第86回 岩波文庫で読む「怪人二十面相」(江戸川乱歩)文学に関するコラム・たまたま本の話

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江戸川乱歩が書いたジュニアミステリー「少年探偵シリーズ」は、かつて1億人のベストセラーと呼ばれた。1964年、ポプラ社から刊行が始まった同シリーズはロングセラーとなり、世代を超えて、多くの子供たちが心躍らせながら読みふけったものである。
例えば第1作の「怪人二十面相」。まさに手に汗にぎる、次のようなシーンを鮮明に覚えている。引用は、ポプラ社版を文庫化したポプラ文庫クラシック版「怪人二十面相」(2008年11月刊)から。
「先生はいま、ある重大な事件のために、外国へ出張中ですから、いつお帰りともわかりません。しかし、先生の代理をつとめている小林という助手がおりますから、その人でよければ、すぐおうかがいいたします」(怪人二十面相から脅迫状を受け取った資産家が、明智小五郎探偵に電話で警護を依頼する場面。助手の小林芳雄少年が応対する)
「探偵の仕事には、通信機関が何よりもたいせつです。そのためには、警察にはラジオをそなえた自動車がありますけれど、ざんねんながら私立探偵にはそういうものがないのです。もし洋服の下へかくせるような小型ラジオ発信器があればいちばんいいのですが、そんなものは手に入らないものですから、小林少年は伝書バトという、おもしろい手段を考えついたのでした」
「窓の外、広っぱのはるか向こうに、東京にたった一ヵ所しかない、きわだって特徴のある建物が見えたのです。東京の読者諸君は、戸山ヶ原にある、大人国のかまぼこをいくつもならべたような、コンクリートの大きな建物をごぞんじでしょう」(ともに、地下室に捕らえられた小林少年が脱出のために策を練る場面)
明智探偵と怪人二十面相の知恵比べもスリリングであるが、読むこちら側が当時は少年だったから、とくに小林少年の活躍には素直に感情移入できた。
その「怪人二十面相」がこのたび岩波文庫に入った。懐かしさに駆られ、一読してみて驚いた。ポプラ文庫クラシック版と細部が違うのである。前記の部分が、岩波文庫版ではこうなっている。以下、「怪人二十面相・青銅の魔人」(2017年9月刊)からそれぞれ引用する。
「先生は今、満洲国政府の依頼を受けて、新京へ出張中ですから、いつお帰りとも分かりません」
「探偵の仕事には、戦争と同じように、通信機関が何よりも大切です。軍隊には無線電信隊がありますし、警察にはラジオ自動車がありますけれど、私立探偵にはそういうものがないのです」
「窓の外、広っぱの遥か向こうに、東京にたった一箇所しかない、際立って特徴のある建物が見えたのです。東京の読者諸君は、戸山ケ原にある、陸軍の射撃場を御存じでしょう。あの大人国の蒲鉾を並べたような、コンクリートの大射撃場です」
今回、岩波文庫版が底本としたのは、大日本雄弁会講談社版の「怪人二十面相」である。解説で吉田司雄がこう書いている――「『怪人二十面相』は江戸川乱歩が少年向けに書いた長編小説の第1作で、大日本雄弁会講談社発行の月刊誌『少年倶楽部』に昭和11年(1936)1月号から12月号まで掲載(7月号休載)ののち、加筆修正が行われ同年12月に大日本雄弁会講談社より刊行された」。
これに対して、ポプラ社版が底本としていたのは、戦後に光文社「痛快文庫」の1冊として刊行された「怪人二十面相」である。これは昭和22年(1947)6月に出版されている。その後、少年探偵団シリーズは光文社の雑誌「少年」で連載が再開され、旧作、新作含めて同社から順次、刊行されていくことになる。つまりポプラ社版のシリーズは光文社版を踏襲している。
1936年の大日本雄弁会講談社版(岩波文庫版)にあって、1947年の光文社版(ポプラ社版)から消えている言葉を拾い出してみよう。「満洲国政府」「新京」「戦争」「軍隊」「無線電信隊」「陸軍」「大射撃場」など。戦前、戦中の日本にはあって、敗戦後はきれいになくなった言葉ばかりだ。言葉が消えれば、言葉の持つ本来の意味も消える。つまり戦前版の「怪人二十面相」に流れていた軍国主義の空気が、戦後版では見事に排除されたということである。
昭和11年の日本において、怪人二十面相なる大敵と戦う明智という構図は何を意味していたか。言うまでもなく、欧米列強の連合軍と戦う日本の象徴であろう。怪人二十面相が奪おうとする宝石や美術品は、大東亜共栄圏を意味していると考えられる。とすれば、明智の助手の小林少年は少国民ではなかったか。
少国民とは銃後に位置する子供を指した語で、年少の皇国民のことである。重苦しい時代の雰囲気に満ちた小説であり、しかもこれが少年向けに書かれていることは今から思えばかなり危ない。ジュニアミステリーの衣をまとってはいても、小林少年にあこがれた子供たちが、将来は兵隊さんになってお国の役に立つ――そのことの素晴らしさをうたっているのだから。
戦後の改変が乱歩自身によるものなのか、出版社が乱歩の許可を得て行ったものなのかは判然としない。しかし昭和22年という戦後民主主義到来の時代を考えれば当然の処置であっただろう。今は平成29年。かつて少年の頃、ポプラ社版で少年探偵団シリーズに出会ったという人たちも50歳代から60歳代になっている。歳月の流れを感じざるを得ない。(こや)


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2017/10/10 13:34 | コラム「たまたま本の話」

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