人」が収められた「ブラウン神父の童心」は1911年に刊行されているが、この短編が当時から名作とされたかどうかには疑問が残る。郵便配達夫を始めとして労働者などの一般大衆がこの短編を読めば、すぐに犯人を見破ったかもしれないし、郵便配達夫が「見えない人」という論理にはやはり違和感(反発?)を覚えたかもしれない。上流知識階級に属する作家チェスタトンの書いた“高級娯楽”の推理小説などは、当時の一般大衆はあまり読まなかったのではないかと思うけれども。(こや)

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2011/03/15 14:56 |
コラム「たまたま本の話」
第6回 ロアルド・ダール、創作の秘密(ロアルド・ダール)

第6回 ロアルド・ダール、創作の秘密

(ロアルド・ダール)

今回はお待ちかね(?)、ロアルド・ダールの話。ここで彼の定評ある短編小説や世界中でよく売れる童話作品について書くのも芸がないので、ちょっと違った角度からダールという作家を眺めてみたい。

「キス・キス」(「異色作家短篇集 改訂版」第1巻、1974年9月、早川書房刊)はダールの第3短編集。扉に「この本をP・N・Dにおくる」と献辞がある。訳者の開高健はそれについて一言も触れていないが、このイニシャルがパトリシア・ニール・ダールの略であるのは間違いない。
パトリシア・ニール。1926年、ケンタッキー州生まれの女優。ブロードウェイから映画界に転じ、ゲーリー・クーパーと共演した1949年の「摩天楼」で世間に広く知られるようになった。それによってクーパーとの恋愛関係も明るみに出た。クーパーには妻がいたので不倫である。やがてクーパーの子を妊娠し、中絶したニールは全米マスコミの袋叩きにあい、クーパーと別れた。仕事も来なくなった失意のニールがロアルド・ダールと出会ったのはそんなときだった。2人は1953年にニューヨークで結婚する。

この1953年は、年譜を見るとダールが第2短編集「あなたに似た人」を出版した年に当たる。しかし「あなたに似た人」にはニールへの献辞がない。ニールの書いた「真実 パトリシア・ニール自伝」(兼武進訳、1990年6月、新潮社刊)には「あなたに似た人」出版直前のくだりがこう書かれている。

「ロアルドは便箋を持って来た。そのころ『あなたに似た人』という短編小説集を用意していたからだった。その日の夜、彼はこの本をわたし(注・ニール)に献呈したいといったが、わたしは辞退して、それはチャールズ・マーシュ(注・ダールの知人の裕福な老紳士)に献呈すべきだといった。こういう儀礼を受ける気はなかったし、それに、彼がその本を出せるのはチャールズのおかげだと思ったからだ」

結婚した2人は幸せな家庭生活を送り、子供も授かった。1960年にダールは第3短編集「キス・キス」をまとめる。ニールの自伝にはこうある。
「彼はそのころ、雑誌に寄稿した物語を本にまとめていて、タイトルを考えていた。「君の友達のジーン(注・女優のジーン・ヘイゲン)とご主人、ふたりの間の電話のこと、覚えてるかい。『キス・キス』だったね。あれはとびきりいいタイトルになると、前から思ってたんだ。パット、この本は君に献呈するよ」今度はわたしに不満のあろうはずもなかった。わたしはとても嬉しかった」

以下、ダール作品に関する記述を自伝から引けば……
「ロアルドは前より忙しくなっていて、児童向けの初めての本『おばけ桃の冒険』を執筆していた。彼は物語を練るのに、絶対確実な方法を採用していた。つまり、自分の子供たちに読んで聞かせ、もう一回聞きたがったら、成功間違いなしと判断するのだ。この本はオリヴィアとテッサ(注・ダールとニールの子供)に捧げられることになっていた」(注・「おばけ桃の冒険」出版は1961年)

