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黒澤明、小津安二郎、成瀨巳喜男が生涯の代表作を撮ったのは1950年代である。日本映画の1960年代を考えるとき、松竹ヌーヴェルヴァーグや今村昌平ら、新進映画作家たちの台頭は欠かせない。今回は1960年代日本映画ベストテンを選んでみた。対象は1960~1969年で順不同。ご笑覧ください。(こや)
① 黒い画集 あるサラリーマンの証言
監督:堀川弘通 製作:1960年、東宝
松本清張の短編小説「証言」の映画化。黒澤明の助監督を務めていた堀川弘通の出世作で、1960年キネマ旬報ベストテン第2位となった。原作の松本清張が称賛した。企業に勤める課長が愛人の女と西大久保を歩いていたとき、知人にバッタリ出くわす。やがてその知人が向島の殺人事件の容疑者として逮捕されるが、課長は不倫が会社や家族にばれるのを恐れて知人のアリバイを証言できない……。
② 私は二歳
監督:市川崑 製作:1962年、大映
松田道雄の育児書「私は二歳」「私は赤ちゃん」を和田夏十が脚色し、市川崑が監督した。都営団地のサラリーマン夫婦は、生まれたばかりの僕(太郎)の成長に一喜一憂、子育てをめぐって嫁姑問題も勃発。僕は0歳から2歳になる。子育てを通じて生命の神秘や生きることを描いた映画。赤ん坊の視点で右往左往する両親や大人たちを描いた点に新味がある。同年のキネマ旬報ベストテン日本映画第1位。
③ あけてくれ!(テレビ映画「ウルトラQ」シリーズ第28話)
監督:円谷一 製作:1967年、TBS
1966年に「ウルトラ」シリーズ第1弾として27話が連続放映された「ウルトラQ」には、内容が難解で子供向けではないとして、放映が見送られた1編があった。「あけてくれ!」で、翌年の再放送時に初放映され、陽の目を見た。会社員の沢村正吉が迷い込みかけた世界は、時間と空間を超越した異次元に存在していた。空を飛ぶ列車に乗った沢村は、この別世界へ到達できるはずであったが……。
④ 情炎
監督:向井寛 製作:1966年、日本シネマ
かつて日本シネマという映画会社があった。1963年にスタートし、ピンク映画を何本も製作した。本木荘二郎監督の「女のはらわた」を始めとして、小林悟、若松孝二、山本晋也、向井寛らを監督に起用した。「情炎」はその向井寛の初期作品。日本初のピンク映画「肉体の市場」に主演して「ピンク女優第1号」と呼ばれた女優、香取環の名演が光る。吉田喜重の同名作品よりも、こちらを高く評価したい。
⑤ 青春残酷物語
監督:大島渚 製作:1960年、松竹
「松竹ヌーヴェルヴァーグ」という呼称が生まれたとされる記念碑的作品。ラディカルな政治性を打ち出した「白昼の通り魔」「日本春歌考」「新宿泥棒日記」「少年」など中期の作品の方が一般に評価が高いが、あえて初期作品「青春残酷物語」を推す。久我美子らが演じる年長の世代と桑野みゆきらが演じる若者の世代が対比されているが、あたかも新旧映画監督の対比が象徴されているようで興味深い。
⑥ ろくでなし
監督:吉田喜重 製作:1960年、松竹
大島渚と同じ松竹ヌーヴェルヴァーグの新人、吉田喜重が自ら脚本、監督を務めた第1作。4人の大学生と1人の女性による退廃の青春ドラマ。吉田喜重は昭和8年生まれ。東大仏文科を卒業後、松竹に入社し、主として木下惠介の助監督などを務めていたが、「木下さんのような映画は作らない」という決意表明のような処女作となった。撮影は成島東一郎。ジャン=リュック・ゴダール「勝手にしやがれ」のラストシーンとの類似も微笑ましい。
⑦ 進め!ジャガーズ 敵前上陸
監督:前田陽一 製作:1968年、松竹
1960年代はグループサウンズの時代だった。人気絶頂だった「ザ・ジャガーズ」の初主演映画。つまりはアイドル映画だが、同時に日本喜劇映画オールタイムベスト級の傑作と評価された。 世界征服をたくらむ結社のボス役に内田朝雄。最初、三島由紀夫に交渉するが断られたという。てんぷくトリオの起用や、超ナルシストの警部役に三遊亭圓楽が扮するなど、見どころ満載。脚本の中原弓彦は、言うまでもなく作家の小林信彦の筆名である。
⑧ セックス・チェック 第二の性
監督:増村保造 製作:1968年、大映
原作は「オール讀物」に連載された寺内大吉の「すぷりんたあ」。パワハラ、セクハラ、モラハラという言葉がない時代の、実業団女子短距離選手とコーチの師弟を超えた愛憎を描く。名スプリンターとうたわれながら戦争でオリンピック出場の夢を断たれた男が、ある女子選手に陸上短距離100mの素質を見い出し、過酷な猛練習で好記録を出させるが、セックス・チェックで半陰陽と宣告され、オリンピック代表選手候補から外されてしまう……。
⑨ 燃えつきた地図
監督:勅使河原宏 製作:1968年、大映
「おとし穴」「砂の女」「他人の顔」に続く安部公房原作、脚本、勅使河原宏監督で、同コンビとしては最後の作品になった。突然、失踪したサラリーマンを捜索する私立探偵が、男の足取りを追ううちに奇妙な事件に巻き込まれ、やがて私立探偵自身が記憶を失って都会の迷宮に入り込んでいく……。勝プロダクションと大映が製作し、大映が配給。私立探偵を演じた主演の勝新太郎が新境地を見せた。
⑩ 人間蒸発
監督:今村昌平 製作:1967年、ATG=日活
1960年代の今村昌平の作品は傑作ぞろいだが、ここではドキュメンタリー調(現在で言うモキュメンタリー)で作られた「人間蒸発」を挙げる。ATGが最初に資金提供した作品で、キネマ旬報第2位、映画芸術第1位、日本映画評論第1位など高い評価を受けた。 俳優の露口茂がレポーターとして登場し、現実に失踪した人間の行方をその婚約者と共に追う、という設定のもとに日本全国を歩く。
(こや)
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黒澤明、小津安二郎、成瀨巳喜男が生涯の代表作を撮ったのは1950年代である。日本映画の1960年代を考えるとき、松竹ヌーヴェルヴァーグや今村昌平ら、新進映画作家たちの台頭は欠かせない。今回は1960年代日本映画ベストテンを選んでみた。対象は1960~1969年で順不同。ご笑覧ください。(こや)
① 黒い画集 あるサラリーマンの証言
監督:堀川弘通 製作:1960年、東宝
松本清張の短編小説「証言」の映画化。黒澤明の助監督を務めていた堀川弘通の出世作で、1960年キネマ旬報ベストテン第2位となった。原作の松本清張が称賛した。企業に勤める課長が愛人の女と西大久保を歩いていたとき、知人にバッタリ出くわす。やがてその知人が向島の殺人事件の容疑者として逮捕されるが、課長は不倫が会社や家族にばれるのを恐れて知人のアリバイを証言できない……。
② 私は二歳
監督:市川崑 製作:1962年、大映
松田道雄の育児書「私は二歳」「私は赤ちゃん」を和田夏十が脚色し、市川崑が監督した。都営団地のサラリーマン夫婦は、生まれたばかりの僕(太郎)の成長に一喜一憂、子育てをめぐって嫁姑問題も勃発。僕は0歳から2歳になる。子育てを通じて生命の神秘や生きることを描いた映画。赤ん坊の視点で右往左往する両親や大人たちを描いた点に新味がある。同年のキネマ旬報ベストテン日本映画第1位。
③ あけてくれ!(テレビ映画「ウルトラQ」シリーズ第28話)
監督:円谷一 製作:1967年、TBS
