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2024/04/20 08:00 |
第87回 ノーベル賞作家をめぐる3つの記事(カズオ・イシグロ)文学に関するコラム・たまたま本の話
電子書籍「文学コラム・いいたま」を公開しました

周知のように、2017年のノーベル文学賞はカズオ・イシグロが受賞した。彼は1954年、日本の長崎市に生まれ、5歳の時に父親がイギリスの研究所に赴任するのに伴い、渡英した。1983年には英国籍を取得しているから、今回の賞はイギリス在住の英国人が受けたということになる。
しかしながら新聞やテレビなどのメディアは、あたかも日本人が受賞したかのように報じた。イシグロは受賞後にロンドンで受けたインタビューで、川端康成、大江健三郎に続く3人目の日本出身作家としての受賞について聞かれ、「同じ歩みの中にいられることに感謝したい」と語った。となれば当然、日本の新聞は「川端、大江に続き」といった見出しで記事を載せる。そんな報道が続く中、ちょっと注目すべき3つの記事があったので紹介したい。
1つ目は、「イシグロさんが石黒さんではない不幸」という記事。夕刊紙の日刊ゲンダイ10月12日号(11日発行)に掲載された。記事は、イシグロは「国籍上は日本人ではない」と指摘するところから始まる。「日本の国籍法は、11条で『日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得した時点で日本の国籍を失う』と定めている。イシグロさんは、英国の国籍を取得した時点で石黒さんではなくなったのだ。もしも日本が二重国籍を認めていれば、イシグロさんは石黒さんでもあった。だれにはばかることなく“日本人として3人目の快挙”となったし、今以上に盛り上がったのではないか」と述べている。
出版の面でいえば、十分に盛り上がっている。イシグロの著作8作品の邦訳版を出版する早川書房では、今回の受賞が決まってから、8作合わせて105万5000部を増刷した。レジ脇に「カズオ・イシグロ著作コーナー」を特設した大手書店もある。10月30日付のオリコン週間“本”ランキング文庫部門では、第1位「日の名残り」(2001年5月刊)、第2位「わたしを離さないで」(2008年8月刊)、第3位「忘れられた巨人」(2017年10月刊)と売れ行きトップ3をイシグロ作品が独占。「遠い山なみの光」も第6位に入る快挙を見せている。ノーベル賞を受賞した海外作家の本が、例年こんなに売れることはない。極めて異例なこの現象は、明らかに「日本出身作家がノーベル文学賞」というトーンの報道に、多くの人が興味を引かれたからだろう。
注目記事の2つ目は、「ノーベル文学賞 カズオ・イシグロ氏 文化勲章に選ばれなかったわけ」というもので、やはり日刊ゲンダイ2017年10月27日号(26日発行)に掲載された。ノーベル賞の受賞が決定した日本人はだいたいその年に文化勲章を贈られるが、イシグロは今回、選ばれなかった。それは過去に故・佐藤栄作元首相(1974年平和賞)と作家の大江健三郎(1994年文学賞)の2例しかない(大江は受章辞退)という。
ちなみに文化勲章は日本国籍でなくとも受章できる。「米NY生まれの日本文学研究者ドナルド・キーン氏は、日本国籍を取得する前の2008年度に受章」しているし、「キーン氏のほかにも、ノーベル賞受賞者でいえば、米国籍の故・南部陽一郎氏(2008年物理学賞)や、中村修二氏(2014年物理学賞)が文化勲章を受章しているから、イシグロ氏が受章したって、おかしいというわけでもなさそうだ」と日刊ゲンダイは書いている。ただし、記事の結論は文科省の番記者のこんな談話で締められている――「文化勲章は日本人、もしくはキーン氏のように外国籍でも日本における功績があった人に贈られるものです。5歳で渡英し、英語で書いているイシグロ氏は、いずれにも当てはまらない。それだけのことでしょう」。
しかし、イシグロの処女長編「遠い山なみの光」(1982年、英国王立文学協会賞受賞)は英国に住む日本人女性が主人公だし、2作目の「浮世の画家」(1986年)は戦後すぐの日本が舞台となっている。日本についての著作で作家としてのスタートを切ったイシグロに、「日本における功績」がなかったと言えるだろうか。そんな疑問に対してヒントを与えてくれたのが、注目記事の3つ目、「英語圏育ちのイシグロ氏」という読売新聞2017年10月29日付首都圏版朝刊のコラムだった。日本文学研究者のマイケル・エメリックが、同紙に連載しているコラム「カリフォルニアで日本文学を読む」の中で、「浮世の画家」を読んで複雑な気持ちを抱いたと書いている。
「この小説は1948年の日本が舞台だが、作者が日本のことをあまり知らず、また知ろうとしていない感を受けた。例えば、町の公園には大正天皇の像が立っているとある。日本には近代の象徴としての明治天皇の銅像しか存在しない」「登場人物のしゃべり方も当時の英語圏のテレビや映画などで日本人がしゃべる、奇妙な翻訳調の言葉を想起させる」と指摘したエメリックは、「つまり『浮世の画家』は海外の人間が描いたエキゾチックなファンタジー小説として読まれるべきなのだ」「日本がイシグロ氏の想像の外に存在してきたように、イシグロ氏も日本の外、英語文学の土壌で育った作家であるのだから」と結論づける。そして「イシグロ氏にどこか日本のルーツを想像し、作品を読む」のは誤読につながる危険がある――と警鐘を鳴らす。
今回、イシグロがノーベル文学賞を受賞したのは、もちろん英語圏の作家や批評家が評価したからであるが、その肝心の英語圏やフランス、ドイツの新聞は、彼を単に「英国作家」として紹介していたという。イシグロをやたらに日本や長崎に引き付けて報道していた日本の新聞とは、明らかにトーンが違っていたことを付記しておきたい。(こや)

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2017/11/02 10:10 |
コラム「たまたま本の話」

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