第95回 時事風俗と「私」を描いた作家(星新一)文学に関するコラム・たまたま本の話
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生涯で1001編を超えるショートショートを生み出したSF界の第一人者、星新一(1926年-1997年)の初期作品に「探検隊」という作品がある。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。
地球に大きな宇宙船がやってくる。中から現れたのは巨大な宇宙人と巨大な怪獣。どちらも人間に危害を加えない。どうやら地球を征服しに来たのではなく、観測か調査のために来たようだ。しばらくすると、宇宙人たちは大きな宇宙船に乗って空の彼方に去っていった。そのうち戻ってくるつもりなのか、宇宙船の去った後に、杭と鎖につながれた怪獣たちが残された。ところが、この怪獣たち2頭がやがて鎖を抜けて人間たちに襲い掛かる。人間たちは次々と怪獣の餌食になってしまう。時が経ち、宇宙船が再び姿を現す。怪獣たちを懲らしめてくれると思いきや、宇宙人たちは2頭を代わる代わる抱き上げ、怪獣のほうも牙を引っ込めて宇宙人たちに頬をすり寄せたのだ。誰かがポツリとつぶやく。「あの怪獣どもは、やつらのペットで、タローとかジローとかいう名にちがいない」
いうまでもなくこれは、1958年2月の南極観測隊の有名なエピソードが下敷きとなっている。南極観測隊が悪天候のため調査を断念して帰途に着こうとしたとき、収容し切れなかったカラフト犬を15頭、現地に置いてきた。飢えに耐え兼ねた2頭が鎖をすり抜け、ペンギンなどを食べて生き延び、翌年、再び訪れた観測隊と再会した。マスコミは心温まるエピソードとして大きく取り扱った。この2頭のカラフト犬の名前が、タローとジローなのである。後年、「南極物語」(1983年)という映画にもなって大ヒットしたから、ご存じの向きも多いと思う。
しかし星新一はこういう。「私はなにかひっかかり、ペンギンの身にもなってみろと思って書いたのが、この『探検隊』である」と。つまりカラフト犬に食べられたペンギンを、怪獣に食べられた人間に置き換えてみたのが、この作品なのである。再編集して刊行した短編集「ようこそ地球さん」(1972年6月、新潮文庫刊)のあとがきで、星新一はそう書いていた。
なかなかの問題提起だが、この「探検隊」は星新一に自省を促した1編としてもよく知られている。すなわち、「時事風俗と密着したものを、作品の題材としてなるべく避けようという点である」。「探検隊」のタローとジローも、「当時は読めばすぐわかる内容だったが、いまは、これだけの解説をつけないと、なんのことやら理解しにくいのではなかろうか。時事風俗に密着した題材は、かくのごとくはかない。いかなる大事件も、たちまち忘れ去られてゆく。私は、ニュース的なものから、ますます離れたくなるのである」と、前掲書のあとがきで星自身が肝に銘じている。
以来、長年にわたって星新一ファンは彼のことを時事風俗とは無縁の作家だと思ってきた。しかし、科学技術に詳しいノンフィクションライターの最相葉月は、秀逸な評伝「星新一 1001話をつくった人」(2007年3月、新潮社刊)の中で、こんなエピソードを紹介している。1986年夏ごろから着手した1001編達成後の自作の改訂作業についてである。星新一は、ゲラの直しを連日行ったが、「風俗は書いていなかったはずなのに、読み直すとあれこれと気になる言葉が目に付き、思いのほか時間はかかった」と、最相は書く。
