ポストモダン文学に詳しい評論・翻訳家の風間賢二が書いた「ジャンク・フィクション・ワールド」(2001年7月、新書館刊)は、古今東西の大衆小説について格好の道案内となる好著だが、第7章「失われた世界を求めて」の中にこんな指摘があるのに注目した。「本書(注:「失われた地平線」)の創作時期がふたつの世界大戦の狭間であったことを思うと、この<ロスト・ワールド>=<ユートピア>小説が叡智と礼節と中庸の精神を説いて、人類の滅亡の影に怯えていた英米の人々に希望と勇気を与えたことは容易に想像がつく」。
「失われた地平線」(原題:LOST HORIZON、1933年刊)は、言うまでもなくイングランドの作家ジェームズ・ヒルトンの代表作。英国領事、英国副領事、アメリカ人、東方伝道師の女性の4人を乗せた小型飛行機が操縦士に扮したハイジャッカーに乗っ取られる。チベットのある山頂に到着したところでハイジャッカーは急死。そこにこつ然と現れた中国人によって、4人は高峰の谷沿いにあるシャングリラという寺院に連れて行かれる。シャングリラに住む人々は普通の人々よりもずっと長生きで、歳をとるのが非常に遅い。元は18世紀初頭に宣教師が建てた僧院であったが、そこにラマ僧などが集まってきて、やがて図書館やセントラルヒーティングなど最新式の設備が整えられた場所になった。要するにここはただの僧院ではなく、世界中の知識や先端文化が集まる理想郷(ユートピア)となっているのである。
ヒルトンがこの小説を発表してから、シャングリラは架空の地名を超えて理想郷の代名詞となった。外界から隔絶されたヒマラヤ奥地のミステリアスな地上の楽園として、つまりは桃源郷に匹敵するような存在となったのである。この小説は2つの大戦の間に書かれている。したがってこれは戦争による世界の滅亡に危機感を持った人々に勇気を与えるユートピア小説である――と風間は位置づける。これはなかなかの卓見であろう。
風間はさらに第2次世界大戦後にロスト・ワールド小説が書かれなくなった理由を、ほぼこういった趣旨で説明している。第2次世界大戦におけるヒトラー独裁政権の台頭や広島、長崎への原爆投下による世界の変貌で、どこかに戦争のない楽園やユートピアが存在するという幻想が打ち砕かれたのではないか。また航海・航空技術の発達は、地球上から人跡未踏の秘境を無くしてしまい、スプートニクが打ち上げられてからは、ロスト・ワールドの舞台は他の惑星に移らざるを得なくなった。「したがって、『失われた地平線』は、19世紀に栄えた秘境冒険ロマンス<ロスト・ワールド>の伝統を継承する最後の作品と言えるかもしれない」と結んでいる。
なるほど、ロスト・ワールド小説の衰退とほぼ同時にスペース・オペラ小説が台頭してくることを思えば、その通りかもしれない。しかし――ちょっと突飛な思いつきをお許し願えれば、ロスト・ワールド小説は実は形を変えて現在も生き続けているのではないか。例えばイギリスのお家芸である学園小説というジャンルがある。英国のパブリックスクールなどに通う生徒たちの青春や、教師の生涯などが描かれる作品の総称で、「大転落」と邦題が付けられているイーヴリン・ウォーの処女作などが好例である。他ならぬジェームズ・ヒルトンがそのジャンルのとてつもない傑作を書いているではないか。「チップス先生、さようなら」(原題:GOOD-BYE,MR.CHIPS、1933年刊)である。まさしく、ここに出てくるブルックフィールド校がロスト・ワールドであり、主人公のチップス先生や生徒たちがシャングリラの住人のように思えるのだ。
今回、新潮文庫で白石朗による待望の新訳(2016年2月刊)が出たのをきっかけに、改めて読み返してみた。1870年、パブリックスクールの名門校とまではいかないが、それなりに伝統のあるブルックフィールド校に転任してきた平凡な教師チッピング(チップスはあだ名)の数10年間にわたる教師人生を描いている。同書解説を書いている杉江松恋によれば、「凡庸な学校に勤務する凡庸な教師は、決して自分の立場に腐ることなく、ただ実直に職分を果たし続け、何千人という生徒の教育に当たった。その胸に勲章が飾られることはなく、輝かしい名声とも一切無縁であった。しかし卒業生たちは彼の名を決して忘れず、それどころか彼こそがブルックフィールド校そのものであると見なすようにさえなっていった」ということになる。
