第54回 「輪廻の蛇」と性転換(ロバート・アンソン・ハインライン)
ロバート・アンソン・ハインライン作の「輪廻の蛇」(原題――All You Zombies――)といえば、タイムパラドックス・テーマの究極とされる名作である。この作品を原作とした映画「プリデスティネーション」の日本公開(2月28日予定)に合わせて、長らく品切れだった短編集「輪廻の蛇」が新装版で復刊された(矢野徹・他訳、2015年1月、ハヤカワ文庫SF刊)。
収録されているのは中・短編6編。これを機に表題作を読み返し、改めて感心した。有名な作品だが、ストーリーを改めてたどってみたい。未読の方はご注意を。
1945年にクリーブランドの孤児院に生後すぐの女児が置き去りにされる。女児はそこで育つが、やがて1963年、18歳になったとき、街を放浪している男と恋をする。
最初優しく見えた放浪者は、彼女を公園で暴行し、姿を消してしまう。妊娠した彼女は、女の子を出産する。その際、彼女は両性具有者であったことが判明する。
女性機能は出産によって失われてしまい、性転換の強制手術によって、彼女は以後、「彼」として生きることになる。しかも生まれたばかりの赤ん坊は、何者かによって誘拐されてしまう。
やがて1970年、生きる希望を失った彼は、飲んだくれのゴシップ記者=放浪者となっている。とあるバー「ポップ酒場」(Pop‘s Place)に足を踏み入れ、これまでの自分の不幸な身の上を、その店のバーテンダーに語る。
実はこのバーテンダーは、タイムトラベラーの部隊「航時局」の一員である。タイムトラベラー部隊に彼をスカウトするために、未来から1970年にやってきたのだ。バーテンダーと彼は、彼女を妊娠させて姿を消した放浪者に復讐するため、タイムマシン(航時機)に乗って1963年にやってくる。
彼を1963年で降ろしたバーテンダーは、1人で1年後の世界に向かい、病院から生まれたばかりの赤ん坊を誘拐し、1945年の孤児院に置いていく。そして1963年の公園に戻る――そう、放浪者が彼女を暴行したあの公園に。
彼はいまや自らがあの放浪者となり、彼女を暴行する側になっていたのだ。バーテンダーは彼の肩を叩いて言う。「さあ、問題の男が誰だかわかったろう――よく考えてみればきみは自分が何者かわかるだろう――それに、もっとよく考えてみれば、あの赤ん坊が誰だか……そして、このわたしが誰だかも」
バーテンダーと彼は1985年の未来に行く。バーテンダーの推薦で、彼は航時局の一員となる。やがて彼は航時局員の中でベテランメンバーとなり、1970年の「ポップ酒場」で放浪者を新兵としてスカウトするために、バーテンダーに扮して時空を飛んでいく――。ここで物語は終わる。
孤児院の女児、放浪者、バーテンダーは、むろん同一人物である。男である自分が、少女である自分を暴行して父になる。少女である自分が、男である自分に暴行され母になる。生まれた女の子は自分である。バーテンダーである自分が、赤ん坊である自分を誘拐して過去に連れ去る。そして放浪者である自分が、バーテンダーである自分にスカウトされて航時局員となる。
家系図を描けば、父、母、娘だけでなく、孤児院の女児、放浪者、バーテンダーすべてがたった1人の人物に回帰する。まさに「輪廻の蛇」という小説は、タイムパラドックスの極致を描いている。
謎を解くヒントは作中の至るところに散りばめられている。「ポップ酒場」(Pop‘s Place)のポップは「パパ」であるし、自分の尻尾を無限に呑みつづける「輪廻の蛇」の指輪のエピソードや、酒場のジュークボックスから流れる曲が「わたしは自分のおじいちゃん」であることなど、すべて読み終えた後になって、思わず「なるほど」と読み手をうなずかせる仕掛けがあちこちに施されている。
特筆すべきは、女が男になるという設定がなければ、このストーリーは成立し得ないことであろう。ハインラインが「輪廻の蛇」を書いたのは1959年3月。そんな時期に性転換とは……と驚くが、実は「性転換」の概念そのものは1920年代からあった。1950年代には、すでにその関係の手術が行われていたという記録がある。インターネットの医療関連資料から要約する。