それによれば、自分が吸わなくなったタバコ、酒に関する記述を削除した。「内職の封筒のあて名書き」は「内職」に、「高層アパート」は「高層マンション」に、「ダイヤルを回す」は「電話をかける」に、「UFO」を「宇宙船」に、路面電車の「安全地帯」や「すりばち」のように、最近の子供たちがイメージできないものも書き直したという。星新一自ら、デビューしたころを振り返って、「テレビの普及、オートメ化、宇宙進出などのスタートの時期でもあった。いまにして思うと、私の書くもの自体が風俗だったのだ」と、1986年当時のインタビューで答えている。また、テレビのニュース番組が好きだったという関係者の証言もある。実は誰よりも時事風俗におもねっていた作家だったのだ。
時事風俗に加えて、星新一は私小説的な要素を極力排除する作家というイメージが強かった。その点についても、最相は同書の中で興味深い指摘をしている。仲の良かった知人が戦後すぐに自殺をとげたとき、追悼文で星新一がこう書いているというのだ。「最近の雑誌で自殺を企てた学生に電波治療を行ったら全くそんな気のなくなったと云う記事を見て、なぜもっと早くと思うと今更ながら残念でたまらない」
「……これは、『セキストラ』だね」「ぱっと思いましたよ。どうですか。そう思いませんか」と、最相がインタビューしたある関係者は即座に語ったという。いうまでもなく、星新一のデビュー作「セキストラ」(1957年)に登場する電気性処理器の名前である。セックスよりも大きな満足を与える器械が開発され、世界中に普及して、各国の小競り合いはなくなり、平和な世界連邦が出来上がるという話。この現実離れした小説に、知人の苦悩と自死と、その後の星新一自身を襲った鬱屈が影を落としているのでは、と最相は書いている。
もう一つ、「小さな十字架」という短編についても、まだ作家になる前の星親一(本名)の心境がうかがわれる作品だと最相は述べている。「昭和のはじめにヨーロッパに遊学していた青年が骨董店で偶然手にした古い銀の十字架の飾りをめぐる物語で、戦争で傷つき、貧しさに苦しむ者に十字架が希望を与える」というストーリー。後年のオチのある作風ではない。
父、星一の会社を引き継ぎ、経営が混乱していた作家以前の時期に書いたもので、当時、精神的に追い詰められていた星新一の教会通いの私的な体験が基底にあるのでは、と分析している。(こや)



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2018/10/20 14:52 | コラム「たまたま本の話」
第94回 町山智浩が読む「セールスマン」(アスガー・ファルハディ)文学に関するコラム・たまたま本の話
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かつて敏腕セールスマンとして鳴らしたウイリー・ローマンは、得意先が引退し、寄る年波にも勝てず、成績が上がらなくなっていた。仕事から帰宅して、妻リンダから聞かされるのは、家のローンに保険、車の修理費。前途洋々だったはずの息子たちも定職につかず、この先どうしたものか、と嘆くローマンは、やがて誇りを持っていたセールスの仕事まで失ってしまう。夢破れて、すべてに行き詰まった彼が選んだ道とは……。
言うまでもなくアーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の要約である。1949年2月10日、ニューヨークのモロスコ劇場で初演。演出はエリア・カザン。ウイリー役にリー・J・コップ、リンダ役にミルドレッド・ダンノックで、742回上演のロングランとなった。トニー賞、ニューヨーク劇評家賞、ピューリッツァー賞を受賞。当時33歳のミラーはすでに一部では評価を得ていたが、この作品で一躍、アメリカの新進劇作家として脚光を浴びることになった。
