第96回 「ロートレック荘事件」精読(筒井康隆)文学に関するコラム・たまたま本の話
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東京の世田谷文学館で開催されている「筒井康隆展」(10月6日~12月9日)は、作家・筒井康隆の半世紀をゆうに超える文業を振り返る機会として最適のものである。新進SF作家としてのデビューから、ブラックユーモアの才人、実験小説の書き手、そして断筆宣言を経て文壇の巨匠に至る現在までの歩みが一望できる。
このイベントを機に筒井康隆の作品を再読しているが、改めて驚かされたのが「ロートレック荘事件」。1990年9月、新潮社刊行の長編ミステリ(のち新潮文庫、1995年2月刊)で、今回はこの作品について書いてみる。書くとなるとどうしても内容に触れなければならない。トリックもすべて明かすことになる。
したがって「ロートレック荘事件」を未読の方は、以下は絶対に読まないでください。



閑静な郊外にある別荘は、かつては重樹の父の持ち物だった。重樹には同じ歳の従兄弟の浜口修がいる。修は8歳の時、遊戯中の事故によって重樹の脊椎に重大な損傷を負わせてしまった。重樹はその日以来、下半身の成長が止まってしまう。修は償いのために一生かけて重樹の世話をすることを決意する――というのが第一章「序」だが、書いている記述者は「おれ」である。「おれ」とは浜口修のことなのだが、この時点ではまだ浜口修という固有名詞は出てこない。「おれと重樹」という記述が見られるのみである。
続く第二章以降では、20年後の今に話が移る。夏の終わりに別荘で起きる連続殺人事件のことが語られていく。ロートレック荘と呼ばれるこの別荘は、現在は資産家の木内文麿氏が所有している。主人の木内氏の娘、典子を含む3人の令嬢たちが何者かによって殺されていくのである。
この第二章「起」の記述者も「おれ」になっている。しかしこちらの「おれ」は8歳の時に脊椎を怪我したというセリフが出てくる。したがって第一章の「おれ」(浜口修)とは異なって、第二章の記述者は重樹ということになる。つまり第一章と第二章で記述者が異なっている。作者の筒井康隆は、もうこの時点で「ロートレック荘事件」の記述者は1人だけとは限らない、と警告している。これを読者は気づかなければならない。
が、読者の多くが気づかないのは、第一章は本編に入る前の前提的な記述なのだ――という先入観のためである。いわば第一章は「昔々……」という部分に該当する。ミステリを読みなれた読者ほどそう思うに違いない。そして第二章以降は、すべて重樹による記述が最後まで続くのだと信じ込まされる。
このミスディレクション(誤読)にさらに輪をかけるように、第二章の冒頭で、ロートレック荘に向かう車の運転をする工藤忠明という人物が登場する。ここで読者はこう思う。ははあ、第一章で重樹に怪我をさせた従兄弟の「おれ」がきっと工藤なのだな。その工藤と重樹の2人が車に乗っているのだな、と。実際は車に乗っていたのは工藤忠明と浜口修(第一章のおれ)と重樹(第二章のおれ)の3人だったのだ。
全体を見ていくと、浜口修によって記述されているのは第一章の他に、第七章「彩」、第八章「破」、第十章「逸」、第十三章 「急」と、5章もある。第十五章「転」だけは特例で、立原絵里の「わたし」による一人称の記述。それ以外の章が重樹の記述である。だが読者の多くは、前述のようなミスディレクションによって第二章以降はすべて重樹の記述だと思わされてしまう。第十五章の立原絵里による特例の記述があるだけに、第一章も同様の特例と見なし、よりその感を深めることになる。
といった仕掛けによって、読者は画伯の「浜口重樹」という1人の人間がここにいると思う。本当は、文中で語られている「浜口画伯」とは画家になった浜口修のことであり、「重樹坊っちゃま」とは美術評論家として認められた重樹のことである。つまり1人ではなく2人がここにいるのだ。注意深く読めば、「わが忠実なる護衛兵が」(文庫版P39)といった描写があったり、「腹がへった」の重樹の言葉に「ぼくもそうだよ」とすぐさま返事したり(同P55)という、重樹のそばに寄り添う誰かがいることはしっかり記述されている。セリフを言う発信者が誰かぼかされているので気づかないだけである。
さらに筒井康隆が考え抜いて書いたのは「ロートレック荘二階平面図」(同P51)であろう。各部屋に誰が宿泊しているかがの一覧図だが、そこには「浜口重樹」とある。アンフェアじゃないかと言うなかれ。よく見れば「浜口」(改行)「重樹」となっている。1人は名字で、1人は名前で書かれた2人で1部屋に泊まっているということなのだ。他の部屋も「工藤」や「寛子」のように名字か名前のどちらかで書かれているから、決してアンフェアではない。ここにもまたミスディレクションを誘う仕掛けの1つがある。
平面図について補足すれば、あるネット記事ではこんな指摘がされていた。浜口修と重樹の部屋は他の個人部屋よりも大きく、木内夫妻の部屋と同じ広さである。ということは2人部屋で、そのことが平面図に明示されている――と。かつて別荘だった時代に重樹が1人で使っていた部屋が今回、工藤に与えられたのは、そこが2人で使うには手狭だったから。だから浜口修と重樹には、かつて重樹の両親が使っていた2人部屋が与えられた。この指摘には思わず納得させられた。
「ロートレック荘事件」には、このように斬新な叙述トリックが随所に散りばめられている。執筆当時、すでに筒井康隆は巨匠の域に達していたが、常に新生面を切り開く実験精神には驚かされる。この作品は確か同年刊行のミステリのベストテンに入ったように記憶しているが、賞レースで無冠に終わったのは残念でならない。(こや)



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2018/11/26 13:32 | コラム「たまたま本の話」

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