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2025/02/02 02:05 |
第101回 メタフィクション「小僧の神様」 文学に関するコラム・たまたま本の話
第101回 メタフィクション「小僧の神様」

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若いころ読んで、こういう話だったという固定観念が出来ている文学について、長じてから「いや、実はあれはこういう話で……」 と改めて聞かされ、ハッと驚かされることがある。最近もそんな経験をした。作家の三田誠広が書いた読書エッセイ「小説を深く読む ぼくの読書遍歴」(2018年11月、海竜社刊)を読んでいて、こんな一節に出会ったのである。
作品は志賀直哉の「小僧の神様」。三田はこの小説を中学の国語の時間に教科書で習った。当時は「秤屋の小僧さんの物語だ」と思ったが、後になって思い直す。「いや、そんなふうに受け止めるのが間違いのもとなのだろう。あとで述べることになるが、この作品は、若い貴族院議員の知識人にありがちな傲慢な自意識がテーマになっている。だから作品の主人公は議員のほうで、小僧さんは脇役にすぎないのだ」
思わずアッと声が出た。こちらも子供のころからずっと、神様とも言うべき大人に出会った小僧が主人公の話だと思い込んでいたからである。だから三田が次のように続けているのを読んで、狐につままれたような気持ちになった。
「とはいえ、こちらは中学生だ。教科書に出ているくらいだから、中学生向けの作品だと思い込んでいる。当然、秤屋の小僧さんが出てくると、小僧さんのほうに向かって気持が傾いてしまう。わが身を小僧さんに置き換えて、小僧さんの不思議な体験をわがことのように体験してしまうのだ」
「体験してしまうのだ」――って、これはまさにその体験をさせるために書かれた小説なのではないか? 寿司は当時、高価な食べ物であって、住み込みで働く小僧にはとても食べられるものではなかった。実際、小僧の仙吉は恐る恐る屋台の寿司屋に入り、いったんつまんだ寿司の値段を聞いて、持ち合わせが足りずにそれを戻すという失態をやらかしている。その様子をたまたま居合わせて見ていて、そのとき小僧に寿司を食べさせてやれなかったことを悔やんでいたのが、Aという貴族院議員である。そのAが後日、秤屋で買い物をした折に、同じ小僧を偶然見かけた。今度こそ小僧に腹いっぱい寿司を食べさせてやりたいと思ったAは、まさしくそのようにした。
どこを取っても善行ではないか。仙人だかお稲荷様だか分からないけれども、小僧にとってAは自分の心の中を読んで寿司をたっぷりご馳走してくれた「神様」に他ならない。そしてこの小説を読んでいる、親から小遣いを満足にもらえないであろう中学生にとっても、Aの行いは神様の所業に映るに違いない。しかし三田はそこに作品の本当のテーマはない、という。
三田の言う「貴族院議員主人公説」の根拠は、次のようなところにあるのだと思う。確かに作者の志賀はこう書いている。小僧に寿司をご馳走した直後のくだりだ。
「Aは変に淋しい気がした。自分は先の日小僧の気の毒な様子を見て、心から同情した。そして、出来る事なら、こうもしてやりたいと考えていた事を今日は偶然の機会から遂行出来たのである。小僧も満足し、自分も満足していいはずだ」「ところが、どうだろう、この変に淋しい、いやな気持は。なぜだろう。何から来るのだろう。ちょうどそれは人知れず悪い事をした後の気持に似通っている」「もしかしたら、自分のした事が善事だと云う変な意識があって、それを本統の心から批判され、裏切られ、嘲られているのが、こうした淋しい感じで感ぜられるのかしら? もう少しした事を小さく、気楽に考えていれば何でもないのかもしれない。自分は知らず知らずこだわっているのだ」
このくだりを読むと、三田の主張ももっともであると感じられる。「貧しい小僧さんにご馳走してあげる。それは『偽善』ではないのか。たかが寿司をご馳走したくらいでいい気分になっている自分というものが許せない」と、三田は書いている。「貧しい小僧さんを喜ばせるという、いいことをしたはずなのに、何だかいやーな気分になってしまう。そういう『自意識』のいやらしさを描いているのだと、国会議員の側に立って読めばわかることで、これを中学生の教科書に載せたりするから、話がややこしくなってしまうのだ」と、なかなか手厳しい。
ここで引っかかるのは、主人公であるはずの貴族院議員Aに名前がなくて、脇役のはずの小僧に仙吉という立派な名前がつけられている点だ。1人の貴族院議員そのものではなく、一般的な知識人にありがちな傲慢な自意識がテーマだから、あえてアルファベットにしたのかもしれない。少年Aが未成年犯罪者一般を指すことにも通じようか。しかしそれでは脇役である仙吉に名前がつけられていることの説明にはならない。
もしかすると志賀はこの善行に対して、偽善ではないかという知識人の自意識と、それを神様の所業だと感謝する小僧の気持ちを、秤にかけて小説を書こうとしていたのではないか。仙吉が秤屋の小僧だからシャレで言うわけではないが、知識人の偽善の自意識が重いか小僧の感謝の気持ちが重いか、どちらに天秤の針が振れるが真のテーマなのではないか。
「小僧の神様」で注目すべきはラストである。作者の志賀は、Aがデタラメに書いた番地と名前を教えてもらって、小僧が訪ねていくくだりを書こうと思ったという。ところがそこには人の住まいがなく、小さい稲荷の祠だけがあって、小僧はびっくりした――と。「しかしそう書く事は小僧に対し少し残酷な気がして来た。それ故作者は前の所で擱筆する事にした」と物語を終えている。それを書く前に筆を置くと作者自身が書いているのだから、これはいわば最後にメタフィクションに転じる物語である。知識人の自意識が勝ったわけでもない。偽善を信じる小僧の感謝が勝ったわけでもない。その両者を秤にかけて小説を書いていた志賀にも、メタフィクションにしなければ決着のつかないテーマだったのだ。(こや)