チップスは65歳を迎えた1913年に教師を引退するが、その後もブルックフィールド校の近くの家に間借りして住み続け、1933年に亡くなる。1908年、60歳になったときには、当時のロールストン校長から「本校における職責を果たしておられない。教育方法も杜撰で旧態依然だ」と退職勧告を受けるが、生徒や理事会はチップスの全面的な擁護に回り、老教師は学校に残ることになる。ここにあるのは「叡智と礼節と中庸の精神」であろう。ミスター・チッピングは、すでに本人が意識する以上にミスター・ブルックフィールド校になっていたのである。
「チップス先生、さようなら」はかつて2回、映画化されている。映画は若い妻キャサリン(死別。以後チップスは独身を通した)とのロマンスを重視したドラマになっていたが、原作のポイントは時代から取り残されたような教師さえも受容し評価する、英国パブリックスクールの歴史と伝統のほうにあるだろう。チップスにとってブルックフィールド校はまさに理想郷であり、シャングリラだったのだ。(こや)
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「黒いカーテン」ではなくて、「恐怖の黒いカーテン」の話をしたい。巨匠ウィリアム・アイリッシュが1941年に発表した傑作サスペンス中編である。
宇野利泰訳の創元推理文庫版「黒いカーテン」①が刊行されたのは1960年2月で、これはその2年前に出た東京創元社の「世界大ロマン全集 第50巻 黒いカーテン」②(1958年刊)を文庫化したものだった。それを福島正実がジュニア向けにリライトし、あかね書房から「少年少女世界推理文学全集 NO.9 恐怖の黒いカーテン/アリスが消えた」③として刊行したのは1963年。これが後に同書房から「推理・探偵名作シリーズ 3 恐怖の黒いカーテン」④と新装版で再刊されることになる(1973年12月)。
今回、上記の一般向け①とジュニア向け④を何10年かぶりに再読して、面白い違いに気づいた。さまざまな配慮からか、登場人物やストーリーの設定が一般向け(つまり原作)と大人向け(つまりリライト)で微妙に変わっているのである。まずはそのことを指摘しておきたい。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。
ティラリー・ストリートを歩いていた主人公フランク・タウンゼントは、頭を打ったせいでかつての記憶を取り戻した。ところが記憶喪失症にかかっていた3年間の記憶が逆に失われてしまう。この3年間、自分が何者として何をしていたのか、全く思い出せない。彼はぶじ会社と家庭に復帰するが、ある日、彼に付きまとう謎の人物の存在に気づく。謎の人物は、とうとう彼の勤務先や自宅を付き止めてしまう。身の危険を感じた彼は、妻の協力で自宅を脱出する。一人で行った先はティラリー・ストリート。彼が記憶を取り戻した街だった。そこで彼はいくつかのヒントをたぐっていき、失われた3年間に自分がニュー・ジェリコの町にいたことを知る。恩人である富豪を殺した罪で逃亡中の身だったのだ。つまり彼を追っていた謎の男は警察だったのである。
後半はニュー・ジェリコの町を舞台に、自分が無実の身であることを証明する謎解きになる。実は富豪の妻と弟が結託して富豪を殺し、罪をタウンゼントになすりつけたのだ。ティラリー街で知り合った女性(富豪の邸宅のお手伝い)とともに、真相究明のため相手の懐に飛び込んでいくタウンゼントだったが、逆に捕らわれの身となってしまう。真犯人である富豪の妻と弟の手によってあわや殺される――という間一髪のところで、火事が起き、続いて警察が乗り込んできて、助け出されるタウンゼント。邸宅には身動きのできない富豪の父親がいた。事の真相に気づき、目のまばたきをモールス信号代わりにしてタウンゼントに伝えていたのだが、残念ながらその火事で焼死してしまった。タウンゼントを助けるために捨て身で火事を起こしたのは彼だったのだ。彼の理解者だったお手伝いの女性も、真犯人の弟も死んでしまったが、タウンゼントの濡れ衣は見事に晴れたのである。
