第97回 高度成長途上の男と女(黒岩重吾)文学に関するコラム・たまたま本の話
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平成も終わろうとする2018年。1年を通じて筑摩書房が大変うれしい企画を試みてくれた。昭和の名作ミステリ短編集を次々にちくま文庫で復刊したのである。2月に黒岩重吾の「飛田ホテル」、4月に結城昌治の「夜の終わる時/熱い死角 警察小説傑作選」、5月に仁木悦子の「赤い猫 ミステリ短篇傑作選」、7月に多岐川恭の「落ちる/黒い木の葉 ミステリ短篇傑作選」、8月に黒岩重吾「西成山王ホテル」、10月に戸川昌子の「緋の堕胎 ミステリ短篇傑作選」、11月に陳舜臣の「方壷園 ミステリ短篇傑作選」。
先鞭をつけたのは、おそらく2017年11月に同文庫で出た結城昌治の「あるフィルムの背景 ミステリ短篇傑作選」であろう。これが好評だったため、昭和のミステリに改めて注目が集まり、今回の連続企画につながった。どの1冊を取っても昭和という時代の香りが漂っていて興味深いが、今回は「飛田ホテル」の著者、黒岩重吾を取り上げてみたい。
黒岩重吾(1924-2003)は大阪市生まれ。同志社大学法学部在学中に学徒出陣し、北満に出征する。敗戦による逃避行の末、1946年に朝鮮に辿り着き、内地へ帰還した。復員兵ということになるだろうか。
日本に戻って復学したはいいが、戦後の混乱期に闇ブローカーなど、裏稼業に手を染める。卒業後は日本勧業証券(現・みずほ証券)に入社。1949年に「北満病棟記」を書き、週刊朝日の記録文学コンクールに入選。同人誌「文学者」のグループにも参加するなど、順風満帆の人生を歩むかに見えたが、株相場で大失敗をやらかしてしまう。
家財を売り払って株の情報屋となるも、1953年には大病で3年の入院生活を余儀なくされる。しかも入院中に株が暴落し、帰るべき場所がなくなったために、釜ヶ崎(現・あいりん地区)のドヤ街に移り住み、トランプ占い、キャバレーの呼び込みなど、様々な職業を経験する。
1958年に「ネオンと三角帽子」がサンデー毎日に入選。 1959年、源氏鶏太の紹介で司馬遼太郎と知り合い、「近代説話」の同人となる。1960年に「青い花火」が週刊朝日、宝石共催の懸賞に佳作入選。同年、書き下ろしで「休日の断崖」を刊行し、直木賞候補に。 翌年、釜ヶ崎を舞台にした「背徳のメス」で直木賞を受賞。以後、「西成もの」を主に、金銭欲や権力欲に捕らわれた人間の内面を巧みに抉った社会派推理作家、風俗小説家として活躍した。――というように、作家としてデビューしてからの活躍ぶりは周知の通りだが、それ以前にこれでもかというほど人生の辛酸をなめているのが黒岩重吾という人間の実像なのである。
「飛田ホテル」の元版は1961年に講談社、のち角川文庫から刊行されている。収録作品は6編で、タイトルと初出は次の通り。「飛田ホテル」(別冊文藝春秋、1961年4月号)、「口なしの女たち」(別冊文藝春秋、1962年1月号)、「隠花の露」(別冊文藝春秋、1964年1月号)、「虹の十字架」(小説中央公論、1958年8月号)、「夜を旅した女」(婦人公論、1961年9月号)、「女蛭」(日本、1961年4月号)。大ざっぱに言えば1960年前後に書かれた短編ばかりが収められている。直木賞受賞前後、まさに作家として脂の乗り切った時期の傑作ぞろい。共通するのは物語の舞台が釜ヶ崎、天王寺、阿倍野、芦屋、通天閣、新世界、御堂筋、難波、堺、神戸といった大阪南部から近隣にかけての裏通りに集中していること。大阪は東京に次ぐ日本第2の都市である。その大都会を舞台に男女の愛憎や犯罪など、複雑に絡み合った人間関係が描かれる。さて、ここで振り返っておかねばならない。1960年というのはどういう時代だったのか。安保紛争の年であることは自明だが、1953年から始まる高度成長のちょうど中間点であったということは押さえておかねばならない。マクロ経済学の権威、吉川洋の書いた「高度成長 日本を変えた6000日」(2012年4月、中公文庫刊)によれば、「朝鮮戦争が終わった後、1950年代の中ごろから70年代初頭にかけて、およそ10数年間、日本経済は平均で10パーセントという未曽有の経済成長を経験した」という。吉川はデータを挙げる。