1966年に「ウルトラ」シリーズ第1弾として27話が連続放映された「ウルトラQ」には、内容が難解で子供向けではないとして、放映が見送られた1編があった。「あけてくれ!」で、翌年の再放送時に初放映され、陽の目を見た。会社員の沢村正吉が迷い込みかけた世界は、時間と空間を超越した異次元に存在していた。空を飛ぶ列車に乗った沢村は、この別世界へ到達できるはずであったが……。
④ 情炎
監督:向井寛 製作:1966年、日本シネマ
かつて日本シネマという映画会社があった。1963年にスタートし、ピンク映画を何本も製作した。本木荘二郎監督の「女のはらわた」を始めとして、小林悟、若松孝二、山本晋也、向井寛らを監督に起用した。「情炎」はその向井寛の初期作品。日本初のピンク映画「肉体の市場」に主演して「ピンク女優第1号」と呼ばれた女優、香取環の名演が光る。吉田喜重の同名作品よりも、こちらを高く評価したい。
⑤ 青春残酷物語
監督:大島渚 製作:1960年、松竹
「松竹ヌーヴェルヴァーグ」という呼称が生まれたとされる記念碑的作品。ラディカルな政治性を打ち出した「白昼の通り魔」「日本春歌考」「新宿泥棒日記」「少年」など中期の作品の方が一般に評価が高いが、あえて初期作品「青春残酷物語」を推す。久我美子らが演じる年長の世代と桑野みゆきらが演じる若者の世代が対比されているが、あたかも新旧映画監督の対比が象徴されているようで興味深い。
⑥ ろくでなし
監督:吉田喜重 製作:1960年、松竹
大島渚と同じ松竹ヌーヴェルヴァーグの新人、吉田喜重が自ら脚本、監督を務めた第1作。4人の大学生と1人の女性による退廃の青春ドラマ。吉田喜重は昭和8年生まれ。東大仏文科を卒業後、松竹に入社し、主として木下惠介の助監督などを務めていたが、「木下さんのような映画は作らない」という決意表明のような処女作となった。撮影は成島東一郎。ジャン=リュック・ゴダール「勝手にしやがれ」のラストシーンとの類似も微笑ましい。
⑦ 進め!ジャガーズ 敵前上陸
監督:前田陽一 製作:1968年、松竹
1960年代はグループサウンズの時代だった。人気絶頂だった「ザ・ジャガーズ」の初主演映画。つまりはアイドル映画だが、同時に日本喜劇映画オールタイムベスト級の傑作と評価された。 世界征服をたくらむ結社のボス役に内田朝雄。最初、三島由紀夫に交渉するが断られたという。てんぷくトリオの起用や、超ナルシストの警部役に三遊亭圓楽が扮するなど、見どころ満載。脚本の中原弓彦は、言うまでもなく作家の小林信彦の筆名である。
⑧ セックス・チェック 第二の性
監督:増村保造 製作:1968年、大映
原作は「オール讀物」に連載された寺内大吉の「すぷりんたあ」。パワハラ、セクハラ、モラハラという言葉がない時代の、実業団女子短距離選手とコーチの師弟を超えた愛憎を描く。名スプリンターとうたわれながら戦争でオリンピック出場の夢を断たれた男が、ある女子選手に陸上短距離100mの素質を見い出し、過酷な猛練習で好記録を出させるが、セックス・チェックで半陰陽と宣告され、オリンピック代表選手候補から外されてしまう……。
⑨ 燃えつきた地図
監督:勅使河原宏 製作:1968年、大映
「おとし穴」「砂の女」「他人の顔」に続く安部公房原作、脚本、勅使河原宏監督で、同コンビとしては最後の作品になった。突然、失踪したサラリーマンを捜索する私立探偵が、男の足取りを追ううちに奇妙な事件に巻き込まれ、やがて私立探偵自身が記憶を失って都会の迷宮に入り込んでいく……。勝プロダクションと大映が製作し、大映が配給。私立探偵を演じた主演の勝新太郎が新境地を見せた。
⑩ 人間蒸発
監督:今村昌平 製作:1967年、ATG=日活
1960年代の今村昌平の作品は傑作ぞろいだが、ここではドキュメンタリー調(現在で言うモキュメンタリー)で作られた「人間蒸発」を挙げる。ATGが最初に資金提供した作品で、キネマ旬報第2位、映画芸術第1位、日本映画評論第1位など高い評価を受けた。 俳優の露口茂がレポーターとして登場し、現実に失踪した人間の行方をその婚約者と共に追う、という設定のもとに日本全国を歩く。
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第106回 独断と偏見で10本を選ぶ(1960年代外国映画ベストテン)
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映画黄金期の1950年代と、往年の輝きを失い始める1970年代に挟まれて、1960年代の外国映画は大作が多かったように思う。と同時に、1950年代後半からフランスに登場したヌーヴェル・ヴァーグが世界を驚かせ、アメリカではアメリカン・ニューシネマなど、個性的な映画が全盛となった。そんな映画史を横目に見つつ、1960年代外国映画ベストテンを選んでみた。対象は1960~1969年で順不同。ご笑覧ください。(こや)
① ねぇ!キスしてよ
監督:ビリー・ワイルダー 製作:1964年、アメリカ
1960年代のビリー・ワイルダー映画といえば「アパートの鍵貸します」(1960)と「あなただけ今晩は」(1963)が有名だが、ディーン・マーティンとキム・ノヴァクの好演が光る艶笑コメディー「ねぇ!キスしてよ」をここでは挙げる。ジャック・レモンやシャーリー・マクレーンが登場しなくとも、ワイルダー映画はどこを切ってもワイルダー映画だ。原作はアンナ・ボナッチの戯曲「幻惑の時」で、I・A・L・ダイアモンドとワイルダーの黄金コンビが共同で脚色を務めた。
② バニー・レークは行方不明
監督:オットー・プレミンジャー 製作:1965年、イギリス
オットー・プレミンジャー監督、キャロル・リンレー主演。行方不明になった娘バニー・レークを探していく母親や兄の奇妙な振る舞いを描くサスペンス映画で、アルフレッド・ヒッチコックの「バルカン超特急」から影響を受け、「フライトプラン」や「チェンジリング」などに影響を与えた作品とされる。イヴリン・パイパーの原作小説には1889年に発生した「パリ万博事件」が紹介されている。イギリス人の母娘がパリのホテルに宿泊。母親が姿を消し、娘が必死に探すも、「始めから母親はいなかった」と言われた事件である。
③ 恐怖の足跡
監督:ハーク・ハーヴェイ 製作:1962年、アメリカ
一部で多大な評価を得ているハーク・ハーヴェイ監督のカルトホラー映画。度胸試しの自動車のスピード競争で、メリー(キャンディス・ヒリゴス)らを乗せた車が誤って川へ転落。しばらくしてからメリーだけが自力で川から生還、応急処置を受けて一命を取り留めた。悲惨な事故を忘れるためにメリーは別の町へ移り住むことにする。町でオルガン奏者の職も得ることもでき、順風満帆な生活を送ろうとした彼女の身に、次々と不可解な出来事が襲う。町に来る途中で見かけた謎の男の幻影に悩まされ、悪夢は徐々に過酷さを増していく……。
④ 雨にぬれた歩道
監督:ロバート・アルトマン 製作:1969年、アメリカ
年下の青年を愛した中年女性の、母性愛的な心情と、甘くせつない追憶を描いた叙情映画。といっても監督はロバート・アルトマン、一筋縄で行く映画であるはずはない。秋の冷雨にけむるバンクーバー。独身女性フランセス・オーステン(サンディ・デニス)は、公園のベンチでションボリ雨に打たれている無口な青年(マイケル・バーンズ)に心魅かれ、自分のアパートに連れ帰った。青年に愛と肉欲と嫉妬を抱く女性と、女性の財産にしか興味がない青年のドラマの結末やいかに?