原作のストーリーは以上である。リライト版ではお手伝いの女性が少年に変わっている。原作では主人公のタウンゼントとその女性が愛人関係にあったという設定であった。ジュニア版としてこの変更は致し方ないところだろう。原作の女性は死んでしまうが、この少年は助かるところに救いがある。しかしジュニア版でタウンゼントの妻が妹に変わっているのは、ちょっと意識し過ぎか。子どもの読者に夫婦という設定はなかなか理解しにくいから、より理解しやすいであろう兄と妹に変えたのだろうか。いずれにせよジュニア版の出た昭和30~40年代の日本では、少子化の今と違って兄弟姉妹がいる家庭が多かった。成人した兄と妹が同じアパートに一緒に暮らす設定もごく自然に受け入れられたのかもしれない。
「恐怖の黒いカーテン」はサスペンス小説としてのツボを押さえた秀作で、原作でもリライト版でも十分に堪能できる。しかしその最大の魅力はたった1つに集約されるように思う。記憶喪失という設定である。
記憶喪失は何万人に1人というレアケースの症例といわれるが、実は1940年前後の文学にはけっこう登場する。有名なのはジェームズ・ヒルトンの「心の旅路」だろうか。1941年に出版されてベストセラーとなり、翌年には映画化された。第一次世界大戦の終盤(1917年)、フランス戦線で傷つき記憶喪失になった英国陸軍大尉と踊り子のすれ違いの恋と、最後に大尉の記憶がすべて戻って結ばれるまでの長い歳月を描いた甘い甘いメロドラマである。重要なのはメロドラマの衣を借りて、戦争が原因で傷を負い、引き裂かれていく人々の運命を描いている点だろうか。
「恐怖の黒いカーテン」も同じく1941年の刊行である。こちらは戦争のセの字も出てこないサスペンス小説であるが、第一次世界大戦が終わってホッとしたのもつかの間、今度は1939年に第二次世界大戦が勃発して――という時代を舞台に書かれている。フランク・タウンゼントは遠洋航海でよく使われるモールス信号を読解するし、左の手首に錨の刺青もしている。ポパイを思えば分かるように、錨の刺青は海兵隊上がりのトレードマークである。しかも年齢は27~28歳。タウンゼントは海軍に従軍していた時代に傷を負ったことが原因で、除隊後の1938年に記憶喪失にかかったのではないか。そんなことも推測されるのである。
ベトナム戦争後に帰還兵の後遺症を描いた作品が多く書かれたことは記憶に新しいが、1940年代の文学にも2つの世界大戦によって後遺症を受けた人物が登場する。その象徴が記憶喪失なのではないだろうか。(こや)
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宇野利泰訳の創元推理文庫版「黒いカーテン」①が刊行されたのは1960年2月で、これはその2年前に出た東京創元社の「世界大ロマン全集 第50巻 黒いカーテン」②(1958年刊)を文庫化したものだった。それを福島正実がジュニア向けにリライトし、あかね書房から「少年少女世界推理文学全集 NO.9 恐怖の黒いカーテン/アリスが消えた」③として刊行したのは1963年。これが後に同書房から「推理・探偵名作シリーズ 3 恐怖の黒いカーテン」④と新装版で再刊されることになる(1973年12月)。
今回、上記の一般向け①とジュニア向け④を何10年かぶりに再読して、面白い違いに気づいた。さまざまな配慮からか、登場人物やストーリーの設定が一般向け(つまり原作)と大人向け(つまりリライト)で微妙に変わっているのである。まずはそのことを指摘しておきたい。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。
