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2024/04/20 06:34 |
第63回 ユダヤ系安楽椅子探偵のお手並み(ジェイムズ・ヤッフェ)文学に関するコラム・たまたま本の話
電子書籍「文学コラム・いいたま」を公開しました

ジェイムズ・ヤッフェが、EQMM(エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン)に短編「不可能犯罪課」を投稿し、採用されたのは1943年の7月号だった。ヤッフェは1927年生まれだから、弱冠15歳のときである。編集長のフレデリック・ダネイ(すなわちエラリイ・クイーン)は驚き、少年に続編を書くように勧めた。かくしてヤッフェが15歳から18歳までの間に書いた全6編の「不可能犯罪課」シリーズが、EQMMに順次、掲載されていくことになる。早熟の天才作家が誕生した瞬間だった。
しかしながら、ヤッフェの知名度が格段に上がったのは、いうまでもなく1952年に連作「ブロンクスのママ」シリーズをスタートさせてからである。「ママは何でも知っている」に始まる短編8作が1968年まで書き継がれ、ミステリファンの間で好評を博す。ところが彼は、そこでシリーズを中断してしまう。20年の沈黙を経た1988年に執筆を再開。ママと息子は今度はブロンクスからロッキー山脈の麓にある架空の都市メサグランデに居を移し、「メサグランデのママ」シリーズとして長編4作が発表された。その後、2002年には短編「ママは蠟燭を灯す」が書かれているから、執筆期間は50年にわたる。息の長いシリーズなのである。
「ブロンクスのママ」シリーズは、いわゆるアームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)ものである。犯罪の現場には出かけず、事件の関係者と接触することもなく、捜査情報を人伝てに聞くだけで事件の謎を解く。M・P・シールの書いたプリンス・ザレスキー、バロネス・オルツィの書いた「隅の老人」、ハリイ・ケメルマンの書いたニッキイ・ウェルト教授、アイザック・アシモフの書いた給仕ヘンリー、都筑道夫の書いた「退職刑事」など多くの名探偵がいるが、最高峰とされているのがヤッフェの書いた「ママ」であろう。
日本で独自に編纂された8編の連作短編集「ママは何でも知っている」がハヤカワ・ポケット・ミステリの1冊として出たのが1977年7月。それから38年後の2015年6月、同書がハヤカワ・ミステリ文庫に収録されたのをきっかけに、再読してみた。ニューヨーク市警殺人課刑事のデイビッドが、妻のシャーリイとともに毎週金曜日にママの家を訪れ、ディナーを共にする。そのとき抱えている難事件について息子と嫁と母親が会話をしていくうちに、母親が見事に事件の真相を解明してしまう。そんなワンパターンの展開ではあるが、これがめっぽう面白い本格ミステリになっている。特に今回、気づいたのは、ブロンクスという土地柄とユダヤという人種、そしてユダヤ教の戒律がずいぶん作品に影を落としているという点だった。
ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区は、第1次世界大戦後に急速に開発が進んだ地区として知られる。ニューヨークの地下鉄が延伸したことで、多くの移民が移住してきた。移民はアイルランド人やイタリア人はもちろんだが、とりわけユダヤ人が多かったという。禁酒法時代には、もぐり酒場を中心にアイルランド人やイタリア人による酒の密売が横行し、ギャングたちが闊歩した。やがて白人層が区外に流出。第2次世界大戦後には、仕事を求めて集まってきたヒスパニック系や黒人が中心の街となった。犯罪率も高く、治安の悪さでずっと有名な街だったのである。
そんな当たり前のように犯罪が多発する街に、殺人課の刑事として勤務する息子デイビッドと、夫に先立たれたママが住んでいる。彼らはユダヤ系アメリカ人の家族である。「本国(米国)の読者には、ブロンクスという地名とママが口にするイディッシュ語で、ユダヤ系アメリカ人の家族であることがわかる仕掛けになっている」と、同文庫の解説で作家の法月綸太郎も指摘している通り、ストーリーの鍵となる部分にユダヤ系アメリカ人であるがゆえのプロットが巧みに織り交ぜられている(以下、未読の方はご注意を)。
例えば巻末の「ママは憶えている」。ブロンクス時代のママ・シリーズの最終話に当たるが、これはママが若い娘だったときの45年前の回想と、現在の事件が並行して進む。回想のほうは、殺人の嫌疑をかけられたママの婚約者の青年の窮地を、ママの母親が救う話である。婚約者の青年は、犯行時間にどこにいたのか、警察に話そうとしない。実は彼は帽子をかぶっていると周囲に笑われる場所にいたのだ(ユダヤ人なら屋内で帽子をかぶっていても当然なのに)。そしてポケットにたくさんあったハッカあめをすべて舐めてしまっていた。この2つの事実から、ママの母親はこう推理する。青年がそのときいたのはユダヤ人が住まない場所にあるレストランで、食べたものは豚肉である――と。
「豚肉かハムかベイコンか――ユダヤ教で禁じられた食物よ。(中略)まともなユダヤ人の子が食べたら、神様からほっぺたをぴしゃりとやられるしろものよ」「そこでレストランを飛びだして、豚肉のにおいを消すために、ハッカを口いっぱいほおばったのよ」「犯行時刻に、なにをしていたか申し立てれば容疑は晴れるが――これだけはだれにもいえない。不浄(トレフ)な食べものを食べたことをパパに知られるより、殺人犯人だと思われているほうがよっぽどましだった」(小尾芙佐訳)。厳格な父親に反発してはみたものの、戒律を破ったことに怯え、父親に恥をかかせないためには死んでもいいと思ったユダヤ人青年の姿がここにある。
他ならぬ作者ジェイムズ・ヤッフェが、シカゴ生まれのユダヤ系アメリカ人であった。「アメリカのユダヤ人」(1968年)というノンフィクションも書いている。そこにはユダヤ教の戒律について「すべての権威は神に由来し、誰もそれを奪うことができない」と記されているという。(こや)


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2015/11/01 10:15 |
コラム「たまたま本の話」

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