⑤ 密室
監督:ピーター・コリンソン 製作:1967年、イギリス
C・スコット・フォーブスの舞台劇「検針員」をテレビ出身の新鋭ピーター・コリンソンが脚色・監督したもので、劇場用映画第1作。ブルース(テレンス・モーガン)とバーバラ(スージー・ケンドール)は夫婦ではないが深く愛し合っている。ブルースは不動産業者。完成したばかりでまだ誰も入居していない家具つきのペントハウス式アパートを密会の場所に使っていた。ある朝、ガスの検針員だと名乗る2人組が部屋に訪ねてくる……。突然の闖入者による暴力や心理的圧迫に、運命の歯車が狂っていく恋人たちの姿を描いた心理ドラマ。
⑥ 嵐の青春(日本未公開、DVD発売)
監督:リチャーズ・ラッシュ 製作:1968年、アメリカ
この映画は日本未公開ながら、かつて「ジャック・ニコルソンの嵐の青春」の日本語タイトルでVHSが発売され、ずっと以前に「都会の中の俺達の城」のタイトルでテレビ放映された。LSD文化発祥の地、サンフランシスコのヘイトアシュベリーを舞台に、ドラッグ・カルチャーにのめり込む若者たちの生態が描かれている。ロジャー・コーマン「白昼の幻想」の亜流とされていたが、ジャック・ニコルソンとスーザン・ストラスバーグの熱演で、本家を超えるドラッグ映画の傑作となった。
⑦ 少女ムシェット
監督:ロベール・ブレッソン 製作:1967年、フランス
ジョルジュ・ベルナノスの小説が原作。暴力的な父親と病気の母親のもとで苦労を重ねるブルーカラーの少女が、どこに行っても相手にされず、ますます孤独に不幸に、そして居場所がなくなっていく様を冷徹な目線で描いたロベール・ブレッソンの代表作の1つ。後の「ロゼッタ」や「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などの作品にも影響を与えたとされる。日本ではなかなか公開のメドが立たなかったが、1974年9月、コロネット・シネマ・アンテレクチュエルが買い付けて提供、エキプ・ド・シネマが配給して、陽の目を見た。
⑧ 沈黙
監督:イングマール・ベルイマン 製作:1963年、スウェーデン
名匠イングマール・ベルイマンの「鏡の中にある如く」(1961)、「冬の光」(1962)に続く、いわゆる「神の沈黙」3部作の最後の作品。 翻訳家で独身の姉とその妹、妹の幼い息子の3人が列車の旅の途上、ある国に降り立つ。冷戦下の共産圏を思わせるその土地では、言葉もほぼ通じない。ホテルで過ごす時間の中で、姉妹がずっと触れることを避けてきた葛藤が次第に露わになっていく……。 閉ざされた空間、限られた登場人物、そぎ落とされた台詞による象徴的なドラマ。日本初公開時には成人映画に指定された。
⑨ 泳ぐひと
監督:フランク・ぺリー 製作:1968年、アメリカ
ニューシネマの傑作の1本とされる。原作はジョン・チーヴァーの1964年の同名短編小説。ある男(バート・ランカスター)が海パン一丁で林の中から現れる。ニューヨーク州マンハッタン島の裕福な高級住宅地のプールを渡って歩き、何人かの知人と会う。最初、人々は彼に好意的だが、次第によそよそしくなる。かつての恋人宅のプールで、元恋人に会うが連れなくされ、次に訪れるプールは安い入場料の市民プールだ。そこでは誰も彼のことを、かつて裕福だったころの彼として扱ってくれない。そして、最後に彼が訪れるのは……。
⑩ コレクター
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:1965年、イギリス、アメリカ
原作はジョン・ファウルズの同名長編小説で、言葉遣いから階級や信条、性格が伝わるように書かれた現代文学の傑作である。蝶の収集が趣味の孤独な男性フレディの、美術大学に通う女性ミランダに対する倒錯した愛情を描く。アカデミー主演女優賞(サマンサ・エッガー)、監督賞(ウィリアム・ワイラー)、脚色賞にノミネートされ、エッガーは1966年のゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)を受賞した。作中、「ライ麦畑でつかまえて」をめぐる会話に象徴されるように、きわめて文学的な香りが漂う映画。
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映画黄金期の1950年代と、往年の輝きを失い始める1970年代に挟まれて、1960年代の外国映画は大作が多かったように思う。と同時に、1950年代後半からフランスに登場したヌーヴェル・ヴァーグが世界を驚かせ、アメリカではアメリカン・ニューシネマなど、個性的な映画が全盛となった。そんな映画史を横目に見つつ、1960年代外国映画ベストテンを選んでみた。対象は1960~1969年で順不同。ご笑覧ください。(こや)
① ねぇ!キスしてよ
監督:ビリー・ワイルダー 製作:1964年、アメリカ
1960年代のビリー・ワイルダー映画といえば「アパートの鍵貸します」(1960)と「あなただけ今晩は」(1963)が有名だが、ディーン・マーティンとキム・ノヴァクの好演が光る艶笑コメディー「ねぇ!キスしてよ」をここでは挙げる。ジャック・レモンやシャーリー・マクレーンが登場しなくとも、ワイルダー映画はどこを切ってもワイルダー映画だ。原作はアンナ・ボナッチの戯曲「幻惑の時」で、I・A・L・ダイアモンドとワイルダーの黄金コンビが共同で脚色を務めた。
② バニー・レークは行方不明
監督:オットー・プレミンジャー 製作:1965年、イギリス
オットー・プレミンジャー監督、キャロル・リンレー主演。行方不明になった娘バニー・レークを探していく母親や兄の奇妙な振る舞いを描くサスペンス映画で、アルフレッド・ヒッチコックの「バルカン超特急」から影響を受け、「フライトプラン」や「チェンジリング」などに影響を与えた作品とされる。イヴリン・パイパーの原作小説には1889年に発生した「パリ万博事件」が紹介されている。イギリス人の母娘がパリのホテルに宿泊。母親が姿を消し、娘が必死に探すも、「始めから母親はいなかった」と言われた事件である。
③ 恐怖の足跡
監督:ハーク・ハーヴェイ 製作:1962年、アメリカ
一部で多大な評価を得ているハーク・ハーヴェイ監督のカルトホラー映画。度胸試しの自動車のスピード競争で、メリー(キャンディス・ヒリゴス)らを乗せた車が誤って川へ転落。しばらくしてからメリーだけが自力で川から生還、応急処置を受けて一命を取り留めた。悲惨な事故を忘れるためにメリーは別の町へ移り住むことにする。町でオルガン奏者の職も得ることもでき、順風満帆な生活を送ろうとした彼女の身に、次々と不可解な出来事が襲う。町に来る途中で見かけた謎の男の幻影に悩まされ、悪夢は徐々に過酷さを増していく……。
④ 雨にぬれた歩道
監督:ロバート・アルトマン 製作:1969年、アメリカ
年下の青年を愛した中年女性の、母性愛的な心情と、甘くせつない追憶を描いた叙情映画。といっても監督はロバート・アルトマン、一筋縄で行く映画であるはずはない。秋の冷雨にけむるバンクーバー。独身女性フランセス・オーステン(サンディ・デニス)は、公園のベンチでションボリ雨に打たれている無口な青年(マイケル・バーンズ)に心魅かれ、自分のアパートに連れ帰った。青年に愛と肉欲と嫉妬を抱く女性と、女性の財産にしか興味がない青年のドラマの結末やいかに?