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2019/05/06 13:29 |
コラム「たまたま本の話」
第100回 黒澤明はてんかんだったのか? 文学に関するコラム・たまたま本の話
第100回 黒澤明はてんかんだったのか? 文学に関するコラム・たまたま本の話

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日本が誇る世界的巨匠・黒澤明(1910-1998)は、戦中のデビュー作「姿三四郎」から数えて生涯にちょうど30作品を監督している。時系列でいうと「赤ひげ」までの23作と「どですかでん」以降の7作とでは作風が大きく異なっている。「姿三四郎」(1943年)から「赤ひげ」(1965年)までの23作は、ダイナミックかつスピード感にあふれる動的な作風で、22年かかっている。そして「どですかでん」(1970年)から遺作となった「まあだだよ」(1993年)までの7作は、逆にゆったりとした静的な作風で、23年かかっている。つまり監督人生の年月をほぼ2分して、前半と後半とで全く別人のような映画を作ったのが黒澤だったと言えるのである。
その点については今までも多くの識者が指摘していたことだが、今回それは何故かを改めて考えることになった。柏瀬宏隆と加藤信の共著「黒澤明の精神病理」(2002年4月、星和書店刊。2010年10月に増補版)という興味深い本を読んだからである。著者の2人、柏瀬宏隆は日本精神神経学会評議員などを歴任した医学博士、加藤信は日本アルコール・薬物医学会評議員などを歴任した同じく医学博士(ともに2002年現在)。この精神科医2人が書いた本書は、学術誌に掲載された論文8編で構成されている。
筆者たちの主張は、まずこのように始まる。黒澤の作風の変化のきっかけは1971年、61歳の時に起こした自殺未遂事件にあるのではないか――という指摘だ。「『どですかでん』の頃より、黒澤映画およびその作品づくりは次のような明らかな変貌を遂げている」と書いて、その根拠を掲げる。重要なポイントなので引用する。
1. それまで1年にほぼ1作品ずつ製作されていたのが、自殺企図後からはしばらくの間5年ごと1作品にペースがダウンしていること
2. それまで白黒映画であった作品がすべてカラー作品となっていること
3. 56歳の時、黒澤プロが映画会社・東宝から完全に独立したこと
4. 作風は面白いストーリー性、娯楽性、躍動性、スリルとサスペンス性が影を潜め、いわば動的世界から静的世界へと変容してきていること。すなわち、自殺企図前の作品には、「酔いどれ天使」「羅生門」「七人の侍」「用心棒」のように動的で、雄々しく、激しく、ドラマチックな内容の作品が多いのに対して、自殺企図後の作品には、特に最後の3作品「夢」「八月の狂詩曲(ラプソディー)」「まあだだよ」に見られるように逆に静的で絵画的で、穏やかさ、優しさが伺えるようになること
いずれも納得できる指摘であろう。こうした点を取り上げて、「どですかでん」以降の作風の変化を、年齢からくる創作エネルギーの減退や、三船敏郎という俳優の不在という言葉でくくってしまう批評が、これまでにも多く見られた。しかし筆者たちが違うのは、ここからである。作風の変化の背景に、黒澤のある精神病理があったとする説を展開するのだ。その病理とは「てんかん」であったというから驚く。他ならぬ黒澤自身が1978年、68歳の時に書いた自伝「蝦蟇の油――自伝のようなもの」の中で、自分がてんかん持ちであることを告白している。