「1950年(昭和25)の日本を振り返ってみよう。この年日本の就業者の48パーセントは、農業・林業・漁業など『一次産業』に従事していた。つまり働いている日本人のほぼ2人に1人は『農民』であったわけだ。高校に進学する女子は3人に1人、男子も2人に1人は中学を出ると働き始めた」
「それから20年、高度成長が終焉した1970年(昭和45)になると、一次産業に従事する就業者の比率は、19パーセントまで低下している。逆に『雇用者』の比率は、64パーセントまで上昇した。20年間で、働く日本人3人のうち2人は『サラリーマン』になった。高校進学率は80パーセントを超え、しかも男女の格差が解消した」
1960年とは、高度成長という経済変革がまだまだ途上にある時代だった。男3人のうち2人がサラリーマンになっていく中で、中卒で就職したり、集団就職で都会に出てきたりした若者たちはまだ多く、彼らの働き場が徐々になくなってきていた。女の高校進学率が上がっていても、いったん売春婦に身を落とした女たちは日陰でずっと生き続けるしかない。売春防止法が1958年に適用されて以降、体を売る商売を続けようとする女たちは、非合法のコールガールになっていった。「飛田ホテル」や「口なしの女たち」に出てくる彼女らのように。
そして「女蛭」のサラリーマンとして出世したデパート宣伝部長も、女に人生を翻弄されて死んでいく。幸福な人生を送ったとは言い難い男の姿を、黒岩重吾の筆は鋭くとらえる。(こや)

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2019/01/09 13:32 | コラム「たまたま本の話」
第96回 「ロートレック荘事件」精読(筒井康隆)文学に関するコラム・たまたま本の話
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東京の世田谷文学館で開催されている「筒井康隆展」(10月6日~12月9日)は、作家・筒井康隆の半世紀をゆうに超える文業を振り返る機会として最適のものである。新進SF作家としてのデビューから、ブラックユーモアの才人、実験小説の書き手、そして断筆宣言を経て文壇の巨匠に至る現在までの歩みが一望できる。
このイベントを機に筒井康隆の作品を再読しているが、改めて驚かされたのが「ロートレック荘事件」。1990年9月、新潮社刊行の長編ミステリ(のち新潮文庫、1995年2月刊)で、今回はこの作品について書いてみる。書くとなるとどうしても内容に触れなければならない。トリックもすべて明かすことになる。
したがって「ロートレック荘事件」を未読の方は、以下は絶対に読まないでください。



閑静な郊外にある別荘は、かつては重樹の父の持ち物だった。重樹には同じ歳の従兄弟の浜口修がいる。修は8歳の時、遊戯中の事故によって重樹の脊椎に重大な損傷を負わせてしまった。重樹はその日以来、下半身の成長が止まってしまう。修は償いのために一生かけて重樹の世話をすることを決意する――というのが第一章「序」だが、書いている記述者は「おれ」である。「おれ」とは浜口修のことなのだが、この時点ではまだ浜口修という固有名詞は出てこない。「おれと重樹」という記述が見られるのみである。
続く第二章以降では、20年後の今に話が移る。夏の終わりに別荘で起きる連続殺人事件のことが語られていく。ロートレック荘と呼ばれるこの別荘は、現在は資産家の木内文麿氏が所有している。主人の木内氏の娘、典子を含む3人の令嬢たちが何者かによって殺されていくのである。
この第二章「起」の記述者も「おれ」になっている。しかしこちらの「おれ」は8歳の時に脊椎を怪我したというセリフが出てくる。したがって第一章の「おれ」(浜口修)とは異なって、第二章の記述者は重樹ということになる。つまり第一章と第二章で記述者が異なっている。作者の筒井康隆は、もうこの時点で「ロートレック荘事件」の記述者は1人だけとは限らない、と警告している。これを読者は気づかなければならない。
が、読者の多くが気づかないのは、第一章は本編に入る前の前提的な記述なのだ――という先入観のためである。いわば第一章は「昔々……」という部分に該当する。ミステリを読みなれた読者ほどそう思うに違いない。そして第二章以降は、すべて重樹による記述が最後まで続くのだと信じ込まされる。