⑤ 密室
監督:ピーター・コリンソン 製作:1967年、イギリス
C・スコット・フォーブスの舞台劇「検針員」をテレビ出身の新鋭ピーター・コリンソンが脚色・監督したもので、劇場用映画第1作。ブルース(テレンス・モーガン)とバーバラ(スージー・ケンドール)は夫婦ではないが深く愛し合っている。ブルースは不動産業者。完成したばかりでまだ誰も入居していない家具つきのペントハウス式アパートを密会の場所に使っていた。ある朝、ガスの検針員だと名乗る2人組が部屋に訪ねてくる……。突然の闖入者による暴力や心理的圧迫に、運命の歯車が狂っていく恋人たちの姿を描いた心理ドラマ。
⑥ 嵐の青春(日本未公開、DVD発売)
監督:リチャーズ・ラッシュ 製作:1968年、アメリカ
この映画は日本未公開ながら、かつて「ジャック・ニコルソンの嵐の青春」の日本語タイトルでVHSが発売され、ずっと以前に「都会の中の俺達の城」のタイトルでテレビ放映された。LSD文化発祥の地、サンフランシスコのヘイトアシュベリーを舞台に、ドラッグ・カルチャーにのめり込む若者たちの生態が描かれている。ロジャー・コーマン「白昼の幻想」の亜流とされていたが、ジャック・ニコルソンとスーザン・ストラスバーグの熱演で、本家を超えるドラッグ映画の傑作となった。
⑦ 少女ムシェット
監督:ロベール・ブレッソン 製作:1967年、フランス
ジョルジュ・ベルナノスの小説が原作。暴力的な父親と病気の母親のもとで苦労を重ねるブルーカラーの少女が、どこに行っても相手にされず、ますます孤独に不幸に、そして居場所がなくなっていく様を冷徹な目線で描いたロベール・ブレッソンの代表作の1つ。後の「ロゼッタ」や「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などの作品にも影響を与えたとされる。日本ではなかなか公開のメドが立たなかったが、1974年9月、コロネット・シネマ・アンテレクチュエルが買い付けて提供、エキプ・ド・シネマが配給して、陽の目を見た。
⑧ 沈黙
監督:イングマール・ベルイマン 製作:1963年、スウェーデン
名匠イングマール・ベルイマンの「鏡の中にある如く」(1961)、「冬の光」(1962)に続く、いわゆる「神の沈黙」3部作の最後の作品。 翻訳家で独身の姉とその妹、妹の幼い息子の3人が列車の旅の途上、ある国に降り立つ。冷戦下の共産圏を思わせるその土地では、言葉もほぼ通じない。ホテルで過ごす時間の中で、姉妹がずっと触れることを避けてきた葛藤が次第に露わになっていく……。 閉ざされた空間、限られた登場人物、そぎ落とされた台詞による象徴的なドラマ。日本初公開時には成人映画に指定された。
⑨ 泳ぐひと
監督:フランク・ぺリー 製作:1968年、アメリカ
ニューシネマの傑作の1本とされる。原作はジョン・チーヴァーの1964年の同名短編小説。ある男(バート・ランカスター)が海パン一丁で林の中から現れる。ニューヨーク州マンハッタン島の裕福な高級住宅地のプールを渡って歩き、何人かの知人と会う。最初、人々は彼に好意的だが、次第によそよそしくなる。かつての恋人宅のプールで、元恋人に会うが連れなくされ、次に訪れるプールは安い入場料の市民プールだ。そこでは誰も彼のことを、かつて裕福だったころの彼として扱ってくれない。そして、最後に彼が訪れるのは……。
⑩ コレクター
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:1965年、イギリス、アメリカ
原作はジョン・ファウルズの同名長編小説で、言葉遣いから階級や信条、性格が伝わるように書かれた現代文学の傑作である。蝶の収集が趣味の孤独な男性フレディの、美術大学に通う女性ミランダに対する倒錯した愛情を描く。アカデミー主演女優賞(サマンサ・エッガー)、監督賞(ウィリアム・ワイラー)、脚色賞にノミネートされ、エッガーは1966年のゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)を受賞した。作中、「ライ麦畑でつかまえて」をめぐる会話に象徴されるように、きわめて文学的な香りが漂う映画。
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第105回 ライノタイプに悩まされた男
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2019年7月に刊行が始まった「フレドリック・ブラウンSF短編全集」(全4巻、東京創元社)は、近年のヒット企画と言えるだろう。フレドリック・ブラウンはSFとミステリーの両分野で多くの傑作を残している。この企画はタイトル通り、ブラウンのSF短編の全てを年代順にまとめていくもので、既刊の第1巻には安原和見の新訳による12編が収められ、牧眞司が収録作品改題を、鏡明が解説を務めている。
かつて創元SF文庫の「未来世界から来た男」「天使と宇宙船」「スポンサーから一言」「宇宙をぼくの手の上に」などに収められたブラウンのSF短編をむさぼるように読みふけった読者にとっては、名作を新訳で再読できる絶好のチャンスであろう。さらにありがたいことは雑誌に発表された順番の作品配置になっていることだ。
つまり第1巻に収められた「最後の決戦」「いまだ終末にあらず」「エタオイン・シュルドゥル」「星ねずみ」「最後の恐竜」「新入り」「天使ミミズ」「帽子の手品」「ギーゼンスタック一家」「白昼の悪夢」「パラドックスと恐竜」「イヤリングの神」の12編は、SF作家ブラウンが1941年から1944年にかけて発表した初期の作品群ということになる。
これらの初期短編を読んでいて面白いことに気づいた。「エタオイン・シュルドゥル」(1942年)と「天使ミミズ」(1943年)が、ともに自動鋳造植字機(ライノタイプ)をテーマにしていることである。以下、両作品の内容に触れるので、未読の方はご注意を。
何しろ75年以上前の印刷技術の話だから、今となってはライノタイプについて説明が必要だろう。ライノタイプは、キーボードを打鍵する事によって、活字母を並べて鋳型とし、それに溶けた鉛を流し込んで、新聞などの印刷版型を作成する装置である。以下、インターネット資料からまとめてみると、単語や空白からなる横1行を丸ごと活字にすることが出来るのがライノタイプのメリットで、名称はLine of type (1行の活字)を省略したもの。当時、組版速度が要求されるような現場では専らライノタイプの出番だったという。
これは活版印刷の複数の工程を1人の職人の手元に集結させてしまう革命的なものであった。活字の母型は側面にそれぞれ文字ごとに異なる刻み目を持つ独特の形状をしており、打鍵操作をすると、ストックから文字が缶飲料の自動販売機のように垂直の筒の中を落ちてきて、一定の位置に順次置かれていく。1行分の組版が終わると鋳造部に移動し、活字合金が流し込まれて版が出来る。使用済みの母型は解版されて、各文字のストックに自動的に戻される。このとき母型の側面に刻まれた形状によって機械は自動的に文字を判別するようになっている。