「ロアルドがプロデューサーのカッビー・ブロッコーリからジェイムズ・ボンドの次回作の台本を頼まれた。経済的に一番困っていたときだったから、ロアルドはふたつ返事で引き受けた。映画のシナリオを書くのは短編の物語よりは難しくないと考えているようで、自分の書いた原稿が、料金向こう持ち、専属運転手つきのロールスロイスでロンドンに運ばれていくのが大いに気に入っていた」(注・映画「007は二度死ぬ」公開は1967年)
「ここ数年、ロアルドの仕事はきわめて順調だった。お金もよく入るようになった。子供向けの本は書くたびに各国で好評を博し、この1969年には『チョコレート工場の秘密』の映画化権も売れた」

このほか、停滞していたニールの女優の仕事のために、1971年に映画「ナイト・ディッガー」や、「脳卒中に打ち勝つ」というテレビドキュメンタリーの台本もダールは書いている(ニールは1965年に脳卒中を起こしている)。1983年にダールの浮気が原因で2人は離婚するが、それまでダールはまさにニールと夫唱婦随、貧しい時代もお互いに支え合ってきた。子供たちにとっても良き家庭人、良きパパであった。

なぜダールのようなすぐれた短編小説を書いていた作家が、突如として畑違いと思われる児童文学や映画の脚本に手を出し始めたのか。ニールの自伝は、作品からだけではうかがえないダールの創作の秘密の一端をわれわれに教えてくれる。

ただしニールは、劇作家リリアン・ヘルマンのこんな厳しいダール評も自伝で紹介している。「なんにでも一家言のあるリリアンだったが、ロアルドについては口をつぐんだままだった。ただ、一度だけ、ロアルドの書くものを大して買っていないというのを聞いたことがある」(こや)


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2011/02/19 12:59 |
コラム「たまたま本の話」
第5回 エリンとビアスの奇妙な関係(スタンリイ・エリン)

第5回 エリンとビアスの奇妙な関係

(スタンリイ・エリン)

スタンリイ・エリンの代表作といえば、言うまでもなく短編「特別料理」(1948年発表)であろう。「異色作家短篇集 改訂版」の第2巻「特別料理 スタンリイ・エリン」(1974年9月、早川書房刊)でこの小説と出会ったのは35年以上も前だが、いまだにそのときの衝撃が脳裏を離れない。

先日、その「特別料理」を久々に読み返した。こんな一節に目が留まった。料理店主スピローに、得意客である会社社長のラフラーとその部下コステインが、調理場を見た客がいるのかと尋ねる場面だ。

「ところで、本音を吐けよ、スピロー。誰か、あんたが使ってる連中のほかに聖なる料理場に入って見た者があるのかい?」
スピローは、目を上げた。「あなたの頭の上にあります」と、彼は熱を帯びた口調でいった。「その肖像の人に、わたし、見せてあげました。とても仲よしの友達で、一番長いこと、店をひいきにしてくれた人。その人が、わたしの店の台所に絶対はいれないわけでないことの証拠」
コステインはその画を眺め、あらためて気がついてびっくりした。「あれは……」と、彼は興奮していった。「有名な作家で――知ってるでしょう、あなただって――すばらしく辛辣な皮肉な短篇小説を書いて、それからふいにメキシコへ出かけていなくなっちまったあの作家じゃありませんか!」(田中融二・訳)

驚いた。具体的な名前こそ書いていないものの、「あの作家」とは、言わずと知れたアンブローズ・ビアスのことではないか。

アンブローズ・ビアスは1842年、アメリカのオハイオ州で生まれた。作家、ジャーナリスト、コラムニストとして活躍した。短編小説にもすぐれたものは多いが、何と言っても有名なのは1911年に発表された「悪魔の辞典」。風刺と諧謔に満ちた言語定義集である。