アメリカ人の性転換の第1例目はクリスティン・ヨルゲンスン(ジョーゲンセンなどの表記あり。1926-1989)といわれている。性転換前の名前はジョージで、アメリカ陸軍に入って朝鮮戦争にも従軍、やがて軍曹になった。しかし自分の体に違和感を覚えて、除隊後の1950年、デンマークのコペンハーゲンに行き、当地でホルモン治療を受けた後、性転換手術を施した。
1952年には、世界中の新聞が「軍曹転じて女性に」といった見出しでこのニュースを伝え、一種の性転換ブームが起きたという。1970年には、ヨルゲンスンの伝記映画も作られている。
「輪廻の蛇」にもヨルゲンスンの名前が出てくるから、これはつまり実在の人物なのだ。とすればハインラインは、1959年当時、ちょっとしたブームになっていた旬のテーマをSFに潜り込ませたとも読めそうだが――。
インターネット資料を丹念に見ていくと、ハインラインは実際に「性転換症」(トランスセクシュアル)であったのではないか、という興味深い指摘がいくつかあるのに気づく。もちろんハインライン自身が実際に性転換をしたわけではないが、代表作「夏への扉」や、後年の「栄光の道」「愛に時間を」「落日の彼方に向けて」などの作品に見られる近親相姦や小児愛、服装嗜好倒錯といった性に関するモチーフは、ハインライン文学を研究する上で、大きな足がかりとなるものであろう。(こや)
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第53回 70年代アメリカを「銃撃!」する(ダグラス・フェアベアン)
鹿狩りに出かけた5人の男たち。彼らは主人公のレックスを始め、全員がコンバット部隊の退役兵である。川べりにたどり着いたとき、対岸に同じようなハンターたちのグループがいた。
しばし沈黙の後で相手側が突如、発砲してくる。弾は仲間の1人の頭をかすめた。メンバーの1人がとっさに撃ち返す。弾は相手のハンター1人の眉間を撃ち抜いた。それから激しい銃撃戦になった。銃声が途絶えた隙に、その場を後にする5人。知り合いの医者に、撃たれた仲間の手当てをしてもらう。幸いにして軽症だった。ところがこちらは相手を1人撃ち殺してしまっている。「正当防衛だ」と主張するメンバーたち。さて彼らはどう出てくるか――。
1973年にアメリカでハードカバー版が刊行された「銃撃!」(原題SHOOT)は、こんなショッキングな書き出しで始まる。作者はダグラス・フェアベアン。何冊か本を書いているが、著名な作家とは言いがたい。
この小説も翌74年にペーパーバックになり、続いて76年にはハーヴェイ・ハート監督、クリフ・ロバートソン主演によってカナダでひっそりと映画化された。映画は興行的にも成功しなかったという。当然、日本でも未公開。「コンバット 恐怖の人間狩り」というとんでもないタイトルでテレビ放映された後にビデオ化された。すぐに廃版になっている。
その後、DVD化もされていないため、すっかり忘れられた存在だったが、2011年3月に刊行された「トラウマ映画館」(集英社)の中で著者の映画評論家・町山智浩が取り上げてから、カルトムービーとして一部で評判になった。
小説のほうは早川書房から1977年5月に「銃撃!」のタイトルで小鷹信光と石田善彦によって翻訳刊行されている。こちらも現在は絶版である。以下、どのようにストーリーが進んでいくか、核心部分に触れるので未読の方はご注意を(引用は「銃撃!」および「トラウマ映画館」から)。
意外にもハンター射殺事件はニュースで伝えられず、警察がやってくることもなかった。「彼らは流れ弾による事故として通報したのだろう」と主人公のレックスは仲間に言う。そこから奇妙な展開になる。レックスは続けて確信的にこう語るのだ――「来週、あの連中はまたあそこにやってくる。おれたちを待ち伏せるために」。そしておれたちに復讐するだろう、と。なぜなら「あいつらは俺たちに似ていたからだ」。
「銃撃!」という小説を最後まで読み続けられるかどうか、映画をラストまで見続けられるかどうかは、このレックスの根拠のない確信を読者と観客が信じられるかどうかにかかっている。「戦争だ。受けて立とうじゃないか」と、週末に向けて準備が始まる。
