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2025/02/03 13:55 |
海外文学のコラム・たまたま本の話 第38回  「猿の手」の謎と伏線」(ウイリアム・ウイマーク・ジェイコブズ)

第38回 「猿の手」の謎と伏線
(ウイリアム・ウイマーク・ジェイコブズ)

 ウイリアム・ウイマーク・ジェイコブズの「猿の手」(1902年9月、ハーパーズ・マンスリー誌に掲載。原題:The Monkey’s Paw)といえば、言わずと知れた怪奇小説の名作である。日本における本格的ホラーアンソロジーの嚆矢とされる「怪奇小説傑作集」の第1巻(1969年2月、創元推理文庫刊)にも、平井呈一訳で収録されている。

 あまりにも有名な話だが、一応あらすじを書いておく。未読の方はご注意を。
 老いたホワイト夫妻が、インド帰りの知人から猿の手のミイラをもらい受ける。知人が言うには、その猿の手には魔力が宿っていて、持ち主の望みを3つかなえてくれるという。息子ハーバートに勧められる形で、ホワイト氏は「家のローンの残りを支払うために200ポンドが欲しい」と望む。その翌日、息子が勤務先の工場で機械にはさまれて死んだと知らせが届く。会社は賠償責任を認めないが、気持ちばかりの見舞金を支払う。その額がまさしく200ポンドだった!
 息子を墓地に埋葬してから1週間ほど経った夜、どうしても諦めきれない妻は夫に懇願する。夫は妻の願いを断りきれず、「息子を生き返らせてほしい」と2つ目の望みを口にする。しばしの後、夫妻は家のドアを何者かがノックする音に気づく。「息子が帰ってきましたよ」とドアを開けようとする妻だが、「入れちゃいけない」と、夫はガタガタ震えながら最後の3つ目の願いを言う。途端に激しいノックの音はとだえ、玄関の外にはだれもおらず、ただ街灯があたりを照らしているばかりだった。

 これは実によくできた話である。せっかく墓から呼び戻した息子を、「ふた目と見られない姿だったら……」と、最後の願いで自ら墓に戻さなければならなかった父親の引き裂かれるような気持ち。怪談であるとともに、老いた両親の自慢の息子に対する深い愛情が描かれた人情譚でもある。3つの願いごとをかなえてくれる話は世界のあちこちにあるが、それが怪奇小説に結実した最高の1編と言っていい。

 ところが今回、調べてみて知ったのだが、この名作の解釈について、かつてミステリー作家の有栖川有栖と北村薫の間で論争が起きている。最後に家のドアの向こうにいたのは何だったか――について、2人の見解には相違がある。
 北村はそれを「ゾンビのようなもの」という。作者は周到に伏線を張っている。死後1週間ほど経ってから母が、猿の手で息子が甦るかもしれないことに気づくのはなぜか。「埋葬からの1週間は死体が傷むための1週間である」と北村は主張する。これが一般的な「猿の手」理解で、大方の読者はこの意見に賛成するだろう。
 それに有栖川は異をとなえる。「1週間というのは両親が悲しみのどん底まで沈んで、母親の心に魔が差すまでの期間であって、死体がゾンビになるまでの期間ではない」と指摘する。ゆえにドアの外にいたのはゾンビではないと結論づける。では何だったか。元気なときのままの息子ハーバートである――と。そこから有栖川は、死んだはずのハーバートが元気な姿で戻ってくるということは、実はハーバートは死んでいなかったのではないか、と持論をさらに発展させる。何しろ彼はこの論争を元に「猿の左手」(2008年7月、光文社刊、「妃は船を沈める」所収)という推理小説を書いてしまったくらいである。

 いずれ劣らぬ本格ミステリーの書き手だから、どちらの意見にも一理ある。両者の見解の相違は、「猿の手」という作品の本質に迫っているようできわめて面白い。確かに作者ジェイコブズは、超自然現象について一切、描写していない。願いをかけるときに猿の手が動いた、というのもホワイト氏の主観に過ぎないし、最後にドアを叩いたのが果たしてゾンビなのか、元気な息子なのかも描かれていない。そもそも本当にハーバートだったのかも分からない。
 そして、あまりにも名作だからこれまで何の疑問も持たなかったのだが、実は最後の第3の願いがどんな内容であったのかも書かれていないのである。「間髪を入れず、老人は猿の手をさぐりあてた。そして狂乱のていで、3度目の最後の願いを祈った」の次は、「とたんに、ノックの音がパッタリとやんだ」に続いている(平井呈一訳)。ホワイト氏は果たして「息子を墓に戻せ」と言ったのだろうか。