ティラリー・ストリートを歩いていた主人公フランク・タウンゼントは、頭を打ったせいでかつての記憶を取り戻した。ところが記憶喪失症にかかっていた3年間の記憶が逆に失われてしまう。この3年間、自分が何者として何をしていたのか、全く思い出せない。彼はぶじ会社と家庭に復帰するが、ある日、彼に付きまとう謎の人物の存在に気づく。謎の人物は、とうとう彼の勤務先や自宅を付き止めてしまう。身の危険を感じた彼は、妻の協力で自宅を脱出する。一人で行った先はティラリー・ストリート。彼が記憶を取り戻した街だった。そこで彼はいくつかのヒントをたぐっていき、失われた3年間に自分がニュー・ジェリコの町にいたことを知る。恩人である富豪を殺した罪で逃亡中の身だったのだ。つまり彼を追っていた謎の男は警察だったのである。
後半はニュー・ジェリコの町を舞台に、自分が無実の身であることを証明する謎解きになる。実は富豪の妻と弟が結託して富豪を殺し、罪をタウンゼントになすりつけたのだ。ティラリー街で知り合った女性(富豪の邸宅のお手伝い)とともに、真相究明のため相手の懐に飛び込んでいくタウンゼントだったが、逆に捕らわれの身となってしまう。真犯人である富豪の妻と弟の手によってあわや殺される――という間一髪のところで、火事が起き、続いて警察が乗り込んできて、助け出されるタウンゼント。邸宅には身動きのできない富豪の父親がいた。事の真相に気づき、目のまばたきをモールス信号代わりにしてタウンゼントに伝えていたのだが、残念ながらその火事で焼死してしまった。タウンゼントを助けるために捨て身で火事を起こしたのは彼だったのだ。彼の理解者だったお手伝いの女性も、真犯人の弟も死んでしまったが、タウンゼントの濡れ衣は見事に晴れたのである。
原作のストーリーは以上である。リライト版ではお手伝いの女性が少年に変わっている。原作では主人公のタウンゼントとその女性が愛人関係にあったという設定であった。ジュニア版としてこの変更は致し方ないところだろう。原作の女性は死んでしまうが、この少年は助かるところに救いがある。しかしジュニア版でタウンゼントの妻が妹に変わっているのは、ちょっと意識し過ぎか。子どもの読者に夫婦という設定はなかなか理解しにくいから、より理解しやすいであろう兄と妹に変えたのだろうか。いずれにせよジュニア版の出た昭和30~40年代の日本では、少子化の今と違って兄弟姉妹がいる家庭が多かった。成人した兄と妹が同じアパートに一緒に暮らす設定もごく自然に受け入れられたのかもしれない。
「恐怖の黒いカーテン」はサスペンス小説としてのツボを押さえた秀作で、原作でもリライト版でも十分に堪能できる。しかしその最大の魅力はたった1つに集約されるように思う。記憶喪失という設定である。
記憶喪失は何万人に1人というレアケースの症例といわれるが、実は1940年前後の文学にはけっこう登場する。有名なのはジェームズ・ヒルトンの「心の旅路」だろうか。1941年に出版されてベストセラーとなり、翌年には映画化された。第一次世界大戦の終盤(1917年)、フランス戦線で傷つき記憶喪失になった英国陸軍大尉と踊り子のすれ違いの恋と、最後に大尉の記憶がすべて戻って結ばれるまでの長い歳月を描いた甘い甘いメロドラマである。重要なのはメロドラマの衣を借りて、戦争が原因で傷を負い、引き裂かれていく人々の運命を描いている点だろうか。
「恐怖の黒いカーテン」も同じく1941年の刊行である。こちらは戦争のセの字も出てこないサスペンス小説であるが、第一次世界大戦が終わってホッとしたのもつかの間、今度は1939年に第二次世界大戦が勃発して――という時代を舞台に書かれている。フランク・タウンゼントは遠洋航海でよく使われるモールス信号を読解するし、左の手首に錨の刺青もしている。ポパイを思えば分かるように、錨の刺青は海兵隊上がりのトレードマークである。しかも年齢は27~28歳。タウンゼントは海軍に従軍していた時代に傷を負ったことが原因で、除隊後の1938年に記憶喪失にかかったのではないか。そんなことも推測されるのである。
ベトナム戦争後に帰還兵の後遺症を描いた作品が多く書かれたことは記憶に新しいが、1940年代の文学にも2つの世界大戦によって後遺症を受けた人物が登場する。その象徴が記憶喪失なのではないだろうか。(こや)