この装置のアイデアは1800年代中頃からあったとされる。1886年にオットマール・マーゲンターラーという人物が初めて発表した。それは非常に大型で高さは2.1mもあり、また複雑であったが、1900年代には地方新聞社などにも設置されていたようである。しかし次第に版そのものを鋳造できる装置に置き替えられ、現在では写真植字機やDTPの隆盛の彼方に消え去っている。
ちなみに行単位ではなく文字単位で活字を並べて鋳造していく装置にモノタイプがある。1字だけの訂正がしやすいモノタイプが重宝がられることも多かった。例えば誤植が発見された場合、モノタイプならばピンセットなどを用いて1文字単位で訂正ができるが、ライノタイプでは1行丸ごと打ち直す必要があった。ミスタイプの際に1行の残りを埋めるのに打鍵したのが「ETAOIN SHRDLU」という無意味な文字列である。これらは英単語で頻出する文字のいわばベスト12だから、打鍵しやすいようにライノタイプのキーボードの左側2列に配置されていた。
フレドリック・ブラウンの短編のタイトル「エタオイン・シュルドゥル」は、ここから来ている。予兆として登場するのがライノタイプの誤植で、最初は自分の打ち間違いだと思っていた印刷所の職人が、ライノタイプが自らの意思を持って人間の制御を受け付けなくなり、勝手に打ち始めていることに気づく、というストーリーだ。
もう1編の「天使ミミズ」のほうは、もっとスケールが大きく、天国のライノタイプに誤植が生じる話。活字の母型が1周する51時間10分ごとに、不具合のあるeの文字が単語の本来あるべき位置の前に落ちてくる。それによってミミズ(angleworm)が天使ミミズ(angelworm)になり、憎悪(hate)が熱(heat)になり、そこに着く(getting there)がエーテルをかがされる(getting ether)となる。主人公は羽が生えたミミズが飛んでいくのを目撃したり、大雨の日に日焼けしたり、エーテルで気絶したりと、えらい目に遭わされる。
周知のように、フレドリック・ブラウンはかつてウィスコンシン州でライノタイプの操作員として生計を立てていた。他のSF作家の書いた短編を読んで、「これなら俺にも書ける」と思い、小説家になったというエピソードはあまりにも有名である。職人時代はさぞやライノタイプの不具合や誤植に悩まされたことだろう。その経験を元に書いた2つの初期短編は、後世に読み継がれる古典となった。(こや)
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2019年7月に刊行が始まった「フレドリック・ブラウンSF短編全集」(全4巻、東京創元社)は、近年のヒット企画と言えるだろう。フレドリック・ブラウンはSFとミステリーの両分野で多くの傑作を残している。この企画はタイトル通り、ブラウンのSF短編の全てを年代順にまとめていくもので、既刊の第1巻には安原和見の新訳による12編が収められ、牧眞司が収録作品改題を、鏡明が解説を務めている。
かつて創元SF文庫の「未来世界から来た男」「天使と宇宙船」「スポンサーから一言」「宇宙をぼくの手の上に」などに収められたブラウンのSF短編をむさぼるように読みふけった読者にとっては、名作を新訳で再読できる絶好のチャンスであろう。さらにありがたいことは雑誌に発表された順番の作品配置になっていることだ。
つまり第1巻に収められた「最後の決戦」「いまだ終末にあらず」「エタオイン・シュルドゥル」「星ねずみ」「最後の恐竜」「新入り」「天使ミミズ」「帽子の手品」「ギーゼンスタック一家」「白昼の悪夢」「パラドックスと恐竜」「イヤリングの神」の12編は、SF作家ブラウンが1941年から1944年にかけて発表した初期の作品群ということになる。
これらの初期短編を読んでいて面白いことに気づいた。「エタオイン・シュルドゥル」(1942年)と「天使ミミズ」(1943年)が、ともに自動鋳造植字機(ライノタイプ)をテーマにしていることである。以下、両作品の内容に触れるので、未読の方はご注意を。
何しろ75年以上前の印刷技術の話だから、今となってはライノタイプについて説明が必要だろう。ライノタイプは、キーボードを打鍵する事によって、活字母を並べて鋳型とし、それに溶けた鉛を流し込んで、新聞などの印刷版型を作成する装置である。以下、インターネット資料からまとめてみると、単語や空白からなる横1行を丸ごと活字にすることが出来るのがライノタイプのメリットで、名称はLine of type (1行の活字)を省略したもの。当時、組版速度が要求されるような現場では専らライノタイプの出番だったという。
これは活版印刷の複数の工程を1人の職人の手元に集結させてしまう革命的なものであった。活字の母型は側面にそれぞれ文字ごとに異なる刻み目を持つ独特の形状をしており、打鍵操作をすると、ストックから文字が缶飲料の自動販売機のように垂直の筒の中を落ちてきて、一定の位置に順次置かれていく。1行分の組版が終わると鋳造部に移動し、活字合金が流し込まれて版が出来る。使用済みの母型は解版されて、各文字のストックに自動的に戻される。このとき母型の側面に刻まれた形状によって機械は自動的に文字を判別するようになっている。
この装置のアイデアは1800年代中頃からあったとされる。1886年にオットマール・マーゲンターラーという人物が初めて発表した。それは非常に大型で高さは2.1mもあり、また複雑であったが、1900年代には地方新聞社などにも設置されていたようである。しかし次第に版そのものを鋳造できる装置に置き替えられ、現在では写真植字機やDTPの隆盛の彼方に消え去っている。
ちなみに行単位ではなく文字単位で活字を並べて鋳造していく装置にモノタイプがある。1字だけの訂正がしやすいモノタイプが重宝がられることも多かった。例えば誤植が発見された場合、モノタイプならばピンセットなどを用いて1文字単位で訂正ができるが、ライノタイプでは1行丸ごと打ち直す必要があった。ミスタイプの際に1行の残りを埋めるのに打鍵したのが「ETAOIN SHRDLU」という無意味な文字列である。これらは英単語で頻出する文字のいわばベスト12だから、打鍵しやすいようにライノタイプのキーボードの左側2列に配置されていた。
フレドリック・ブラウンの短編のタイトル「エタオイン・シュルドゥル」は、ここから来ている。予兆として登場するのがライノタイプの誤植で、最初は自分の打ち間違いだと思っていた印刷所の職人が、ライノタイプが自らの意思を持って人間の制御を受け付けなくなり、勝手に打ち始めていることに気づく、というストーリーだ。
もう1編の「天使ミミズ」のほうは、もっとスケールが大きく、天国のライノタイプに誤植が生じる話。活字の母型が1周する51時間10分ごとに、不具合のあるeの文字が単語の本来あるべき位置の前に落ちてくる。それによってミミズ(angleworm)が天使ミミズ(angelworm)になり、憎悪(hate)が熱(heat)になり、そこに着く(getting there)がエーテルをかがされる(getting ether)となる。主人公は羽が生えたミミズが飛んでいくのを目撃したり、大雨の日に日焼けしたり、エーテルで気絶したりと、えらい目に遭わされる。