かつて模範とされていた、アメリカの男性優位主義の終焉を描いた物語である。ハードワーキングによってアメリカンドリームをつかむ男たちの姿は、アメリカでも見られなくなって久しいが、70年近い時を経た2016年、この物語がアメリカならぬイスラム圏で復活した。反米国として名高いイランでこの物語に新たな息吹を吹き込んだのは、映画監督のアスガー・ファルハディ。映画「セールスマン」で、2017年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したイラン映画界の名匠である。
この映画とミラーの「セールスマンの死」の関係については、映画評論家の町山智浩が、近著「『最前線の映画』を読む」(2018年2月、集英社インターナショナル新書刊)の中で詳しく解説している。町山によれば、主人公の高校教師エマドに注目すべきだという。エマドは高校教師の傍ら舞台俳優としての活動に明け暮れている。妻のラナも女優で、今度共演する芝居は「セールスマンの死」である。「エマドは旧時代のマチズモ(男性優位主義)を克服したリベラルなインテリである。いや、そうあろうとしていた」と、町山は指摘する。
ところが物語が進むうちに様子がおかしくなってくる。引っ越したばかりの部屋で、ラナが何者かに襲われたのだ。犯人は分からない。心労を抱えたエマドは教室で自分の居眠りをスマホに撮られて激怒し、「お前の父親を呼び出してやる」と、イランの父権主義そのものの叱責を生徒に投げつける。「セールスマンの死」の舞台ではウイリー・ローマンと一体化してしまい、共演者を罵倒する。妻を襲った犯人を捕まえられない自分に苛立ち、「男として情けない」と悩む。それらは、リベラルなインテリだったはずの自分の中に、伝統的な男性優位主義が根深く存在していたことを意味する。
そして犯人が判明する。それは自分の父親と同じくらいの年齢の衣服のセールスマンであった。彼は前の住人の(おそらく)売春婦に金を貢いでいた。愛人を囲う老セールスマンといえば、まさにウイリー・ローマンに他ならない。ラナを襲ったのは間違えたからで、レイプなどしていないと弁明するが、エマドは許さず、老人の家族を呼び出して、お前のやったことを暴露してやると脅す。老人はショックのあまり脳卒中で倒れてしまう。家族が呼び寄せられる。老人の妻は「この人は私の人生そのものです」と涙ながらに語る。「セールスマンの死」で、ローマンの妻リンダが語るセリフと瓜二つだ。「リンダはただ黙々と夫に尽くしてきた。彼女は40年代、50年代のアメリカの典型的な主婦の姿であると同時に、現代イランに暮らす、大多数の女性たちの考えでもあるのだろう」と町山は書く。
妻ラナにいさめられ、老人の罪を家族に暴露しなかったエマドは、脳卒中から目覚めた老人を別室に呼んで腹いせに殴る。老人は容体が悪化して救急車で運ばれる。「最もリベラルで、最もインテリで、イランの古い体質に反発していたはずの主人公エマドは、男らしさを守るために暴力で殺人を犯してしまった」。何のことはない、エマド自身がまさに男性優位主義の権化だったのだ。
おそらくこれは、日本で書かれた最高の「セールスマン」論である。付け加えることはほとんどないが、男性優位主義対リベラルの構図と見えたものが、実際は男性優位主義同士の新旧の争いであったということは指摘しておきたい。「旧世代のローマン」がハードワーキングで生きてきた老セールスマンであったとすれば、「新世代のローマン」はリベラルなインテリであるはずのエマドである。ということは、近代化された現在のイランにはハードワーキングマンやインテリが混在しているが、男性優位主義だけは脈々と受け継がれているということになる。これは痛烈なイランの体制批判となっている。