このミスディレクション(誤読)にさらに輪をかけるように、第二章の冒頭で、ロートレック荘に向かう車の運転をする工藤忠明という人物が登場する。ここで読者はこう思う。ははあ、第一章で重樹に怪我をさせた従兄弟の「おれ」がきっと工藤なのだな。その工藤と重樹の2人が車に乗っているのだな、と。実際は車に乗っていたのは工藤忠明と浜口修(第一章のおれ)と重樹(第二章のおれ)の3人だったのだ。
全体を見ていくと、浜口修によって記述されているのは第一章の他に、第七章「彩」、第八章「破」、第十章「逸」、第十三章 「急」と、5章もある。第十五章「転」だけは特例で、立原絵里の「わたし」による一人称の記述。それ以外の章が重樹の記述である。だが読者の多くは、前述のようなミスディレクションによって第二章以降はすべて重樹の記述だと思わされてしまう。第十五章の立原絵里による特例の記述があるだけに、第一章も同様の特例と見なし、よりその感を深めることになる。
といった仕掛けによって、読者は画伯の「浜口重樹」という1人の人間がここにいると思う。本当は、文中で語られている「浜口画伯」とは画家になった浜口修のことであり、「重樹坊っちゃま」とは美術評論家として認められた重樹のことである。つまり1人ではなく2人がここにいるのだ。注意深く読めば、「わが忠実なる護衛兵が」(文庫版P39)といった描写があったり、「腹がへった」の重樹の言葉に「ぼくもそうだよ」とすぐさま返事したり(同P55)という、重樹のそばに寄り添う誰かがいることはしっかり記述されている。セリフを言う発信者が誰かぼかされているので気づかないだけである。
さらに筒井康隆が考え抜いて書いたのは「ロートレック荘二階平面図」(同P51)であろう。各部屋に誰が宿泊しているかがの一覧図だが、そこには「浜口重樹」とある。アンフェアじゃないかと言うなかれ。よく見れば「浜口」(改行)「重樹」となっている。1人は名字で、1人は名前で書かれた2人で1部屋に泊まっているということなのだ。他の部屋も「工藤」や「寛子」のように名字か名前のどちらかで書かれているから、決してアンフェアではない。ここにもまたミスディレクションを誘う仕掛けの1つがある。
平面図について補足すれば、あるネット記事ではこんな指摘がされていた。浜口修と重樹の部屋は他の個人部屋よりも大きく、木内夫妻の部屋と同じ広さである。ということは2人部屋で、そのことが平面図に明示されている――と。かつて別荘だった時代に重樹が1人で使っていた部屋が今回、工藤に与えられたのは、そこが2人で使うには手狭だったから。だから浜口修と重樹には、かつて重樹の両親が使っていた2人部屋が与えられた。この指摘には思わず納得させられた。
「ロートレック荘事件」には、このように斬新な叙述トリックが随所に散りばめられている。執筆当時、すでに筒井康隆は巨匠の域に達していたが、常に新生面を切り開く実験精神には驚かされる。この作品は確か同年刊行のミステリのベストテンに入ったように記憶しているが、賞レースで無冠に終わったのは残念でならない。(こや)



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2018/11/26 13:32 | コラム「たまたま本の話」
第95回 時事風俗と「私」を描いた作家(星新一)文学に関するコラム・たまたま本の話
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生涯で1001編を超えるショートショートを生み出したSF界の第一人者、星新一(1926年-1997年)の初期作品に「探検隊」という作品がある。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。