周知のように、フレドリック・ブラウンはかつてウィスコンシン州でライノタイプの操作員として生計を立てていた。他のSF作家の書いた短編を読んで、「これなら俺にも書ける」と思い、小説家になったというエピソードはあまりにも有名である。職人時代はさぞやライノタイプの不具合や誤植に悩まされたことだろう。その経験を元に書いた2つの初期短編は、後世に読み継がれる古典となった。(こや)
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第104回 「水中都市」に描かれた父親(安部公房)
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山口果林の「安部公房とわたし」といえば、愛人の女優によるスキャンダラスな暴露本と思われがちだが、これまで年譜でも記述されていない安部公房の癌との闘病の記録なども詳述された貴重な文献である。単行本は2013年8月に講談社から刊行されているが、それが加筆・修正の上、2018年3月に講談社+α文庫に収録されたのを機に読み返してみた。
安部公房(1924‐1993年)の父に関してこんな記述がある。満州で安部公房一家が生活していたときの話である。あるとき、安部公房の父がまだ小学生だった安部公房を映画に連れて行ってくれた。どうやら父は無料入場パスを役人か警察官からもらっていたようで、後ろめたさを感じていたらしい。安部公房に小声で「お前はそっちから入りなさい」と言って、別のほうに行ってしまった。安部公房は叫んだ――「パパ、どこへ行くの?」。
山口果林は自分よりも23歳も上の安部公房が、父をかつてパパと呼んでいたことに衝撃を受けたという。1947年生まれの山口果林の世代であっても、父母をパパ、ママと呼ぶ家庭は珍しかっただろう。父親からギターをプレゼントされてもいたようだから、かなり裕福で恵まれた環境にあったと思われる。「どうも安部公房一家の満州での生活は、他の外国の植民地がそうであるように内地の庶民生活とは違って、私の想像を超えたものだったらしい」と、山口果林は書いている。
安部公房の父の浅吉は、満州医科大学 (現・中国医科大学) の医師であった。その後、奉天で開業医をしているときに終戦を迎えた。同年冬、発疹チフスが大流行して、診療に当たっていた父も感染して死亡している。
ここで思い出すのは、安部公房の小説の中に描かれた父のことである。「壁―S・カルマ氏の犯罪」に「パパ」が登場するのは有名だが、もう1編、父の出てくる著名な短編がある。「水中都市」(「文学界」1952年6月号掲載)である。この短編の父の存在は極めて異彩を放っている。以下、同作における父親像を見ていくので、未読の方はご注意を。引用は安部公房著「水中都市・デンドロカカリヤ」(新潮文庫、2011年9月刊改版)による。
主人公の「おれ」は、会社の同僚と酒を飲んだ帰り、共産党の新聞売りと「その男」がけんかしているのを目撃する。けんかに片がついて「その男」は歩き始めるが、なんと「おれ」の帰り道と同じ道を歩いていく。たどり着いたのは「おれ」の部屋。驚く「おれ」に向かって、「その男」は「ああ、おまえだったのか。……私だよ、タロー、分るかい、お父さんだよ」と告げる。
もちろん「おれ」は「その男」を父とは認めない。この父は「無理もない、おまえは幼いころから父親は亡いものと教えられて育ってきたのだし、また現在、私が父親であることを証拠だてる具体的なものは何一つないのだからな」と言いつつ、「しかし、そうかと言って、私が父親でないことを証明するものだってありはしないのだ」と「おれ」を翻弄する。そしてこう弁解する。「タローや、おまえは誤解してるんだ。私はただ哀しい旅路の果の幾時間かをお前のところですごそうとしたまでじゃないか。私は食べさしてもらおうとも、寝床を与えてもらおうとも思っていなかった」。
前述のように、安部公房一家は終戦までは恵まれた家庭で、父のことをパパと呼ぶくらい、安部公房と父との関係も良好だった。問題は父親が終戦直後、チフスに感染して亡くなってからである。敗戦のために家を追われた安部公房一家は、奉天市内を転々としながらサイダー製造などで生活費を得ていたという。同年暮れに引き揚げ船で帰国したが、生活が困窮した安部公房はその後も相当、食べるための苦労を強いられたはずである。一家を支えられずに早世してしまった父親に対して、複雑な思いを抱かなかったといえば嘘になるだろう。
「水中都市」の父は「お父さんは、もうすぐ死ぬんだよ」と「おれ」に伝える。全身のむくみがひどくなり、くびれのない腸詰、またはジュゴンさながらの体形になる。やがてゴム風船につめた羊羹に楊枝を刺したように古い皮が脱皮して、中から現れてきたのは魚だった。父は何と魚になってしまったのだ。ここから物語は水中に没した都市空間を「おれ」や同僚が泳いでいく展開になる。それを追う魚たち。魚たちの中にはもちろん、野良犬ならぬ「野良魚」と化した「おれ」の父もいて、人に追いついては頭から食べていく……。お父さんは死ぬ、どころの話ではない。逆に凶暴な魚になって人を殺していくのである。
水の中に没した都市を泳ぐことを、戦後社会におけるコミュニズム運動のメタファーとして描いた小説が「水中都市」であろう。共産党の新聞売りが登場するように、実際の安部公房もこの小説の執筆当時はコミュニストとして、工場再建などの実践活動に携わっていたという(やがて日本共産党を除名される)。
魚となった父は、刑事殺害、浮浪罪で逮捕される。父の運命は「あらたに訓練を受けて警察魚になるか、死刑になって調理されるか」のどちらか。つまり転向して国家体制に組み込まれるか、拒否して処刑されるかである。それについて「たいして同情もできない」と「おれ」は突き放す。ここに安部公房の実際の父への屈折した感情がにじみ出ていると見るのは、あながち間違いではないだろう。
そして「おれ」も指名手配を受けていることを同僚から聞かされる。「君は謀殺の嫌疑をかけられているんだ。父の野良魚を無登録で養い、訓練して刑事殺しに使った。検事は政治的な背景を強調している」と。これはコミュニストとしての安部公房が抱いていた実践活動への危機感であったかもしれない。しかしコミュニズムのイデオロギーを実験的な手法で創作に仕立て上げる点に安部公房という作家の独自性がある。「水中都市」は、前衛文学であると同時に、父親への愛憎半ばする感情も込められた究極の私小説であったかもしれない。(こや)
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山口果林の「安部公房とわたし」といえば、愛人の女優によるスキャンダラスな暴露本と思われがちだが、これまで年譜でも記述されていない安部公房の癌との闘病の記録なども詳述された貴重な文献である。単行本は2013年8月に講談社から刊行されているが、それが加筆・修正の上、2018年3月に講談社+α文庫に収録されたのを機に読み返してみた。
安部公房(1924‐1993年)の父に関してこんな記述がある。満州で安部公房一家が生活していたときの話である。あるとき、安部公房の父がまだ小学生だった安部公房を映画に連れて行ってくれた。どうやら父は無料入場パスを役人か警察官からもらっていたようで、後ろめたさを感じていたらしい。安部公房に小声で「お前はそっちから入りなさい」と言って、別のほうに行ってしまった。安部公房は叫んだ――「パパ、どこへ行くの?」。
