第24回 南アフリカ発の傑作短編
(アーサー・ウイリアムズ)
1948年のこと。本国版「EQMM」、つまりエラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン編集部に1編の短編小説の原稿が送られてきた。南アフリカのケープタウンからで、作者はアーサー・ウイリアムズとあった。その短編「この手で人を殺してから」を一読した編集長のクイーンは驚嘆し、さっそく同年8月号の同誌「国別ミステリ特集」に作品を掲載。年次コンテストでも国外作品ベスト3に選出された。
ところがこのウイリアムズという筆者、全くの無名どころか経歴すらサッパリ分からない。南アフリカ在住の作家と思われるが、小説のテーマが完全犯罪なだけに、「本当に自分でこういう殺人をやらかした犯人の手記ではないか」という噂さえ、まことしやかに語られるようになる。次回作も発表される気配はなく、やがて謎の覆面作家は、たった1編の短編でミステリ史上に名が残ることになった。
今日、アーサー・ウイリアムズは、実はアメリカの大衆作家ジャック・M・ビッカムのことだとされている。ビッカムはウェスタン、スリラー、ミステリなどの分野で70冊を超える長編を残し、1997年に没した。「なるほど、正体はビッカムか」という話にならないのは、そちらの名前でも日本では馴染みが薄いからで、邦訳も1989年発表のテニス・ミステリ「タイブレーク」以降はなく、それも入手困難になっている。日本ではむしろウイリアムズ名のほうがはるかに有名だろう。
ビッカムは1930年生まれとプロフィルにあるから、「この手で人を殺してから」を書いたときは、わずか18歳になるかならないか。若書きの短編ではあるが、いま読み返してみると興味深い面が見えてくる。以下、作品の内容に触れているので未読の方はご注意を。引用は早川書房編集部編のアンソロジー「天外消失」(2008年12月、ハヤカワミステリ刊)に収められた同作(都筑道夫訳)から。
作品は主人公「わたし」の手記の形をとっている。「わたし」の元に、かつて恋人だった女が戻ってくる。女はヨハネスブルクの株式投資で大儲けした男と結婚したが、男は結婚したとたんにエゴイスト丸出しになり、それに耐え切れなくなった女が昔のよしみで「わたし」に助けを求めてきたのだ。しかしいま順風満帆に養鶏場を経営する「わたし」は女を助けず、逆に殺してしまう。やがて警察がやってくる。女の足取りが「わたし」の家で途絶えたため、不審に思って尋問と家宅捜索に来たのだ。ところが家や養鶏場を徹底的に調べても、死体は出てこない。実は「わたし」は、女の体を隅から隅まで粉砕機にかけて粉々にし、本来の骨粉餌と肉餌、血餌、アルファルファ草、とうもろこしなどに混ぜて、ひよこに食べさせてしまったのである。
「(ひよこが)どんなに立派なひなどりに育ったかは、セロン(顔見知りの警官)に訊けばわかる。事実、わたしはこのすばらしい若どりたちのおかげで、名声をかちえたのだ。ほかの養鶏業者たちは、餌のまぜかたを訊きに押しよせてわたしを悩ませた」「セロンがこれを読んで、あんなに喜んでたべたひなどりの、体質や栄養分がなんであったかを知ったら、どんな顔をするだろう」
物語は、新しく雇った家政婦の存在がわずらわしくなった「わたし」の暗示的な独白で幕を閉じる。「かわいそうに!(家政婦が)死んで悲しむものもない。ところで、わたしは来たるべきシーズンに、とくに優秀なストックを育てあげることで、夢中になっている。豊かでバランスのとれた餌をあたえて。国際養鶏協会の会長も、わたしの農場を見学したい、といってきている。わたしをかくも有名にしたすばらしいひなどりたちを、ぜひ見学したいと」
ブラックユーモアにあふれた傑作である。もしも現在のようにDNA鑑定があれば……という疑問をぶつけるのは野暮というものであろう。何しろ1948年当時の南アフリカが舞台の作品である。アメリカ人があえて謎の覆面作家として、アフリカ大陸最南端の地から(という触れ込みで)このメッセージを届けた理由も、あるいはそのあたりにあったのではないか。
南アフリカは古くから白人対黒人の人種問題に揺れている国で、1910年に4州(ケープ、ナタール、トランスヴァール、オレンジ)からなる連邦として統一された後も、1911年に鉱山労働における白人保護法「鉱山・労働法」を制定。1948年(この小説の書かれた年)に政権を握った国民党はアパルトヘイト(人種隔離)政策を本格的に推進していく。そんな状況の中で、人口の9割を占める黒人や混血、移民系の貧しい人々は、畜産やとうもろこし栽培などの農業や、金やダイヤモンドなどを採掘する鉱業に従事する以外になかった。登場人物が白人であるか黒人であるかは、一切書かれていないのだが、いずれにせよ小説で養鶏業者を描く際、大国アメリカを舞台にするよりリアリティーが生まれやすいのは事実だろう。
また、作品には「わたし」と顔見知りの地方警察の巡査部長セロンが、最大都市ヨハネスブルクの警察本部から来た警部に捜査介入され、あげくの果ては、南アフリカとともに人種差別政策をとる近隣国――ローデシアの警察に突然、転任になってしまうくだりも出てくる。これは何らかの政治的圧力がかかったようにも読める。
さらに、人の死体を食べて育ったひな鳥を食べる、その卵を食べる、さらにそのひな鳥の骨をすりつぶしてまた別のひよこに食べさせる、と人肉嗜食(カニバリズム)の連鎖が永劫に続くような無常観が漂う。1948年の南アフリカという舞台に、本格ミステリの要素が合致して、永遠の傑作がここに完成した。(こや)
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第23回 「うしろを見るな」の迷宮世界