地球に大きな宇宙船がやってくる。中から現れたのは巨大な宇宙人と巨大な怪獣。どちらも人間に危害を加えない。どうやら地球を征服しに来たのではなく、観測か調査のために来たようだ。しばらくすると、宇宙人たちは大きな宇宙船に乗って空の彼方に去っていった。そのうち戻ってくるつもりなのか、宇宙船の去った後に、杭と鎖につながれた怪獣たちが残された。ところが、この怪獣たち2頭がやがて鎖を抜けて人間たちに襲い掛かる。人間たちは次々と怪獣の餌食になってしまう。時が経ち、宇宙船が再び姿を現す。怪獣たちを懲らしめてくれると思いきや、宇宙人たちは2頭を代わる代わる抱き上げ、怪獣のほうも牙を引っ込めて宇宙人たちに頬をすり寄せたのだ。誰かがポツリとつぶやく。「あの怪獣どもは、やつらのペットで、タローとかジローとかいう名にちがいない」
いうまでもなくこれは、1958年2月の南極観測隊の有名なエピソードが下敷きとなっている。南極観測隊が悪天候のため調査を断念して帰途に着こうとしたとき、収容し切れなかったカラフト犬を15頭、現地に置いてきた。飢えに耐え兼ねた2頭が鎖をすり抜け、ペンギンなどを食べて生き延び、翌年、再び訪れた観測隊と再会した。マスコミは心温まるエピソードとして大きく取り扱った。この2頭のカラフト犬の名前が、タローとジローなのである。後年、「南極物語」(1983年)という映画にもなって大ヒットしたから、ご存じの向きも多いと思う。
しかし星新一はこういう。「私はなにかひっかかり、ペンギンの身にもなってみろと思って書いたのが、この『探検隊』である」と。つまりカラフト犬に食べられたペンギンを、怪獣に食べられた人間に置き換えてみたのが、この作品なのである。再編集して刊行した短編集「ようこそ地球さん」(1972年6月、新潮文庫刊)のあとがきで、星新一はそう書いていた。
なかなかの問題提起だが、この「探検隊」は星新一に自省を促した1編としてもよく知られている。すなわち、「時事風俗と密着したものを、作品の題材としてなるべく避けようという点である」。「探検隊」のタローとジローも、「当時は読めばすぐわかる内容だったが、いまは、これだけの解説をつけないと、なんのことやら理解しにくいのではなかろうか。時事風俗に密着した題材は、かくのごとくはかない。いかなる大事件も、たちまち忘れ去られてゆく。私は、ニュース的なものから、ますます離れたくなるのである」と、前掲書のあとがきで星自身が肝に銘じている。
以来、長年にわたって星新一ファンは彼のことを時事風俗とは無縁の作家だと思ってきた。しかし、科学技術に詳しいノンフィクションライターの最相葉月は、秀逸な評伝「星新一 1001話をつくった人」(2007年3月、新潮社刊)の中で、こんなエピソードを紹介している。1986年夏ごろから着手した1001編達成後の自作の改訂作業についてである。星新一は、ゲラの直しを連日行ったが、「風俗は書いていなかったはずなのに、読み直すとあれこれと気になる言葉が目に付き、思いのほか時間はかかった」と、最相は書く。
それによれば、自分が吸わなくなったタバコ、酒に関する記述を削除した。「内職の封筒のあて名書き」は「内職」に、「高層アパート」は「高層マンション」に、「ダイヤルを回す」は「電話をかける」に、「UFO」を「宇宙船」に、路面電車の「安全地帯」や「すりばち」のように、最近の子供たちがイメージできないものも書き直したという。星新一自ら、デビューしたころを振り返って、「テレビの普及、オートメ化、宇宙進出などのスタートの時期でもあった。いまにして思うと、私の書くもの自体が風俗だったのだ」と、1986年当時のインタビューで答えている。また、テレビのニュース番組が好きだったという関係者の証言もある。実は誰よりも時事風俗におもねっていた作家だったのだ。
時事風俗に加えて、星新一は私小説的な要素を極力排除する作家というイメージが強かった。その点についても、最相は同書の中で興味深い指摘をしている。仲の良かった知人が戦後すぐに自殺をとげたとき、追悼文で星新一がこう書いているというのだ。「最近の雑誌で自殺を企てた学生に電波治療を行ったら全くそんな気のなくなったと云う記事を見て、なぜもっと早くと思うと今更ながら残念でたまらない」
「……これは、『セキストラ』だね」「ぱっと思いましたよ。どうですか。そう思いませんか」と、最相がインタビューしたある関係者は即座に語ったという。いうまでもなく、星新一のデビュー作「セキストラ」(1957年)に登場する電気性処理器の名前である。セックスよりも大きな満足を与える器械が開発され、世界中に普及して、各国の小競り合いはなくなり、平和な世界連邦が出来上がるという話。この現実離れした小説に、知人の苦悩と自死と、その後の星新一自身を襲った鬱屈が影を落としているのでは、と最相は書いている。