山口果林は自分よりも23歳も上の安部公房が、父をかつてパパと呼んでいたことに衝撃を受けたという。1947年生まれの山口果林の世代であっても、父母をパパ、ママと呼ぶ家庭は珍しかっただろう。父親からギターをプレゼントされてもいたようだから、かなり裕福で恵まれた環境にあったと思われる。「どうも安部公房一家の満州での生活は、他の外国の植民地がそうであるように内地の庶民生活とは違って、私の想像を超えたものだったらしい」と、山口果林は書いている。
安部公房の父の浅吉は、満州医科大学 (現・中国医科大学) の医師であった。その後、奉天で開業医をしているときに終戦を迎えた。同年冬、発疹チフスが大流行して、診療に当たっていた父も感染して死亡している。
ここで思い出すのは、安部公房の小説の中に描かれた父のことである。「壁―S・カルマ氏の犯罪」に「パパ」が登場するのは有名だが、もう1編、父の出てくる著名な短編がある。「水中都市」(「文学界」1952年6月号掲載)である。この短編の父の存在は極めて異彩を放っている。以下、同作における父親像を見ていくので、未読の方はご注意を。引用は安部公房著「水中都市・デンドロカカリヤ」(新潮文庫、2011年9月刊改版)による。
主人公の「おれ」は、会社の同僚と酒を飲んだ帰り、共産党の新聞売りと「その男」がけんかしているのを目撃する。けんかに片がついて「その男」は歩き始めるが、なんと「おれ」の帰り道と同じ道を歩いていく。たどり着いたのは「おれ」の部屋。驚く「おれ」に向かって、「その男」は「ああ、おまえだったのか。……私だよ、タロー、分るかい、お父さんだよ」と告げる。
もちろん「おれ」は「その男」を父とは認めない。この父は「無理もない、おまえは幼いころから父親は亡いものと教えられて育ってきたのだし、また現在、私が父親であることを証拠だてる具体的なものは何一つないのだからな」と言いつつ、「しかし、そうかと言って、私が父親でないことを証明するものだってありはしないのだ」と「おれ」を翻弄する。そしてこう弁解する。「タローや、おまえは誤解してるんだ。私はただ哀しい旅路の果の幾時間かをお前のところですごそうとしたまでじゃないか。私は食べさしてもらおうとも、寝床を与えてもらおうとも思っていなかった」。
前述のように、安部公房一家は終戦までは恵まれた家庭で、父のことをパパと呼ぶくらい、安部公房と父との関係も良好だった。問題は父親が終戦直後、チフスに感染して亡くなってからである。敗戦のために家を追われた安部公房一家は、奉天市内を転々としながらサイダー製造などで生活費を得ていたという。同年暮れに引き揚げ船で帰国したが、生活が困窮した安部公房はその後も相当、食べるための苦労を強いられたはずである。一家を支えられずに早世してしまった父親に対して、複雑な思いを抱かなかったといえば嘘になるだろう。
「水中都市」の父は「お父さんは、もうすぐ死ぬんだよ」と「おれ」に伝える。全身のむくみがひどくなり、くびれのない腸詰、またはジュゴンさながらの体形になる。やがてゴム風船につめた羊羹に楊枝を刺したように古い皮が脱皮して、中から現れてきたのは魚だった。父は何と魚になってしまったのだ。ここから物語は水中に没した都市空間を「おれ」や同僚が泳いでいく展開になる。それを追う魚たち。魚たちの中にはもちろん、野良犬ならぬ「野良魚」と化した「おれ」の父もいて、人に追いついては頭から食べていく……。お父さんは死ぬ、どころの話ではない。逆に凶暴な魚になって人を殺していくのである。
水の中に没した都市を泳ぐことを、戦後社会におけるコミュニズム運動のメタファーとして描いた小説が「水中都市」であろう。共産党の新聞売りが登場するように、実際の安部公房もこの小説の執筆当時はコミュニストとして、工場再建などの実践活動に携わっていたという(やがて日本共産党を除名される)。
魚となった父は、刑事殺害、浮浪罪で逮捕される。父の運命は「あらたに訓練を受けて警察魚になるか、死刑になって調理されるか」のどちらか。つまり転向して国家体制に組み込まれるか、拒否して処刑されるかである。それについて「たいして同情もできない」と「おれ」は突き放す。ここに安部公房の実際の父への屈折した感情がにじみ出ていると見るのは、あながち間違いではないだろう。
そして「おれ」も指名手配を受けていることを同僚から聞かされる。「君は謀殺の嫌疑をかけられているんだ。父の野良魚を無登録で養い、訓練して刑事殺しに使った。検事は政治的な背景を強調している」と。これはコミュニストとしての安部公房が抱いていた実践活動への危機感であったかもしれない。しかしコミュニズムのイデオロギーを実験的な手法で創作に仕立て上げる点に安部公房という作家の独自性がある。「水中都市」は、前衛文学であると同時に、父親への愛憎半ばする感情も込められた究極の私小説であったかもしれない。(こや)
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第103回 偏愛映画と分からない映画 極私的「気になる10本」を選ぶ
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映画を長年、見ていると、「わがベストテン」といったランキングには入って来ないけれども、妙に引っかかって忘れがたい作品が出てくる。
それにも2通りがあって、分かるから好きなものと、分からなくても心に残るものがある。というわけで、今回は偏愛映画と分からない映画を、極私的にそれぞれ5本ずつ選んでみた。
ご笑覧ください(順不同)。
●偏愛映画5本
① 欲望
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
製作:1967年、イギリス、イタリア
アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの小説「悪魔の涎」を下敷きに、ミケランジェロ・アントニオーニが脚本を書いた。1960年代中盤のロンドンを舞台に、人気カメラマンの主人公が撮った、ある写真にまつわる奇妙な出来事を描く。「スウィンギング・ロンドン」と言われた、当時のイギリスの若者のムーブメントを織り交ぜつつ、サスペンスあふれる不条理なストーリーが展開していく。1967年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。
② ジョニーの帰郷(TV映画・劇場未公開)
監督:ジョージ・マッコーワン
製作:1971年、アメリカ
1970年代の末ごろ、テレビで深夜放映していたのを、たまたま見た。ずいぶん昔に見たきりなので、実は記憶が薄れていて、ストーリーも多少違っているかもしれない。ベトナムの戦地から徴兵を終えて故郷に帰ってきた主人公のジョニーが、自分の記憶にある姿と全く違っている故郷の町で不思議な体験をしていくという作品。おそらくは当時、泥沼化していたベトナム戦争の従軍兵の後遺症問題が下敷きにある。死ぬまでにもう一度、見たい。
③ 夢の中の恐怖(日本未公開、DVD発売)
監督:チャールズ・クライトン、ベイジル・ディアデン、アルベルト・カヴァルカンティ、ロバート・ハーメル
