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2024/11/25 00:32 |
第9回 またもやチェスタトン(ギルバート・キース・チェスタトン)

第9回 またもやチェスタトン

(ギルバート・キース・チェスタトン)

今回もG・K・チェスタトンとブラウン神父について書かせていただく。
5冊のブラウン神父もの短編集の最終巻「ブラウン神父の醜聞」(1935年)に、「古書の呪い」という作品が収められている。創元推理文庫の解説目録によれば「5人の人物が全員消失するという、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』に先んじたような、実に例のない作品」とされている。まあ、クリスティのオールタイムベスト作に比べるような出来栄えとも思えないが、1997年に集英社文庫で刊行されたアンソロジー「世界の名探偵コレクション3 ブラウン神父」でも、ミステリ評論家の新保博久がブラウン神父ものの傑作として選んでいるほどだから、ついつい語りたくなる何かを持っている作品であるといえるだろう。

一生を心霊現象の研究に費やしてきたジョン・オリヴァー・オープンショー教授が主人公。この教授がある日、ルーク・プリングルと名乗る宣教師の訪問を受ける(以下、ストーリーに触れているので未読の方はご注意を)。

プリングル師は実に奇妙な話を始める。西アフリカのある伝道所で布教に当たっていたときのこと。ウェールズという大尉と知り合いになった。プリングルはウェールズから革装の色褪せた古い本を見せられる。不思議なことに、この本の以前の持ち主①は、一緒に乗っていた船の中でこの本を開いたとたん、私の目の前で姿を消してしまった、とウェールズはいう。そう語ったウェールズ②も誘惑に勝てず、一緒にテントの中にいたプリングルの目の前で本を開いてしまい、忽然と消失する。本はイギリスにいる東洋旅行家のJ・I・ハンキー博士に届けることになっている。2人の人間の消失に驚愕したプリングルは、ハンキーに届ける前に、心霊研究の権威であるオープンショーの話を聞きたいと、本を持参したというわけである。

ところが説明する前にオープンショーが本を開いてしまうといけないからと、プリングルはオフィスの隣の部屋に本を置いてきた。そこにはオープンショーの使っている堅物の事務員ベリッジがいる。ベリッジなら安心だからと、オープンショーとプリングルが隣の部屋に入っていくと、本が開かれた様子で置かれているだけで、ベリッジ③の姿はどこにもない。これで3人が消えてしまったことになる。

失踪はさらに続く。プリングルは本をハンキー博士の自宅に届ける。ハンキーは本を預かり、少し考えてみたいと告げるが、しばらく経ってプリングルとオープンショーがハンキーの自宅を訪ねると、無意識のうちに予想していたように、ハンキー④も読みかけの本を残して消えてしまっていた。そして最後の消失がやってくる。この問題について1人で考えてみたい、とプリングルは本を持ってオープンショーのオフィスにこもる。そこからオープンショーに電話をかけて、これから本を自分で開いてみる決心をした、と告げた瞬間、受話器から人の倒れるような物音がして、そのままプリングル⑤も消失する……

かくして5人の人間が古書をめぐって消えてしまった。唖然としているオープンショー教授に謎解きをするのは、例によってブラウン神父。神父は教授と年来の親友であり、今回の一連の消失事件の真相を見事に看破する。オープンショー教授はいう。「ブラウン神父、5人の男が消えてるんですぞ」
「オープンショー教授、誰1人、消えてはいないんですよ」
と、ブラウン神父は反論する。「もっとも人にわからせにくいのは、0+0+0は0であるということではないかと思います。どれほど奇妙なことでも、それが連続して起こったとなると人は信じるのです」「あなたは誰が消えるところも見ていません。船から人が消えるところ①も。テントから人が消えるところ②も。すべてはプリングルさんの話に拠っているのです」。さらにはハンキー博士④の消失(家はすでにもぬけの空だった)やプリングル師⑤の消失(電話口で物音を聞いただけ)に関しても、オープンショーは自分の目で見たわけではない。すべては自分の使用人であるベリッジ③が消えたことで、プリングルの説が裏付けられたと思い込んだからにすぎない。

というわけで、この一連の消失事件の真相は、オープンショーの気を引きたかったベリッジが、プリングル師という架空の人物に化けて主人を相手に一芝居打ったという次第。本の届け先のハンキー博士も架空の人物で、その家はベリッジの自宅に架空の表札を掲げたものだった、というオチまでついている。

一般に最初の短編集「ブラウン神父の童心」に傑作が集中していて、後半になればなるほど質的に落ちるとされるブラウン神父ものだが、最終巻においても考え抜かれたトリックが展開されていることに驚かざるを得ない。ただし発想的には、代表作「見えない人」と同工異曲の匂いが多少する。加えて、ベリッジが犯行に及んだ動機の部分が弱い。正確に言えば、これは犯罪ですらあり得ない。ブラウン神父ものには、犯罪にならない事件を扱った作品が何編かあるが、これもその一つであろう。

心霊研究の大家オープンショー教授は、他ならぬコナン・ドイルを揶揄したものといわれる。シャーロック・ホームズの生みの親が晩年、心霊術に傾倒していったことは周知の事実。偉大な先人ドイルよ、目を開いて現実を見たらどうか(まさにオープン&ショー)と、チェスタトンはイギリスミステリー界の巨匠に戒めの言葉を送っているかのようだ。(こや)

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2011/05/10 13:32 |
コラム「たまたま本の話」

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