第89回われ隣人を見送る人生(田中小実昌)文学に関するコラム・たまたま本の話
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田中小実昌の名前は、直木賞、谷崎潤一郎賞受賞作家として、日本文学史にさん然と輝いている。しかし作家というイメージからどことなくかけ離れているのは、そのユニークな風貌や経歴によるものだろう。インターネット資料からプロフィールをまとめてみる。
田中小実昌(たなか・こみまさ)は1925年(大正14年)、東京市千駄ヶ谷生まれ。父・田中種助はバプテストの神学校を出た牧師であった。父の転勤で4歳から広島県呉市東三津田町で育つ。1944年、19歳で出征し、山口県の連隊に入営。中国の湖北省と湖南省の境で、鉄道警備部隊に編入され、苦しい行軍中にアメーバ赤痢、マラリア、コレラに罹る。特徴的なツルツル頭はその後遺症ともいわれる――と資料にはあった。野戦病院に移され、終戦を迎える。呉市に戻り、英語が堪能だったので米軍基地の兵舎のストーブマンなどを務めたあと、1947年、東京大学文学部哲学科に無試験入学するもほとんど出席せず、除籍となる。
ユニークなのはここからで、在学中からストリップ劇場「東京フォーリーズ」での演出助手(後にコメディアンとして出演)や、バーテンダー、啖呵売、易者などの職を渡り歩き、その経験を元に踊り子や客たちとの交流を描いたエッセイを書いて注目された。1950年に進駐軍横田基地で職を得る。1954年より米軍の医学研究所で化学実験の仕事をし、その傍ら、翻訳家として、主にハードボイルド小説を多数、翻訳する。早川書房のカーター・ブラウン作品などはほとんど訳している。文筆活動の出発点が翻訳だったことは押さえておいていい。
小説家としてのキャリアは、1952年「新潮」に「上陸」を発表、1966年に「どうでもいいこと」を「文學界」に発表しているが、本格的に作家活動に入ったのは1967年以降、「オール讀物」「小説現代」などに大衆小説を発表し始めてからである。1971年、「自動巻時計の一日」で直木賞候補。1979年、「ミミのこと」「浪曲師朝日丸の話」の2作品で直木賞を受賞した。
今回、資料で知ったことだが、その2作を雑誌に発表したのは、実は1971年だったという。それが8年後に単行本「香具師の旅」に収録されため、直木賞候補になって受賞に至ったもので、きわめて異例である。同年、戦争体験や父の姿に題材を取った短編集「ポロポロ」(これも表題作は1977年発表)で谷崎潤一郎賞も受賞する。
受賞後も直木賞、谷崎賞作家らしくないユニークな活動ぶりで知られた。「コミさん」の愛称で親しまれ、往年の深夜番組「11PM」を始めとしてテレビドラマ、映画、CMに出演。ピンク映画でカラミを演じたこともある。毛糸で編んだ帽子がトレードマーク。新宿ゴールデン街の常連としても鳴らした。午前中に原稿を書き、午後は映画会社の試写室で映画を見て、夜は家か飲み屋で飲む。週末には、目的もなくバスに乗っていたという。2000年2月、滞在先のアメリカ・ロサンゼルスで肺炎のため客死した。74歳。
牧師の息子で英語が堪能、翻訳や文筆活動の傍ら、大酒を飲み、ストリップ劇場やピンク映画にも出演する。こうしたコミさんの多面的な活動の原動力はどこから来るのだろう。このほど刊行された「田中小実昌ベスト・エッセイ」(大庭萱朗編、2017年12月、ちくま文庫刊)を読むと、その人生哲学の一端が垣間見える。例えばこんな描写がある。戦争末期、行軍中にコミさんの赤痢とマラリアがひどくなり、同じく病気にかかった戦友とともに旅団本部に送り返されるくだりだ(「昭和19年…(抄)」より)。
「新入りの患者のほうが病状はひどくて、ほとんどが板の上に寝かされたまま、息をひきとった。このときぼくの中隊からは、乙幹の軍曹と4年兵の上等兵とぼくの3人がおくられてきたのだが、乙幹の軍曹はついたあくる日に死んだ。死んだ顔は歯をむきだすようにし、そっ歯に、デコレーション・ケーキにつかうフィップ・クリームのようなものがべったりついていた」
戦地だから当然と言えば当然だが、まさに死が周辺にごろごろと転がっている日常。凄まじい描写がさらに続く。
「4年兵の上等兵は、しずかな口をきく、オジさんみたいなひとで(召集兵だったんだろう)これも1週間ほどで死んだ。このひとは栄養失調で顔がだんだん茶っぽいような色になり、死んだときはほんとにほうじ茶みたいな色をしていた。ぼくのとなりにいた初年兵も栄養失調で、便所にいったら、赤い血がすとーんと出ました、なんて軍医に言い、軍医は、へえ、赤い血がすとーんとねえ、とわらっていたが、ある晩、『寒(さぶ)い、寒い……』とほそい悲鳴みたいな声をだすので、せめてぼくの体温であたためてやろうと、抱いて寝たが、朝、目がさめたら、死んでいた。衛生兵がカンフル注射を打ちにきたら、死んでたので、衛生兵は『おい、タナカ、かわりにおまえに打ってやろう』とぼくにカンフル注射を打ってくれた」
死者を見送るコミさん自身も、重いマラリアで苦しんでいるのだから、軍曹や上等兵や初年兵の運命は、まさに明日の自分を見るようであっただろう。この本には戦後の一時代を築いたストリッパーの追悼文も収められている(「ジプシー・ローズをしのぶ」)。初年兵に打つはずだったカンフル注射を打ってもらったことに象徴されるように、自分の人生は無念にも倒れていった死屍累々の隣人たちによって生かされている、という思いがコミさんにはあるのだと思う。文筆活動もストリップとのかかわりも、そのすべてが彼らへの深い鎮魂に満ちている。(こや)
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2018/01/05 13:29 | コラム「たまたま本の話」

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