*** 自家目録を発行しました ***
第29回 ノーベル賞を拒否した作家
(ジャン=ポール・サルトル)
2012年のノーベル文学賞は中国の作家、莫言(モーイエン)に与えられた。「赤い高粱」「百檀の刑」などが代表作。中国籍作家で初との報道に、2000年に受賞した高行健(ガオ・シンヂエン)を思った。
高はフランスに亡命し、中国語とフランス語で作品を書いている。フランス国籍の作家で、つまり賞はフランスに与えられたことになる。共産党の一党独裁を批判する高の受賞に当時、中国政府は大いに反発した。そういえば2010年、平和活動家で詩人の劉暁波(リウ・シャオボー)の平和賞受賞に対して国を挙げて猛抗議したことも記憶に新しい。今回の莫言の受賞について、中国では歓迎の声が沸き上がっている。
ノーベル文学賞は第1回のフランスの詩人シュリ・プリュドム以来、現在まで109人に与えられている。その中で受賞を拒否した作家が2人いる。
1人は1958年のソ連のボリス・パステルナーク。正確にいえばこれは「国によって拒否させられた」に等しい。受賞拒否に至るまでの経緯を「ノーベル文学賞―『文芸共和国』をめざして」(柏倉康夫著、2012年10月、吉田書店刊)はこう書いている(以下、引用はすべて同書より)。
「ノーベル文学賞の授賞を知ったパステルナークは、スウェーデン・アカデミーに電報を打った。『非常に感謝している。感動、誇り、驚き、戸惑いを感じている』。だが、4日後には別の電報がアカデミーに届いた。『残念だが賞は辞退したい』」「いったいこの4日間になにがあったのか。
ソビエトのマスコミは、授賞の報を知ると、いっせいにパステルナーク批判を開始した。『裏切り者のユダ』、『社会主義にこびりついている汚れ』等々、ありとあらゆる悪意にみちたレッテルが、パステルナークに貼られたのである。その上彼はソビエト作家同盟からも除名された」「パステルナークはなによりも祖国ロシアを愛しており、自分が祖国なしに作品を創造できないことをよく知っていた。彼はフルシチョフ書記長にあてて書簡を送り、『祖国を離れることは、死ぬことと同じです』と、国外追放の措置を取らないように懇願した。ノーベル賞辞退はその代価であった」
20世紀半ばのソ連の話だから、これはリアリティーがある。実際、代表作「ドクトル・ジバゴ」は前年の1957年にソ連で出版禁止処分を受けている。イタリアに持ち出されてイタリア語で出版された同書は、すぐさま世界18か国語に翻訳され、大ベストセラーとなる。
映画化もされてヒットした。「パステルナークへの授賞には、こうしたソビエト当局の言論弾圧にたいする抗議、弾圧にあえぐパステルナーク支援の意味が多分に含まれていた。しかし、それが逆にパステルナークを窮地に追いこんでしまったのである」
感動的なのは、パステルナーク本人不在のまま、予定通り授賞式が行われたことだ。メダルはスウェーデン・アカデミーが預かった。パステルナークは1960年に亡くなった。「ロシア語の『ドクトル・ジバゴ』の完成版が祖国で出版されたのは1988年のことである。
そしてこの同じ年に彼の息子がストックホルムを訪れて、かつて父がもらうはずであったノーベル文学賞のメダルを手にしたのだった。授賞から30年がたっていた」
さてもう1人の受賞拒否者、フランスの哲学者で作家のジャン=ポール・サルトルの場合は、パステルナークと事情が異なる。1964年10月23日付のル・フィガロ紙はサルトルの公式声明を掲載したが、彼は受賞を辞退した「個人的な理由」として、こんなことを述べている。
作家がこうした栄誉を受諾するのは、授与する機関に公約を与えてしまう。だから作家は自ら甘んじて組織に成り果てるようなことがあってはならない――と。
サルトルははなはだ慎重に、辞退はスウェーデン・アカデミーともノーベル賞とも関係ないと書いているが、これは明らかなノーベル文学賞への批判であったという。
「サルトルは(中略)ソ連の作家としてはパステルナークにだけあたえられたことを取りあげて、ノーベル文学賞は『実質的には西側の作家にだけ』あたえられる賞であると批判した。
この頃サルトルはモスクワの平和大会に出席して、文化の面でも平和共存が実現されなければならないと主張していた。そうしたサルトルの目からすれば、ノーベル文学賞は東西の対立を解消するどころか、逆に西側の文化を意図的に擁護することによって、東西対立をおし進めるものと映ったのである」
いかにも東西冷戦の時代を感じさせる発言だが、サルトルのこの声明を受けて、さすがにスウェーデン・アカデミーのアンダーシュ・エステルリング理事長も1964年の授賞式で次のようにあいさつせざるを得なかった。
「受賞者がこの賞を受ける意志のないことを伝えてきたことは、ご記憶のことと思いますが、氏がこの栄誉を
辞退したからといって、この賞の有効性は少しも損なわれるものではありません。しかし、こういった事情ですので、アカデミーといたしましては、賞の授賞が行われないことをここにお伝えするだけにとどめておきたいと思います」
史上初めて、作家が自らの意志でノーベル文学賞の受賞を拒否し、それをスウェーデン・アカデミーが公式に認めた瞬間だった。これは同アカデミーにとっても深刻な事態となった。その後、ノーベル文学賞をフランスの作家が受賞するのは1985年のクロード・シモンまで待たねばならない。21年が経っていた。ヌーヴォー・ロマンの大家シモンの受賞を当時、フランスの新聞は「スウェーデン・アカデミーとフランス文学界の和解」と書き立てた。(こや)
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第29回 ノーベル賞を拒否した作家
(ジャン=ポール・サルトル)