 ほかにも気づいたことがある。ホワイト氏が自らの意思だけで口にした願いは、最後のものだけだったという点。第1の願い「われに200ポンドを授けたまえ」は、息子ハーバートに「その金があれば家のローンが払える」と強く勧められてのものである。
 そして第2の願い「願わくは、わが倅を生き返らせたまえ」も、妻に強くせがまれて代わりに祈ったに過ぎない。ホワイト氏自身は強く反対していたのだ。それは前述のように「息子がふた目と見られない姿で帰ってきたら……」という恐怖感から来るものであるが、それ以上に「一度死んだ者を生き返らせること」、つまり自然の摂理に反することへの畏怖があるだろう。

 摂理に反することを父に提示して、自ら命を落とした息子ハーバート。同じく摂理に反することを夫に提示して、半狂乱になってしまった妻。息子と妻は因果応報というか、すでに自ら責任をとっている。ホワイト氏自身が口に出した第3の願いが、「息子を墓に戻せ」だったにせよ、「誰か分からないがノックをやめさせろ」だったにせよ、これは前の2つとは違う。何かを得るプラスではなく、何かを失うマイナスの望みに過ぎない。
 つまりホワイト氏は最後に「ご破算にする」形ですべての責任を取ったのだとは読めないか。名作には解明できない部分が多いが、「猿の手」にも多くの伏線や謎がある。(こや)


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2013/10/06 17:13 |
コラム「たまたま本の話」
海外文学のコラム・たまたま本の話 第37回 「8月の暑さのなかで」を読む(W・F・ハーヴィー)

第37回 「8月の暑さのなかで」を読む
(W・F・ハーヴィー)

 法政大学教授で翻訳家の金原瑞人が編訳した2冊のホラー短編集がある。「8月の暑さのなかで」(2010年7月)と「南から来た男」(2012年7月)で、いずれも岩波少年文庫刊。つまり中学生以上を対象に編まれた恐怖小説のアンソロジーなのだが、この2冊が大人も一読に値するほど充実している。芥川賞作家、金原ひとみの父親でもある編訳者の慧眼が冴えわたった傑作集になっている。

 出色の1編は、表題にもなっている「8月の暑さのなかで」だろう。これは恐怖小説の古典として有名な短編である。
原題はAugust Heatで、1910年に短編集の中の1編として発表。東京創元社の「世界大ロマン全集」第24巻や創元推理文庫の「怪奇小説傑作集」第1巻にも平井呈一訳(タイトルは「炎天」)が収められている。
ほかにも「8月の熱波」「8月の炎暑」の名で訳されたことがある。その名編を今回、金原は「8月の暑さのなかで」と訳した。ここ数年続く夏の猛暑を連想させる、絶妙なネーミングである。

 もっとも作者のW・F・ハーヴィー(1885~1937)に関しては、あまり詳しい資料がないようだ。
「イギリスの作家。ヨークシャア地方の裕福な家庭に生まれ、リーズ大学で医学を学ぶ。第一次世界大戦では軍医として従軍。爆発直前の駆逐艦で汽缶軍曹を救った功績により、アルバート勲章を下賜されるが、救助の際に痛めた肺に後遺症が残っていたことから、52歳で亡くなるまで、小説や自伝を書いて過ごした」と、金原は簡単に作者を紹介するに留まっている。
大文豪ではないのだろう。この分野の草分けである平井も、「モダン・ゴースト・ストーリー作家として(中略)作品の数は30編ほどしかありませんが、病弱な生涯をもっぱら恐怖小説に終始した人で、光り苔のようなかすかな燐光を放つその作品は、小粒ながらどれにも珍重すべき新しい恐怖がおののいています」と触れるのみ。わずか1、2編の短編によって恐怖小説史上に名を残す(「猿の手」を書いたW・W・ジェイコブズのような)作家であろうか。