「私(黒澤)の脳の大動脈は、脳血管のレントゲン写真を撮って解ったのだが、異常に屈折している。通常は真直ぐなのだそうで、この異常は先天的なもので、真性てんかん症だと診断された。そういえば、子供の時は、よくひきつけを起こした」
この記述から筆者たちは、黒澤を側頭葉てんかん、とくにゲシュヴィント症候群と推測する。黒澤の性格や作風が、まさにゲシュヴィント症候群の特徴的症状に酷似しているというのだ。少年時代から見られる負けん気の強さや強情さは、同症候群の特徴的症状である「情動の過大」に該当し、仕事の完全主義ぶりや粘着性は「変形過少」、黒澤映画が性を取り上げない点は「性的活動の低下」、緊張感あふれる画面は「認知の強化」、強烈なヒューマニズムは「哲学的関心・道徳主義」、ほぼすべての作品の脚本づくりに参加したり、絵コンテを描いたりする点は「過剰書字」に該当するという。まさに精神科医らしい実証的考察がなされている。
ただし、これ以降は推測の世界に入っていく。自殺未遂事件以降の作風の変化について、筆者たちはこう書いている。
「これは、筆者のまったくの憶測であり推測の域を出ないのであるが、自殺企図後に初めててんかんであることが判明し、黒澤監督はてんかんの治療を受けることになったのではないであろうか。(すると、61歳までは、てんかんをまったく無治療で過ごしてきたことになる?!)そして、てんかん者としての治療を受けることによって、以後の作品が穏やかになり、対立と葛藤の強烈なダイナミズムが失われてしまったのではないであろうか。治療を受けることによって、普通人としての平穏な生活は送れるであろうが、創造性の持つ激しさ、鋭さ、迫力は削ぎとられてしまったと考えられるのである」
以上はあくまで筆者たちの推測ではあるが、それなりの説得力があるように思う。作風の変化を、単に年齢から来るエネルギーの減退とするよりも、訴えかけてくるものは強い。著者の1人、柏瀬は1995年から確信を持って「黒澤監督・てんかん説」を日本病跡学会で発表し続けていた。その当時、黒澤はまだ存命中だったが、柏瀬自身が主治医でないこと、黒澤自身が公表したものに基づいて考察していること、クローズドの学会および学会誌でしか発表していないこと、などから医師の守秘義務違反という倫理的批判も受けることはなかったという。(こや)



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2019/04/04 13:15 |
コラム「たまたま本の話」
第99回 続・2001年以降の10本はコレだ!21世紀日本映画ベストテン 文学に関するコラム・たまたま本の話
第99回 続・2001年以降の10本はコレだ!21世紀日本映画ベストテン 文学に関するコラム・たまたま本の話

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前回の外国映画に続き、今回は日本映画編。21世紀の日本映画には黒澤明も小津安二郎もいない。21世紀ならではのテーマがいかに描けているかを基準とした(順不同)。

①嫌われ松子の一生
監督:中島哲也 製作:2006年
山田宗樹のベストセラー小説「嫌われ松子の一生」が原作。修学旅行中に教え子が起こした現金盗難事件を収めるため、その場しのぎの対応をとって教師の職をクビになり、家族とのいざこざから家を飛び出したことから転落して行く、川尻松子の人生を描く。悲劇となるはずの物語が、CG合成によるファンタスティックなミュージカルシーンやコミカルなタッチで綴られる。