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鬼才スタンリイ・エリンについては、作家の森晶麿による簡にして要を得た紹介がある。「1916年、ニューヨークに生まれ、ブルックリン大学を卒業後、ボイラーマン見習い、新聞の販売拡張員、酪農の雇い人、教師、鉄鋼労働者など職業を転々とし、第2次大戦中には歩兵の任に就いた。戦後、執筆を始め、『ニューヨーカー』などに投稿した『特別料理』がエラリイ・クイーンの目に留まってEQMM第3回年次コンテストで最優秀処女作賞を受賞したのは30代になってからのこと。間もなく処女長篇『断崖』を書き上げて、長篇短篇いずれにも優れたミステリ作家としてのキャリアをスタートさせた」――昨年、初めて文庫化された名短編集「特別料理」(スタンリイ・エリン著、田中融二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2015年5月刊)巻末の解説から引用した。
ここまではよく知られている経歴だろう。驚くのはエラリイ・クイーンが同書に寄せた序文で明かしているエピソードである。エリンの執筆方法について書いているのだが、「執筆を開始する時期は不定です。彼は毎日幾マイルも歩きまわり、ニューヨーク市で発行されるあらゆる新聞に目を通し、その間にも絶えず何かの作品のアイデアの“胚種”を“培養”しています。やがてその胚種が完全に熟成すると、彼は仕事部屋に自己幽閉して、その作品を書き上げるまで1日8時間から14時間、休みなしに書きつづけます。1ページ書き上がるごとに清書します。清書は(中略)12~13度かそれ以上も書き直すこともあります。しかし、それがエリン氏の方法なのです。彼は前の1ページがその創造者として可能な限り練り上げられ磨き上げられていなければ、つぎのページに移れないのです」とある。
エリンは作家生活40年間でわずか41作の短編しか残さなかった。長編も14作書いたが、きわめて寡作な作家であることは間違いない。短編1作を書くのに推敲に推敲を重ねていたとすれば、この執筆ペースも無理からぬことだろう。文庫化を機に「特別料理」所収の「決断の時」(1955年、EQMM第10回短編コンテスト1位)を改めて読み返してみて、いろいろと気づいたことがある。以下、「決断の時」の内容に触れるので未読の方はご注意を。
「私」の義兄ヒュー・ロジャーは大変な自信家であった。ある日、隣の邸に引退した奇術師のチャールズ・レイモンドが引っ越して来る。それまで他人に好かれるタイプだったヒューが、その日を境にレイモンドと何かといがみ合うことになる。仲直りしてもらうために、私の姉(つまりヒューの妻)が自宅でディナーパーティーを企画する。そこで2人の衝突はクライマックスを迎える。自宅の地下室にある牢屋から、元奇術師のレイモンドが1時間以内に扉を開けて脱出できるかどうかで賭けを始めたのだ。レイモンドが勝てばヒューがこの町から出て行き、ヒューが勝てばレイモンドのほうが隣の邸を引き払う。レイモンドは心臓発作の持病があって奇術師を引退したのだと打ち明けるが、結局この賭けを受けることになる。牢屋に鎖でつながれて45分経ったとき、レイモンドの「空気を!」という呻き声が中から聞こえてきた。中で何が起こっているのか、外からは見えない。芝居か、あるいは本当に心臓発作を起こしたのか。扉を開ければレイモンドの勝ちになる。一刻も早く助けようという私、姉、招待客の医師の忠告を聞きながら、当のヒューは牢屋の前でじっと立ち尽くす――。
物語中で示された謎に結末をつけずに終わる短編をリドルストーリーという。有名なのはフランク・R・ストックトンの「女か虎か?」だが、「決断の時」もリドルストーリーの一級品である。特にジレンマに直面して立ち尽くすヒューを描写するラストにうならされる。「その時、私は不意にあの日レイモンドがヒューに向かって、完全なジレンマに直面した時はじめて啓示を読みとるだろうと説いた真の意味をさとった。それは人間が否応なしに自己の深みに目を向けさせられる時、おのれについてあるいは学ぶかもしれないことの啓示だったのだ。そしてついにヒューもそれに気がついたのだった」。ヒューが扉を開けるか開けないか、結末をつけずにエリンが物語を閉じざるを得ない必然性がここにある。