 以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。物語は40歳の画家である「私」の手記になっている。猛暑の190×年8月20日、突如インスピレーションがひらめいた私は、被告人席で死刑宣告を受ける男の絵を朝から夕方までかけて一気に描く。それをポケットに突っ込んで自宅から7、8キロ離れた道を歩いていると、ふとある石工の家にたどり着く。
石工の男はまさに私が絵に描いた人物だった。しかも彼がいま展覧会の出品用に彫っている墓石には、私の名前と生年月日、そして死亡日が刻まれていた。なんと「190×年8月20日、急死」とある。今日ではないか。背筋が凍りついた私は、ポケットの中の石工そっくりの男の死刑宣告の絵を見せた。
今度は石工が驚く番だった。2人はこれまでどこかで会ったことがあって、そのため名前や生年月日や顔がお互いの記憶に残っていたのではないか。そんな可能性も考えるが、私も石工も身に覚えがない。さてどうするか。1時間以上かけて自宅に帰るのは危険だ。そう考えた私は、石工の勧めに従って、今日が終わるまで石工の家に留まることにする。

 私と石工は2人で部屋にいる。彼は妻を寝室にやったあと、小さな油砥石でせっせと道具を研ぎながら葉巻をふかしている。ラスト3行はこう描かれている(金原訳)。「もう11時を過ぎた。あと1時間もすればここを出ていける」「しかしそれにしても、この暑さは耐えがたい」「頭がおかしくなりそうだ」(ちなみに平井訳では、最後の1行は「この暑さじゃ、人間の頭だってたいがいへんになる」)。手記はそこで終わる――。いわゆる「奇妙な味」に属する短編で読後、理屈で割り切れない怖さが残る。

 いちばん顕著なのは、原因と結果が逆転し、結果から先に描かれていることだろう。私が絵に描いた「石工が被告人席で死刑判決を受ける姿」はあくまで結果で、その原因は物語の最後で暗示されるように「石工が私を殺したから」である。
そして石工が墓石に彫っていた「私の死亡日が今日である墓碑銘」はあくまで結果で、その原因は物語の最後で暗示されるように「私が今日死んだから」である。つまりお互い、結果から先にひらめき、画家の私はそれを絵に、石工はそれを墓碑銘にしている。

 死亡日も死刑判決も、すべての原因は石工が私を殺したことにある。しかしそれは怨恨や物盗りではなく、タイトルの通り、夏の暑さという人の手の及ばない理由によるものである。
原因があるから結果があるのではない。結果はすでにあらかじめ決められた運命のうちにある。人が人智を超えた存在に操られる。これは、そう呼んでいいのなら天啓によるものであろう。

 天啓を記述したものといえば、いうまでもなく聖書。そこで作中に何げなく挿入された次のような一節が重みを帯びてくる――「夕食のあと、(石工の)妻がギュスターヴ・ドレが挿絵を描いた聖書を持ちだしてきて、私は半時間ほどそれをほめなくてはならなくなった」。
ドレは19世紀フランスの著名な画家だが、ダンテやバルザック、ラブレー、ミルトン、バイロン、ポーなどの文学作品の挿絵も手がけている。有名なのはイギリス版の聖書に描いた挿絵で、この名声によって1869年、ロンドンにドレ画廊も開いた。

 ドレが挿絵も描く画家なら、「8月の暑さのなかで」の私も同じである。石工だって単なる職人ではなく、展覧会にも出品するアーティストだ。こうした両面を併せ持つ2人の登場人物が人智を超えた運命に操られていく。作者ハーヴィーは、「天啓の物語」を聖書ならぬ恐怖小説に仕立て上げたのではないか。(こや)


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2013/09/04 13:51 |
コラム「たまたま本の話」
海外文学のコラム・たまたま本の話 第36回 愛の詩人ジョン・コリア(ジョン・コリア)

第36回 愛の詩人ジョン・コリア
(ジョン・コリア)

 ジョン・コリア(1901~1980)にはどうにもとらえようがない作品を書く人という印象がある。出世作となった処女長編「モンキー・ワイフ―或いはチンパンジーとの結婚」(1930年)は、ずっと遅れて1977年に講談社から邦訳が出たが、日本ではほとんど評判にならなかった。
独自に編まれた「ジョン・コリア奇談集」「ジョン・コリア奇談集Ⅱ」(ともにサンリオSF文庫)、「ザ・ベスト・オブ・ジョン・コリア」(ちくま文庫)もすでに品切れになって久しい。