②ゆれる
監督:西川美和 製作:2006年
西川美和は21世紀の名匠と呼ぶに相応しいが、中でも長編2作目の「ゆれる」を挙げる。東京で写真家として活躍する弟・猛が久々に帰省し、兄・稔が切り盛りする実家のガソリンスタンドで働く昔の恋人・智恵子と再会する。翌日、兄弟と彼女の3人で渓谷へ遊びに行き、智恵子が渓流にかかる吊り橋から落下する。その時、近くにいたのは稔だけだった。事故だったのか、事件なのか、裁判が進むにつれて兄をかばう猛の心はゆれていく。

③光の雨
監督:高橋伴明 製作:2001年
あさま山荘事件からほぼ30年を経て、初の本格的な連合赤軍映画が作られた。立松和平の小説「光の雨」がベースだが、そのままの映画化ではなく、小説を映画化する模様を描いた作品となっている。つまりは劇中劇。映画に出演する若い役者たちの戸惑いの描写が、30年前の事件に対する現在の若者たちの違和感を浮かび上がらせる。 その後、若松孝二監督が連合赤軍サイドから、原田眞人監督が警察サイドから、同事件を描くことになる。

④みなさん、さようなら
監督:中村義洋 製作:2013年
「アヒルと鴨のコインロッカー」の中村義洋監督が、久保寺健彦の同名小説を映画化。1980年代に団地で生まれたごく普通の少年・悟は、小学校卒業とともに「団地から一歩も出ずに生きる」と決める。中学校には通わず、団地内のパトロールを日課に日々を過ごし、やがて団地内のケーキ屋に就職。同級生と婚約もして人生をそれなりに謳歌していたが、時代の変遷とともに多くの人が団地を去り、悟は1人取り残されていく。

⑤あん
監督:河瀨直美 製作:2015年
河瀨直美監督が樹木希林を主演に迎え、元ハンセン病患者の老女が尊厳を失わず生きようとする姿を紡いだ人間ドラマ。おいしい粒あんを作る謎多き女性と、どら焼き屋の店主や店を訪れる女子中学生の人間模様が描かれる。原作は、詩人、作家、ミュージシャンのドリアン助川。今は亡き樹木や、浅田美代子らの円熟した演技が光る。

⑥ひかりをあててしぼる
監督:坂牧良太 製作:2016年
東京の渋谷で実際に起きた事件がモチーフの舞台劇を実写化したドラマ。監督は、舞台版の演出も手掛けた坂牧良太。友人の巧と共に参加した合コンで、木下智美に心惹かれたサラリーマンの谷中浩平。急速に距離を縮めた2人は結婚して幸せな日々を送るが、虚栄心の強い智美が次第に浩平を翻弄する。激しく憎悪をぶつけ合いながらも離れることができず、関係が破綻していく若い夫婦の姿に思わず引き込まれる。

⑦暗闇から手をのばせ
監督:戸田幸宏 製作:2013年
身体障害者専門のデリヘル嬢の目を通して、障害者たちとの触れ合
いを描く。ドキュメンタリー番組のディレクター戸田幸宏が、自ら取材した内容を元にNHKのドキュメンタリー番組として企画したが、拒絶されたためフィクション化、自己資金で制作にこぎつけたという労作。一般客より楽そうだと、障害者専門に鞍替えしたデリヘル嬢の沙織が、客の家を一軒ずつ訪ねていく、いわばロードムーヴィー。

⑧FAKE
監督:森達也 製作:2016年
「A」「A2」を撮った森達也のおよそ15年振りの単独監督作で、2014年のゴーストライター騒動で話題になった佐村河内守を追ったドキュメンタリー。聴覚障害を抱えながらゲーム音楽などを手掛け称賛されるが、実は耳は聴こえており、しかもゴーストライターによる楽曲を自作として発表していたと報じられ、日本中からバッシングを受けた佐村河内の素顔に肉薄する。