(フレドリック・ブラウン)
フレドリック・ブラウンの「まっ白な嘘」(原著は1953年刊、翻訳は1962年5月刊)については、かつて当コラムでも「創元推理文庫史上、最高の短編集」と持ち上げたことがある。
収められている短編は珠玉の名品ぞろい。出版元の東京創元社も自信満々のようで、こんな宣伝文を扉に載せている。
「短篇を書かせては当代随一の名手フレドリック・ブラウンの代表的短篇集。奇抜な着想、軽妙なプロット、ウィットとユーモアとスリリンなサスペンス、論より証拠、まず読んでいただきましょう。どこからでも結構。ただし最後の作品『うしろを見るな』だけは、最後にお読みください。というのは、あなたがお買いになったこの本は、あなたのために特別の製本がしてあるからです。その意味は? それがおわかりになったときは、すでにあなたの生命は……」
今回はその「うしろを見るな」(1947年作とされる)について書いてみたい。
引用は中村保男訳。以下、内容に触れているので未読の方はご注意を。
暗黒街の大物ハーリーと知り合った印刷工のジュスティン・ディーンは、ハーリーと2人で偽札作りに手を染めるようになる。
ある日、ハーリーは何者かによって殺される。死の直前、ハーリーはディーンに電話をかけて、「偽札の原版も紙も処分しろ」と指示する。ディーンはその指示に忠実に従い、偽札作りの証拠をすべて破棄する。警察に調べられたときも、ハーリーの仲間に拷問されたときも、彼は決して口を割らなかった。
拷問の後、瀕死の状態で沼地に打ち捨てられたディーンの元に、死んだはずのハーリー(つまり幽霊)がやってくる。そして2人は、ハーリーを殺してディーンを拷問したかつての仲間たちに対して復讐の旅に出る。
……と書けば分かるように、この物語は途中から非現実的なファンタジーと化す。やがてディーンはハーリーと賭けをする。「わたし(ディーン)はハーリーにこう言った――今すぐ誰かに『おまえを殺す』と予告し、そうする理由ばかりか大よその時刻まで知らせてやって、それでもちゃんと殺してみせる、と。すると彼は、そんなことはできないというほうに賭けた。この賭けは彼の負けにきまっている」
「わたし」の語りは続く。「なぜ負けるかといえば、こうして現に今わたしがあなたに予告しているのに、あなたはそれを信じようとしないからである。これは本の中にあるただのお話にすぎないと思いこむにきまっている。この話が入っているこの本はこれ一部しかなく、しかもこの話は真実なのだ、ということをあなたは信じっこないのだ」。
この「あなた」というのは、まさにこの小説を読んでいる読者の「あなた」であって、クライムノベルがメタフィクションに転化した瞬間である。
熟練の印刷工で偽札も作っていたディーンにとって、1冊の本の中に1編の物語を偽造することなど朝飯前なのだ。
物語はこうして幕を閉じる。「そのままでけっこう、あとはほんの数秒か数分間、こんなものは例によって例のごとき作り話じゃないかとお考えつづけていてください。うしろを見てはいけません。この話を本気にしないでいただきたい――背筋にナイフを感じるまでは」
いま読み返してみてもじわりと恐怖感の漂う傑作である。慧眼の士であった故・瀬戸川猛資も、某所で「ミミズ天使」「おしまい」とともに「うしろを見るな」をフレドリック・ブラウンの短編ベスト3に挙げていた。
「よくも、こんなバカな考えを小説にしようと思いたったものだ」という瀬戸川評は、これ以上ない褒め言葉だろう。かつて「世界ミステリ全集 第18巻 37の短篇」(1973年6月、早川書房刊)の巻末座談会「短篇の魅力について」でも、石川喬司、稲葉明雄、小鷹信光の3人が、同書に収録されたこの作品に触れていた。
「小鷹 『後ろを見るな』は原文が見つからなかったんだけれども、話法が変るところがあるでしょう。(中略)あそこはあれでいいんですか。
石川 三人称でいっていたのが、途中で変る……。
小鷹 原文通りなんだろうな。スタイルとしても新しかった。
稲葉 あれは雑誌に挿入してあるというふうに書いていましたね。あとで単行本になると、本のなかに挿入してあるというふうに変っていた。
小鷹 もう無理ですよ、こんな立派な短篇集に収録されてしまっては。(笑)」
小説を読んでいた読者が小説の登場人物に殺される、という三人称の短編はアルゼンチンの現代作家フリオ・コルタサルにもある(「続いている公園」)。
以前、筒井康隆がブラウンの「うしろを見るな」との類似性を指摘していたと記憶するが、読み手を物語に巻き込むメタフィクションの構造は確かに似ている(コルタサル作品の方が後)。しかし話法が途中で変わるのはブラウン作品だけに見られる特徴で、これは興味深い。
「うしろを見るな」の出だしは一人称の叙述で、「わたし」がこれから殺そうとする「あなた」に向けて書かれている。
ところがハーリーとディーンが知り合う回想シーンから三人称になり、それは拷問されたディーンが沼地で意識を取り戻すところまで続く。
そこからまた物語は一人称になるが、そのとたんに死んだはずのハーリーが「わたし」の前に現れる。
ということは、ハーリーだけでなく、ディーン(わたし)もそのときすでにこの世のものではなくなっているのではないか? 1編の作品を本にもぐりこませることは朝飯前だとしても、どこでその本を読んでいるか分からない「あなた」を殺すのはどう考えても簡単でない。別次元の問題である。
それを簡単にやってのけると豪語する「わたし」こそは、すでに生身のディーンではなく、神出鬼没の幽霊だと考えれば合点がいく。(こや)
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第22回 「タイムマシン」を再読すれば