2012年のノーベル文学賞は中国の作家、莫言(モーイエン)に与えられた。「赤い高粱」「百檀の刑」などが代表作。中国籍作家で初との報道に、2000年に受賞した高行健(ガオ・シンヂエン)を思った。
高はフランスに亡命し、中国語とフランス語で作品を書いている。フランス国籍の作家で、つまり賞はフランスに与えられたことになる。共産党の一党独裁を批判する高の受賞に当時、中国政府は大いに反発した。そういえば2010年、平和活動家で詩人の劉暁波(リウ・シャオボー)の平和賞受賞に対して国を挙げて猛抗議したことも記憶に新しい。今回の莫言の受賞について、中国では歓迎の声が沸き上がっている。
ノーベル文学賞は第1回のフランスの詩人シュリ・プリュドム以来、現在まで109人に与えられている。その中で受賞を拒否した作家が2人いる。
1人は1958年のソ連のボリス・パステルナーク。正確にいえばこれは「国によって拒否させられた」に等しい。受賞拒否に至るまでの経緯を「ノーベル文学賞―『文芸共和国』をめざして」(柏倉康夫著、2012年10月、吉田書店刊)はこう書いている(以下、引用はすべて同書より)。
「ノーベル文学賞の授賞を知ったパステルナークは、スウェーデン・アカデミーに電報を打った。『非常に感謝している。感動、誇り、驚き、戸惑いを感じている』。だが、4日後には別の電報がアカデミーに届いた。『残念だが賞は辞退したい』」「いったいこの4日間になにがあったのか。
ソビエトのマスコミは、授賞の報を知ると、いっせいにパステルナーク批判を開始した。『裏切り者のユダ』、『社会主義にこびりついている汚れ』等々、ありとあらゆる悪意にみちたレッテルが、パステルナークに貼られたのである。その上彼はソビエト作家同盟からも除名された」「パステルナークはなによりも祖国ロシアを愛しており、自分が祖国なしに作品を創造できないことをよく知っていた。彼はフルシチョフ書記長にあてて書簡を送り、『祖国を離れることは、死ぬことと同じです』と、国外追放の措置を取らないように懇願した。ノーベル賞辞退はその代価であった」
20世紀半ばのソ連の話だから、これはリアリティーがある。実際、代表作「ドクトル・ジバゴ」は前年の1957年にソ連で出版禁止処分を受けている。イタリアに持ち出されてイタリア語で出版された同書は、すぐさま世界18か国語に翻訳され、大ベストセラーとなる。
映画化もされてヒットした。「パステルナークへの授賞には、こうしたソビエト当局の言論弾圧にたいする抗議、弾圧にあえぐパステルナーク支援の意味が多分に含まれていた。しかし、それが逆にパステルナークを窮地に追いこんでしまったのである」
感動的なのは、パステルナーク本人不在のまま、予定通り授賞式が行われたことだ。メダルはスウェーデン・アカデミーが預かった。パステルナークは1960年に亡くなった。「ロシア語の『ドクトル・ジバゴ』の完成版が祖国で出版されたのは1988年のことである。
そしてこの同じ年に彼の息子がストックホルムを訪れて、かつて父がもらうはずであったノーベル文学賞のメダルを手にしたのだった。授賞から30年がたっていた」
さてもう1人の受賞拒否者、フランスの哲学者で作家のジャン=ポール・サルトルの場合は、パステルナークと事情が異なる。1964年10月23日付のル・フィガロ紙はサルトルの公式声明を掲載したが、彼は受賞を辞退した「個人的な理由」として、こんなことを述べている。
作家がこうした栄誉を受諾するのは、授与する機関に公約を与えてしまう。だから作家は自ら甘んじて組織に成り果てるようなことがあってはならない――と。
サルトルははなはだ慎重に、辞退はスウェーデン・アカデミーともノーベル賞とも関係ないと書いているが、これは明らかなノーベル文学賞への批判であったという。
「サルトルは(中略)ソ連の作家としてはパステルナークにだけあたえられたことを取りあげて、ノーベル文学賞は『実質的には西側の作家にだけ』あたえられる賞であると批判した。
この頃サルトルはモスクワの平和大会に出席して、文化の面でも平和共存が実現されなければならないと主張していた。そうしたサルトルの目からすれば、ノーベル文学賞は東西の対立を解消するどころか、逆に西側の文化を意図的に擁護することによって、東西対立をおし進めるものと映ったのである」
いかにも東西冷戦の時代を感じさせる発言だが、サルトルのこの声明を受けて、さすがにスウェーデン・アカデミーのアンダーシュ・エステルリング理事長も1964年の授賞式で次のようにあいさつせざるを得なかった。
「受賞者がこの賞を受ける意志のないことを伝えてきたことは、ご記憶のことと思いますが、氏がこの栄誉を
辞退したからといって、この賞の有効性は少しも損なわれるものではありません。しかし、こういった事情ですので、アカデミーといたしましては、賞の授賞が行われないことをここにお伝えするだけにとどめておきたいと思います」
史上初めて、作家が自らの意志でノーベル文学賞の受賞を拒否し、それをスウェーデン・アカデミーが公式に認めた瞬間だった。これは同アカデミーにとっても深刻な事態となった。その後、ノーベル文学賞をフランスの作家が受賞するのは1985年のクロード・シモンまで待たねばならない。21年が経っていた。ヌーヴォー・ロマンの大家シモンの受賞を当時、フランスの新聞は「スウェーデン・アカデミーとフランス文学界の和解」と書き立てた。(こや)
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第28回 「禁じられた遊び」のミシェル
(フランソワ・ボワイエ)