晩年のビアスは、1913年、南部の古戦場をめぐる旅に出たところまでは分かっているが、その後の消息は詳らかではない。10月27日にサンアントニオ入りし、11月末にメキシコはエル・パソの対岸ファレス市に到着。パンチョ・ヴィヤ軍のオブザーバーとして参加し、チワワ州チワワに到着したことまでは判明している。
1913年12月26日、「明日は軍隊の出入りの慌しいチワワからオヒナガに行くつもりだ」と記した友人宛の手紙を最後に、消息を絶っている。アメリカ文学史上、最も有名な失踪事件の一つと言っていい
(以下、ストーリーに触れている箇所があるので未読の方はご注意を)。
「特別料理」の結末で、主人公のラフラーはスピローの店で食事をしながら「わたしは今晩、社の南米の出張所に不意打ち視察旅行に出かける」とコステインに突然告げる。そこにスピローがやってきて、ラフラーに「では今晩、調理場を見せて差し上げる」という。
スピローが調理場に通じるドアにラフラーを迎え入れる姿を眺めながら、コステインは店を後にする。「スピローは片手で誘うように大きくドアを開け、もう一方の手はほとんど慈しむようにラフラーの肉づきのいい肩にかかっていた」(田中訳)という世にも有名な最後の一節で小説は終わっている。

ここで物語の前半にさりげなく挟んでおいたビアスのメキシコでの失踪のエピソードが、南米に行くラフラーの運命に重なる。確かにサビが効いた結末かもしれないが、ビアスの失踪が誰かに食べられたという発想はちょっと突飛すぎるのではあるまいか。

そこで「悪魔の辞典」を見ると、さらに興味深い記述があった。ビアスは「屠殺場」という言葉の定義を次のように書いている。
「畜生どもが畜牛を虐殺する場所。通常、人間の棲息地からやや離れたところに位置している。その肉を貪りくらう輩が、流血の現場を目撃してショックを受けないようにするためである」(奥田俊介、倉本護、猪狩博・訳)。

あるいはこのあたりからエリンは、「特別料理」の想を得たのかもしれない。スピローの店の料理のうち、ごくたまに出される極上の特別料理の食材は「アミルスタン羊」(アフガニスタンとロシアの間の荒地に生息する羊)に違いないとラフラーは言う。実は何の肉かは言うまでもない。
その肉の屠殺場がスピローの調理場だとすれば、すべてがビアスの定義に符合する。エリンがビアスから借りたのは、単に失踪のエピソードだけでなく、発想そのものだったのではなかろうか。

余談だが、ビアスの失踪は創作欲を刺激するらしく、さまざまな作家がそれを題材に小説を書いている。
カルロス・フェンテス「老いぼれグリンゴ」、ロバート・A・ハインライン「失われた遺産」、ジェラルド・カーシュ「壜の中の手記」など。
なかでもイギリスの女流作家ブリジッド・ブローフィーは、1973年にまとめられた短編集の1編「一つの文学史」で、ビアスは実はメキシコから南アメリカに行き、アンデス山脈の中の名もない村で長寿の薬草に出会い、現代アルゼンチンの作家ホルへ・ルイス・ボルヘスとなって生き続けた、と書いている。(こや)


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2011/01/26 18:22 |
コラム「たまたま本の話」
第4回 ヘンリイ・スレッサーの短編技法(ヘンリイ・スレッサー)

第4回 ヘンリイ・スレッサーの短編技法

(ヘンリイ・スレッサー)

星新一と阿刀田高といえば、当代きっての短編作家である。この2人がそろってロアルド・ダールをそれほど買っていないのは面白い。
ダールの名作短編集「飛行士たちの話」(1981年7月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)の解説で阿刀田は、あるパーティーの席上で星とダール談義をしたときのことを書いている。「評価の厳しさに差はあるけれど、“ダールにも結構愚作がある”という点で一致したのはすこぶる愉快であった」

注目すべきはこの後の文章で、阿刀田は別の作家の名を挙げて褒め上げている。「ダールと味わいのよく似た、もう一人の異色短篇作家にヘンリイ・スレッサーがいるけれど、打率が高いという点で言えば、スレッサーのほうがダールより断然上なのではあるまいか。つまりスレッサーの作品は読んで失望させられることが少ない。まず7、8割がたは満足できる出来ばえだ」。ダールに比べてここまで阿刀田に評価されるスレッサーとは、どんな作家なのか。