(ハーバート・ジョージ・ウェルズ)
ハーバート・ジョージ・ウェルズといえば、SFの父の異名がある。「透明人間」「モロー博士の島」「宇宙戦争」などを次々と物し、人体改造や異星人来襲といったSF的シチュエーションの多くを考案した先駆者であった。その彼の代表作の一つ「タイムマシン」(1895年作)がこのたび光文社の古典新訳文庫で出た(池央耿訳、2012年4月刊)。「時空を超える<タイムマシン>を発明したタイム・トラヴェラーは、80万年後の世界へ飛ぶ。そこで見た人類の未来とは? 世紀の転換期にウェルズの爆発的な想像力が生んだ未来社会のリアルがここにある! 科学の発展と人類の進歩をテーマに、SF(サイエンス・フィクション)というジャンルを切り開いた不朽の名作」という同書宣伝文に引かれて久々に読み返してみた。
一読、意外だったのは、時間旅行をめぐる議論がほぼ序盤にのみ集中していたことである。中盤以降はずっと、未来に行った主人公と2極化した未来人とのかかわり――地上種族イーロイ人と心を通わせたり、地下種族モーロック人と戦ったりといった活劇調の物語が展開される。以前(おそらく小学生時代)読んだときには気づかなかったが、時間旅行テーマの中編小説としてはいささかバランスを欠く構成になっている。そう考えていたら、何とウェルズ自身が「1931年版序」(今回の新訳版に収録)でこんなことを書いていた。
「当時はこの題材を筆者の独創と思いこんでいた。いつか『タイムマシン』より長い作品に仕上げるつもりで、前々から構想を温めていたのである。それが、何であれすぐ売れるものを書く必要に迫られて、駆け足で急場を凌ぐ破目になった。慧眼(けいがん)の読者はたちどころに見抜くはずだが、この作品は構成にむらがある。冒頭の議論は後の章にくらべてはるかに用意周到で、計算が行き届いている。片々たる物語が根底の深みから湧いて出る展開である。発想の原点を説明する前半は、つとに1893年、ウィリアム・E・ヘンリー主宰の『ナショナル・オブザーバー』に紹介されている。1894年にセヴンオークスで、短時日で書き下ろしたのは後半である」
「タイムマシン」を書いた1895年当時のウェルズは、健康上の理由で生物学の講師の職を辞し、筆一本で食べていかねばならない局面を迎えていた。すでに科学ジャーナリストとして引く手あまたとなっていたが、次々と創刊される新聞雑誌の要請に応じて小説や評論にも手を染めていたから、温めていた構想をじっくりと作品に練り上げる時間的余裕もなかっただろう。
序盤で展開されるウェルズの時間旅行理論は、21世紀のわれわれが読んでも面白い。主人公のタイム・トラヴェラー氏は時間旅行の可能性を信じない論客たちに主張する。
「形あるものはすべて4つの方向に広がりを持っているはずだ。縦、横、高さ……、それに持続だよ。(中略)次元は確固として4つある。われわれのいる空間は、上下、左右、前後と、3つの方向に広がっている。これがつまり、空間は3次元であるということの意味だ。加えてここに、第4の次元、時間がある。然るに、人はややともすると、先の3つの次元と第4の次元を無理にも区別しようとする。なぜかといえば、われわれの意識は生涯のはじめから終わりまで、第4の次元である時間の軸に沿って一方向に、断続的に移動するからだ。(中略)要は時間を別の角度から見るだけのことなんだ。人間の意識が時間に沿って移動するということを除いては、時間と空間の3次元を隔てるものは何もない」
そしてこう結論する。「時間の中は動けないというのは違う。例えば、以前のことがありありと記憶によみがえった場合、意識はそのことが起きた時点に立ち返っているのだね。放心状態というやつで、一瞬、意識は時間を遡(さかのぼ)る。もちろん、仮にも過去に留(とど)まる術(すべ)はない。未開人や四つ足の生き物が地上6フィートのところに静止していられないのと変わりないけれども、その点、文明人はいくらかましで、気球に乗れば重力に抗して上昇できる。ならば、その考えを推し進めて、ゆくゆくは時間的次元に沿って浮遊しながら、停止したり、加速したり、いっそのこと反転して過去に向かうことさえも可能ではなかろうか?」
このウェルズの時間旅行可能理論は、ギリシャのエレア学派の哲学者ゼノンの有名な逆説「アキレスは亀に追いつけない」「飛んでいる矢は静止している」のような妙味に満ちている。
最後までこのペースで話が進んでいったら、ジークムント・フロイトやアルバート・アインシュタイン理論に先行する画期的な物語になったはずだが、結局タイムマシンは遠い未来にしか行かない。過去に一切、向かわないのは、歴史を改変したらどうなるかというその後の時間旅行SFの中心となるテーマに対して、当時のウェルズには確固たる理論武装ができていなかったからではなかろうか。
別の見方もできる。ウェルズは時間旅行以上に19世紀末社会を席巻した悲観的未来像の方に興味があった。ウェルズ自身、1931年版の序でこう書いている。
「人類が2つの種族、イーロイ人とモーロック人に分かれる想定はいささか唐突の感を免れないが、筆者(ウェルズ)は若年の折、ジョナサン・スウィフトに心酔してその風に染まり、ここに描いたたわいなく悲観的な人類の未来像は拙著『モロー博士の島』と同じ」と。
なるほど、「タイムマシン」はさながらスウィフト流の風刺小説だったのだ。とはいっても、この小説が時間旅行テーマSFの嚆矢であることの意義は何ら変わらない。(こや)
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(ハーバート・ジョージ・ウェルズ)
