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2024/05/19 13:39 |
第109回 バブルへの警鐘の物語 文学に関するコラム・たまたま本の話
PDF版はこちらから
脚本家の山田太一が昭和末期に書いた「異人たちとの夏」(1987年12月、新潮社刊。その後、1991年11月に新潮文庫)という長編小説がある。新潮社によって設立された山本周五郎賞の第1回受賞作品で、刊行当時、かなり話題になった。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。
妻子と別れ、仕事場のマンションで一人暮らしをするテレビドラマの人気シナリオライターの原田。彼の両親は彼が12歳のときに交通事故死している。ある日、原田は幼いころに住んでいた浅草で、すでに亡くなったはずの両親と偶然、出会う。早くに死に別れた両親が懐かしく、彼は両親の元へ通い出す。
また原田は、同じマンションに住む桂(ケイ)という女性にも出会う。不思議な女性だと感じつつ、彼女と愛し合うようになる。しかし二つの出会いとともに、原田の体はみるみる衰弱していく。
と、書けばお分かりのように、この話はいわば現代版「怪談・牡丹灯籠」である。「怪談・牡丹灯籠」は江戸時代末期の1861~1864年ごろ、浅井了意による怪奇物語集「御伽婢子」や怪談などに着想を得て創作されたとされる。若い女の幽霊が男と逢瀬を重ねたものの、幽霊であることがばれ、幽霊封じをした男を恨んで殺すという話だった。これを怪談噺として完成させたのは明治の落語家、三遊亭圓朝。圓朝はこの幽霊話に仇討ちや殺人、母子再会など、多くの事件と登場人物を加え、それらが複雑に絡み合う一大ドラマに仕立て上げた。
「異人たちとの夏」は、両親とケイという共に異人(幽霊)たちとのひと夏の出会いを描いて、かなり感動的な物語に仕上がっている。翌1988年には市川森一脚色、大林宣彦監督によって映画化され、両親役の片岡鶴太郎と秋吉久美子が各種の助演賞に輝く名演を見せた。映画によって、作品の評価がさらに高まったと言っていい。現代の怪談噺にして人情噺の名作の1つだろう。
そんな昭和末期の傑作を令和の今、読み返してみると、面白い描写があることに気づく。例えばこんな一節。主人公の原田が生まれ故郷の浅草を久々に歩いていると、思わぬ光景に出くわす。
「急に、大きくて明るいビルが現れた。前に来た時はなかった。いくつもの商店が入ったテナントビルというようなものである」「渋谷であれ吉祥寺であれ、どこの盛り場にあってもおかしくないような建物である。ただ、このあたりにだけはあまり似合わない。周りの汚れて古い建築と馴染(なじ)まず、別の次元からなにかの間違いで移送されてしまったような印象があった」「私には、閉鎖され板で囲われている映画館やとりこわされたあとの空地よりも明るくて清潔なビルの方が、この街のいたましい傷痕のように感じられた」。そしてこう感想を締めくくる。「無論たちまちビルの方に合せて街は変り、そんな印象はなくなって行くのだろうが」。
「異人たちとの夏」が雑誌「小説新潮」に一挙掲載されたのが1987年。世はまさにバブル景気の絶頂期である。おそらく都市の再開発が、渋谷や新宿といった都心部から、土地がまだ高騰していない周縁地へと移っていった時代に当たる。浅草の旧歓楽街にある閉鎖された建物の所有権も、バブル景気の波に乗った資本家たちの潤沢な資金によって、次々と買い上げられていったのだろう。
そう考えると、この物語は人情噺や怪談噺とは全く別の局面を見せ始める。まだインターネットもパソコンも携帯電話も普及していない時代、メディアの頂点に君臨していたのはテレビだった。主人公の原田はテレビドラマの人気シナリオライターだから、いわばバブル景気の申し子のような人物である。本人はバブル時代に流行したトレンディードラマを打ち破り、斬新な作品を書く気概を持っているようだが、現実の彼はまさにその世界にどっぷりとつかっている。
そこに、昭和26年に死んだ両親が現れる。これは空前の好景気に踊るバブル時代の日本人が、バブルなど影も形もなかった時代に生きた、かつての日本人から「それでいいのか」と問いを突き付けられる物語ではないのか。父は彼に辛辣に言う――「物書きなんてのは、一番世間のほんとのとこを知らねえ連中でよ」と。再び両親と会えたことに感謝する彼の前から、父と母は使命を終えたかのように姿を消す。すき焼き屋での別れのシーンは、涙なくしては読めない。
もう1人のケイは、最後に幽霊だと分かる。実は最初の夜、彼の部屋に押しかけてきて入室を拒絶された直後、彼女は自分の胸をナイフで何度も刺して自殺していたのだ。幽霊になってから、原田の部屋でチーズ占いをしたり、胸に傷跡があるから背後から抱いてほしいと言ったり、まさにトレンディードラマの俳優そのもののようなセリフを吐く。
思えばケイもまさにバブルの申し子ではないか。バブルに踊るシナリオライターが、バブルの幽霊と恋に落ちる。バブル(泡)さながら、ケイも「下らない命(いのち)を大切にしたらいい」という捨てゼリフとともに、彼の前から消えていく。これは要するに、バブルの申し子が同じバブルの申し子からも見透かされてしまっているという構図である。
「異人たちとの夏」は、いわばバブル景気への警鐘の物語だったのではないか。発表後30余年が経った現在から振り返ると、まさに売れっ子シナリオライター山田太一が、自戒の念を込めながら書き上げた小説だったように思われる。(こや)
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2021/01/12 14:18 |
コラム「たまたま本の話」

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