もうひとつ指摘しておきたいのは、レイモンドを読者に紹介するときにエリンがこう書いていることである。「手練の見事さにおいてサーストンの栄光を褪せしめ、脱出奇術家としてはほとんどフーディニを凌いだレイモンド」と。実在の偉大なマジシャン2人の名前を挙げてレイモンドをたたえている。鎖につながれた牢屋から脱出するか否か――がメインテーマなら、ハリー・フーディニの名前を出すだけで十分だろう。20世紀初頭に活躍したハワード・サーストンの名前も一緒に持ってきたのは、いわゆる「サーストンの3原則」をエリンが意識していたからではないか。
マジシャンが守るべきルールが3つある。かつてサーストンはそう説いたという(後世の者がまとめたという説もある)。①マジックを演じる前にこれから起こる現象を説明してはならない②同じマジックを2度繰り返して見せてはならない③種明かしをしてはならない。マジックの本質は意外性にあるのだから、いずれも当たり前すぎるほど当たり前の原則である。そしてこれは「決断の時」にも当てはまる鉄則であろう。最後に種明かしをするのが本格推理小説だとすれば、③「種明かしをしてはならない」はまさに真逆の教えで、リドルストーリーの特色でもある。そのためにサーストンの名前をあえて隠し味に持ってきたとすれば、それこそクイーンが序文で指摘したような、推敲や清書を重ねてたどり着いたエリンの熟考の産物にほかなるまい。(こや)
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舞台は南洋のサモア群島。熱心な宣教師であるデイヴィッドソン牧師は妻と共に任地へ向かう途中、伝染病の検疫のために島に停留することになる。医師のマクフェイル夫妻、そして見るからに自堕落な娼婦のミス・トンプソンも一緒だった。島は折しも雨季にぶつかっていて、太鼓でも鳴らすように雨が激しく屋根をたたき、視界を奪う滝のようなスコールが連日続いていた。デイヴィッドソン夫妻はミス・トンプソンが我慢ならなかった。彼女は夜もお構いなく音楽をガンガン鳴らし、「商売」に精を出している様子。デイヴィッドソン夫妻に対しても敵意に満ちた眼差しを投げかける。デイヴィッドソン牧師は彼女を「教化」しようと熱意を燃やす――。
以上は言うまでもなく、世界短編小説史上の傑作とされるウィリアム・サマセット・モームの「雨」のストーリーである。物語はさらに続く。インターネット資料を基に以下にまとめるので、未読の方はご注意を。
結局、あの手この手も通じず、デイヴィッドソンはついに彼女をサンフランシスコに強制送還させる措置をとる。ふてぶてしいトンプソンもこれにはショックを受けた。送還されたら刑務所が待っているだろう。手のひらを返したようにデイヴィッドソンにすり寄ってくる。明日は強制送還されるという夜、デイヴィッドソンは彼女の部屋で遅くまで話し合う。翌朝、浜辺で喉を切り裂いて自殺しているデイヴィドソン牧師の遺体が発見された。衝撃を受けたマクフェイル医師がトンプソンの部屋に入ると、教化されたはずの彼女は元の木阿弥――娼婦に戻っていて、音楽を鳴らしていた。マクフェイルは激怒するが、嘲りと憎しみを込めた口調で彼女はこう言い放つ。あまりにも有名なラストシーンを、木村政則による新訳で振り返ってみよう(ウィリアム・サマセット・モーム著「マウントドレイゴ卿/パーティの前に」光文社古典新訳文庫、2011年4月刊所収「雨」より)。
「『男ってやつは! 汚らわしい豚! どいつもこいつも、みんな同じさ。豚! 豚!』
マクフェイル医師は息をのんだ。わかったのである」
ずいぶん昔に「雨」を読んだとき、牧師の信仰という「理性」が、娼婦への肉欲という「本能」にあっさりと負けてしまう姿に衝撃を受けた。今回、新訳版で再読してみてちょっと別の印象を持った。この短編は必ずしも牧師と娼婦の関係だけにスポットを当てたものではないのではないか。「わかったのである」で話は終わり、何が分かったのかははっきりと解明されない。訳者の木村も同書巻末の解説で「数あるモームの短編から、『ミステリ』をキーワードに6編を選び1冊にまとめたのが本書である」と書いている。ミステリ選集の中に名作中の名作をそっと潜り込ませているのである。とはいうものの、牧師が娼婦への肉欲に負けてしまい、悔恨のあまり自殺したことは明らかである。神に仕える牧師でさえも、本能の前には理性があえなく砕け散ってしまうという人間の弱さ、罪深さを描いた小説であることには疑いもなく、いかにも皮肉屋と呼ばれたモームらしい結末であろう。