 現在入手できるのは、異色作家短篇集の1巻「炎の中の絵」(早川書房)と、日本で独自に編集された河出ミステリの1冊「ナツメグの味」(河出書房新社)のみ。名作とされる「夢判断」「クリスマスに帰る」「みどりの思い」などの短編はいくつかのアンソロジーで読めるが、ダールの「南から来た男」やエリンの「特別料理」に比べて知名度は低い。
つまり作品そのものが現在は目に触れなくなっているのだから、どういう作家かと問われても答えにくいだろう。

インターネットの「2002-2013ミステリー・推理小説データ・ベース Aga―Search」で、コリアはこう紹介されている――「その洗練された文章と鋭い人間観察、奇想と機知に富んだ幻想的な作風や時に見せる残酷なまでのユーモアはまさに”奇妙な味”と言われるにふさわしく、ロアルド・ダールやスタンリイ・エリンらの先駆けと位置づけられる作家といえます」。
なるほど「奇妙な味」というのは便利な言葉だが、やはり具体性に乏しい評ではある。
そう思っていた矢先に、コリアの短編集「予期せぬ結末1 ミッドナイト・ブルー」(井上雅彦編、2013年5月、扶桑社ミステリー刊)が出た。本邦初訳や書籍初収録を含めた16編の作品が収められている。もちろん日本で独自に編集されたもの。
1とあるように、出版元はこの作家別短編集「予期せぬ結末」をシリーズ化する予定らしい。「登場するのは『ヒッチコック劇場』や『ミステリーゾーン』に原作を提供していた作家たち」と編者の井上が序文で語っているように、次回配本にはチャールズ・ボーモントが予定されている。

 とりあえず話をコリアに戻そう。
冒頭に置かれた「またのお越しを」は、以前「また買いにくる客」のタイトルで訳出されていた1940年の作品。
ある青年が闇で薬を売る薬剤師を訪ねる。薬剤師は彼に「死後、体内から検出されずに相手を100%殺せる毒薬があります。しかし金額はティースプーン1杯で5000ドル」という。青年が欲しかったのは媚薬のほうで、恋人の永遠の愛を得るにはどうすればいいか、と相談する。薬剤師は「それなら素晴らしい愛の薬があります。値段はたったの1ドル」と破格の値段で媚薬を青年に売る。
薬剤師のその後のセリフが効いている。「お客様のお役に立つのが、私の喜びでございます」「お客様がたは何年もたって、お歳を召して財もなされた頃に、今度はより高価な薬をお求めにいらっしゃいます。はい、どうぞお持ちください。効果は絶大ですぞ」、そして最後に「またのお越しを」と頭を下げる。

 説明するのは野暮の極みだが、これは人生と愛の寓話になっている。人は若いときに愛を得たくなる。人生の中盤から晩年にかけてはその愛が冷めるものだ――そうコリアは語っている。「またのお越しを」という薬剤師の最後の一言は、作中の青年だけに投げかけられたものではなく、この短編を読む老若男女すべてに対するメッセージとなっている。それを安い媚薬と高い毒薬に例えるあたり、なかなか詩情あふれる作品ではないか。

 コリアの生涯をたどってみると、医者や文学者を数多く輩出したロンドンの名家に生まれながら、彼の代になると生活は豊かでなくなっていて、正規の学校教育も受けなかったという。文学は叔父に薫陶を受けたそうで、前出のAga―Searchは「若くして詩人を志し、1920年に最初の詩集を自費出版。詩の雑誌<タイム・アンド・タイド>の編集にも携わっています。また当時滞英中だった詩人・西脇順三郎とも交流があったそうです」と書いている。つまりコリアの出発点は詩人だった。
詩人では食べていけるはずもないから、1920年代に短編小説を書き始める。「モンキー・ワイフ」の後、1935年にアメリカに渡ってシナリオライターとして活躍。同時に短編小説を「ニューヨーカー」「エスクワイア」などの一流雑誌に発表する。1940年代にはハリウッドで映画脚本の執筆に専念。1951年のジョン・ヒューストン監督の映画「アフリカの女王」の制作にも携わっているという。

 こうした華やかな略歴を見れば都会派作家と思われがちだが、意外と動物が登場する作品が多いことに今回、気づいた。
「ミッドナイト・ブルー」に収められた「多言無用」(猫)、「メアリー」(豚)、「黒い犬」(犬)はもちろん、他にも「記念日の贈り物」(蛇)、「ギャヴィン・オリアリー」(蚤)などの短編に動物が登場する。そもそも処女長編からしてチンパンジーと人間のカップルの話ではないか。それ以外にも「みどりの思い」など、植物(というか怪物というか)がテーマの作品もある。