ハーバート・ジョージ・ウェルズといえば、SFの父の異名がある。「透明人間」「モロー博士の島」「宇宙戦争」などを次々と物し、人体改造や異星人来襲といったSF的シチュエーションの多くを考案した先駆者であった。その彼の代表作の一つ「タイムマシン」(1895年作)がこのたび光文社の古典新訳文庫で出た(池央耿訳、2012年4月刊)。「時空を超える<タイムマシン>を発明したタイム・トラヴェラーは、80万年後の世界へ飛ぶ。そこで見た人類の未来とは? 世紀の転換期にウェルズの爆発的な想像力が生んだ未来社会のリアルがここにある! 科学の発展と人類の進歩をテーマに、SF(サイエンス・フィクション)というジャンルを切り開いた不朽の名作」という同書宣伝文に引かれて久々に読み返してみた。
一読、意外だったのは、時間旅行をめぐる議論がほぼ序盤にのみ集中していたことである。中盤以降はずっと、未来に行った主人公と2極化した未来人とのかかわり――地上種族イーロイ人と心を通わせたり、地下種族モーロック人と戦ったりといった活劇調の物語が展開される。以前(おそらく小学生時代)読んだときには気づかなかったが、時間旅行テーマの中編小説としてはいささかバランスを欠く構成になっている。そう考えていたら、何とウェルズ自身が「1931年版序」(今回の新訳版に収録)でこんなことを書いていた。
「当時はこの題材を筆者の独創と思いこんでいた。いつか『タイムマシン』より長い作品に仕上げるつもりで、前々から構想を温めていたのである。それが、何であれすぐ売れるものを書く必要に迫られて、駆け足で急場を凌ぐ破目になった。慧眼(けいがん)の読者はたちどころに見抜くはずだが、この作品は構成にむらがある。冒頭の議論は後の章にくらべてはるかに用意周到で、計算が行き届いている。片々たる物語が根底の深みから湧いて出る展開である。発想の原点を説明する前半は、つとに1893年、ウィリアム・E・ヘンリー主宰の『ナショナル・オブザーバー』に紹介されている。1894年にセヴンオークスで、短時日で書き下ろしたのは後半である」
「タイムマシン」を書いた1895年当時のウェルズは、健康上の理由で生物学の講師の職を辞し、筆一本で食べていかねばならない局面を迎えていた。すでに科学ジャーナリストとして引く手あまたとなっていたが、次々と創刊される新聞雑誌の要請に応じて小説や評論にも手を染めていたから、温めていた構想をじっくりと作品に練り上げる時間的余裕もなかっただろう。
序盤で展開されるウェルズの時間旅行理論は、21世紀のわれわれが読んでも面白い。主人公のタイム・トラヴェラー氏は時間旅行の可能性を信じない論客たちに主張する。
「形あるものはすべて4つの方向に広がりを持っているはずだ。縦、横、高さ……、それに持続だよ。(中略)次元は確固として4つある。われわれのいる空間は、上下、左右、前後と、3つの方向に広がっている。これがつまり、空間は3次元であるということの意味だ。加えてここに、第4の次元、時間がある。然るに、人はややともすると、先の3つの次元と第4の次元を無理にも区別しようとする。なぜかといえば、われわれの意識は生涯のはじめから終わりまで、第4の次元である時間の軸に沿って一方向に、断続的に移動するからだ。(中略)要は時間を別の角度から見るだけのことなんだ。人間の意識が時間に沿って移動するということを除いては、時間と空間の3次元を隔てるものは何もない」
そしてこう結論する。「時間の中は動けないというのは違う。例えば、以前のことがありありと記憶によみがえった場合、意識はそのことが起きた時点に立ち返っているのだね。放心状態というやつで、一瞬、意識は時間を遡(さかのぼ)る。もちろん、仮にも過去に留(とど)まる術(すべ)はない。未開人や四つ足の生き物が地上6フィートのところに静止していられないのと変わりないけれども、その点、文明人はいくらかましで、気球に乗れば重力に抗して上昇できる。ならば、その考えを推し進めて、ゆくゆくは時間的次元に沿って浮遊しながら、停止したり、加速したり、いっそのこと反転して過去に向かうことさえも可能ではなかろうか?」
このウェルズの時間旅行可能理論は、ギリシャのエレア学派の哲学者ゼノンの有名な逆説「アキレスは亀に追いつけない」「飛んでいる矢は静止している」のような妙味に満ちている。
最後までこのペースで話が進んでいったら、ジークムント・フロイトやアルバート・アインシュタイン理論に先行する画期的な物語になったはずだが、結局タイムマシンは遠い未来にしか行かない。過去に一切、向かわないのは、歴史を改変したらどうなるかというその後の時間旅行SFの中心となるテーマに対して、当時のウェルズには確固たる理論武装ができていなかったからではなかろうか。
別の見方もできる。ウェルズは時間旅行以上に19世紀末社会を席巻した悲観的未来像の方に興味があった。ウェルズ自身、1931年版の序でこう書いている。
「人類が2つの種族、イーロイ人とモーロック人に分かれる想定はいささか唐突の感を免れないが、筆者(ウェルズ)は若年の折、ジョナサン・スウィフトに心酔してその風に染まり、ここに描いたたわいなく悲観的な人類の未来像は拙著『モロー博士の島』と同じ」と。
なるほど、「タイムマシン」はさながらスウィフト流の風刺小説だったのだ。とはいっても、この小説が時間旅行テーマSFの嚆矢であることの意義は何ら変わらない。(こや)
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第21回 忘れられた「エイルウィン物語」
(ウォッツ・ダントン)