英語学者の梅田修が書いた「世界人名物語 名前の中のヨーロッパ文化」は近年屈指の名著である。1999年1月に講談社現代新書で刊行されたときも大変な話題となったが、その名著がこのたび講談社学術文庫の1冊に収められた(2012年9月刊)。
ヨーロッパの歴史と文化に根ざす名前の由来と変遷を探っていく試みで、その指摘は神話からハリウッドスターまで及ぶ。まことに含蓄にあふれた本で、現代新書から学術文庫に「昇格」したのも当然であろう。
「英語の男子名マイケル(Michael)やその女性名ミシェル(Michelle)は今日もっとも人気のある名前である」という1節が同書にある。マイケルの名をもつ人物として挙げられるのは、ロック歌手の故マイケル(Michael)・ジャクスン、映画俳優のマイケル(Michael)・ダグラスなど。それらマイケルの女性形がミシェルになる。ビートルズの「Michelle」という歌によって、1960年以降、とくに人気の名前になった。
ところがこの女性名ミシェル(Michelle)は、フランス語の男子名ミシェル(Michel)の女性形なのだという。
つまり女性名からleを取ると男性名となる。フランス語には男性名詞と女性名詞があって、leは男性名詞に付く定冠詞、laは女性名詞に付く定冠詞。leがないほうが男性名とは話が逆さまのようだが、それはさておくとしよう。興味深いのは、これらマイケル、ミシェルのルーツについて、著者がミカエル(Michael)に由来すると指摘している点だ。
言うまでもなく、ミカエルとは天上で神に代わって正義を行う大天使のことである。「ユダヤ・キリスト教では、神の使いをする天使たちがいて、神の意思を人間に伝えたり、人間の祈りを神にとりつぐ役割をはたしていると考えられています。そして、それらの天使のなかでも、ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエルは、神の玉座を四方から支えている大天使です」と著者は書いている。
そこで思い出したのが「禁じられた遊び」のこと。ルネ・クレマンが1952年に監督したフランス映画があまりにも有名だが、元々は文学作品である。原作は1947年にフランスの作家、脚本家のフランソワ・ボワイエが書いた同名の小説で、発表されると同時に世界的なベストセラーになった。
ボワイエ自身もダイアローグ(対話)担当として映画に多少かかわっているようだが、詳しくは分からない。この「禁じられた遊び」の孤児の少女の名前がポーレット(Paulette)という。そして少女の世話をするドレ家の少年の名前が、まさにミシェル(Michel)というのだ。
この映画は名作だから、多くの人がスクリーンで見ていることと思う。先日、DVDで見直してみて、ふと気づいたことがある。第二次世界大戦さなかの1940年のフランス郊外が舞台。ドイツ軍に爆撃され、両親を亡くしたパリの少女ポーレットの薄幸の運命を描いた作品だと記憶していたのだが、隣り合う農園の家族同士がお互いにいがみ合い、少女と少年が動物の墓に捧げるために墓地から十字架を盗み出す、という部分がむしろ中心になっている。「お涙ちょうだいというよりも、きわめて(反)宗教的な話だなあ」というのが、数10年ぶりにこの映画に再会しての感想だった。
いがみ合う2つの農園家族はミシェルら5人の子供のいるドレ家と、グアール家(小説ではガナール家)である。両家はどちらが戦争で武勲を残すかを競っていて、それがいがみ合いの原因となる。そしてドレ家のミシェルが動物の墓に捧げるために十字架を盗んだのを、グアール家の嫌がらせだと誤解し、両家の父親たちが取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう。
前回このコラムでも書いたが、隣り合う一家が争いを繰り返すシチュエーションには、1946年のウォルト・ディズニーのアニメ「マーチン家とコーイ家」という先例がある。小説「禁じられた遊び」の出版はその翌年。いずれも第二次世界大戦の終結直後で、お隣さん同士が争う話が時を置かずに米仏両国で生まれているのは偶然だろうか。戦勝国になったアメリカにもフランスにも、いつの間にか隣国や友好国との戦争に巻き込まれていった反省があって、それがこうしたシチュエーションに反映されているのではないか。十字架をめぐる誤解から分かるように、ちょっとしたボタンの掛け違いが戦争に発展するという歴史の教訓がここに読み取れないだろうか。
それらは推測の域を出ないにしても、「禁じられた遊び」で十字架を盗んで回る少年がミシェルという名前なのはきわめて興味深い。前述のようにミシェル=ミカエルだとすれば、本来は神と人間の間に立って両者の仲を取り持つはずの大天使自らが、「十字架を盗む」という許されざる大罪を犯していることになる。たとえ「名もなき動物たちの墓に捧げるため」という大義名分があるにせよ、正義の使者ミカエルにあるまじき行為であろう。
しかし戦争は数多くの「名もなき死者たち」を生む。少女=人間の切々たる願いに、大天使も踏み越えを行わざるを得なかったとすれば、それこそまさに戦争の悲劇ということになる。
映画の終盤で、少女ポーレットは戦災孤児院に送られる。ミシェルは彼女との仲を引き裂かれた悲しさに、十字架を引き抜いて川に投げ捨ててしまう。これも神に背く行為であるが、ポーレットが「ミシェル」「ママ」と名を呼びながら駅の雑踏を走っていくラストシーンで、カメラはポーレットをとらえたまま上方にスッと上がっていく。あたかも神が沈黙の中で大天使と人間をじっと見守ってくれているようで、とても美しい。(こや)
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第28回 「禁じられた遊び」のミシェル
(フランソワ・ボワイエ)