もう一つ、「小さな十字架」という短編についても、まだ作家になる前の星親一(本名)の心境がうかがわれる作品だと最相は述べている。「昭和のはじめにヨーロッパに遊学していた青年が骨董店で偶然手にした古い銀の十字架の飾りをめぐる物語で、戦争で傷つき、貧しさに苦しむ者に十字架が希望を与える」というストーリー。後年のオチのある作風ではない。
父、星一の会社を引き継ぎ、経営が混乱していた作家以前の時期に書いたもので、当時、精神的に追い詰められていた星新一の教会通いの私的な体験が基底にあるのでは、と分析している。(こや)



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2018/10/20 14:52 | コラム「たまたま本の話」
第94回 町山智浩が読む「セールスマン」(アスガー・ファルハディ)文学に関するコラム・たまたま本の話
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かつて敏腕セールスマンとして鳴らしたウイリー・ローマンは、得意先が引退し、寄る年波にも勝てず、成績が上がらなくなっていた。仕事から帰宅して、妻リンダから聞かされるのは、家のローンに保険、車の修理費。前途洋々だったはずの息子たちも定職につかず、この先どうしたものか、と嘆くローマンは、やがて誇りを持っていたセールスの仕事まで失ってしまう。夢破れて、すべてに行き詰まった彼が選んだ道とは……。
言うまでもなくアーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の要約である。1949年2月10日、ニューヨークのモロスコ劇場で初演。演出はエリア・カザン。ウイリー役にリー・J・コップ、リンダ役にミルドレッド・ダンノックで、742回上演のロングランとなった。トニー賞、ニューヨーク劇評家賞、ピューリッツァー賞を受賞。当時33歳のミラーはすでに一部では評価を得ていたが、この作品で一躍、アメリカの新進劇作家として脚光を浴びることになった。
かつて模範とされていた、アメリカの男性優位主義の終焉を描いた物語である。ハードワーキングによってアメリカンドリームをつかむ男たちの姿は、アメリカでも見られなくなって久しいが、70年近い時を経た2016年、この物語がアメリカならぬイスラム圏で復活した。反米国として名高いイランでこの物語に新たな息吹を吹き込んだのは、映画監督のアスガー・ファルハディ。映画「セールスマン」で、2017年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したイラン映画界の名匠である。
この映画とミラーの「セールスマンの死」の関係については、映画評論家の町山智浩が、近著「『最前線の映画』を読む」(2018年2月、集英社インターナショナル新書刊)の中で詳しく解説している。町山によれば、主人公の高校教師エマドに注目すべきだという。エマドは高校教師の傍ら舞台俳優としての活動に明け暮れている。妻のラナも女優で、今度共演する芝居は「セールスマンの死」である。「エマドは旧時代のマチズモ(男性優位主義)を克服したリベラルなインテリである。いや、そうあろうとしていた」と、町山は指摘する。
ところが物語が進むうちに様子がおかしくなってくる。引っ越したばかりの部屋で、ラナが何者かに襲われたのだ。犯人は分からない。心労を抱えたエマドは教室で自分の居眠りをスマホに撮られて激怒し、「お前の父親を呼び出してやる」と、イランの父権主義そのものの叱責を生徒に投げつける。「セールスマンの死」の舞台ではウイリー・ローマンと一体化してしまい、共演者を罵倒する。妻を襲った犯人を捕まえられない自分に苛立ち、「男として情けない」と悩む。それらは、リベラルなインテリだったはずの自分の中に、伝統的な男性優位主義が根深く存在していたことを意味する。