「レックスは予備役兵として州兵の教練を担当している。そのコネを利用して州兵の武器を無断で借り出してしまう。さらに自分よりも若いベトナム帰還兵たちを招集する。武器も人数も多いほうがいい。戦争なのだから」。
そして週末がやってくる。一向は現場に到着する。ひっそりとして誰もいない。連れて来た若い兵士が、川べりから向こう岸を眺めながら一発マシンガンを撃ち込み、「誰もいないじゃないか!」「おっさんどもの戦争ゴッコにつきあわされてイイ迷惑だぜ!」と言う。次の瞬間、彼は蜂の巣になる。向こう岸に隠れていた、おそらく100人以上の敵が一斉射撃を始めたのだ。小説と映画とはやや異なるのだが、映画のラストは重症で死の床にある、こちら側の唯一の生存者レックスのモノローグ「次があったら、もう失敗はしない。奴らを引き裂いてやる……」で終わる。
この小説ないし映画のテーマは何かと問われれば、やはり銃社会アメリカを批判したものである、と考えるのが普通だろう。「銃撃!」の訳者あとがきで小鷹信光はこう指摘している――「銃器を正義をおこなう武器とする狂気を育てる土壌が、社会的、風土的にあり、もう一方に、荒々しい戦争体験と殺戮本能がある。
夫(注:最初に眉間を撃ち抜かれた相手の男)を殺された作中の未亡人がふるう熱弁のように、巻頭で本能的に応射した男のように、彼らは銃で身を守り、わが身に危害をくわえようとする外敵を暴力で倒す。リーダーの召集命令によって、完全武装した一個小隊がたちどころに結成される。宣戦布告のない戦闘が、アメリカ中に現実に存在しているのだ」。
最後まで戦闘に反対していた仲間の1人も、レックスたちにこう叫ぶ――「おまえたちは、この忌々しい事件がおこってほしいと思っている」「おまえたちの望んでいることが本当になれば、大虐殺がおこるんだぞ」「おまえたちはこういうことが好きなんだ!」
なるほど――と納得する半面、それだけではこの作品に漂う奇妙な雰囲気がうまく説明できないことも事実だろう。あちこちで指摘されているように、「銃撃!」という作品はあまりにも設定と展開に無理がありすぎる。敵の正体は最後まで明らかにされず、なぜレックスの確信通り、奴らが翌週やってきたのかも全く説明されない。
とすれば、この小説と映画は銃社会アメリカを描いたリアリズム作品としてでなく、「俺たちに似ている奴ら」によって俺たちが裁かれる反リアリズムのドラマとして読むべきなのではあるまいか。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの「分身」は、19世紀ロシアの役人がある日、出現した自分の分身によって裁かれる寓話だった。「銃撃!」は、1970年代の銃社会アメリカに生きる兵士たちが、突如として川向こうに出現した「銃を持った奴ら」という分身によって裁かれ、皆殺しにされる寓話にほかならない。そして銃社会アメリカは、2015年の現在もずっと続いているのだ。(こや)
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第52回 新訳で読む「賢者の贈りもの」(オー・ヘンリー)
ここのところの海外古典文学の新訳ブームは、出版各社の文庫にも及んでいる。中でも新潮文庫の躍進ぶりが目を引く。「Star Classics 名作新訳コレクション」と題して、これまでにジェイン・オースティン「自負と偏見」(小山太一訳)、ジェームズ・M・ケイン「郵便配達は2度ベルを鳴らす」(田口俊樹訳)、サマセット・モーム「月と6ペンス」(金原瑞人訳)などを出しているが、2014年12月1日には「賢者の贈りもの O・ヘンリー傑作選Ⅰ」が小川高義訳で刊行された。かつて新潮文庫の旧訳版「O・ヘンリ短編集」全3巻(大久保康雄訳)で海外文学に目を開かれた世代としては、満を持しての真打ち登場といったところか。新訳を一読し、改めて感心した。