⑨ペコロスの母に会いに行く
監督:森﨑東 製作:2013年
同年のキネマ旬報ベスト・テンの日本映画ベストワンをさらった秀作で、メガホンを取ったのは日本映画界の大ベテラン、森﨑東監督。主人公、認知症の母みつえ役の赤木春恵は、88歳と175日(クランクイン日の2012年9月5日時点)で本作が映画初主演となり、この出演でギネス世界記録に「世界最高齢での映画初主演女優」として認定された。赤木は2018年11月29日に逝去、この初主演作が映画作品としての遺作となった。

⑩9/10 ジュウブンノキュウ

監督:東條政利 製作:2006年
斬新でスタイリッシュなミステリー室内劇。「カミュなんて知らない」の助監督を務めた東條政利の初監督で、若手実力派俳優たちの臨場感あふれる演技は圧巻の一語に尽きる。 サラリーマンや内科医ら、かつての高校野球部のメンバー9人は7年ぶりに再会する。思い出話に花を咲かせていた彼らだが、それぞれの記憶が微妙に食い違っていることに気づく。9人は昔のスコアブックや写真を引っ張り出してくるのだが……。(こや)


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2019/03/19 15:11 |
コラム「たまたま本の話」
第98回 2001年以降の10本はコレだ!21世紀外国映画ベストテン 文学に関するコラム・たまたま本の話
第98回 2001年以降の10本はコレだ!21世紀外国映画ベストテン 文学に関するコラム・たまたま本の話

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クリント・イーストウッドとウディ・アレンとテオ・アンゲロプロスを外して21世紀外国映画を語ることができるか? そしてデイヴィッド・リンチもロマン・ポランスキーもクリストファー・ノーランも枠外に置いて。独断と偏見で選ぶ2001年以降の10本(順不同)。

①わたしを離さないで
監督:マーク・ロマネク 製作:2010年、アメリカ、イギリス
ノーベル文学賞作家、カズオ・イシグロが2005年に発表した同名のSF小説が原作。同じくノーベル賞を受賞したips細胞による先進医療が話題となっている現在、クローン人間による再生医療というテーマはやや古びたか? 否――ここには人間以上に人間らしい心を持ったクローン人間たちによる人類愛という永遠の主題が息づいている。

②ナイトクローラー
監督:ダン・ギルロイ 製作:2014年、アメリカ
1970年代、テレビの過熱する視聴率競争を描く「ネットワーク」という映画が話題になった。現アメリカ大統領が一部メディアを「フェイクニュース」と名付けたように、21世紀ネット社会の報道競争はさらに過激になっている。事件や事故を追って一線を超えるジャーナリスト、ジェイク・ギレンホールの怪演はまさに必見。

③幸せなひとりぼっち
監督:ハンネス・ホルム 製作:2015年、スウェーデン
かつてスウェーデン映画は「神と悪魔」の問題を扱うことが多かった。この映画は、妻を亡くし職も失って、生きる希望をなくした59歳の偏屈で孤独な男の人生を描く。近所に越してきたのはイラン人女性とその家族。完全福祉国家と言われ、社会保障の充実していたスウェーデンも、産業民営化と移民受け入れでずいぶん変貌していることに驚く。

④チェイサー
監督:ナ・ホンジン 製作:2008年、韓国
とてつもない暴力描写と、残虐シーンが続出するナ・ホンジン監督の長編デビュー作。2004年に韓国で起こった連続殺人事件をベースにしている。かつての儒教思想の国、韓国でも観客動員数が500万人を超えるヒット作になったという。21世紀の韓国映画には、他にも「息もできない」(2008年)など、あまりにも過激な秀作が多い。

⑤別離
監督:アスガル・ファルハーディー 製作:2011年、イラン
「コーランに手を置いて真実を述べよ」という映画の中の言葉が、イスラム教徒でない我々にも重く重く響いてくる。本作で第84回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した監督は、第89回アカデミー賞でも「セールスマン」で同賞を再び受賞した。2回目の受賞では、アメリカの移民政策に抗議するため、主演女優らとともに授賞式への出席を見送ったのは記憶に新しい。

⑥バタフライ・エフェクト
監督:エリック・ブレス 製作:2004年、アメリカ
近年のカオス理論のひとつに「バタフライ効果」というものがある。力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の状態が大きく異なってしまうという現象。まさにブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こすようなストーリー展開に圧倒される。練り込まれた脚本が光る。

