ロアルド・ダール短編集「来訪者」の新訳版が2015年7月、ハヤカワ・ミステリ文庫で刊行された。永井淳の旧訳版が刊行されたのが1976年7月(その後、ハヤカワ・ミステリ文庫に収録)だったから、約40年ぶりの改訳となる。かつて表題作のラストシーンの一節を読んだときは戦慄した。以下、作品の内容に触れるので、未読の方はご注意を。
シナイ砂漠を旅行中のオズワルド・コーネリアスが車の故障で立ち往生する。代わりの部品は翌日まで届かない。このあたりで一泊せざるを得ないが、ガソリン給油所の男は梅毒病みらしい。困り果てたオズワルドの前に1台のロールスロイスがさっそうと現れる。近くに豪邸を持つ富豪のアブドゥル・アジズで、オズワルドは彼に招待され、魅力的な妻と美しい娘とともにディナーパーティーの一夜を過ごす。
さて、翌朝。車の修理も終わり、別れ際にアジズはオズワルドにこんな告白をする。あいさつには出てこなかったが、昨日泊まった豪邸には他にもう1人、部屋に閉じこもったままの上の娘がいる――と。永井はラストシーンをこう訳していた。
「『上の娘は癩病なのです』
わたしはとびあがった。
『ええ、驚かれるのも無理はありません。恐ろしい病気ですから。それに、かわいそうに癩のうちでもいちばんたちの悪い麻痺癩というやつなんです。結節癩ならはるかに容易なんですがね。ところが、娘のはその難しいほうなんです』」なぜオズワルドが飛び上がったかといえば、昨夜、ディナーが終わった後で彼の部屋に忍び込んできた女性と密かに性交渉を持ったからである。部屋はすでに真っ暗になっていて、女性の顔は見えなかった。プレイボーイのオズワルドが、昨夜の情事の相手は妻だったのか娘だったのかを図りかねていたところに、この父親の「もう1人、癩病の娘がいる」という告白がなされたわけである。「ミスター・コーネリアス! あなたは何も心配なさることはないんです。癩はそれほど伝染性の強い病気じゃなくて、患者とじかに接触しないかぎり、感染のおそれは……」という、事情を知らない父親が発する言葉も、もはやオズワルドの耳に入っては来ない――。
さて、「来訪者」新訳版の訳者は当代随一のミステリ翻訳家、田口俊樹である。永井の旧訳版で多くの読者の背筋をゾッとさせたこのシーンが、今回、どのように訳されているか。以下、田口訳を見てみよう。
「『その娘は不治の感染症を患っているからです』
私は飛び上がった。
『ええ、驚かれるのも無理はありません』と彼は言った。『恐ろしい病気ですから。それも可哀そうに、知覚消失をともなう、特に悪性のものを患っていましてね。耐性が強く、治る見込みはもうほとんどありません。別の型のものならはるかに救いがあるのですが、残念ながらそうではないということです』」
田口訳からは苦心の跡がしのばれる。この40年間で「癩病」あるいは「ハンセン病」に関する社会の認識は大きく変わってきた。その結果、「不治の感染症」といった、どことなく奥歯に物のはさまったような表現になってしまったのは致し方ないところだろう。
そうした時間の移ろいの中で「来訪者」を再読してみて、もう1つ気づいたことがあった。作中に登場する「セルボーンの博物誌」が、この小説を理解する大きなヒントになっているのではないか――ということである。
18世紀イギリスの牧師であり博物学者のギルバート・ホワイトが、1789年に親族・知人の手を借りてまとめたのが「セルボーンの博物誌」。生まれ故郷ハンプシャーの小村、セルボーンを舞台として、当時の主流だった標本主義の博物学とは対照的に、鳥や植物、昆虫などの生態や自然景観の観察を、土地の歴史や風土とともに記録したものである。博物学、ネイチャーライティングの古典として今も読み継がれている名著で、そのスタイルは「生態地域主義」とも呼ばれる。
オズワルドが作中で読むのは「セルボーンの博物誌」のこんなくだりである。ある村に知的障害のある少年がいて、彼は幼いころから蜂に偏愛を示している。蜂の毒針には何の恐れも抱かず、ミツバチもマルハナバチもスズメバチも、見つけたそばから捕らえて餌食にしてしまう。蜂は彼の食物であり、娯楽であり、唯一の関心の的であった。彼はまさにハチクイドリそのもので、養蜂家にしてみれば天敵同然であった。
ひょっとすると、この少年の蜂への偏愛が、「来訪者」で描かれるオズワルドの女性への偏愛に重ね合わされているのではないか。いや、女性だけでなく、オズワルドは砂漠に生息するサソリにも偏愛ぶりを見せる。車が故障する直前に、巣穴を見つけてサソリを捕獲するシーンがあるが、オズワルドはまさに舌なめずりせんばかりに大物のサソリを捕まえて自分のコレクションに加える。女性やサソリのほかに、蜘蛛やらステッキやらのコレクションぶりについても前段で語られているから、これはもう度を超した収集癖の持ち主と言っていい。艶笑譚に登場するプレイボーイというよりも、「セルボーンの博物誌」で観察対象となっているような偏愛的人物――それがオズワルドなのである。
思えば、初期傑作「味」で描かれていたワインの銘柄へのこだわりなども偏愛にほかならない。これはダールという作家の本質にかかわるテーマなのかもしれない。(こや)
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