英語学者の梅田修が書いた「世界人名物語 名前の中のヨーロッパ文化」は近年屈指の名著である。1999年1月に講談社現代新書で刊行されたときも大変な話題となったが、その名著がこのたび講談社学術文庫の1冊に収められた(2012年9月刊)。
ヨーロッパの歴史と文化に根ざす名前の由来と変遷を探っていく試みで、その指摘は神話からハリウッドスターまで及ぶ。まことに含蓄にあふれた本で、現代新書から学術文庫に「昇格」したのも当然であろう。
「英語の男子名マイケル(Michael)やその女性名ミシェル(Michelle)は今日もっとも人気のある名前である」という1節が同書にある。マイケルの名をもつ人物として挙げられるのは、ロック歌手の故マイケル(Michael)・ジャクスン、映画俳優のマイケル(Michael)・ダグラスなど。それらマイケルの女性形がミシェルになる。ビートルズの「Michelle」という歌によって、1960年以降、とくに人気の名前になった。
ところがこの女性名ミシェル(Michelle)は、フランス語の男子名ミシェル(Michel)の女性形なのだという。
つまり女性名からleを取ると男性名となる。フランス語には男性名詞と女性名詞があって、leは男性名詞に付く定冠詞、laは女性名詞に付く定冠詞。leがないほうが男性名とは話が逆さまのようだが、それはさておくとしよう。興味深いのは、これらマイケル、ミシェルのルーツについて、著者がミカエル(Michael)に由来すると指摘している点だ。
言うまでもなく、ミカエルとは天上で神に代わって正義を行う大天使のことである。「ユダヤ・キリスト教では、神の使いをする天使たちがいて、神の意思を人間に伝えたり、人間の祈りを神にとりつぐ役割をはたしていると考えられています。そして、それらの天使のなかでも、ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエルは、神の玉座を四方から支えている大天使です」と著者は書いている。
そこで思い出したのが「禁じられた遊び」のこと。ルネ・クレマンが1952年に監督したフランス映画があまりにも有名だが、元々は文学作品である。原作は1947年にフランスの作家、脚本家のフランソワ・ボワイエが書いた同名の小説で、発表されると同時に世界的なベストセラーになった。
ボワイエ自身もダイアローグ(対話)担当として映画に多少かかわっているようだが、詳しくは分からない。この「禁じられた遊び」の孤児の少女の名前がポーレット(Paulette)という。そして少女の世話をするドレ家の少年の名前が、まさにミシェル(Michel)というのだ。
この映画は名作だから、多くの人がスクリーンで見ていることと思う。先日、DVDで見直してみて、ふと気づいたことがある。第二次世界大戦さなかの1940年のフランス郊外が舞台。ドイツ軍に爆撃され、両親を亡くしたパリの少女ポーレットの薄幸の運命を描いた作品だと記憶していたのだが、隣り合う農園の家族同士がお互いにいがみ合い、少女と少年が動物の墓に捧げるために墓地から十字架を盗み出す、という部分がむしろ中心になっている。「お涙ちょうだいというよりも、きわめて(反)宗教的な話だなあ」というのが、数10年ぶりにこの映画に再会しての感想だった。
いがみ合う2つの農園家族はミシェルら5人の子供のいるドレ家と、グアール家(小説ではガナール家)である。両家はどちらが戦争で武勲を残すかを競っていて、それがいがみ合いの原因となる。そしてドレ家のミシェルが動物の墓に捧げるために十字架を盗んだのを、グアール家の嫌がらせだと誤解し、両家の父親たちが取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう。
前回このコラムでも書いたが、隣り合う一家が争いを繰り返すシチュエーションには、1946年のウォルト・ディズニーのアニメ「マーチン家とコーイ家」という先例がある。小説「禁じられた遊び」の出版はその翌年。いずれも第二次世界大戦の終結直後で、お隣さん同士が争う話が時を置かずに米仏両国で生まれているのは偶然だろうか。戦勝国になったアメリカにもフランスにも、いつの間にか隣国や友好国との戦争に巻き込まれていった反省があって、それがこうしたシチュエーションに反映されているのではないか。十字架をめぐる誤解から分かるように、ちょっとしたボタンの掛け違いが戦争に発展するという歴史の教訓がここに読み取れないだろうか。
それらは推測の域を出ないにしても、「禁じられた遊び」で十字架を盗んで回る少年がミシェルという名前なのはきわめて興味深い。前述のようにミシェル=ミカエルだとすれば、本来は神と人間の間に立って両者の仲を取り持つはずの大天使自らが、「十字架を盗む」という許されざる大罪を犯していることになる。たとえ「名もなき動物たちの墓に捧げるため」という大義名分があるにせよ、正義の使者ミカエルにあるまじき行為であろう。
しかし戦争は数多くの「名もなき死者たち」を生む。少女=人間の切々たる願いに、大天使も踏み越えを行わざるを得なかったとすれば、それこそまさに戦争の悲劇ということになる。
映画の終盤で、少女ポーレットは戦災孤児院に送られる。ミシェルは彼女との仲を引き裂かれた悲しさに、十字架を引き抜いて川に投げ捨ててしまう。これも神に背く行為であるが、ポーレットが「ミシェル」「ママ」と名を呼びながら駅の雑踏を走っていくラストシーンで、カメラはポーレットをとらえたまま上方にスッと上がっていく。あたかも神が沈黙の中で大天使と人間をじっと見守ってくれているようで、とても美しい。(こや)
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第27回 侮るなかれマック・レナルズ
