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2024/04/20 09:35 |
第78回サラリーマン作家ここにあり(フランツ・カフカ)文学に関するコラム・たまたま本の話
唐突だがクイズを1つ。次の論文の筆者は誰か?
「建築業界及び建築関連事業における社会保険の状況」(1909年)
「自動車個人所有者における保険の現況」(1910年)
「製材用電動鉋の傷害防止策」(1910年)
ちょっとお堅いタイトルが並んでいる。これらはいずれも「ボヘミア王国労働者傷害保険協会プラハ局」の年報に掲載されたもの。同局のとある職員(第2書記官)が書いた。最初の2編は無署名、最後の1編には署名がある。誰か分からない? では次の作品の筆者は?――「判決」「変身」「審判」「城」「アメリカ」。いうまでもなくフランツ・カフカ(1883~1924年)である。
実は先の3つの論文の執筆者もカフカ。第2書記官としての仕事の一端だった。保険協会の職員カフカはとても有能だったのである。ドイツ文学者の池内紀は、カフカについてこんなことを書いている――「就職したときは『書記見習い』の肩書だった。すぐに正式の書記官になった。5年目で、わが国でいう係長になり、12年目に課長、14年目に部長に昇進。そんな経歴からもわかるとおり、有能な職員だった」「1919年にハプスブルク体制が崩壊してチェコ共和国が誕生したとき、オーストリア人幹部はいっせいに追い出されたが、カフカ課長は職にとどまった。欠くべからざる人だったからだろう。さらに部長に昇進する。能力とともに人柄を愛されていた」(引用はともに「となりのカフカ」池内紀著、2004年8月、光文社新書刊より)。
サラリーマンとしてのカフカについて、池内の著作を参考に少しおさらいしておく。彼の保険協会での勤務時間は、8時から14時までだった。これは当時のオーストリア帝国の官僚制がとっていた勤務システムで、シフトは早番と遅番に分かれていた。カフカは早番を希望した。朝が早く、昼休みはない。ぶっ続けに勤務するが、そのかわり午後早く終わるので、もう1つ仕事を兼業できる。
だから当時の役人たちは、ほかに内職や時間給の仕事を持っていたという。カフカの上司や同僚にも、ドクターの肩書を持つ者や、アマチュア歌人もいれば蝶の収集家もいた。「安い俸給の代償に考え出された制度だろう」と池内は結んでいる。公務員の兼業にうるさい現在の日本では、想像もつかない制度である。カフカの場合、勤め始めてしばらくは、仕事が引けてから父親の経営する「ヘルマン・カフカ商会」を手伝っていた。その手伝いを終えてから、夜中に小説やエッセイを書いていたのである。
カフカはこの保険協会に1908年から1922年まで勤めた。出世してからも、ずっと早番を通したという。創作の執筆の時間を確保するためであった。体調を崩さなければ、まだまだ勤めていたことだろう。1917年に吐血してからは療養生活を繰り返すことになり、しばらく休んでは職場に復帰し、仕事と執筆を並行するという日々が退職するまで続いた。
1916年、ずっと付き合っていた恋人のフェリーツェ・バウアーに、自作の短編が掲載された雑誌を送っている。同時に、自分が仕事でまとめた論文「1914年度保険支給業務報告」や「砕石機械における傷害防止策」が載っている保険協会の年報も送ったという。池内も指摘していたことだが、これはとても興味深い。文学者カフカは生涯、保険協会のサラリーマンとしての自分にも誇りを持ち続けた。だからカフカを論じる場合、文学者としての側面だけとらえていては本質を見誤ることになる。
代表作「変身」の冒頭を思い出してほしい。池内による新訳(2006年3月、白水uブックス刊)によれば――「ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目を覚ましたところ、ベッドのなかで、自分が途方もない虫に変わっているのに気がついた」。衝撃的な出だしだが、読者ほど主人公は驚かない。自分の変身よりも、むしろ4時に鳴るはずの目覚まし時計が鳴らずに6時半になっていたことに驚き、セールスマンとしての出張の大変さについて嘆いたりする。そのことを池内は「となりのカフカ」の中でこう解説する――「ショッキングな出だしのせいで、カフカの『変身』は虫になった男の物語と思われがちだが、その変身自体は最初の1行で終わっている。むしろ主人公が日常からズレ落ちたとたんにはじまる、べつの変身が問題だ。時間の変身、家族の変身、親子や血のつながりの変身。すべてがみるまに変わっていく」。まさに慧眼であろう。
言うなれば「変身」という小説は、主人公だけでなく周囲が変身する物語なのではないか。カフカは19世紀末の1883年にチェコのプラハで生まれている。世紀が切り替わる激変期に少年時代を過ごし、20世紀になってからはサラリーマン兼業作家として生きた。毎日を保険協会の仕事に明け暮れ、交友関係も書類を扱う役人や工場経営者や経理係が多かったはずだ。その生活がいかにこれまでの作家とかけ離れていたかは、19世紀の文豪たちの名前をここで出さずとも明らかだろう。
つまりカフカは作家であると同時に、20世紀になって誕生した産業社会によって管理されているサラリーマンでもあったということである。サラリーマンのザムザは目覚まし時計が鳴れば起きられたが、作家の(つまり虫に変身した)彼は起きられない。一家を支えるサラリーマンには優しかった家族も、作家には攻撃的になる。ザムザの変身を通じて、20世紀になって新しくなった社会と作家の引き裂かれた関係が露呈する。「変身」はまぎれもなく20世紀の小説なのである。(こや)

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2017/02/06 15:29 |
コラム「たまたま本の話」

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