「世界文学全集」を入手して、ここ最近、楽しく読んでいる。といってもドストエフスキーやトルストイが収められた全集そのものではなく、たった1冊の単行本。実はこれは元「図書新聞」副編集長で文芸評論家の矢口進也が1997年10月、トパーズプレスから刊行した世界文学全集に関する評論集である。帯には「日本初の研究ガイド」とある。日本における世界文学全集の出版は、昭和初期に新潮社が出した「世界文学全集」第1期38巻、第2期19巻が嚆矢とされている。しかしその前の大正14(1925)年、国民文庫刊行会が「世界名作大観」という全集に近い形の叢書を出していた。こちらは全50巻だから、当時としては質量ともに空前の大企画だっただろう。
全50巻の中に異色の2編があると矢口は書く(「明治・大正期の遺産」)。「大正期のいくつかの集成を見ると、英米文学作品が多いことはともかくとして、大体の作品はその後も文学全集的なものにくりいれられて読まれているが、珍しく、この時の紹介のみで終わった作品がある」。それが「エイルヰン物語」(ヲッツ・ダントン、戸川秋骨訳)と「マリ・バシュキルツェフの日記』(野上豊一郎訳)である。「この時の紹介のみで終わった」ということは、以降70年以上、日本では再刊されていないことになる。その一つ「エイルヰン物語」(今の表記なら「エイルウィン物語」)について調べてみて驚いた。
あの夏目漱石が、すでに明治32(1899)年8月10日の「ホトトギス」に、この作品の批評を寄せている。引用は「漱石全集第13巻」(1995年2月、岩波書店刊)より。新字、新かなづかいに直した。
「目下英国でやかましく評判の高い、『エイルウィン』という小説がある。これは出版になってから、まだ1年たたないように記憶しているが、非常な速力で流行の度を進めつつある。漱石の注文したのは、つい2、3版のころであったに、日本へ到着したのは、13版のものである。(中略)今ではもう20版を越しているだろう。(中略)西洋の小説は、たいてい1版に千部ずつ刷るのだから、仮に20版と見れば、この7、8か月間に、2万部売れたわけである。これに米国(版権所有者が違う)で今まで売った1万3千部を加えると、ずいぶんな高になる」
当時の2、3万部といえば、今なら世界的なベストセラー小説であろうか。明治32年の漱石はまだ小説家になる前で、一介の英文学者であった。処女作「吾輩は猫である」を書いたのは明治38(1905)年のこと。したがって漱石はここで英文学者としての目から「エイルウィン物語」を紹介しているわけだが、以下の文章からも、当時この小説のイギリスでの評判が大変なものだったことが分かる。
「著者はウォッツ・ダントンという男だ。別段有名な人でもない。一昨年出版になった『ファーカーソン・シャープ』の文学者字彙には、1832年生とあるから、もういい年齢である。今までは雑誌記者をしたり、批評家になったり、またあるときは『アセニーアム』へ詩稿を寄送したりなどしておったようにみえる。かつて『ロゼッチ』が、この人の詩を賞讃したという話もあるが、とにかく『エイルウィン』を出すまでは、さのみ有名ではなかった。(中略)ある雑誌では、沙翁の『オフェリヤ』以後、『ウィニー』(巻中の少女)のごとき凄絶なるものなし、というておる。また他の雑誌には、『エイルウィン』は散文にして詩なるものなり。単に小説中の白眉なるのみならず、また文章として上乗なるものなりとある。あるいは詩人にあらずんばこの結構なしといい、あるいはこの書をひもとけば、現時における驚くべき天才と席を同じゅうするに異ならずなどとまで賞している」
いやはや大変な絶賛ぶりである。「エイルウィン物語」はこんな話だ。先に引いた矢口進也の要約を参考に記してみる。北ウェールズの名家エイルウィン家の少年ヘンリーが主人公で、彼の家系にはジプシーの血が流れている。彼は海岸で美しい少女と出会うが、少女はエイルウィン家の使用人トム・ウィンの娘ウィニフレッドだった。ヘンリーは幼なじみのウィニフレッドを愛していたが、エイルウィン家の世継ぎとなった今は身分違いの交際は許されず、彼女は北ウェールズへ行ってしまう。ヘンリーは彼女を探し当てようとするが、なかなかかなわない。
「この物語を読んでいて、ウィニフレッドが何度も気が狂ったように前後を失う場面が出てきたり、ヘンリーも一時忘我状態になったりするのだが、これがヒステリーその他の症状でしかも神秘的なものとして考えられていたように読める」と矢口は指摘している。「それは、一種の解決編のように、ヘンリーにあてた友人の手紙が明らかにするのだが、ウィニフレッドの症状を強力な磁力を用いて友人のシンフィに移すという治療を行ない、常人にもどったウィニフレッドとヘンリーを再会させるというものである。このあたりは少々荒唐無稽に見えるが、記憶を失ったり、またそれを取りもどしたりということも一種の神秘思想の表現なのであろう」と。
しかし結果的にこの小説の評価は一時的なものに終わってしまった。矢口はその理由を「ジプシー民族のヨーロッパでの位置、あるいはこの物語の背景となっているウェールズ地方の風土や言語も、私たちには知識が乏しい」。だから親しみが持てず、その後の世界文学全集にも再録されなかったのではないか、と推測している。
明治32年の漱石はもっと鋭い。「エイルウィン物語」を原書で読んで評価しつつも、「世間はもとより気の変わりやすきものだ。新奇を好むものだ。かつ具眼者のすくないものだ」と、絶賛はいつまでも続かないものと予言していた。戸川秋骨訳の出る四半世紀も前の話である。(こや)
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(ウォッツ・ダントン)