⑦わたしは、ダニエル・ブレイク
監督:ケン・ローチ 製作:2016年、イギリス、フランス、ベルギー
この映画を見ると、往年のアメリカン・ニューシネマの「怒れる若者たち」が、50年後の現在は「怒れる老人たち」になっていることに気づく。社会派の大ベテラン、ケン・ローチが「どうしてもこれだけは撮っておかねばならない」の思いを込めて作った1本。腕の良い大工が心臓病と認定され、仕事ができないつらさは、日本の労働者である我々も身につまされる。

⑧おみおくりの作法
監督:ウベルト・パゾリーニ 製作:2013年、イギリス、イタリア
ヨーロッパ版「おくりびと」と言えばいいだろうか。監督、脚本のウベルト・パゾリーニがガーディアン紙に掲載された「孤独死した人物の葬儀を行う仕事」に関する記事から着想を得て、ロンドン市内の民生係に同行し、実在の人物や出来事について取材を重ねた末に誕生した作品である。ここでは詳しく書けないが、奇跡のように美しいラストシーンに息を飲む。

⑨その土曜日、7時58分
監督:シドニー・ルメット 製作:2007年、アメリカ
多くの名作を撮り続けたシドニー・ルメットの遺作だが、遺作と呼ぶにはあまりにもエネルギッシュでバイタリティーにあふれた1本となった。父の愛情をめぐる出来の良い兄と、出来の悪い弟のその後のドラマ。一口で言えば21世紀版「エデンの東」である。麻薬に溺れるフィリップ・シーモア・ホフマンの熱演は、やがて彼に実際に訪れる薬物中毒死を暗示していた?

⑩ファイナル・デスティネーション
監督:ジェームズ・ウォン 製作:2000年、アメリカ
最後にズルをする。本作は20世紀の製作だが、日本公開が2001年初頭なのでご容赦を。凄惨な飛行機事故を予知して搭乗を取り止め、いったんは死を回避した若者たちが、逃れられない死の運命に次々にさらされていく。「X-ファイル」「ミレニアム」の脚本家、ジェームズ・ウォンの劇場映画監督デビュー作。(こや)