イラン映画が分かりづらいのは、「イランの映画人たちは、表向きの物語の下に、暗号のようにそっと本当のテーマを隠す」からだ、と町山は書いている。映画も演劇も検閲を受け、撮影現場にも役人が監視に来て、体制批判がないかどうかチェックする。そういった事情を十分に理解しているから、アスガー・ファルハディ監督は敢えて「セールスマンの死」を持ってきて、アメリカ批判の映画であるかのように巧みにオブラートした。
アカデミー賞の授賞式を主演女優ともども欠席したことは記憶に新しい。2017年1月に就任したドナルド・トランプが宣言した、イランを含むイスラム諸国からの入国禁止令に抗議するというのが表向きの理由だった。ファルハディの抗議の拳はアメリカに振り上げられているようで、実はイラン政府に向けられているのではないか。思えば「セールスマン」は、ファルハディにとって2012年の「別離」に続く2度目のアカデミー賞外国語映画賞受賞となった。アメリカに最も評価される監督なのだ。アメリカは「分かっている」と思う。(こや)

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2018/09/11 12:51 | コラム「たまたま本の話」
第93回 続・独断と偏見で10本を選ぶ 日本映画オールタイムベストテン(山中貞雄他)文学に関するコラム・たまたま本の話
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前回の外国映画に続き、今回は日本映画オールタイムベストテンを選んでみたので、ご笑覧を。(順不同)
①人 情紙風船
監督:山中貞雄 製作:1937年、P.C.L
「紙風船が遺作とはチト、サビシイ」――この山中貞雄の遺言を受けて、映画ファンの我々もチト、サビシイ。彼が28歳で戦病死しなければ、戦中・戦後の日本映画史は大きく変わっていただろう。戦時下の鬱屈した空気を、時代劇に託して描いたこの遺作は、日本映画史上の名作として今も輝いている。
② たそがれ酒場
監督:内田吐夢 製作:1955年、新東宝
「飢餓海峡」という名作がどうも肌に合わない。となると内田吐夢は日本映画オールタイムベストから漏れるか、という心配は無用。日本における「グランド・ホテル形式」の最高の成果がここにある。大衆酒場の開店から閉店までの半日に時間と場所を限定して、そこに集う人間模様を描いた異色作。極めて演劇的な構成で、かつて内田自身が旅芸人一座でドサ回りをしていたことを想起させる。
③ 砂の女
監督:勅使河原宏 製作:1964年、東宝
④ 他人の顔
監督:勅使河原宏 製作:1966年、東京映画・勅使河原プロ
勅使河原宏の2本、というよりも勅使河原=安部公房のコンビが最高の成果を見せた2本。安部の2作――昆虫採集のために砂丘を訪れた教師が砂の穴に囚われる前者も、事故によって顔の皮膚を失ってしまった男が人工マスクで妻を誘惑する後者も、1960年代前衛文学の最先端を走っていた。名作の映画化は往々にして期待外れに終わるが、この2本は勅使河原の映像と安部の原作が化学反応を起こして稀有の名作となっている。
⑤ 椿三十郎
監督:黒澤明 製作:1962年、東宝
「用心棒」という名作のパート2として作られながら、独立した別物になってしまった作品。前作の三十郎の神秘性が消えてしまったという批判もあるが、これもまた紛れもなく黒澤映画なのだ。ある藩のクーデターに行きずりの素浪人が絡んで、というテーマ性と娯楽性がふんだんに散りばめられている。ラスト、三船敏郎と仲代達矢の達人同士の一騎打ちは、何度見ても度肝を抜かれる。
⑥ 彼奴(きゃつ)を逃すな
監督:鈴木英夫 製作:1956年、東宝
映画の大きな要素にスリルとサスペンスがあるのなら、この監督こそ生前もっと評価されてしかるべきだった。さすがに最近では再評価されているが、鈴木英夫の多くの傑作群の中から「彼奴(きゃつ)を逃すな」を挙げる。殺人を目撃した夫婦が、警察に事情を話すが、やがて犯人がそれを知って報復に現れて……。プログラムピクチャーのツボを押さえたサスペンスの盛り上げ方には、映画作りの基本が詰まっている。