「世界文学全集」を入手して、ここ最近、楽しく読んでいる。といってもドストエフスキーやトルストイが収められた全集そのものではなく、たった1冊の単行本。実はこれは元「図書新聞」副編集長で文芸評論家の矢口進也が1997年10月、トパーズプレスから刊行した世界文学全集に関する評論集である。帯には「日本初の研究ガイド」とある。日本における世界文学全集の出版は、昭和初期に新潮社が出した「世界文学全集」第1期38巻、第2期19巻が嚆矢とされている。しかしその前の大正14(1925)年、国民文庫刊行会が「世界名作大観」という全集に近い形の叢書を出していた。こちらは全50巻だから、当時としては質量ともに空前の大企画だっただろう。
全50巻の中に異色の2編があると矢口は書く(「明治・大正期の遺産」)。「大正期のいくつかの集成を見ると、英米文学作品が多いことはともかくとして、大体の作品はその後も文学全集的なものにくりいれられて読まれているが、珍しく、この時の紹介のみで終わった作品がある」。それが「エイルヰン物語」(ヲッツ・ダントン、戸川秋骨訳)と「マリ・バシュキルツェフの日記』(野上豊一郎訳)である。「この時の紹介のみで終わった」ということは、以降70年以上、日本では再刊されていないことになる。その一つ「エイルヰン物語」(今の表記なら「エイルウィン物語」)について調べてみて驚いた。
あの夏目漱石が、すでに明治32(1899)年8月10日の「ホトトギス」に、この作品の批評を寄せている。引用は「漱石全集第13巻」(1995年2月、岩波書店刊)より。新字、新かなづかいに直した。
「目下英国でやかましく評判の高い、『エイルウィン』という小説がある。これは出版になってから、まだ1年たたないように記憶しているが、非常な速力で流行の度を進めつつある。漱石の注文したのは、つい2、3版のころであったに、日本へ到着したのは、13版のものである。(中略)今ではもう20版を越しているだろう。(中略)西洋の小説は、たいてい1版に千部ずつ刷るのだから、仮に20版と見れば、この7、8か月間に、2万部売れたわけである。これに米国(版権所有者が違う)で今まで売った1万3千部を加えると、ずいぶんな高になる」
当時の2、3万部といえば、今なら世界的なベストセラー小説であろうか。明治32年の漱石はまだ小説家になる前で、一介の英文学者であった。処女作「吾輩は猫である」を書いたのは明治38(1905)年のこと。したがって漱石はここで英文学者としての目から「エイルウィン物語」を紹介しているわけだが、以下の文章からも、当時この小説のイギリスでの評判が大変なものだったことが分かる。
「著者はウォッツ・ダントンという男だ。別段有名な人でもない。一昨年出版になった『ファーカーソン・シャープ』の文学者字彙には、1832年生とあるから、もういい年齢である。今までは雑誌記者をしたり、批評家になったり、またあるときは『アセニーアム』へ詩稿を寄送したりなどしておったようにみえる。かつて『ロゼッチ』が、この人の詩を賞讃したという話もあるが、とにかく『エイルウィン』を出すまでは、さのみ有名ではなかった。(中略)ある雑誌では、沙翁の『オフェリヤ』以後、『ウィニー』(巻中の少女)のごとき凄絶なるものなし、というておる。また他の雑誌には、『エイルウィン』は散文にして詩なるものなり。単に小説中の白眉なるのみならず、また文章として上乗なるものなりとある。あるいは詩人にあらずんばこの結構なしといい、あるいはこの書をひもとけば、現時における驚くべき天才と席を同じゅうするに異ならずなどとまで賞している」
いやはや大変な絶賛ぶりである。「エイルウィン物語」はこんな話だ。先に引いた矢口進也の要約を参考に記してみる。北ウェールズの名家エイルウィン家の少年ヘンリーが主人公で、彼の家系にはジプシーの血が流れている。彼は海岸で美しい少女と出会うが、少女はエイルウィン家の使用人トム・ウィンの娘ウィニフレッドだった。ヘンリーは幼なじみのウィニフレッドを愛していたが、エイルウィン家の世継ぎとなった今は身分違いの交際は許されず、彼女は北ウェールズへ行ってしまう。ヘンリーは彼女を探し当てようとするが、なかなかかなわない。
「この物語を読んでいて、ウィニフレッドが何度も気が狂ったように前後を失う場面が出てきたり、ヘンリーも一時忘我状態になったりするのだが、これがヒステリーその他の症状でしかも神秘的なものとして考えられていたように読める」と矢口は指摘している。「それは、一種の解決編のように、ヘンリーにあてた友人の手紙が明らかにするのだが、ウィニフレッドの症状を強力な磁力を用いて友人のシンフィに移すという治療を行ない、常人にもどったウィニフレッドとヘンリーを再会させるというものである。このあたりは少々荒唐無稽に見えるが、記憶を失ったり、またそれを取りもどしたりということも一種の神秘思想の表現なのであろう」と。
しかし結果的にこの小説の評価は一時的なものに終わってしまった。矢口はその理由を「ジプシー民族のヨーロッパでの位置、あるいはこの物語の背景となっているウェールズ地方の風土や言語も、私たちには知識が乏しい」。だから親しみが持てず、その後の世界文学全集にも再録されなかったのではないか、と推測している。
明治32年の漱石はもっと鋭い。「エイルウィン物語」を原書で読んで評価しつつも、「世間はもとより気の変わりやすきものだ。新奇を好むものだ。かつ具眼者のすくないものだ」と、絶賛はいつまでも続かないものと予言していた。戸川秋骨訳の出る四半世紀も前の話である。(こや)
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第20回 シュロック・ホームズをご存じ?