(マック・レナルズ)
「地球外の星から最初の訪問者が飛来して、宇宙船を地球上に着地させる場合、着地点は、かならずしもホワイト・ハウスの芝生の上とは限らない。どこに着地するかもわからない――ひょっとするとケンタッキーの丘の上や山奥かもしれない。そうなったらどんなことでも起こりかねない。事実わたしの著名な共同編纂者が書いた、この愉快でばかばかしい話がそれを物語っている。F・B」
文末のF・BとはSFとミステリーでかつて才筆をふるったフレドリック・ブラウンのこと。そのブラウンが愛情を込めて紹介するのは、親友の作家マック・レナルズが書いたSF短編「火星人来襲」(1951年作)である。レナルズと共同編集に当たったアンソロジー「SFカーニバル」(原著は1953年刊。翻訳は1964年11月、創元推理文庫刊)に「火星人来襲」を収める際、ブラウンは上記の一文を添えた。
指折りの才人にここまで評価される「火星人来襲」とはどんな話か。以下、作品の内容に触れているので未読の方はご注意を(引用は小西宏訳)。
ケンタッキー州の山奥で酒の醸造所を経営しているコーイという一家がいる。彼らは税務署の役人や、仲の悪い近隣のマーチン一家を目の敵にしている。父、母、3人の子供ともそろって学がなく、中でも息子のレムは母親からも「ばか息子」と呼ばれているほどだ。家族がちょうど出払ってしまい、レムが森の中で一人留守番をしているところに、火星人たちが地球人に変装して現れて……というストーリー。
異星人がひそかに地球征服を企むというシチュエーションは、米ソ冷戦の時代を象徴している。
火星人の隊長はあらかじめラジオで地球および地球人の情報を仕入れてきている。「われわれは油断なく感覚をとぎすまして、サム・スペードや、スーパーマンや、ローン・レインジャーを警戒しなくてはならない」と仲間に注意を促す。
「驚くべき能力を持つ、邪悪きわまりない3人の地球の戦士ですよ。彼らの活動ぶりを、かなりのあいだラジオから聴取してきましたが、彼らは千里眼を持っているらしく、暴力沙汰の現場にはかならずといっていいくらい、3人のうちの誰か1人が登場してきます」
この小説の書かれた1950年代が、冷戦時代であると同時に1930年代から連綿と続くポップカルチャーの全盛時代だったことがわかる。説明の要もないだろうが、サム・スペードはハードボイルド作家ダシール・ハメットが1930年の「マルタの鷹」で初登場させた私立探偵。
ローン・レインジャーはジョージ・W・トレンドルとフラン・ストライカー原作の西部劇の主人公。1933年からラジオドラマが放送され、好評を博した。
スーパーマンについては言わずもがな、1938年にアクション・コミックス誌に登場して以来、現在までアメリカ最大のヒーローの座を守っている。つまり火星人たちはミステリー、ラジオドラマ、コミックスから地球に関する知識を得ているわけである。
この火星人たちと頭の弱い息子レムとの掛け合いが、まるで落語の与太郎話を聞いているようできわめて面白い。レムは「おれたち家族はマーチンを探している。マーチンを見つけたら撃つ」と言う。
それを聞いた火星人は「マーシャン(火星人)を撃つつもりだ。地球人にわれわれの存在がばれているのだ」と勘違いする。そこで火星人は毒薬やIQ抑圧器や伝染病菌を持つ蚤を使って目の前のレムをやっつけようとするが、ことごとく失敗する。
もともと「ばか息子」なのだから、IQをそれ以上抑圧したって効果あるはずはない。あげくの果てに「われわれはマーシャンだ」と火星人がメッセージを述べた途端、レムに「マーチンめ」と散弾銃をぶっ放され、ほうほうの態で宇宙船に戻って地球から去っていくという体たらく。
なかなかの水準のユーモアSFだが、最近になって原題「The Martians and The Coys」に意味がありそうなことに気づいた。このタイトルはウォルト・ディズニー制作のアニメ映画のパロディーになっているのではないか。
1946年4月、ディズニーは「Make Mine Music」という10編の独立したミュージカル・ファンタジーからなるオムニバス作品を作った(日本未公開、かつてビデオ発売されたという記録あり)。その中の1編に「The Martins and the Coys」というのがある。ある土地の谷間を挟んで仲の悪いマーチン一家とコーイ一家が住んでいる。ついには一家同士の決闘になるが、最後に残った両家の息子と娘が恋に落ちてしまうというストーリー。内容はレナルズ作品とだいぶ違うにしても、タイトルはaが1つあるかないかだけの違いである。
全くの推測だが、この日本未公開のディズニー短編アニメは本国アメリカではかなり人口に膾炙しているのではなかろうか。隣り合う一家が争いを繰り返すというシチュエーションは、アメリカ文学はもとよりフランス映画「禁じられた遊び」などにも登場し、現在まで脈々と受け継がれている。
その初期の代表作というか、クラシックとされているのがディズニーの「The Martins and the Coys」であって、以来、マーチンとコーイと言えば対立する家族の代名詞になっているのでは――。そんな気がする。
マック・レナルズを侮るなかれ。この一筋縄ではいかない作家はディズニーアニメからも想を得ていた。そんなレナルズの名が、2012年9月に限定復刊された創元推理文庫の「SFカーニバル」の表紙や扉や奥付から消え、同書はフレドリック・ブラウンの単独編集の扱いになっている。日本の出版社が2人の知名度を考慮した結果だろうが、残念と言うしかない。(こや)
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第26回 Heaven Can Wait!