問題は医師マクフェイルの存在である。新訳版で再読してみると、牧師デイヴィッドソンと娼婦トンプソンの関係よりも、デイヴィッドソンとマクフェイルの関係のほうが強く意識される。牧師が娼婦を教化する話というよりも、娼婦を媒介して、牧師と医師が意思の疎通に齟齬を来たしていく話のように読めるのだ。もっと言えば、牧師と医師という2人の男の愛憎関係こそが作品の真のテーマなのではないか。
トンプソンを強制送還させようとするデイヴィッドソンの措置をめぐって、2人の男はこんな会話を交わす――医師「やけに厳しく、横暴ですな」、牧師「まことに残念です。そんなふうにお思いになるとしたら。よろしいですか。あの不幸な女性を思い、私の心は血を流している。それでも、何とか無理して自分の義務を果たしているのです」。医師は答えず、ふてくされて窓の外を見る。牧師「ご期待に沿えないからといって、怨まないでいただきたい。先生のことはすごく尊敬しているのです。悪く思われるのは悲しい」、医師「ご自分を立派だとお思いなのだから、私が何を言おうと平気でしょう」。
最後の医師の言葉は、まるで自分の思いを受け入れない相手への捨てゼリフのように思える。ここにあるのは牧師に対して真意がついに伝わらない医師の嫉妬ではないだろうか。男に気持ちを伝えても伝えても愛を受け入れてもらえない女のように。
あるいはこんな場面がある。娼婦の教化にまい進している最中、牧師はネブラスカの山の夢を見る。医師もその山をかつて見た覚えがあり、「女性の乳房のようだと思ったものだ」。おそらくここは話の伏線になっていて、牧師が肉欲に負けることが暗示されている。同じ状況にある2人の男だが、見ているものはまさに同床異夢。男に対する男の愛情が女によって引き裂かれ、やがて嫉妬から憎悪へと変わっていく。牧師の気持ちが女に向かったこと、それが医師には「わかった」のではないか。
「サマセット・モームは3つの顔を持っていた」と、ブックレビューサイト「ブックジャパン」でレビュワーの朱雀正道は書いている。いわく人気作家、一流のスパイ、そしてゲイ。「イギリスでは、1885年の改正刑法によって、とりわけ男色が厳しく取り締まられることになった」と新訳版の解説で訳者の木村も書いていた(法の効力が失われるのはモーム死後の1967年)。同性愛者だったモームの抱える苦悩やジレンマが「雨」という傑作を生み出した――そう見るのはうがち過ぎだろうか。(こや)
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ロアルド・ダール短編集「来訪者」の新訳版が2015年7月、ハヤカワ・ミステリ文庫で刊行された。永井淳の旧訳版が刊行されたのが1976年7月(その後、ハヤカワ・ミステリ文庫に収録)だったから、約40年ぶりの改訳となる。かつて表題作のラストシーンの一節を読んだときは戦慄した。以下、作品の内容に触れるので、未読の方はご注意を。
シナイ砂漠を旅行中のオズワルド・コーネリアスが車の故障で立ち往生する。代わりの部品は翌日まで届かない。このあたりで一泊せざるを得ないが、ガソリン給油所の男は梅毒病みらしい。困り果てたオズワルドの前に1台のロールスロイスがさっそうと現れる。近くに豪邸を持つ富豪のアブドゥル・アジズで、オズワルドは彼に招待され、魅力的な妻と美しい娘とともにディナーパーティーの一夜を過ごす。
さて、翌朝。車の修理も終わり、別れ際にアジズはオズワルドにこんな告白をする。あいさつには出てこなかったが、昨日泊まった豪邸には他にもう1人、部屋に閉じこもったままの上の娘がいる――と。永井はラストシーンをこう訳していた。
「『上の娘は癩病なのです』