⑦ 女の中にいる他人
監督:成瀨巳喜男 製作:1966年、東宝
「浮雲」以外の成瀨巳喜男映画を選ぶ、と自分に無理やり縛りをかけると、「めし」「稲妻」などの名作も「ミニ浮雲」に見えてくるから不思議だ。そこで成瀨にはサスペンス映画の作り手の一面があることに思い至った。エドワード・アタイヤの「細い線」は江戸川乱歩が絶賛した異色の心理サスペンス小説だが、本作はそれを原作にしながら、成瀨らしい女性映画に換骨奪胎されている。主人公が小林桂樹から新珠三千代に突如として転換する一瞬を見逃すな。
⑧ 秋刀魚の味
監督:小津安二郎 製作:1962年、松竹
「東京物語」を選ぶ誘惑を捨ててみると、小津安二郎の本質が見えてくる。失敗作とされた「風の中の牝鶏」などのほうが、むしろ小津らしいテーマの映画だった。ここで遺作を挙げたのは、「笠くん、君の演技よりも僕の構図のほうが大事なんだ」という伝説的な語録の持ち主が、最後の最後で、俳優の演技というものに理解を示したからだ。笠智衆を見よ、東野英治郎を見よ、加東大介を見よ。
⑨ 儀式
監督:大島渚 製作:1971年、ATG・創造社
大島渚の唯一のキネマ旬報日本映画ベストワン作品。それにしては代表作として名前が挙がらない不遇さを持つ。「愛のコリーダ」や「戦場のメリークリスマス」などの後期作品、「白昼の通り魔」や「日本の夜と霧」などの初期作品の評価に及ばないのは、センセーショナルさに欠けるからか。ニュースフィルムを一切挟まず、ある旧家の家父長制や冠婚葬祭をじっくりと描くことで、大島は戦後民主主義の欺瞞を抉り出している。
⑩ 仁義の墓場
監督:深作欣二製 作:1975年、東映
やくざ映画を語るときに問われるのは、「高倉健の任侠路線か、菅原文太の実録路線か」という二者択一である。しかし1973年の「仁義なき戦い」に遅れること2年、とんでもないやくざ映画が現れた。健さんでもなく文太でもなく、主演は渡哲也。東映初主演の本作で、仁義や盃の伝統に引導を渡す破天荒なやくざ、石川力夫の短い一生を演じている。辞世の句「大笑い 三十年の馬鹿騒ぎ」は、30年のやくざ映画の歴史そのものをあざ笑っているかのようだ。(こや)

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2018/07/25 13:23 | コラム「たまたま本の話」
第92回 独断と偏見で10本を選ぶ 外国映画オールタイムベストテン(コッポラ他)文学に関するコラム・たまたま本の話
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今回は映画の話。独断と偏見で外国映画オールタイムベストテンを選んでみたので、ご笑覧を。(順不同)
地獄の黙示録
監督:フランシス・フォード・コッポラ 製作:1979年、アメリカ
ベトナム戦争映画を作るとハリウッドに宣言して、ジョゼフ・コンラッドやトマス・エリオット、ジョージ・フレイザーなどを換骨奪胎させた個人的な映像文学をコッポラは作ってしまった。特に2002年に編集された特別完全版をお勧めしたい。新たに加わったフレンチ・プランテーションの場面、ベトナムに介入したアメリカとフランスの食卓で交わされる議論は、そのまま戦争論として読める。
② 夜明けの舗道
監督:ジョン・ニューランド 製作:1970年、イギリス
ロミー・シュナイダー演ずる母親の、息子へのゆがんだ愛情がサスペンスを生む隠れた傑作。精神分析学的映画として、アルフレッド・ヒッチコックの「サイコ」や「めまい」を凌ぐのでは?