 晩年のコリアはフランスのコートダジュールの村で20年以上も好きな園芸をして過ごした。実現には至らなかったが、ミルトンの叙事詩「失楽園」の映画化も夢見ていたという。
映画やテレビなど、アメリカのショービジネス界で有名になったから誤解されているだけで、コリアの本質は、出発がそうだったように詩人なのではないか。自然を愛した詩人といえば、ジュール・ルナールの有名な短文集「博物誌」を思い出す。それを「奇妙な味」で味付けするとコリア文学になる。そんな気がする。(こや)


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2013/08/10 12:08 |
コラム「たまたま本の話」
海外文学のコラム・たまたま本の話 第35回 新しい「Someone Like You」(ロアルド・ダール)

第35回 新しい「Someone Like You」
(ロアルド・ダール)

 まだ半年が過ぎただけでいささか早計だが、これは今年の翻訳文学界最大の快挙であろう。
ロアルド・ダールの「あなたに似た人」の新訳版が刊行された(2013年5月、ハヤカワ・ミステリ文庫、1・2の2分冊)。田村隆一の名訳で知られる同書だが、今回これを新たに訳したのは田口俊樹。ローレンス・ブロックやマイクル・Z.リューイン作品の名翻訳で知られる第一人者である。
 この名翻訳家の手によって、1957年10月のハヤカワ・ミステリ版刊行以来、半世紀以上ぶりに新しい「Someone Like You」が読めるようになった。しかも原書未収録の短編2編も収められている。まさしく翻訳文学ファンへの望外の贈り物といえよう。

 改めて紹介の要もなかろうが、田村隆一(1923-1998)は、戦後まもなく詩誌「荒地」を鮎川信夫らとともに創刊した戦後詩界の巨人。軽妙なエッセーの書き手として知られ、ミステリーの翻訳書も数多い。アガサ・クリスティー「三幕の殺人」を訳したのはこの人である。

 まずは新旧版のタイトルを比べてみる。田村訳(1976年4月、ハヤカワ・ミステリ文庫版による)と今回の田口訳で違いがあるのは次の8編。

・「兵隊」(田村訳)が「兵士」(田口訳)、
・「わがいとしき妻よ、わが鳩よ」が「わが愛しき妻、可愛い人よ」、
・「海の中へ」が「プールでひと泳ぎ」、
・「韋駄天のフォックスリイ」が「ギャロッピング・フォックスリー」、
・「お願い」が「願い」、
・「音響捕獲機」が「サウンドマシン」、
・「告別」が「満たされた人生に最後の別れを」、
・「クロウドの犬」が「クロードの犬」。

 田村の名訳に敬意を払いながら、ダール作品の新しい魅力を引き出そうとする田口の努力が、タイトルの付け方にも表れている。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。

 「My Lady Love,My Dove」の「Dove」には、「鳩」のほかに「無邪気な人」や「ハト派」の意味もある。むしろ「My Dove」と続けて、愛する人に呼び掛ける言い回しの「可愛い人よ」と訳したほうがしっくり来るのでは――とかねてから思っていた。
 来客夫婦の部屋に盗聴器を仕掛けて会話を盗み聞き、彼らがいかさまブリッジを行っていたことを知ったとたん、自分たちにも同じことができるのでは、と提案する「わが愛しき妻」。それを「ハト派」の「可愛い人」と称するダールの皮肉さが、今回の田口訳でより伝わってくるようになったのはうれしい。

 さらにうれしいのは、「Dip in the Pool」を「プールでひと泳ぎ」と訳してくれたこと。かつて田村はストーリー内容から「海の中へ」と意訳したのだろうが、この「Pool」はおそらく作中に登場する「Auction Pool」(運行距離を競売形式で賭ける行為)のことである。
 「Dip」には「ちょっと浸す」の意味もあれば「すくい上げる」の意味もある。運行距離を自分の賭けた数字に近づけるため、「ちょっと浸る」つもりで自ら海に飛び込み、誰かに「すくい上げて」もらうのを期待する、賭けに取り憑かれた主人公の愚かな運命を、ダールはこのタイトルに込めているのだろう。田口の付けた「ひと泳ぎ」にはその辺のニュアンスがよく生かされている。