(C・B・ギルフォード)
今回はちょっとややこしい話になるかもしれない。
3つの「Heaven Can Wait」について書く。
1943年制作のアメリカ映画「Heaven Can Wait」は、言わずと知れたエルンスト・ルビッチ監督の名作。死後の世界にやってきた男ヘンリー・ヴァン・クリーヴ(ドン・アメチー好演!)が、閻魔大王(His Excellencyと呼ばれている)を相手に自分のこれまでの人生を振り返るというストーリーである。彼はこれまでプレイボーイとして浮名を流してきたため、閻魔大王に「自分は地獄行きで当然だ」と訴える。しかし閻魔大王は「地獄行きは認められない。天国で君を待っている人がいる」と言い、ヘンリーを天国行きのエレベーターに乗せる――。
レスリー・ブッシュ=フェキート作の戯曲「Birthday」をサムソン・ラファエルソンが脚色した、ルビッチ初のカラー映画。日本では長らく幻の名作として知られていたが、ようやく1990年に「天国は待ってくれる」の邦題で初公開された。
ルビッチ映画から遅れること35年。1978年になって、「Heaven Can Wait」という1本の映画がアメリカで製作された。日本では「天国から来たチャンピオン」というタイトルで翌1979年に公開。
アメリカンフットボールチームの控え選手ジョー・ペンドルトン(ウォーレン・ベイティ好演!)が、スーパーボウルの前日、交通事故に遭って急死する。
自分の死に納得できないジョーが天国で確認したところ、天使のミスで50年早く天国に召されたことが判明。ところがジョーの肉体はすでに火葬されていた。そこでジョーと天使長ジョーダンは一緒に下界に戻って、代わりの“肉体”に、まもなく殺される運命にある会社社長のレオを選ぶ。やがてレオの肉体も明け渡さざるを得なくなったジョーは、アメフトチームの同僚トム(ケガで死を宣告された)の体の中に移り、スーパーボウルで大活躍する。
そして美しい女性と恋に落ちて――というよく出来たラブストーリー。ベイティとジュリー・クリスティという当時の人気スターの共演で日本でも大ヒットした。
こちらの原作はハリー・シーガルの1938年の舞台劇「Heaven Can Wait」。すでに1941年に一度、映画になっている。「Here Comes Mr.Jordan」で、日本では1946年に「幽霊紐育を歩く」の邦題で公開された。
3つ目の「Heaven can Wait」は、C・B・ギルフォードが1953年8月号の米国版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に書いた短編ミステリである(canは小文字)。
「探偵作家は天国へ行ける」のタイトルで日本版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」1959年4月号に訳載された(宇野利泰訳)。
ギルフォードは短編作家として「マンハント」や「アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン」などに数多くの作品を発表している。日本でも多くの短編がミステリ雑誌に翻訳されていて、1950~1960年代にはかなり人気のあった流行作家らしいが、詳しい経歴は分からない。調べた限り、日本では彼の作品が1冊にまとまった形跡はない。
人気探偵作家のアリグザンダー・アーリントンは死んで天国に行くが、天使長ミカエルから自分は何者かに殺されたのだと聞かされる。
そこでアリグザンダーは事件の真相を知るために、ミカエルの許可をもらって下界に戻り、「最後の日」をもう一度、繰り返す。すると驚いたことに妻、妻の愛人、秘書、甥、庭番の5人にアーリントン殺害の動機があったことが判明。結局、アーリントンは犯人が分からぬまま再び殺されてしまい、天国に戻ってくる。
誰が犯人だったかの謎(妻と妻の愛人の共謀)を解いたのは意外にも天使長ミカエルだった。
ミカエルが知恵を借りたのは、天国にいる「エドガー、アーサー卿、それにG・K・C」という顔ぶれ。言うまでもなくエドガー・アラン・ポー、サー・アーサー・コナン・ドイル、ギルバート・キース・チェスタトンである。
ミカエルの最後の台詞が心憎い――「そんなところだよ、アーリントン君。探偵作家は、一人残らず天国に来られることを、知らなかったのか?」。もっともこの最後の1行は、アンソロジー「天外消失」(早川書房編集部編、2008年12月、ハヤカワミステリ刊)に収録された最新訳の「探偵作家は天国へ行ける」からは削除されている。意図的な省略か、編集ミスかは分からない。
以上3つの全く別の話に、いずれも付された「Heaven Can Wait」のタイトル。深刻に考える必要はないのかもしれないが、3作における「死後の世界の導き役」を比較してみるとなかなか面白い。
ルビッチの監督作品で主人公の天国行きを決める閻魔大王His Excellencyには、大統領、首相、閣僚、大使などの意味がある。この場合、「閣下」と訳すのが適当かもしれない。
ベイティの主演映画では天使長Jordanがアメフト選手と一緒に下界に降りていく。このJordanは国名や川の名前のヨルダンと同義で、一説によれば「急に下る水」という意味がある。
ギルフォードの短編ミステリの天使長ミカエルについては説明不要だろう。天上で神に代わって正義を行う大天使で、神の意思を人間に伝えて、祈りを神に取り次ぐ役目を果たす。人名のマイケルやミシェルのルーツでもある。
要するに閣下は審判を下して人を天国に送り、ジョーダンは人を連れて天国から下界に降りていく。そしてミカエルは天国に留まりながら人(探偵作家)とともに正義の鉄槌を下す。状況は違っても「天国はそれを待ってくれている」のだ。(こや)
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第26回 Heaven Can Wait!