冒頭の「賢者の贈りもの」は、あまりにも有名な話だが、一応あらすじをまとめておく。妻のデラはクリスマスを明日に控えて、1ドル87セントしか持ち合わせがない。デラは夫のジムにプレゼントを贈るために、自慢の黒髪をかつら屋に売って、そのお金で時計につけるプラチナの鎖を買う。ジムは先祖代々から伝わる立派な金時計を持っているからだ。仕事から帰宅したジムは、デラの短くなった髪を見て驚く。何とジムからのプレゼントは、デラが長い髪をすくための櫛のセットだった。長い髪はすでになくなっていた。デラは涙を流しながら、金時計につける鎖のプレゼントをジムに渡す。ジムはにっこりしながら言う――「あの時計は売っちゃった。君の櫛を買うためにね」。
このストーリーには「The Gift of the Magi」というタイトルが付けられている。the Magiというのは「東方の3博士」のこと。新約聖書に登場し、キリスト降誕のときに供物を持ってきて拝んだ賢者とされる。O・ヘンリーは続けてこう書いている(小川高義訳、以下同)――「東方の3博士というのは、ご存じのとおり、みごとな賢者なのだった。飼い葉桶に寝かされた赤ん坊のイエスに、たっぷりと贈りものを運んできた。いわばクリスマスプレゼントの元祖である。賢い3人が贈ったのだから、さぞ賢いものだったろう。もし同じ品が来てしまったらお取り替え、というサービスだって、まあ、なかったとは言えない。ともあれ、つたない語りだったが、こうして若い2人の話をお聞かせした。どうということもないアパート住まいにあった大事な宝を、すれ違って犠牲にするという、ちっとも賢くないことをしたのである」。
しかしO・ヘンリーはこの物語を「愚者の贈りもの」にはしなかった。彼は話をこうやって締めくくる――「しかし最後に、今の世の賢い方々に言っておく。およそ贈りものをする人間の中で、この2人こそが賢かった。贈りものを取り交わすなら、こうする者が賢いのだ。どこの土地でも、こういう者が賢い。これをもって賢者という」。
さて、この話を読んだ感想はいかがだろうか。賢者に関する説明がくどすぎる? 子供向けにリライトされたものでは、説明の部分をバッサリ切っているケースも少なくない。小説における説明過多の傾向は、19世紀文学のエドガー・アラン・ポーなどにもよく見られる。つまりO・ヘンリーは、活躍した時代は20世紀初頭だけれども、かなり19世紀的な作家だといえるのではないか。
訳者の小川は、新訳版のあとがきでこう書いている。「O・ヘンリーは落語家タイプなのである。話の進行をとりしきる語り手の存在が、相当程度に感じられる。話の枕のような書き出しも多い。極端な場合には(中略)作者が口をはさんで、話の導入の仕方、途中の進行について注釈をつけている。『ショートストーリー』というよりも、やや古めかしい『テール(tale)』という用語のほうが似つかわしいのかもしれない。これは語源的には『語る(tell)』と近縁で、まさに『語り物』である。かつてはポーもホーソーンもメルヴィルも、自作の『短篇』にテールという言葉を使っていた」。そして鋭く指摘する――「O・ヘンリーは20世紀のトップバッターというよりは、19世紀のラストバッターではなかったかと訳者は思う。それが安打製造機なのだった」。
O・ヘンリーの経歴をたどってみると、1862年、米国に生まれている。本名はウィリアム・シドニー・ポーター。薬剤師やジャーナリストを経て、やがて銀行にも勤めたが、1896年、銀行から週刊紙の経営資金を横領した嫌疑をかけられる。裁判に臨む寸前に逃亡したというから、果たして罪を犯したのか無実だったのか、はっきりしない。その後、有罪判決を受け1898年にオハイオ州の刑務所に収容される。模範囚として減刑され、3年3か月の服役期間を終えて、1901年に釈放された。
すでに刑務所内から作品を雑誌に寄稿していたというが、要するに作家O・ヘンリーになったのは釈放後のことなのである。1910年に47歳で亡くなるまで、実質9年の作家生活で残した作品は381編というから、きわめて多作であろう。それも晩年に突然、多作になる異例の作家だったわけだが、その作家的素養がどこにあったのかと考えれば、19世紀後半のアメリカに生まれたことである。