(ロバート・L・フィッシュ)
前回は世界一有名な探偵シャーロック・ホームズの話。今回はシュロック・ホームズについて紹介したい。シュロックは、エンジニアにして作家のロバート・L・フィッシュが創造した探偵で、短編30数作で主役を務める(最初の短編集の邦訳は「シュロック・ホームズの冒険」、深町真理子ほか訳、1977年3月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)。その名推理ぶりをとくとご覧いただきたい。以下、いつものように内容に触れているので未読の方はご注意を。
シュロックの元に相談にやってきた女性依頼人を一目見て、彼はこう喝破する
(「アスコット・タイ事件」吉田誠一訳)。
「あなた(依頼人ミス・ウィンポール)が片鞍乗馬に凝っておられ、最近ラブレターをお書きになり、ここへおいでになる途中炭坑にお立ち寄りになったということ以外には、残念ながら、あなたの問題は皆目わかりません」。
まるでご本家シャーロック・ホームズの「こちらは以前、手仕事をしていた。嗅ぎタバコをやる。フリーメーソンの会員で、中国に行ったことがある。最近かなりたくさん書き物をしていた。そこまでははっきりしているが、それ以上はぼくにも想像がつかないよ」
(「赤毛連盟」中田耕治訳)を彷彿とさせる名調子だ。
さて、ではシュロックの推理の根拠は?
ウィンポールのスカートの外側、腿の外側中央部のちょっと上のところに、切り分けたパイのような形をした光った部分がある(現在、曲馬術ファンの間で大流行の、新しい型のアフリカ鞍頭の形にぴったり)。
彼女の右手の中指にいちご色のインクのしみがついている(これは商用や正式の手紙に用いるインクではない)。
彼女の左目の下に石炭の粉がついている(今は6月、貯蔵や暖房など普通の理由で石炭を扱うはずはないから、1年じゅう石炭がふんだんにある場所、すなわち炭鉱へ立ち寄ったに違いない)。
いやはや何たる観察力、さすがは名探偵――と思いきや、
スカートの光っている部分は女中がアイロンかけをミスしたからだし、
指についていたのはさっき食べたばかりの本物のいちごである。
石炭の粉と思われたものは、あわてて家を出たためにマスカラを付け損ねた跡だった、というのだから恐れ入る。
自分の推理がことごとく覆されたシュロックは面目丸つぶれだが、懲りずに依頼人の持ち込む事件に果敢に挑戦していくのだから、なおも恐れ入る。
例えば短編集の中の1編「アダム爆弾の怪」(小笠原豊樹訳)の場合。
新しい爆発装置を発明したアダムという男が、ノーサンバーランド州ニューキャッスルの郊外の廃坑を借りて科学実験の準備を始める。これを怪しいとにらんだシュロックと相棒のワトニイ(ワトソンならぬ!)は、アダムの狙いはほかにあるのではないかと疑う。
掃除人に化けて廃坑内部に潜入したシュロックは、そこにある書類に「E=MC2」「大量のキノコ」「サイクロトロン」などの言葉があるのを見つける。
「坑道は、なるほど、湿気といい、温度といい、キノコの栽培には最適の場所だろう」と考えながら、シュロックは坑道がイーストランド刑務所の真下を通ることを発見して、E=MC2の謎を次のように解く。
Eはイーストランド刑務所の頭文字、自乗のことはPowerとも言う、イーストランド刑務所に収監されている死刑囚の名前はMcPowers、したがってE=MC2はこの殺人鬼を脱獄させる暗号だ。
そしてサイクロトロンと記された大きな機械も「これは、奴の脱走が成功した場合、何か電気の操作によって奴をわれわれの手の届かぬ所へいちはやく逃がしてしまうための、新型の自転車(サイクル)にちがいない」と結論し、機械の電流の接続を逆にしておく。
首尾よく脱獄を未然に防いだとご満悦のシュロックとワトニイは翌朝、殺人鬼ではなくノーサンバーランド州全体が一晩のうちに消えてしまったことを新聞で知る。
説明するのは野暮の極みだが、アダムが廃坑で行っていたのは死刑囚の脱獄計画などではなく本当の原子力実験だった。
シュロックがサイクロトロンをいじったために、州全体が核爆発で、おそらく大量のキノコ雲を上げながら吹き飛んだという次第。
笑えない話だが、E=MC2の解釈には泉下のアインシュタイン先生も思わず笑ってしまうだろう。
訳者の一人、深町真理子があとがきで書いているように、シュロックものには「翻訳した場合に面白味の失われる洒落や語呂合わせ」がきわめて多い。そうした言語の垣根を乗り越えて、翻訳者はそれぞれ原典の持つ味わいをよく日本語に移し変えていると思う。
短編集の序文を書いたアンソニー・バウチャーによれば、「これらのフィッシュ作品こそ、ロバート・バー以来60余年にわたる擬似ホームズ文学の歴史中、最高のもの」だそうである。
「フィッシュ氏は、ほとんど先例のない二重のパスティーシュという離れ業を敢えてする――楽しげに(そして依然として愛情をもって)、ホームズ《原典》と、もうひとつの、ほとんどおなじくらいの不滅の伝説の両方を、同時に揶揄してのけるのである」と。
愛情をもってと補足されてはいるが、フィッシュはホームズを揶揄しているのだろうか。シュロックものを原典への揶揄ととるかオマージュととるかは、判断の分かれるところだ。
折しも3月からアメリカ映画「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」が公開されている。ホームズのイメージと違う、という声を聞くが、映画はちゃんとアイリーン・アドラーを重要な役で登場させ、原典にオマージュを捧げていた。
言うまでもなくアイリーンは、処女短編「ボヘミアの醜聞」に登場した、ホームズが世界でたった一人「あの女性」と敬称で呼ぶ存在である。(こや)
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(ロバート・L・フィッシュ)
前回は世界一有名な探偵シャーロック・ホームズの話。今回はシュロック・ホームズについて紹介したい。シュロックは、エンジニアにして作家のロバート・L・フィッシュが創造した探偵で、短編30数作で主役を務める(最初の短編集の邦訳は「シュロック・ホームズの冒険」、深町真理子ほか訳、1977年3月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)。その名推理ぶりをとくとご覧いただきたい。以下、いつものように内容に触れているので未読の方はご注意を。
シュロックの元に相談にやってきた女性依頼人を一目見て、彼はこう喝破する
(「アスコット・タイ事件」吉田誠一訳)。
「あなた(依頼人ミス・ウィンポール)が片鞍乗馬に凝っておられ、最近ラブレターをお書きになり、ここへおいでになる途中炭坑にお立ち寄りになったということ以外には、残念ながら、あなたの問題は皆目わかりません」。
まるでご本家シャーロック・ホームズの「こちらは以前、手仕事をしていた。嗅ぎタバコをやる。フリーメーソンの会員で、中国に行ったことがある。最近かなりたくさん書き物をしていた。そこまでははっきりしているが、それ以上はぼくにも想像がつかないよ」
(「赤毛連盟」中田耕治訳)を彷彿とさせる名調子だ。
さて、ではシュロックの推理の根拠は?