製作:1945年、イギリス
ある屋敷の主人から改築の仕事を持ち込まれた建築家がその家に赴くと、夢の中で見た人物たちが客人として目の前にいる。彼の話に触発され、客たちは1人1人、自分が体験した奇妙な5つの話を語り始める……。これは世界最古の映画製作会社といわれるイギリスの「イーリング・スタジオ」社の作品。派手なCGで観客を怖がらせようとする最近のホラー映画と違い、グロテスクな描写はなく、心理的サスペンスに主眼を置いた作品になっている。
④ 怪人カリガリ博士
監督:ロジャー・ケイ
製作:1962年、アメリカ
題名から分かるように、サイレント時代のホラー映画「カリガリ博士」(1920)にインスパイアされた作品。小説「サイコ」の作者ロバート・ブロックが脚本を手がけた。撮影監督のジョン・L・ラッセルは、ブロックの小説を原作としたアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」(1960)にも参加していた。つまりはヒッチコックへの対抗心に満ちた映画。自動車で旅をしていた女性がカリガリという主人のいる屋敷を訪れ、そこに拉致されて……というストーリー。
⑤ タブー・セックス/恥辱
監督:カーディ・スティーヴンス
製作:1980年、アメリカ
アダルトビデオの登場以前、こうしたジャンルの作品も映画館の大スクリーンで堂々とメジャー公開されていたことを、日本の映画人や映画ファンは忘れてはならない。映画館が「悪所」であったことを再認識してもらうために、往年のアメリカのハードコア・ムーヴィーを1本挙げておく。主演女優はケイ・パーカー。母親と息子の近親相姦を描いたドラマで、当時、話題になった。その後シリーズ化されたが、やはり第1作目が一番すぐれている。
●分からない映画5本
① イレイザーヘッド(1976)
② ブルーベルベット(1986)
③ ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間(1992)
④ マルホランド・ドライブ(2001)
⑤ インランド・エンパイア(2006)
人によっては「オールタイムベスト」や「偏愛映画ベスト」に入れるかもしれない5本を選んだ。ご覧のように、すべてデヴィッド・リンチ監督のアメリカ映画。この監督の作品は、「エレファント・マン」(1980)など数作を除いて、私には理解しがたく難解な「分からない映画」だ。どなたか教えてください。 (こや)
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映画を長年、見ていると、「わがベストテン」といったランキングには入って来ないけれども、妙に引っかかって忘れがたい作品が出てくる。
それにも2通りがあって、分かるから好きなものと、分からなくても心に残るものがある。というわけで、今回は偏愛映画と分からない映画を、極私的にそれぞれ5本ずつ選んでみた。
ご笑覧ください(順不同)。
●偏愛映画5本
① 欲望
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
製作:1967年、イギリス、イタリア
アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの小説「悪魔の涎」を下敷きに、ミケランジェロ・アントニオーニが脚本を書いた。1960年代中盤のロンドンを舞台に、人気カメラマンの主人公が撮った、ある写真にまつわる奇妙な出来事を描く。「スウィンギング・ロンドン」と言われた、当時のイギリスの若者のムーブメントを織り交ぜつつ、サスペンスあふれる不条理なストーリーが展開していく。1967年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。
② ジョニーの帰郷(TV映画・劇場未公開)
監督:ジョージ・マッコーワン
製作:1971年、アメリカ
1970年代の末ごろ、テレビで深夜放映していたのを、たまたま見た。ずいぶん昔に見たきりなので、実は記憶が薄れていて、ストーリーも多少違っているかもしれない。ベトナムの戦地から徴兵を終えて故郷に帰ってきた主人公のジョニーが、自分の記憶にある姿と全く違っている故郷の町で不思議な体験をしていくという作品。おそらくは当時、泥沼化していたベトナム戦争の従軍兵の後遺症問題が下敷きにある。死ぬまでにもう一度、見たい。
③ 夢の中の恐怖(日本未公開、DVD発売)
監督:チャールズ・クライトン、ベイジル・ディアデン、アルベルト・カヴァルカンティ、ロバート・ハーメル
製作:1945年、イギリス
ある屋敷の主人から改築の仕事を持ち込まれた建築家がその家に赴くと、夢の中で見た人物たちが客人として目の前にいる。彼の話に触発され、客たちは1人1人、自分が体験した奇妙な5つの話を語り始める……。これは世界最古の映画製作会社といわれるイギリスの「イーリング・スタジオ」社の作品。派手なCGで観客を怖がらせようとする最近のホラー映画と違い、グロテスクな描写はなく、心理的サスペンスに主眼を置いた作品になっている。
④ 怪人カリガリ博士
監督:ロジャー・ケイ
製作:1962年、アメリカ
題名から分かるように、サイレント時代のホラー映画「カリガリ博士」(1920)にインスパイアされた作品。小説「サイコ」の作者ロバート・ブロックが脚本を手がけた。撮影監督のジョン・L・ラッセルは、ブロックの小説を原作としたアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」(1960)にも参加していた。つまりはヒッチコックへの対抗心に満ちた映画。自動車で旅をしていた女性がカリガリという主人のいる屋敷を訪れ、そこに拉致されて……というストーリー。
⑤ タブー・セックス/恥辱
監督:カーディ・スティーヴンス
製作:1980年、アメリカ
アダルトビデオの登場以前、こうしたジャンルの作品も映画館の大スクリーンで堂々とメジャー公開されていたことを、日本の映画人や映画ファンは忘れてはならない。映画館が「悪所」であったことを再認識してもらうために、往年のアメリカのハードコア・ムーヴィーを1本挙げておく。主演女優はケイ・パーカー。母親と息子の近親相姦を描いたドラマで、当時、話題になった。その後シリーズ化されたが、やはり第1作目が一番すぐれている。
●分からない映画5本
① イレイザーヘッド(1976)
② ブルーベルベット(1986)
③ ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間(1992)
④ マルホランド・ドライブ(2001)
⑤ インランド・エンパイア(2006)
人によっては「オールタイムベスト」や「偏愛映画ベスト」に入れるかもしれない5本を選んだ。ご覧のように、すべてデヴィッド・リンチ監督のアメリカ映画。この監督の作品は、「エレファント・マン」(1980)など数作を除いて、私には理解しがたく難解な「分からない映画」だ。どなたか教えてください。 (こや)
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