(C・B・ギルフォード)
今回はちょっとややこしい話になるかもしれない。
3つの「Heaven Can Wait」について書く。
1943年制作のアメリカ映画「Heaven Can Wait」は、言わずと知れたエルンスト・ルビッチ監督の名作。死後の世界にやってきた男ヘンリー・ヴァン・クリーヴ(ドン・アメチー好演!)が、閻魔大王(His Excellencyと呼ばれている)を相手に自分のこれまでの人生を振り返るというストーリーである。彼はこれまでプレイボーイとして浮名を流してきたため、閻魔大王に「自分は地獄行きで当然だ」と訴える。しかし閻魔大王は「地獄行きは認められない。天国で君を待っている人がいる」と言い、ヘンリーを天国行きのエレベーターに乗せる――。
レスリー・ブッシュ=フェキート作の戯曲「Birthday」をサムソン・ラファエルソンが脚色した、ルビッチ初のカラー映画。日本では長らく幻の名作として知られていたが、ようやく1990年に「天国は待ってくれる」の邦題で初公開された。
ルビッチ映画から遅れること35年。1978年になって、「Heaven Can Wait」という1本の映画がアメリカで製作された。日本では「天国から来たチャンピオン」というタイトルで翌1979年に公開。
アメリカンフットボールチームの控え選手ジョー・ペンドルトン(ウォーレン・ベイティ好演!)が、スーパーボウルの前日、交通事故に遭って急死する。
自分の死に納得できないジョーが天国で確認したところ、天使のミスで50年早く天国に召されたことが判明。ところがジョーの肉体はすでに火葬されていた。そこでジョーと天使長ジョーダンは一緒に下界に戻って、代わりの“肉体”に、まもなく殺される運命にある会社社長のレオを選ぶ。やがてレオの肉体も明け渡さざるを得なくなったジョーは、アメフトチームの同僚トム(ケガで死を宣告された)の体の中に移り、スーパーボウルで大活躍する。
そして美しい女性と恋に落ちて――というよく出来たラブストーリー。ベイティとジュリー・クリスティという当時の人気スターの共演で日本でも大ヒットした。
こちらの原作はハリー・シーガルの1938年の舞台劇「Heaven Can Wait」。すでに1941年に一度、映画になっている。「Here Comes Mr.Jordan」で、日本では1946年に「幽霊紐育を歩く」の邦題で公開された。
3つ目の「Heaven can Wait」は、C・B・ギルフォードが1953年8月号の米国版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に書いた短編ミステリである(canは小文字)。
「探偵作家は天国へ行ける」のタイトルで日本版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」1959年4月号に訳載された(宇野利泰訳)。
ギルフォードは短編作家として「マンハント」や「アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン」などに数多くの作品を発表している。日本でも多くの短編がミステリ雑誌に翻訳されていて、1950~1960年代にはかなり人気のあった流行作家らしいが、詳しい経歴は分からない。調べた限り、日本では彼の作品が1冊にまとまった形跡はない。
人気探偵作家のアリグザンダー・アーリントンは死んで天国に行くが、天使長ミカエルから自分は何者かに殺されたのだと聞かされる。
そこでアリグザンダーは事件の真相を知るために、ミカエルの許可をもらって下界に戻り、「最後の日」をもう一度、繰り返す。すると驚いたことに妻、妻の愛人、秘書、甥、庭番の5人にアーリントン殺害の動機があったことが判明。結局、アーリントンは犯人が分からぬまま再び殺されてしまい、天国に戻ってくる。
誰が犯人だったかの謎(妻と妻の愛人の共謀)を解いたのは意外にも天使長ミカエルだった。
ミカエルが知恵を借りたのは、天国にいる「エドガー、アーサー卿、それにG・K・C」という顔ぶれ。言うまでもなくエドガー・アラン・ポー、サー・アーサー・コナン・ドイル、ギルバート・キース・チェスタトンである。
ミカエルの最後の台詞が心憎い――「そんなところだよ、アーリントン君。探偵作家は、一人残らず天国に来られることを、知らなかったのか?」。もっともこの最後の1行は、アンソロジー「天外消失」(早川書房編集部編、2008年12月、ハヤカワミステリ刊)に収録された最新訳の「探偵作家は天国へ行ける」からは削除されている。意図的な省略か、編集ミスかは分からない。
以上3つの全く別の話に、いずれも付された「Heaven Can Wait」のタイトル。深刻に考える必要はないのかもしれないが、3作における「死後の世界の導き役」を比較してみるとなかなか面白い。
ルビッチの監督作品で主人公の天国行きを決める閻魔大王His Excellencyには、大統領、首相、閣僚、大使などの意味がある。この場合、「閣下」と訳すのが適当かもしれない。
ベイティの主演映画では天使長Jordanがアメフト選手と一緒に下界に降りていく。このJordanは国名や川の名前のヨルダンと同義で、一説によれば「急に下る水」という意味がある。
ギルフォードの短編ミステリの天使長ミカエルについては説明不要だろう。天上で神に代わって正義を行う大天使で、神の意思を人間に伝えて、祈りを神に取り次ぐ役目を果たす。人名のマイケルやミシェルのルーツでもある。
要するに閣下は審判を下して人を天国に送り、ジョーダンは人を連れて天国から下界に降りていく。そしてミカエルは天国に留まりながら人(探偵作家)とともに正義の鉄槌を下す。状況は違っても「天国はそれを待ってくれている」のだ。(こや)