ヘンリイ・スレッサーは1927年、ニューヨーク市ブルックリンに生まれた。本名はヘンリイ・シュロッサー。どうやら家系はロシア、ドイツ系のユダヤ移民だったらしい。高校を卒業後、すぐに広告代理店に就職してコピーライターとなった。1950年代中盤から雑誌に短篇小説を書き始めるとともに、30歳代の半ばには自ら広告会社を興したというから、ビジネスマンとしても極めて有能だったに違いない。つまりスレッサーは専業作家でなく、二足のわらじを生涯にわたって履き続けた才人だった。

スレッサーといえば、映画監督のアルフレッド・ヒッチコックを抜きにしては語れない。「アルフレッド・ヒッチコック・マガジン」が創刊されるや、常連執筆者として迎え入れられ、同誌の看板作家となった。そして本国アメリカで1955年10月から放映が開始されたテレビドラマシリーズ「ヒッチコック劇場」「ヒッチコック・サスペンス」では、原作者として、あるいは脚本家として、その作品が取り上げられること40回以上に及んだ。つまりあの一話完結のドラマシリーズ全体の11回から12回に1回はスレッサーのかかわった作品だったわけである。

ヒッチコックが選んだスレッサーの短編集が2冊、翻訳されている。「うまい犯罪、しゃれた殺人」と「ママに捧げる犯罪」。このうち「ヒッチコックのお気に入り」と副題の付いた前者には、選りすぐりの短編17編が収められている(2004年8月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)。この短編集から、スレッサーという作家の魅力を考えてみた(以下、ストーリーに触れている箇所があるので未読の方はご注意を)。

一読して明らかなのは、収められているのがファンタジー系でなく、サスペンス系あるいはミステリ系のアイデアストーリーばかりなのに、最後までオチを読み手に悟らせない巧さである。

例えば「金は天下の回りもの(A Fist Full of Money)」は、同僚とのポーカーで給料をすっかり巻き上げられた主人公が、妻に弁解するために追いはぎにあったと偽装するが、なんと本当に金を盗んだという不良青年が逮捕されて、という話。
金は返ってきたが、その金は貧しい不良青年の生活費に当てられるべきものだったかもしれない。主人公は苦悩するが、実はその不良青年の持っていた金は、ポーカーで主人公から金を巻き上げた同僚から奪ったものだった……というオチがついている。
金は天下の回りものというタイトルに大きなヒントが隠されているのだが、最後まで結末が読めない。

「ふたつの顔を持つ男(The Man with Two Faces)」は、引ったくりに遭った老女が、犯人特定のために警察の手配写真アルバムを見せられるが、犯人でなく自分の娘婿の顔写真がその中にあるのを偶然に見てしまう。
老女は娘婿の素性についてよく知らない。自分の娘婿が犯罪者なのかどうか、娘にも相談できずに老女は悩むが、実は娘婿だけでなく娘も犯罪者の一員だった。
「引ったくり犯人が女だったら、あなたは自分の娘の顔を偶然、手配写真の中に見ていたところです」と老女に告げた警部の最後の一言が強く印象に残る。

スレッサーの持ってくる予想外のオチは、確かに阿刀田が言うように7、8割は満足できる切れ味を持っている。それはスレッサーの本業であるコピーライティングの技法が短編小説にも応用されているからのように思われる。
「金は天下の回りもの」で読み手は、追いはぎにあった偽装が本当になる不思議さに目を奪われ、それがなぜかという謎の解明よりも、不良少年の金を奪うことの良心の呵責に主人公と共に悩んでしまう。
「ふたつの顔を持つ男」でも、娘婿が犯罪者ではないかという老女の不安に読み手も巻き込まれ、まさか娘もその片割れだったという結末まで想像が至らない。

「ヘッドライン(見出し)でその広告テーマをすべて述べずに、ボディーコピー(商品説明)に誘い込み、そこで説得する」―これはコピー作法の古典的技法である。スレッサーの短編小説のタイトルがヘッドライン、ストーリー展開がボディーコピーだとすれば、彼の短編はまさにその流れでテーマを展開しながら、最後のオチで一気にひっくり返し、強い印象を読み手に与えることに見事に成功している。(こや) 


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2011/01/26 18:16 |
コラム「たまたま本の話」

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