そして犯人が判明する。それは自分の父親と同じくらいの年齢の衣服のセールスマンであった。彼は前の住人の(おそらく)売春婦に金を貢いでいた。愛人を囲う老セールスマンといえば、まさにウイリー・ローマンに他ならない。ラナを襲ったのは間違えたからで、レイプなどしていないと弁明するが、エマドは許さず、老人の家族を呼び出して、お前のやったことを暴露してやると脅す。老人はショックのあまり脳卒中で倒れてしまう。家族が呼び寄せられる。老人の妻は「この人は私の人生そのものです」と涙ながらに語る。「セールスマンの死」で、ローマンの妻リンダが語るセリフと瓜二つだ。「リンダはただ黙々と夫に尽くしてきた。彼女は40年代、50年代のアメリカの典型的な主婦の姿であると同時に、現代イランに暮らす、大多数の女性たちの考えでもあるのだろう」と町山は書く。
妻ラナにいさめられ、老人の罪を家族に暴露しなかったエマドは、脳卒中から目覚めた老人を別室に呼んで腹いせに殴る。老人は容体が悪化して救急車で運ばれる。「最もリベラルで、最もインテリで、イランの古い体質に反発していたはずの主人公エマドは、男らしさを守るために暴力で殺人を犯してしまった」。何のことはない、エマド自身がまさに男性優位主義の権化だったのだ。
おそらくこれは、日本で書かれた最高の「セールスマン」論である。付け加えることはほとんどないが、男性優位主義対リベラルの構図と見えたものが、実際は男性優位主義同士の新旧の争いであったということは指摘しておきたい。「旧世代のローマン」がハードワーキングで生きてきた老セールスマンであったとすれば、「新世代のローマン」はリベラルなインテリであるはずのエマドである。ということは、近代化された現在のイランにはハードワーキングマンやインテリが混在しているが、男性優位主義だけは脈々と受け継がれているということになる。これは痛烈なイランの体制批判となっている。
イラン映画が分かりづらいのは、「イランの映画人たちは、表向きの物語の下に、暗号のようにそっと本当のテーマを隠す」からだ、と町山は書いている。映画も演劇も検閲を受け、撮影現場にも役人が監視に来て、体制批判がないかどうかチェックする。そういった事情を十分に理解しているから、アスガー・ファルハディ監督は敢えて「セールスマンの死」を持ってきて、アメリカ批判の映画であるかのように巧みにオブラートした。
アカデミー賞の授賞式を主演女優ともども欠席したことは記憶に新しい。2017年1月に就任したドナルド・トランプが宣言した、イランを含むイスラム諸国からの入国禁止令に抗議するというのが表向きの理由だった。ファルハディの抗議の拳はアメリカに振り上げられているようで、実はイラン政府に向けられているのではないか。思えば「セールスマン」は、ファルハディにとって2012年の「別離」に続く2度目のアカデミー賞外国語映画賞受賞となった。アメリカに最も評価される監督なのだ。アメリカは「分かっている」と思う。(こや)

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2018/09/11 12:51 | コラム「たまたま本の話」
第93回 続・独断と偏見で10本を選ぶ 日本映画オールタイムベストテン(山中貞雄他)文学に関するコラム・たまたま本の話
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前回の外国映画に続き、今回は日本映画オールタイムベストテンを選んでみたので、ご笑覧を。(順不同)
①人 情紙風船
監督:山中貞雄 製作:1937年、P.C.L
「紙風船が遺作とはチト、サビシイ」――この山中貞雄の遺言を受けて、映画ファンの我々もチト、サビシイ。彼が28歳で戦病死しなければ、戦中・戦後の日本映画史は大きく変わっていただろう。戦時下の鬱屈した空気を、時代劇に託して描いたこの遺作は、日本映画史上の名作として今も輝いている。
② たそがれ酒場
監督:内田吐夢 製作:1955年、新東宝
「飢餓海峡」という名作がどうも肌に合わない。となると内田吐夢は日本映画オールタイムベストから漏れるか、という心配は無用。日本における「グランド・ホテル形式」の最高の成果がここにある。大衆酒場の開店から閉店までの半日に時間と場所を限定して、そこに集う人間模様を描いた異色作。極めて演劇的な構成で、かつて内田自身が旅芸人一座でドサ回りをしていたことを想起させる。