 今回の新訳版を読んで感じたことは、ダールの付けるタイトルには一筋縄ではいかないものが多いということだ。「Galloping Foxley」の「Galloping」は「急速に進行する」の意味だから、フォックスリイが全速力で「私」をお仕置きしに駆けてくる――という、田村の「韋駄天のフォックスリイ」は正しい訳である(とはいえ韋駄天はちょっと古すぎるかもしれない)。
 けれどもダールはもうひとつの意味として、50年も前の虐待された記憶が車中で急速によみがえって来る人間のフラッシュバック作用を、「Galloping」という表現で表したかったのかもしれない。田口はそんな事情も考慮した上で、「ギャロッピング・フォックスリー」とあえてカタカナタイトルのままにしたのではないか。

 極めつけは「Lamb to the Slaughter」。田村の「おとなしい凶器」というタイトルがあまりにも素晴らしく、広く知られているために、今回、田口もそのタイトルを変更しなかった。これは直訳すれば「屠所に送られる子羊」であり、前に「Like a」を付ければ「身の危険も知らずに、子羊のように従順におとなしく」という意味になる。これは旧約聖書の「エレミヤ書」や「イザヤ書」にある一節である。

 警察官の妻が夫から離婚話を突きつけられて、発作的に冷凍のラム(子羊)の腿肉で夫を殴り殺してしまう。現場検証と家宅捜査にやってきた仲間の警察官たちに、妻はそのラム肉を調理して食べさせてしまう――というストーリーは有名だろう。
 ここにはダールのいくつもの含意があるが、何よりも秀逸なのは、「屠所に送られる従順な子羊」の立場、存在が次々に変わっていく点だ。最初の子羊は妊娠中の妻だった。なぜなら夫のためにおいしい夕食を作ろうとしていた彼女は、帰宅した夫から突然、離婚話を突きつけられるのだから。
 次に子羊になるのは後ろ向きのまま殺されてしまう夫である。死の瞬間、彼は自分に迫る身の危険に全く気づいていない、まさに「屠所の子羊」であった。
 そして最後は捜査にやってきた警察官たちが子羊になる。まさか自分たちがおいしくいただいたラム肉が凶器そのものだったとは……。彼らは知らず知らずのうちに、子羊が屠所に誘い込まれるように、事件の共犯(証拠隠滅)の立場へと誘い込まれてしまっている。

 ここにあるのは屠所に子羊を送る人間がいつの間にか送られる立場になり、送られる立場の子羊が逆に送り手になるというシニカルな視点である。すなわち子羊も人間もすべてが「あなたに似た人」。今回の新訳は、ダールという作家の素晴らしさを改めて伝えてくれる。(こや)


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2013/07/09 12:51 |
コラム「たまたま本の話」
海外文学のコラム・たまたま本の話 第34回 ヒッチコックお気に入りの作家(ダフネ・デュ・モーリア)

第34回 ヒッチコックお気に入りの作家
(ダフネ・デュ・モーリア)

 サスペンスの名匠アルフレッド・ヒッチコック監督は、1925年の「快楽の園」から1976年の「ファミリー・プロット」まで生涯に53本の映画を撮っている。その彼がいちばん贔屓にした作家はだれか。つまり原作として選んだ作家は――ということだが、ウイリアム・アイリッシュ(別名コーネル・ウールリッチ)あたりではないか、と何となく思っていた。

 調べてみると、サスペンスの巨匠アイリッシュ原作の映画は意外にも1954年の「裏窓」1本のみ。原案や脚色に数本かかわった劇作家はいるが、原作者として言えば、正解はダフネ・デュ・モーリアの3本。
 ヒッチコックの1940年の映画「レベッカ」(原作は1938年発表の長編)と1964年の「鳥」(原作は1952年の短編集に収録)が有名だが、1939年の「巌窟の野獣」の原作も、実はデュ・モーリアが1936年に書いた長編「埋もれた青春」である。

 それほどヒッチコックに気に入られたデュ・モーリアとは一体どんな作家だったのか。一時期は三笠書房などによって作品がずいぶん訳出されながら、いつの間にか代表作「レベッカ」くらいしか入手できなくなってしまったこの女性作家について、ありがたいことに創元推理文庫から「鳥―デュ・モーリア傑作集」(務台夏子訳、2000年11月刊)が出ている。
 8編を収めたこの短編集には彼女の文学の魅力が詰まっているが、何はともあれ、まずは短編の代表作「鳥」について語らねばならない。