19世紀末に刑務所に入って、出てきたのが20世紀の幕開けだから、小説を書くお手本にしたのはポーやホーソーンなどの19世紀アメリカ文学だったのは当然である。
「賢者の贈りもの」で、「今の世の賢い方々」というのは20世紀人を指している。しかし真の賢者は、20世紀においては愚者と思われかねない主人公の2人なのだ――とO・ヘンリーは自信を持って言い切るのである。ひょっとして刑務所で読まされたであろう聖書の教えが、20世紀に生きる19世紀人O・ヘンリーを形成したのかもしれない。(こや)
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第51回 ハーレクインとフェミニズムが握手する(尾崎俊介)
アメリカ文学者の須山静夫と大橋吉之輔。前者はウィリアム・フォークナー「八月の光」やウィリアム・スタイロン「闇の中に横たわりて」などの名訳で知られる。後者は言うまでもなくシャーウッド・アンダスン研究の世界的権威である。今は亡き2人の碩学のどちらかに師事しただけでも幸福な人生と言えるだろう。ところが何と両者から薫陶を受けたという果報者がいる。その名は尾崎俊介。その後、恩師たちと同じアメリカ文学研究の道に進んだ。昨年、須山との思い出をつづったエッセー集「S先生のこと」(2013年2月、新宿書房刊)で、第61回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。
2014年現在、愛知教育大学で教鞭を執る尾崎は、アメリカン・ペーパーバック本の表紙絵の研究が専門というユニークな教授でもある。このたび「ペーパーバック」「ハーレクイン・ロマンス」「ブッククラブ」と、3題噺のようなテーマでエッセー集をまとめた。「ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」(2014年10月、新宿書房刊)で、これがめっぽう面白い。
思わずうならされたのは、1963年という年がアメリカにおける新世代フェミニズム誕生の年であったと同時に、「ハーレクイン・ロマンス」がアメリカで販売を開始した年であったという興味深い指摘である(「ハーレクイン対フェミニズム――呉越同舟のメカニズム」、2005年3月、「中部アメリカ文学」第8号発表)。
フェミニズムと、ハーレクインに代表される型にはまったフォーミュラ・ロマンスは、まさしく水と油であろう。しかし両者はどちらも下火になることなく現在に至っている。「つまり、女性を結婚制度の呪縛から解き放とうとするフェミニズムの潮流と、逆に女性の結婚願望を煽るかに見えるロマンス・ブームの潮流は、1963年という年を起点にして同時進行的に進展しながら、共にこの時代のアメリカ文化に影響を与えていたのである」。
これはまさに目からウロコが落ちる好論文なので、ぜひ紹介しておきたい。以下は、尾崎が海外文献から参照した部分も交えての引用となる。
まずはハーレクイン・ロマンスのパターンについての説明。「女性読者の恋愛願望を元に作られるロマンスとは具体的にはどういうものかと言うと、簡単に言えばヒロインが素晴らしい男性と偶然出会い、その男性と結婚することによってそれまでの退屈な日常生活から解放され、豪奢でエキサイティングな暮らしを手に入れるという筋書きの、典型的なシンデレラ・ストーリーということになる」。そしてヒロインの造型はといえば、「通常ハイ・ティーンか20代前半という年頃、金髪・碧眼で背は小柄、明るく愛敬のある女性だが、絶世の美女ではなく、特に優れた能力は持ち合わせていないものの純粋で気立ての良い女性、ということになっている。いわばどこにでもいる女性ということである」。
一方ヒーローは「ヒロインの平凡さとは対照的に、容貌・身体・知性において傑出した人物として描かれるのを常とする。またヒロインが金髪・碧眼であるのに対し、ヒーローの方は大抵肌の色が浅黒く、髪の毛や目の色は漆黒である。人種的にはアラブ/ラテン系であることが暗示され、またそれにふさわしく情熱的な気質の持ち主なのだが、その気質を強い意志の力で制御しようとするために外見的には鬱々としているように見え、また時には情熱を抑えきれずに暴力的な行動に及ぶこともある。協調性はなく、組織に順応できるタイプではないものの、知的能力は高く、親戚から大企業の経営を受け継いだというような形で生まれながらの資産家であることが多い」。