③ 或る夜の出来事
監督:フランク・キャプラ 製作:1934年、アメリカ
④ スミス都へ行く
監督:フランク・キャプラ 製作:1939年、アメリカ
キャプラ映画を2本。実はキャプラ・タッチというよりも、当時ハリウッドで全盛のスクリューボール・コメディーを撮ったら、まさにキャプラ映画になってしまったのが「或る夜……」。それに対して、まぎれもなくキャプラ・タッチで撮ろうとして撮ったのが「スミス……」。そのどちらもが傑作で、どこを切ってもキャプラなのだからすごいの一語に尽きる。
⑤ ある戦慄
監督:ラリー・ピアース 製作:1967年、アメリカ
映画は大きく2通りに分かれる。グランドホテル・システムとロードムーヴィーだが、両要素の幸福な結実がジョン・フォードの「駅馬車」だとすれば、こちらはホテルを地下鉄に置き換えて、さらに人種問題などを加味して練り上げられている。凡百のニューシネマとは一線を画する。
⑥ ローマの休日
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:1953年、アメリカ
あまりに傑作なので、タイトルに隠された意味にまで考えが及ばない。「ホリデー・イン・ローマ」でなく「ローマン・ホリデー」なのだ。つまり「ローマの休日」ならぬ「ローマ人の休日」。古代ローマ人が休日に兵士どうしの殺し合いをコロシアムで観戦して楽しんだように、グレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーンの成就しない恋を、観客の皆さんは存分に楽しんでください、という意味がこめられた恐るべき映画。
⑦ コンバット 恐怖の人間狩り
(日本未公開、テレビ放映、VHS発売)
監督:ハーヴェイ・ハート 製作:1976年、カナダ
ダグラス・フェアベアン「銃撃!」が原作の低予算映画。アクション映画かと思いきや、途中からフランツ・カフカ的迷宮に吸い込まれていくのに驚かされる。ラストシーンには、銃社会アメリカの抱える問題と米ソ冷戦時代の緊張感がメタファーとして漂っているように感じる。
⑧ マリア・ブラウンの結婚
監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 製作:1979年、西ドイツ
西ドイツという国も、1989年のベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一で消えてしまった。戦後世代のトップランナーであるファスビンダーが戦後のドイツ社会を1人の女性の運命に託して描き切った、いわばドイツ版「浮雲」。ハンナ・シグラは高峰秀子を超えたか?
⑨ 暗殺のオペラ
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 製作:1970年、イタリア
「ルナ」「ラスト・エンペラー」「リトル・ブッダ」と連なる、ベルトルッチの輪廻転生テーマのルーツは、この1970年のホルヘ・ルイス・ボルヘス原作の小品にあったことに納得。考えてみればフョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの「分身」を映画にしたのもベルトルッチだった。
⑩ 生きていた男
監督:マイケル・アンダーソン 製作:1958年、アメリカ
どんでん返しのある映画は、どんでん返しがあるということさえ、本来うたってはいけない。しかしあっと驚く意外な結末ベスト5といった企画に、「サイコ」やアンリ・ジョルジュ・クルーゾー「悪魔のような女」とともに顔を出す常連作品なので、お許しを。緻密な構成は映画作りのお手本のようだ。(こや)

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2018/07/05 13:44 | コラム「たまたま本の話」
第91回 「ねじ式」に登場するアイヌ人(つげ義春)文学に関するコラム・たまたま本の話
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これは、従来のつげ義春研究に一石を投じる労作ではないか。元読売新聞記者の矢崎秀行が書いた「つげ義春『ねじ式』のヒミツ」(2018年1月、響文社刊)である。矢崎は「ねじ式」の初めのほうの5ページ目、「背広姿の黒縁メガネの男性がスパナを持って胡坐(あぐら)をかいている不思議なコマ」を取り上げて、これは「木村伊兵衛(1901~74)の写真『知里高央(たかなか)氏』(1965年)からの引用」だと指摘する。写真と漫画を見比べてみると、確かに構図から何からそっくりだ。スパナは持っていないが、この絵が知里高央(ちり・たかなか、1907~65)をモデルにしていることは疑いない。
知里高央とは誰か。北海道・幌別のアイヌ名門の家柄の教育者である。インターネット資料によれば、「明治40年4月15日生まれ。知里ナミの長男。知里幸恵(ゆきえ)の弟。知里真志保(ましほ)の兄。イギリス人宣教師バチェラー家の家庭教師,幌別中学などの教師をつとめ、またアイヌ語の語彙研究に従事した。昭和40年8月25日死去。58歳。北海道出身。小樽高商(現小樽商大)卒」とある。