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2019/02/20 13:37 |
コラム「たまたま本の話」
第97回 高度成長途上の男と女(黒岩重吾)文学に関するコラム・たまたま本の話
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平成も終わろうとする2018年。1年を通じて筑摩書房が大変うれしい企画を試みてくれた。昭和の名作ミステリ短編集を次々にちくま文庫で復刊したのである。2月に黒岩重吾の「飛田ホテル」、4月に結城昌治の「夜の終わる時/熱い死角 警察小説傑作選」、5月に仁木悦子の「赤い猫 ミステリ短篇傑作選」、7月に多岐川恭の「落ちる/黒い木の葉 ミステリ短篇傑作選」、8月に黒岩重吾「西成山王ホテル」、10月に戸川昌子の「緋の堕胎 ミステリ短篇傑作選」、11月に陳舜臣の「方壷園 ミステリ短篇傑作選」。
先鞭をつけたのは、おそらく2017年11月に同文庫で出た結城昌治の「あるフィルムの背景 ミステリ短篇傑作選」であろう。これが好評だったため、昭和のミステリに改めて注目が集まり、今回の連続企画につながった。どの1冊を取っても昭和という時代の香りが漂っていて興味深いが、今回は「飛田ホテル」の著者、黒岩重吾を取り上げてみたい。
黒岩重吾(1924-2003)は大阪市生まれ。同志社大学法学部在学中に学徒出陣し、北満に出征する。敗戦による逃避行の末、1946年に朝鮮に辿り着き、内地へ帰還した。復員兵ということになるだろうか。
日本に戻って復学したはいいが、戦後の混乱期に闇ブローカーなど、裏稼業に手を染める。卒業後は日本勧業証券(現・みずほ証券)に入社。1949年に「北満病棟記」を書き、週刊朝日の記録文学コンクールに入選。同人誌「文学者」のグループにも参加するなど、順風満帆の人生を歩むかに見えたが、株相場で大失敗をやらかしてしまう。
家財を売り払って株の情報屋となるも、1953年には大病で3年の入院生活を余儀なくされる。しかも入院中に株が暴落し、帰るべき場所がなくなったために、釜ヶ崎(現・あいりん地区)のドヤ街に移り住み、トランプ占い、キャバレーの呼び込みなど、様々な職業を経験する。
1958年に「ネオンと三角帽子」がサンデー毎日に入選。 1959年、源氏鶏太の紹介で司馬遼太郎と知り合い、「近代説話」の同人となる。1960年に「青い花火」が週刊朝日、宝石共催の懸賞に佳作入選。同年、書き下ろしで「休日の断崖」を刊行し、直木賞候補に。 翌年、釜ヶ崎を舞台にした「背徳のメス」で直木賞を受賞。以後、「西成もの」を主に、金銭欲や権力欲に捕らわれた人間の内面を巧みに抉った社会派推理作家、風俗小説家として活躍した。――というように、作家としてデビューしてからの活躍ぶりは周知の通りだが、それ以前にこれでもかというほど人生の辛酸をなめているのが黒岩重吾という人間の実像なのである。
「飛田ホテル」の元版は1961年に講談社、のち角川文庫から刊行されている。収録作品は6編で、タイトルと初出は次の通り。「飛田ホテル」(別冊文藝春秋、1961年4月号)、「口なしの女たち」(別冊文藝春秋、1962年1月号)、「隠花の露」(別冊文藝春秋、1964年1月号)、「虹の十字架」(小説中央公論、1958年8月号)、「夜を旅した女」(婦人公論、1961年9月号)、「女蛭」(日本、1961年4月号)。大ざっぱに言えば1960年前後に書かれた短編ばかりが収められている。直木賞受賞前後、まさに作家として脂の乗り切った時期の傑作ぞろい。共通するのは物語の舞台が釜ヶ崎、天王寺、阿倍野、芦屋、通天閣、新世界、御堂筋、難波、堺、神戸といった大阪南部から近隣にかけての裏通りに集中していること。大阪は東京に次ぐ日本第2の都市である。その大都会を舞台に男女の愛憎や犯罪など、複雑に絡み合った人間関係が描かれる。さて、ここで振り返っておかねばならない。1960年というのはどういう時代だったのか。安保紛争の年であることは自明だが、1953年から始まる高度成長のちょうど中間点であったということは押さえておかねばならない。マクロ経済学の権威、吉川洋の書いた「高度成長 日本を変えた6000日」(2012年4月、中公文庫刊)によれば、「朝鮮戦争が終わった後、1950年代の中ごろから70年代初頭にかけて、およそ10数年間、日本経済は平均で10パーセントという未曽有の経済成長を経験した」という。吉川はデータを挙げる。
「1950年(昭和25)の日本を振り返ってみよう。この年日本の就業者の48パーセントは、農業・林業・漁業など『一次産業』に従事していた。つまり働いている日本人のほぼ2人に1人は『農民』であったわけだ。高校に進学する女子は3人に1人、男子も2人に1人は中学を出ると働き始めた」
「それから20年、高度成長が終焉した1970年(昭和45)になると、一次産業に従事する就業者の比率は、19パーセントまで低下している。逆に『雇用者』の比率は、64パーセントまで上昇した。20年間で、働く日本人3人のうち2人は『サラリーマン』になった。高校進学率は80パーセントを超え、しかも男女の格差が解消した」
1960年とは、高度成長という経済変革がまだまだ途上にある時代だった。男3人のうち2人がサラリーマンになっていく中で、中卒で就職したり、集団就職で都会に出てきたりした若者たちはまだ多く、彼らの働き場が徐々になくなってきていた。女の高校進学率が上がっていても、いったん売春婦に身を落とした女たちは日陰でずっと生き続けるしかない。売春防止法が1958年に適用されて以降、体を売る商売を続けようとする女たちは、非合法のコールガールになっていった。「飛田ホテル」や「口なしの女たち」に出てくる彼女らのように。
そして「女蛭」のサラリーマンとして出世したデパート宣伝部長も、女に人生を翻弄されて死んでいく。幸福な人生を送ったとは言い難い男の姿を、黒岩重吾の筆は鋭くとらえる。(こや)

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2019/01/09 13:32 |
コラム「たまたま本の話」

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