フォーミュラ・ロマンスを分析すればするほど、ヒロインとヒーローの造型だけでなく、ストーリー展開までが型にはまりすぎたものだと分かる。フェミニズム派のある批評家もこれらを当初「エリック・シーガルの『ラブ・ストーリィ』から4文字言葉と婚前交渉を省いたもの」と揶揄し、「父権制社会における男性の性的願望を助長させるようなものである」と批判していた。「フォーミュラ・ロマンスを女性(ヒロイン)と男性(ヒーロー)の間で繰り広げられる権力争いの物語と見なし、その闘争の結末においてヒロインが従順な妻としてヒーローの前に屈伏すること、すなわち『男性側に都合の良いファンタジー』に仕上がっていることを問題視」していたわけだが、ではなぜ天敵のような両者が呉越同舟することになったのか。尾崎は海外の文献を踏まえてこう指摘する。
「(別の批評家Xは)ハーレクイン・ロマンスのようなフォーミュラ・ロマンスを、ヒロインとヒーローが互いに鎬を削る権力争いの物語と見なすものの、どちらがその勝者かという点では(前述のフェミニズム派批評家と)まったく逆の見解を示す。(Xは)ロマンスというのは結局金と権力を持ったヒーローをヒロインが愛の力で飼い馴らす物語、つまり美女が野獣を屈伏させる物語なのであって、この権力争いの勝者はむしろヒロインである、と結論づけるのだ」。
いやはや驚かされる。フェミニズムから最も遠い立ち位置にあったはずのハーレクイン・ロマンスが、権力に対するヒロインの勝利で終わる点で実は同じ方向性にあった、と尾崎の論文は指摘しているのである。
フォーミュラ・ロマンスの嚆矢とされる1919年の「シーク 灼熱の恋」(E・M・ハル作)はかつて映画化され、ヒーローを演じたイタリア系俳優ルドルフ・ヴァレンティノが世の女性の感涙をしぼったものだった。あるいは20世紀初頭から、女性たちは小説のそして映画のロマンスに身をひたしながら、フェミニズムと握手していたのかもしれない。(こや)
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第50回 「大聖堂」を読み解けば・・・ (レイモンド・クリーヴィー・カーヴァー・ジュニア《レイモンド・カーヴァー》)
レイモンド・クリーヴィー・カーヴァー・ジュニア(1938年-1988年)――略してレイモンド・カーヴァーの略歴を眺めていて、彼がわずか20歳で作家デビューしていることを知った。
最初に活字になったのは1958年に自分が通っていた講座制カレッジに投書した文章で、最初に書いた小説は1961年の「怒りの季節」と「父」である。1980年代には「アメリカのチェーホフ」と呼ばれ、短編小説の名手としての名をほしいままにしたから、どことなく老境の作家をイメージしがちだが、彼は満50歳で死んでいる。つまり代表作のほとんどは30歳代から40歳代に書かれたものなのだ。
アメリカ本国では1960年代から短編作家として名を成していたが、日本では1980年代に入るまで全く知られざる存在だった。1982年に村上春樹が短編集「ぼくが電話をかけている場所」を編訳したことで一気にブームに火がついた。
80~90年代のわが国の翻訳小説界を牽引したのは、ジェイ・マキナニーやブレッド・イーストン・エリス、ポール・オースターら、現代アメリカの若手作家たちだったが、そのブームの先鞭をつけたのがカーヴァーだった。
「Carver‘s Dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選」(村上春樹編訳、1994年12月、中央公論社刊。その後1997年10月、中公文庫刊)は、その村上が選りすぐりの短編を集めた文字通りのベスト集。中でも「大聖堂」(Cathedral、1983年)は素晴らしく、ベスト・オブ・カーヴァーの趣さえある。以下、ストーリーに触れるので未読の方はご注意を。引用は前記の中公文庫版による。