矢崎の指摘は続く。「知里はこの写真が撮られてすぐ、同じ年、1965年に58歳で亡くなっている。その意味ではこの絵の元になった彼の写真は遺影ポートレートとも言えるものだ」「写真が収録された『定本 木村伊兵衛』(朝日新聞社)はずっと後、2002年の発行なので、おそらくつげはこれが発表された『アサヒカメラ1965年7月号』で見ている可能性が高い。彼は自ら写真を撮る漫画家で、一時は中古カメラ屋を開いたほどの写真カメラ愛好家である。写真雑誌には日常的に親しんでいた」。
「ねじ式」は「ガロ」1968年6月臨時増刊号に発表されている。つまり「ねじ式」発表の時点で知里高央はすでに故人であった。とすれば、メメクラゲに噛まれて静脈が切断され、切迫した死への恐怖におののく主人公の前にスパナを持って現れる彼は、生の担い手ではなく死の導き手であったということになる。こんな重要な点が50年間も見逃されてきたことに驚くが、インターネット上では数年前から「この絵の元ネタは知里のポートレートではないか」と話題になっていたらしい。しかし「何故いきなりアイヌの名門家系の末裔が脈略もなく突然登場するのだろうか。それも左手に両口スパナを持って」。矢崎の疑問ももっともである。
以下はあくまでも私見である。「ねじ式」は、先行する同じつげ義春の傑作「山椒魚」(「ガロ」1967年5月号)との関連性でとらえられるべき作品ではないか。「山椒魚」を振り返ってみよう。山椒魚は「悪臭と汚物によどんだ穴の中」、つまり下水道に棲んでいる。最後に人間の胎児の屍骸が流れてくるシーンがある。これは不幸にも産み捨てられ、下水道に流されて来てしまった胎児なのだろう。山椒魚と胎児は、単なる行きずりの関係なのだろうか。山椒魚は人間の生まれ変わりなのではないか。胎児は山椒魚の前世の姿なのではないか。そんな思いを強く感じさせる。前世と現世がなぜこの下水道で出会うのか。
今回、この下水道をニライカナイと考えたらどうか、と思い至った。ニライカナイとは遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界のこと。豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にはまた帰るとされている。また、生者の魂もニライカナイから来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。ニライカナイ信仰は、沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地において伝統的な民間信仰である。
「山椒魚」において、胎児は下水道にやってきた。つまりニライカナイに来た死者の魂である。その胎児と遭遇した山椒魚は、ニライカナイで生まれ変わった生者の魂であろう。最後、背を向けて泳いでいく山椒魚の姿は象徴的である。そう考えると、この下水道は決して不吉な空間でなく、神と輪廻と転生の神界であるということが分かる。そしてそこには永遠の時間が流れている。
この神界ニライカナイのイメージが、聖地アフンルパルに転換したのが「ねじ式」という作品だったのではないか、と思うのだ。アフンルパルとは何か。沖縄とアイヌは民族的に同じルーツを持つとされる。ニライカナイに似た概念として、アフンルパルと呼ばれる聖地が沖縄にもある。アフンルパルは「“入る道の口”の義。あの世への入口。多くは海岸または河岸の洞穴であるが、波打際近くの海中にあって干潮の際に現れる岩穴であることもあり、また地上に深く掘った人口の竪穴であることもある」。この解説を「地名アイヌ語小辞典」で書いているのは、他ならぬ知里高央の実弟で、アイヌ初の北海道大学教授になった知里真志保である。そして形状的にアフンルパルは、窪地状でありねじ溝状であるケースが多い。まさに「ねじ式」聖地だ。これは詩人の吉増剛造も指摘しているという。
「ねじ式」では、最初のコマから、主人公はメメクラゲに左腕を噛まれて静脈が切断されている。つまり下水道でゆったりと泳ぐ山椒魚と違って、切迫する死への恐怖の中で、少年は医者を探すことを必然づけられている。「山椒魚」では永遠であったはずの時間が、「ねじ式」では限定された時間に転化している。山椒魚が背を向けて去っていったのとは対照的に、少年は海からこちらに顔を向けてやってくる。「ねじ式」における彼は、あの世への入口に足を踏み入れたのだ。だから死からの生還をねじに委ねざるを得なかった。そうは考えられないだろうか。(こや)

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2018/04/14 16:03 | コラム「たまたま本の話」

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