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第25回 「ラヴデイ氏の短い休暇」が描くもの
(イーヴリン・ウォー)
ウィリアム・サマセット・モームやグレアム・グリーンと比べて日本での知名度は劣るが、カトリック作家イーヴリン・ウォー(1903~1966年)は20世紀イギリス文学を代表する巨匠の一人である。主な作品には「Decline and Fall」(1928年)や「Brideshead Revisited」(1945年)がある。
妙なことに、前者は「ポール・ペニフェザーの冒険」(福武文庫)と「大転落」(岩波文庫)という全く異なるタイトルの翻訳が出ている。後者の訳題も「ブライヅヘッドふたたび」(筑摩書房、ちくま文庫)、「青春のブライズヘッド」(講談社)、「回想のブライズヘッド」(岩波文庫)と微妙に異なっているから、あるいは正編と続編があるのかと思う読者がいるかもしれない。
全く同じ作品――しかも代表作とされる長編の翻訳でこれほどタイトルが異なるというのは、日本では受け入れられにくい作家であることの証明であろう。ドストエフスキーの「罪と罰」は明治以来このかた、誰が訳しても「罪と罰」で定着している。
そのウォーに「ラヴデイ氏の短い休暇」(1951年)という短編がある。早川書房編集部編のミステリ傑作アンソロジー「天外消失」(2008年12月、ハヤカワミステリ刊)に収められているほか、各種の翻訳があるから、ウォーの短編の代表作といっていいだろう。以下、「ラヴデイ氏の短い休暇」の内容に触れているので未読の方はご注意を。
自殺未遂で州立精神病院に運び込まれ、そこで私費患者として10年を過ごしているモーピング卿を、ある日、夫人と娘が見舞う。卿にはラヴデイという付き添いがいて、まさに秘書のような役目を担っている。病院が世話役として雇ってくれたのかと思いきや、なんとラヴデイはこの精神病院の入院患者だという。しかも卿のように裕福な私費患者ではなく、若いころ自転車に乗った女性を押し倒して絞め殺してしまい、強制入院させられたまま35年が経過した老人だった。
モーピング卿を始め、私費患者たちの誇大妄想的な望みをかなえる世話役としてこまめに働くラヴデイを不憫に思った娘は、つてを頼って彼の退院を画策する。ラヴデイも「外へ出たらぜひやってみたいことがある」という。娘の努力が実り、とうとう望みがかなう日がやってきた。ラヴデイは医師や患者に祝福されながら病院を出て行くが、2時間もしないうちに戻ってくる。
「望みがかなったので帰ってきた。これでもうここに身を落ち着けて、心置きなく気の毒な人たちのために奉仕できる」と彼はほほえむ。以下は、それに続くラストシーン(永井淳訳)。
「それからしばらく経って、病院の門から半マイルほど行ったところで、人々は乗り捨てられた1台の自転車を発見した。それはかなり古くなった婦人用の自転車だった。そして、近くの溝の中から、お茶の時間に間に合うように自転車で帰宅する途中で、獲物を探しながら歩いていたラヴデイ氏に遭遇したと思われる若い娘の絞殺死体が発見された」
なかなか引き締まった落ちであり、ウォーのストーリーテラーとしての才能には舌を巻く。同時に、イギリスの伝統や上流階級を風刺するのが身上の作家だけに、これは何かの寓意なのだろうと思う。ところが何の寓意になっているのかが、よく分からない。作品の構成にも疑問があって、本来は自殺未遂を起こして精神病院に入院させられたモーピング卿や上流階級の患者たちの奇矯な振る舞いに焦点を絞るべきところが、途中からラヴデイの方に話の中心が移ってしまう。
要するに「ラヴデイ氏の短い休暇」はイギリスのどうにも逃れようのない社会格差を描いた寓話なのではないか――そう思いついたのは、別の作家の別の作品を読んでいるときだった。ウォーよりはるか後輩に当たるイギリス作家、カズオ・イシグロの世界的ベストセラー長編「わたしを離さないで」(2005年発表。翻訳は2006年4月、早川書房刊)である。
「わたしを離さないで」は臓器提供、クローン人間などさまざまな現代的テーマが提起された問題作だが、それ以上に強く表れているのは臓器を提供する立場と提供される立場が生まれつき設定されてしまっているという絶望感であろう。
臓器を提供する方は、そのために作られたクローン人間なわけだから、どうあがいても運命からは逃れられない。時期が来れば彼らは他人に臓器を提供し、自分の生涯を終えねばならない。提供された方は彼らの臓器で生き延びる。
弱った臓器を次々と新品に換えていけば、むしろ寿命は延びていくだろう。これを寓話として読めば、言うまでもなく提供する方はどんなに頑張っても報いられない貧困層、提供される方は生まれついての富裕層である。イギリスを覆う社会格差の寓意がここに見られる。
「ラヴデイ氏の短い休暇」のラヴデイとモーピング卿たちの関係にも、社会格差の寓意が読み取れないだろうか。精神病院から外の世界(つまり殺伐とした貧困社会)に出て行ったラヴデイが、しかしすぐに35年前と同様の殺人を犯して戻ってきてしまう現実。
そして一方では外の世界(つまり何不自由ない富裕社会)から精神病院に入っても、私費患者として特権的な立場が与えられ続けるモーピング卿たちの現実。精神病院というステージにおいても、ラヴデイは付き添いという立場で自らの人生を提供し続け、モーピング卿たちは他人の人生を資源として提供され続ける。
ウォーの短編とイシグロの長編との間には、かれこれ半世紀以上の歳月が流れている。イギリスの社会格差は一向に縮まる気配がなく、むしろ大きくなっている。(こや)
イーヴリン・ウォーをWIKI PEDEIAで調べる
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