 ストーリーはヒッチコックの映画でおなじみであろう。ある日突然、鳥類が人間を襲い始める。その恐怖を海辺の農場に住む一家の視点から克明に描いた作品である。ただしデュ・モーリアのシチュエーションを借りながらも、金髪美人が好きなヒッチコックは女優でモデルのティッピ・ヘドレンを主演に起用し、エヴァン・ハンターの脚色を得て、当時としては斬新な特撮技術を使うことでユニークな恐怖映画に仕立て上げていた。
 テーマはいわば「人間社会に対する自然界の復讐」になるだろうか。それはそれでたいへん面白かったのだが、今回デュ・モーリアの原作を読んでいて気づいたことがある。次のような描写(以下、務台訳。作品の内容に触れるので未読の方はご注意を)が作中に散見されるのだ。

 「ナット・ホッキンは、傷痍軍人であったため、恩給をもらっており、農場での仕事もフルタイムではなかった。彼は週に3日働き、比較的軽めの仕事――垣根作りや、屋根葺きや、建物の修繕など――を与えられていた」
 「こうして働いていると、戦争が始まった当時のことが思い出された。そのころのナットはまだ独り身だった。彼はプリスマにある母親の家の窓全部に、明かり漏れを防ぐ覆いを作ったものだ。シェルターも作った。もちろんいざとなったらそんなものはなんの役にも立たなかっただろうが」
 「ナットは気づいた。さきほどから流れているのはダンス・ミュージックばかりだ。本来なら『子供の時間』のはずなのに。彼はラジオのつまみに目をやった。まちがいない。局はBBCになっている。なのにダンス・ミュージックか。彼は軽番組局に合わせてみた。理由はもうわかっていた。通常の番組はすべて中止となったのだ。こうなるのは例外的なときに限られている。たとえば選挙のときなどだ。ナットは戦時中のことを思い出そうとした。ロンドンが大空襲を受けていたときも、こうだったろうか。だがもちろん、戦時中、BBCはロンドンに局を置いていなかった。番組は他の場所、臨時の局から放送されていたのだ」

 ヒッチコック映画の刷り込みが強すぎるせいか、鳥の突然の襲来は不条理な自然の象徴ととらえられがちである。しかしこれらの描写を見ると、戦争の影が随所に色濃くにじみ出ていることがわかる。
 あるいは鳥は、戦争という人類による愚考の暗喩になっているのではないか。鳥の襲来から身を守る営みは、敵の無差別攻撃から身を守る行為とイコールなのではないか。国営放送から正確なニュースが与えられない一家の姿は、国家が始めた戦争において情報統制される国民の姿にそのまま重なるのではないか。

 同書の冒頭に収められた短編「恋人」にも戦争の影が差している。除隊したあと自動車修理工として働く青年と、映画館の案内嬢との短い恋を描いた純愛物語だが、それが意外な結末に発展する。
 世間を騒がせているイギリス空軍兵士連続殺人の犯人がその案内嬢だったのだ。案内嬢は戦時中、ドイツ空軍に自分の家をつぶされた。その怒りが、味方であるはずのイギリス空軍兵士に歪んだ形で向けられたのである。

 こうして見てくると、ヒッチコックが映画化に際して意図してか意図せずにか色を薄めた彼女の「戦争の影」といったものが、とても気になってくる。彼女は1969年に大英帝国勲章のナイト・コマンダーの勲位も得ているという。
 同書の解説でミステリー研究家の千街晶之はデュ・モーリアについてこう書いている。「若き日には映画監督キャロル・リードと恋に落ち、1932年には美男で知られた英国近衛歩兵第1連隊の陸軍中佐フレデリック・アーサー・モンタギュー・ブラウニングと結婚するなど、彼女の青春は華やかなロマンスで彩られた印象があるが、本人は都会での社交生活を苦手とし、コーンウォールの荒々しい自然に囲まれた田園生活をこよなく愛した」。
 なるほど、反戦映画の傑作でもある「第三の男」の監督や、イギリスのエリート軍人とのロマンスなどを経て流行作家になったのがデュ・モーリアだったのだ。ともすれば通俗的ロマンスと見なされがちな彼女の文学の根底には、戦争への批判精神が熱く流れている。(こや)


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2013/06/03 13:48 |
コラム「たまたま本の話」

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