③ 砂の女
監督:勅使河原宏 製作:1964年、東宝
④ 他人の顔
監督:勅使河原宏 製作:1966年、東京映画・勅使河原プロ
勅使河原宏の2本、というよりも勅使河原=安部公房のコンビが最高の成果を見せた2本。安部の2作――昆虫採集のために砂丘を訪れた教師が砂の穴に囚われる前者も、事故によって顔の皮膚を失ってしまった男が人工マスクで妻を誘惑する後者も、1960年代前衛文学の最先端を走っていた。名作の映画化は往々にして期待外れに終わるが、この2本は勅使河原の映像と安部の原作が化学反応を起こして稀有の名作となっている。
⑤ 椿三十郎
監督:黒澤明 製作:1962年、東宝
「用心棒」という名作のパート2として作られながら、独立した別物になってしまった作品。前作の三十郎の神秘性が消えてしまったという批判もあるが、これもまた紛れもなく黒澤映画なのだ。ある藩のクーデターに行きずりの素浪人が絡んで、というテーマ性と娯楽性がふんだんに散りばめられている。ラスト、三船敏郎と仲代達矢の達人同士の一騎打ちは、何度見ても度肝を抜かれる。
⑥ 彼奴(きゃつ)を逃すな
監督:鈴木英夫 製作:1956年、東宝
映画の大きな要素にスリルとサスペンスがあるのなら、この監督こそ生前もっと評価されてしかるべきだった。さすがに最近では再評価されているが、鈴木英夫の多くの傑作群の中から「彼奴(きゃつ)を逃すな」を挙げる。殺人を目撃した夫婦が、警察に事情を話すが、やがて犯人がそれを知って報復に現れて……。プログラムピクチャーのツボを押さえたサスペンスの盛り上げ方には、映画作りの基本が詰まっている。
⑦ 女の中にいる他人
監督:成瀨巳喜男 製作:1966年、東宝
「浮雲」以外の成瀨巳喜男映画を選ぶ、と自分に無理やり縛りをかけると、「めし」「稲妻」などの名作も「ミニ浮雲」に見えてくるから不思議だ。そこで成瀨にはサスペンス映画の作り手の一面があることに思い至った。エドワード・アタイヤの「細い線」は江戸川乱歩が絶賛した異色の心理サスペンス小説だが、本作はそれを原作にしながら、成瀨らしい女性映画に換骨奪胎されている。主人公が小林桂樹から新珠三千代に突如として転換する一瞬を見逃すな。
⑧ 秋刀魚の味
監督:小津安二郎 製作:1962年、松竹
「東京物語」を選ぶ誘惑を捨ててみると、小津安二郎の本質が見えてくる。失敗作とされた「風の中の牝鶏」などのほうが、むしろ小津らしいテーマの映画だった。ここで遺作を挙げたのは、「笠くん、君の演技よりも僕の構図のほうが大事なんだ」という伝説的な語録の持ち主が、最後の最後で、俳優の演技というものに理解を示したからだ。笠智衆を見よ、東野英治郎を見よ、加東大介を見よ。
⑨ 儀式
監督:大島渚 製作:1971年、ATG・創造社
大島渚の唯一のキネマ旬報日本映画ベストワン作品。それにしては代表作として名前が挙がらない不遇さを持つ。「愛のコリーダ」や「戦場のメリークリスマス」などの後期作品、「白昼の通り魔」や「日本の夜と霧」などの初期作品の評価に及ばないのは、センセーショナルさに欠けるからか。ニュースフィルムを一切挟まず、ある旧家の家父長制や冠婚葬祭をじっくりと描くことで、大島は戦後民主主義の欺瞞を抉り出している。
⑩ 仁義の墓場
監督:深作欣二製 作:1975年、東映
やくざ映画を語るときに問われるのは、「高倉健の任侠路線か、菅原文太の実録路線か」という二者択一である。しかし1973年の「仁義なき戦い」に遅れること2年、とんでもないやくざ映画が現れた。健さんでもなく文太でもなく、主演は渡哲也。東映初主演の本作で、仁義や盃の伝統に引導を渡す破天荒なやくざ、石川力夫の短い一生を演じている。辞世の句「大笑い 三十年の馬鹿騒ぎ」は、30年のやくざ映画の歴史そのものをあざ笑っているかのようだ。(こや)

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2018/07/25 13:23 | コラム「たまたま本の話」

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