第64回 名探偵マキアヴェリ(トマス・フラナガン)

ニッコロ・マキアヴェリといえば、言わずと知れたイタリア・ルネサンス期の政治思想家である。実はフィレンツェ共和国の外交官も務めていた。1469年に生まれ、1527年に58歳で没している。このマキアヴェリについて知るにはどうすればいいか? あの浩瀚な著作「君主論」や「戦術論」などを読み解けばいいのか。あるいは後世の歴史家による伝記をひも解けばいいのか。
ここにうってつけの短編小説がある。原題をThe Fine Italian Handという。「玉を懐いて罪あり」のタイトルで訳されているが、それとは別に「北イタリア物語」という邦題もある。作者はトマス・フラナガン(1923年-2002年)。アメリカの小説家で、アイルランド文学研究家でもあった。後年になると、長編歴史小説なども執筆しているが、わが国ではもっぱらミステリ作家として一部のファンに根強い人気がある。若いころに書いた、わずか7編の短編でミステリ史に名を残しているからだ。
その7編が収められた珠玉の短編集が、「アデスタを吹く冷たい風」。世界的規模のミステリ叢書、ハヤカワ・ミステリ(早川書房)の読者アンケートが1998年(ハヤカワ・ミステリ創刊45周年記念)と2003年(同50周年)に行われ、2度にわたって復刊希望の第1位になった名短編集である。復刊希望ということは、長らく品切れになっていたわけで、つまりはポピュラーな作品とは言いがたいのだが、上記のような事情でファン垂涎の幻の短編集となっていた。
この「アデスタを吹く冷たい風」が2015年6月、ついにハヤカワ・ミステリ文庫から初文庫化された。7編の内訳をみると、「アデスタを吹く冷たい風」「獅子のたてがみ」「良心の問題」「国のしきたり」の4編が軍人にして警察官のテナント少佐が主人公のシリーズもの、「もし君が陪審員なら」「うまくいったようだわね」「玉を懐いて罪あり」の3編がノンシリーズもの。同書の解説でミステリ評論家の千街晶之が述べているように、「これからも読み継がれるべきマスターピースである本書が、今度こそ品切れにならないことを期待したい」――全く同感である。
さて、これからその中の1編「玉を懐いて罪あり」の内容に触れるので、未読の方はご注意を。「玉を懐いて罪あり」は1949年に「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の第4回年次コンテスト最優秀新人賞を受賞している。作者トマス・フラナガンのデビュー作である。内容は歴史ミステリで、この中にマキアヴェリが登場し、探偵役を務めている。解説で千街が作品の内容に触れ、こう評価している。
「15世紀の北イタリアの城で、護衛兵が殺され、ボルジア家からフランス王に献上される予定だった緑玉が密室状態の宝物室から盗まれた――という事件をめぐって、城主である伯爵、フランス王の大使、ボルジア家の使臣の思惑が入り乱れる本作は、著者の作品中、最も本格ミステリ色が濃いものである(ただし、著者自身は書き上げた後もこの作品が密室ものだということに気づいていなかったという)。唯一の証人である聾啞者への絵画を用いた訊問など、さまざまな趣向が詰め込まれた傑作であり、幕切れも鮮やかだ。謎解きが優れているだけにとどまらず、解決自体が国際政治の不気味な深淵を覗かせて読者を戦慄させる点も含め、ただならぬ水準のデビュー作と言っていいだろう」
北イタリアの城主である伯爵はモンターニョ、フランス王の大使はヴィールフランシュ、聾啞者はノフリーオと名づけられている。モンターニョ伯爵の絵画を使った尋問によって、聾啞者(実は盲人)ノフリーオが犯人とされる。実はノフリーオは真犯人ではなく、緑玉の盗難はモンターニョ伯爵による自作自演であった。フランスのヴィールフランシュ大使も欺かれた絵画による尋問のトリックを見抜いたのが、ボルジア家の使臣マキアヴェリである。「ノフリーオは盲人なのだから、絵画に描かれたことを自分の目で見て肯定や否定をしたわけではない。モンターニョ伯爵の巧妙な尋問(言葉)の罠に引っかかって、彼は自らが犯人だという問いにうなずいてしまったのだ」と、事の真相をチェザーレ・ボルジア陛下に宛てた報告書にしたためるところで物語は幕を閉じる。マキアヴェリは最後にこう書き添える。
「このたびの騒ぎは、三者それぞれに利益をあたえたという、まことに稀らしき事実として、充分陛下の御研究に資すべきものがあると考えます。ヴィールフランシュ候は国王への報告にこと欠かず、モンターニョ伯は新軍備に価する緑玉を獲得しました。そしてまた陛下は、宝玉に数倍する貴重な知識を確保せられました。不平なノフリーオのみが苦しみましたが、これまたわれらに、かの諺の正しきことを教えたものとして、満足すべきではありませぬか――小雀1羽地に落つるも、誰かその死の知らざるべきと」(宇野利泰訳)
探偵役にしては、冤罪で犠牲になったノフリーオに対して、マキアヴェリはずいぶんと冷たいではないか。ミステリとして「玉を懐いて罪あり」を読む読者はそう感じるかもしれない。ここには「君主論」の作者としての人物像が反映されている。マキアヴェリは理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を主張した。彼が強く訴えたことは、傭兵に頼る軍政を改革し、国民軍を創設して軍事力を強化するというものである。イタリアが都市ごとに分かれてしのぎを削り、そこにフランスやスペインも加わって侵略戦争の様相を呈していたのがこの時代だった。後年、権謀術数はマキアヴェリズムと呼ばれることになる。(こや)



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2015/12/11 12:10 | コラム「たまたま本の話」

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