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2024/04/29 06:00 |
第119回 出す当てのない小説を書く(矢樹純) 文学に関するコラム・たまたま本の話
PDF版はこちらから
矢樹純(やぎ・じゅん)と聞いて、急いでネット検索をかけた方がいるかもしれない。これまでに刊行された小説は、実質的にわずか4冊という寡作のミステリー作家である。
ただし実力は折り紙付きで、2012年8月、デビュー作の長編「Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件」が、第10回「このミステリーがすごい!」大賞の「隠し玉受賞」して注目される。そして2020年7月、前年に出した第1短編集の表題作「夫の骨」が、第73回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞する。
日本推理作家協会賞というのは、過去に同賞を受賞した作家や評論家が選考委員を務めている。いわばプロがプロを審査する賞であって、厳しい批評の目にかなった作品しか受賞に至らない。7月10日に行われたリモート記者会見では、京極夏彦代表理事(代読・北村薫立会理事)から「最初から高得点だった。文章に無駄がなく読みやすい、展開に無理がない、などの賛辞が寄せられた」と、「夫の骨」の受賞が報告された。
「夫の骨」は矢樹純の処女短編集である。そんな実力派がなぜ、これまでなかなか本を出せなかったのか。受賞に際して、筆者は自身のブログ「取り返しがつかない」2020年7月11日号で、次のように書いている。「自分はデビュー作が売れなかったために最初の版元では次作を出すことができず、その後、数年は野良作家として、出す当てのない状態で小説を書いていました」。
そこでKindleの電子書籍で小説を発表していくが、なかなか買い手(出版社)がつかない。「初めに長編を書き上げて、ある出版社の方に読んでもらったのですが、うちでは出せないというお返事で、そのときに『短編を書いて力をつけた方がいい』というアドバイスをいただき、短編を書き始めました」。
「出す当てのない状態で小説を書くというのは、一度、作家としてデビューしている身としては、結構つらかったです。『何でこんなことになったのか』と、デビュー作が売れなかったことや、その他、諸々の運命を呪いました」と、筆者はブログで心情を綴っている。確かに、出版する当てのない作品を書き続けるほど辛いことはないだろう。不遇の時代が何年も続いたわけである。
ただし、自分が書く小説には手ごたえを感じていたようで、「本当に書くほどに力がついていくことと、自分の書く作品が面白いと思えたことだけが救いでした。これはいつか、絶対に形になる、世に出せると信じて書き続けました」。やがてそれが実を結ぶ。月に1本書くと決めて約1年間、書き続けた短編が13本ほどになったところで、エージェントを通じて、「これらをまとめて短編集を出しましょう」という出版社が現れた。祥伝社である。
こうして2019年4月に祥伝社文庫から刊行された第1短編集「夫の骨」には、表題作など粒よりの9編が収められることになった。同書は書店員や読者の口コミでじわじわと売れ行きを伸ばし、版を重ねているという。では「夫の骨」はどういう小説なのか。本のカバーには、こんなあらすじが書かれている。
「昨年、夫の孝之が事故死した。まるで2年前に他界した義母(注・孝之の父の後妻)佳子の魂の緒に搦め捕られたように。血縁のない母を『佳子さん』と呼び、他人行儀な態度を崩さなかった夫。その遺品を整理するうち、私は小さな桐箱の中に乳児の骨を見つける。夫の死は本当に事故だったのか、その骨は誰の子のものなのか。猜疑心に囚われた私は……」。
ミステリーなのでこれ以上の説明は避けるが、著者のブログによると、短編集のコンセプトは「家族の歪み」と「どんでん返し」とある。なるほど、最後の最後まで展開が読めない意外な結末が、「夫の骨」だけでなくどの物語にも用意されている。これらの「どんでん返し」は見事な出来栄えで、日本推理作家協会賞(短編部門)受賞も十分に納得できる。
けれども、読後感はスッキリしない。本格ミステリーだから、もちろん謎は解かれるが、後味が悪い。9編ともに、すべてが明らかになって「ああ良かった」とカタルシスを得られる物語ではない。こういうのを「イヤミス」と呼ぶのだろうか。
イヤミスについて、ネットにはこういった説明が書いてある。殺人などの事件が起きても、最後には事件解決! 読者がスッキリと満足感を得るのが、今までのミステリー小説に多かった傾向である。しかしイヤミス小説は、事件だけでなく人間の奥に潜む心理などを描写し、見たくないと思いながらも読み進めてしまう、嫌な汗がたっぷりと出るような後味の悪い小説のことを指す――と。「夫の骨」もそれに当てはまる。
この後味の悪さは、筆者の言うもう1つのコンセプト、「家族の歪み」に起因するものだろう。人もうらやむ理想の家族であっても、何かしらの問題を抱えている。家庭内の問題だから、他人にはなかなか相談しにくい。親と子だからすべて腹蔵なく話せるかというと、そういうわけでもない。したがって家族の問題は、根が深く複雑化することが多い。そんな家族関係の領域にメスを入れるミステリーなのだから、イヤミスになるのも当然だろう。「夫の骨」以外の短編も、家庭や家族を描いた小説を読んでいるつもりが、いつの間にか暗い過去が掘り起こされてきて、驚かされることが多い。
矢樹純のプロフィールを見ると、「1976年、青森県生まれ、弘前大学卒業。結婚・退職を機に、作画担当の妹・加藤缶とコンビを組み、自身は原作を担当して、2002年に加藤山羊の共同ペンネームで漫画家としてデビューした」とある。実生活では3人の子供を持つ母親でもある。漫画家と母親としての長いキャリアが、本格ミステリーにしてイヤミスの傑作を生む原動力になっているに違いない。(こや)
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2021/01/12 15:18 |
コラム「たまたま本の話」

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