「私」の妻の知り合いの盲目の黒人が家に泊まりに来ることになった。盲人、そして黒人に対して偏見のあった私だが、来てみるとかなりユニークな人物で、調子が狂ってしまう。一緒に食事をしたり煙草や大麻を吸ったりするうちに、私はこの盲人についてとらえどころのない不思議な感情を持つようになる。テレビではちょうど中世ヨーロッパの教会についてのドキュメンタリー番組が放映されている。そこに大聖堂が映し出される。大聖堂について盲人に説明しようとする私だが、口ではうまく説明できない。「2人で紙に絵を描いてみよう」と盲人は提案する。私の手に彼が自分の手を添えて、一緒に大聖堂を描き終わったとき、生まれてこのかた味わったことのない感覚が到来する。私は「まったく、これは」という言葉をもらす――。
こうしてあらすじをたどっていても、実にとらえどころのない短編である。訳者の村上自身、扉に寄せた紹介文で「ふとしたきっかけで、物語の流れは2人の『赤の他人』のあいだに生じる奇跡的な魂の融合のようなものへと突き進んでいく。モーツァルト風にいえば、肝のところで例の決定的な転調が訪れるのだ。そのはっと澄み渡る意外な一瞬が素晴らしい」と書いていて、傑作と認めながらも困惑している様子がうかがえる。さて、「奇跡的な魂の融合」と村上が表現するものは何か――ここでちょっと読み解いてみたい。
いちばん気になるのは夕食のシーンであろう。私と妻と盲人は、なぜ「実に熾烈な食事」を繰り広げたのか。3人はテーブルの上の食事にかぶりつき、残さずたいらげ、テーブルをなめつくし、「まるで明日という日がないといった感じの食べ方」をする。突如、理由なき食欲が彼らに到来したかのような描写には戸惑いを覚えざるを得ないが、まずこの食欲を舌ととらえてみたらどうか。
舌は人間の五官のひとつで、五感でいえば味覚に相当する。そう考えると、この短編には五官つまり五感にかかわる描写が随所にあることに気づくだろう。五官とは五感を生ずる5つの感覚器官で、いうまでもなく眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)を指す。
健常者と盲人とがコミュニケーションを図るわけだから、はなから視覚による交流は封じられていることになる。とすれば他の四感に伝達の手段を頼るほかはない。
前記の食事のシーンは舌=味覚を暗示していようが、2人が吸う煙草や大麻はいうまでもなく鼻=嗅覚を象徴している。そしてテレビから聞こえてくるドキュメンタリー番組のナレーターの声は耳=聴覚を表しているだろうし、2人が手を添え合って大聖堂の絵を描いていく行為はすなわち皮膚=触覚による交流にほかならない。
以上をまとめれば「大聖堂」という短編は、五感が健在な私と、五感のうちの視覚という重要な要素を封じられた盲人とが、味覚・嗅覚・聴覚・触覚を駆使しながらコミュニケーションを図っていく心の交流の物語だといえるだろう。2人が最後にたどり着いた「奇跡的な魂の融合」は、したがって人間の五感を超えた「第六感」による魂の到達点ということになる。そこに至るまでのカーヴァーの筆致はうまい。
とくに盲人から「大聖堂について言葉で描写してくれ」と頼まれるシーン。私はテレビ画面を見ながら何とか口で説明しようとするが、大聖堂とは何かをうまく伝えることができない。しかも途中で「私は神を信じてはいないと思います。何を信じてもいない」と、言わずもがなのことまで盲人に吐露してしまうことになる。神を信じていなかったそんな私の元に盲人と一緒に大聖堂の絵を描くことで霊感が降りてくる。いわば神が手を差し伸べてくれる――これはそんな奇跡のような物語なのである。
カーヴァーという作家の短編からは宗教性をあまり感じないのだが、「大聖堂」だけは例外かもしれない。「この作品については本当に書きたいという衝動を感じた」「何かをつかんだ気がして興奮したんだ」と、あるインタビューでカーヴァー自身も語っていたという。(こや)
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