わたしはとびあがった。
『ええ、驚かれるのも無理はありません。恐ろしい病気ですから。それに、かわいそうに癩のうちでもいちばんたちの悪い麻痺癩というやつなんです。結節癩ならはるかに容易なんですがね。ところが、娘のはその難しいほうなんです』」なぜオズワルドが飛び上がったかといえば、昨夜、ディナーが終わった後で彼の部屋に忍び込んできた女性と密かに性交渉を持ったからである。部屋はすでに真っ暗になっていて、女性の顔は見えなかった。プレイボーイのオズワルドが、昨夜の情事の相手は妻だったのか娘だったのかを図りかねていたところに、この父親の「もう1人、癩病の娘がいる」という告白がなされたわけである。「ミスター・コーネリアス! あなたは何も心配なさることはないんです。癩はそれほど伝染性の強い病気じゃなくて、患者とじかに接触しないかぎり、感染のおそれは……」という、事情を知らない父親が発する言葉も、もはやオズワルドの耳に入っては来ない――。
さて、「来訪者」新訳版の訳者は当代随一のミステリ翻訳家、田口俊樹である。永井の旧訳版で多くの読者の背筋をゾッとさせたこのシーンが、今回、どのように訳されているか。以下、田口訳を見てみよう。
「『その娘は不治の感染症を患っているからです』
私は飛び上がった。
『ええ、驚かれるのも無理はありません』と彼は言った。『恐ろしい病気ですから。それも可哀そうに、知覚消失をともなう、特に悪性のものを患っていましてね。耐性が強く、治る見込みはもうほとんどありません。別の型のものならはるかに救いがあるのですが、残念ながらそうではないということです』」
田口訳からは苦心の跡がしのばれる。この40年間で「癩病」あるいは「ハンセン病」に関する社会の認識は大きく変わってきた。その結果、「不治の感染症」といった、どことなく奥歯に物のはさまったような表現になってしまったのは致し方ないところだろう。
そうした時間の移ろいの中で「来訪者」を再読してみて、もう1つ気づいたことがあった。作中に登場する「セルボーンの博物誌」が、この小説を理解する大きなヒントになっているのではないか――ということである。
18世紀イギリスの牧師であり博物学者のギルバート・ホワイトが、1789年に親族・知人の手を借りてまとめたのが「セルボーンの博物誌」。生まれ故郷ハンプシャーの小村、セルボーンを舞台として、当時の主流だった標本主義の博物学とは対照的に、鳥や植物、昆虫などの生態や自然景観の観察を、土地の歴史や風土とともに記録したものである。博物学、ネイチャーライティングの古典として今も読み継がれている名著で、そのスタイルは「生態地域主義」とも呼ばれる。
オズワルドが作中で読むのは「セルボーンの博物誌」のこんなくだりである。ある村に知的障害のある少年がいて、彼は幼いころから蜂に偏愛を示している。蜂の毒針には何の恐れも抱かず、ミツバチもマルハナバチもスズメバチも、見つけたそばから捕らえて餌食にしてしまう。蜂は彼の食物であり、娯楽であり、唯一の関心の的であった。彼はまさにハチクイドリそのもので、養蜂家にしてみれば天敵同然であった。
ひょっとすると、この少年の蜂への偏愛が、「来訪者」で描かれるオズワルドの女性への偏愛に重ね合わされているのではないか。いや、女性だけでなく、オズワルドは砂漠に生息するサソリにも偏愛ぶりを見せる。車が故障する直前に、巣穴を見つけてサソリを捕獲するシーンがあるが、オズワルドはまさに舌なめずりせんばかりに大物のサソリを捕まえて自分のコレクションに加える。女性やサソリのほかに、蜘蛛やらステッキやらのコレクションぶりについても前段で語られているから、これはもう度を超した収集癖の持ち主と言っていい。艶笑譚に登場するプレイボーイというよりも、「セルボーンの博物誌」で観察対象となっているような偏愛的人物――それがオズワルドなのである。
思えば、初期傑作「味」で描かれていたワインの銘柄へのこだわりなども偏愛にほかならない。これはダールという作家の本質にかかわるテーマなのかもしれない。(こや)
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