ウィンポールのスカートの外側、腿の外側中央部のちょっと上のところに、切り分けたパイのような形をした光った部分がある(現在、曲馬術ファンの間で大流行の、新しい型のアフリカ鞍頭の形にぴったり)。
彼女の右手の中指にいちご色のインクのしみがついている(これは商用や正式の手紙に用いるインクではない)。
彼女の左目の下に石炭の粉がついている(今は6月、貯蔵や暖房など普通の理由で石炭を扱うはずはないから、1年じゅう石炭がふんだんにある場所、すなわち炭鉱へ立ち寄ったに違いない)。
いやはや何たる観察力、さすがは名探偵――と思いきや、
スカートの光っている部分は女中がアイロンかけをミスしたからだし、
指についていたのはさっき食べたばかりの本物のいちごである。
石炭の粉と思われたものは、あわてて家を出たためにマスカラを付け損ねた跡だった、というのだから恐れ入る。
自分の推理がことごとく覆されたシュロックは面目丸つぶれだが、懲りずに依頼人の持ち込む事件に果敢に挑戦していくのだから、なおも恐れ入る。
例えば短編集の中の1編「アダム爆弾の怪」(小笠原豊樹訳)の場合。
新しい爆発装置を発明したアダムという男が、ノーサンバーランド州ニューキャッスルの郊外の廃坑を借りて科学実験の準備を始める。これを怪しいとにらんだシュロックと相棒のワトニイ(ワトソンならぬ!)は、アダムの狙いはほかにあるのではないかと疑う。
掃除人に化けて廃坑内部に潜入したシュロックは、そこにある書類に「E=MC2」「大量のキノコ」「サイクロトロン」などの言葉があるのを見つける。
「坑道は、なるほど、湿気といい、温度といい、キノコの栽培には最適の場所だろう」と考えながら、シュロックは坑道がイーストランド刑務所の真下を通ることを発見して、E=MC2の謎を次のように解く。
Eはイーストランド刑務所の頭文字、自乗のことはPowerとも言う、イーストランド刑務所に収監されている死刑囚の名前はMcPowers、したがってE=MC2はこの殺人鬼を脱獄させる暗号だ。
そしてサイクロトロンと記された大きな機械も「これは、奴の脱走が成功した場合、何か電気の操作によって奴をわれわれの手の届かぬ所へいちはやく逃がしてしまうための、新型の自転車(サイクル)にちがいない」と結論し、機械の電流の接続を逆にしておく。
首尾よく脱獄を未然に防いだとご満悦のシュロックとワトニイは翌朝、殺人鬼ではなくノーサンバーランド州全体が一晩のうちに消えてしまったことを新聞で知る。
説明するのは野暮の極みだが、アダムが廃坑で行っていたのは死刑囚の脱獄計画などではなく本当の原子力実験だった。
シュロックがサイクロトロンをいじったために、州全体が核爆発で、おそらく大量のキノコ雲を上げながら吹き飛んだという次第。
笑えない話だが、E=MC2の解釈には泉下のアインシュタイン先生も思わず笑ってしまうだろう。
訳者の一人、深町真理子があとがきで書いているように、シュロックものには「翻訳した場合に面白味の失われる洒落や語呂合わせ」がきわめて多い。そうした言語の垣根を乗り越えて、翻訳者はそれぞれ原典の持つ味わいをよく日本語に移し変えていると思う。
短編集の序文を書いたアンソニー・バウチャーによれば、「これらのフィッシュ作品こそ、ロバート・バー以来60余年にわたる擬似ホームズ文学の歴史中、最高のもの」だそうである。
「フィッシュ氏は、ほとんど先例のない二重のパスティーシュという離れ業を敢えてする――楽しげに(そして依然として愛情をもって)、ホームズ《原典》と、もうひとつの、ほとんどおなじくらいの不滅の伝説の両方を、同時に揶揄してのけるのである」と。
愛情をもってと補足されてはいるが、フィッシュはホームズを揶揄しているのだろうか。シュロックものを原典への揶揄ととるかオマージュととるかは、判断の分かれるところだ。
折しも3月からアメリカ映画「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」が公開されている。ホームズのイメージと違う、という声を聞くが、映画はちゃんとアイリーン・アドラーを重要な役で登場させ、原典にオマージュを捧げていた。
言うまでもなくアイリーンは、処女短編「ボヘミアの醜聞」に登場した、ホームズが世界でたった一人「あの女性」と敬称で呼ぶ存在である。(こや)
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