第97回 高度成長途上の男と女(黒岩重吾)文学に関するコラム・たまたま本の話
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平成も終わろうとする2018年。1年を通じて筑摩書房が大変うれしい企画を試みてくれた。昭和の名作ミステリ短編集を次々にちくま文庫で復刊したのである。2月に黒岩重吾の「飛田ホテル」、4月に結城昌治の「夜の終わる時/熱い死角 警察小説傑作選」、5月に仁木悦子の「赤い猫 ミステリ短篇傑作選」、7月に多岐川恭の「落ちる/黒い木の葉 ミステリ短篇傑作選」、8月に黒岩重吾「西成山王ホテル」、10月に戸川昌子の「緋の堕胎 ミステリ短篇傑作選」、11月に陳舜臣の「方壷園 ミステリ短篇傑作選」。
先鞭をつけたのは、おそらく2017年11月に同文庫で出た結城昌治の「あるフィルムの背景 ミステリ短篇傑作選」であろう。これが好評だったため、昭和のミステリに改めて注目が集まり、今回の連続企画につながった。どの1冊を取っても昭和という時代の香りが漂っていて興味深いが、今回は「飛田ホテル」の著者、黒岩重吾を取り上げてみたい。
黒岩重吾(1924-2003)は大阪市生まれ。同志社大学法学部在学中に学徒出陣し、北満に出征する。敗戦による逃避行の末、1946年に朝鮮に辿り着き、内地へ帰還した。復員兵ということになるだろうか。
日本に戻って復学したはいいが、戦後の混乱期に闇ブローカーなど、裏稼業に手を染める。卒業後は日本勧業証券(現・みずほ証券)に入社。1949年に「北満病棟記」を書き、週刊朝日の記録文学コンクールに入選。同人誌「文学者」のグループにも参加するなど、順風満帆の人生を歩むかに見えたが、株相場で大失敗をやらかしてしまう。
家財を売り払って株の情報屋となるも、1953年には大病で3年の入院生活を余儀なくされる。しかも入院中に株が暴落し、帰るべき場所がなくなったために、釜ヶ崎(現・あいりん地区)のドヤ街に移り住み、トランプ占い、キャバレーの呼び込みなど、様々な職業を経験する。
1958年に「ネオンと三角帽子」がサンデー毎日に入選。 1959年、源氏鶏太の紹介で司馬遼太郎と知り合い、「近代説話」の同人となる。1960年に「青い花火」が週刊朝日、宝石共催の懸賞に佳作入選。同年、書き下ろしで「休日の断崖」を刊行し、直木賞候補に。 翌年、釜ヶ崎を舞台にした「背徳のメス」で直木賞を受賞。以後、「西成もの」を主に、金銭欲や権力欲に捕らわれた人間の内面を巧みに抉った社会派推理作家、風俗小説家として活躍した。――というように、作家としてデビューしてからの活躍ぶりは周知の通りだが、それ以前にこれでもかというほど人生の辛酸をなめているのが黒岩重吾という人間の実像なのである。
「飛田ホテル」の元版は1961年に講談社、のち角川文庫から刊行されている。収録作品は6編で、タイトルと初出は次の通り。「飛田ホテル」(別冊文藝春秋、1961年4月号)、「口なしの女たち」(別冊文藝春秋、1962年1月号)、「隠花の露」(別冊文藝春秋、1964年1月号)、「虹の十字架」(小説中央公論、1958年8月号)、「夜を旅した女」(婦人公論、1961年9月号)、「女蛭」(日本、1961年4月号)。大ざっぱに言えば1960年前後に書かれた短編ばかりが収められている。直木賞受賞前後、まさに作家として脂の乗り切った時期の傑作ぞろい。共通するのは物語の舞台が釜ヶ崎、天王寺、阿倍野、芦屋、通天閣、新世界、御堂筋、難波、堺、神戸といった大阪南部から近隣にかけての裏通りに集中していること。大阪は東京に次ぐ日本第2の都市である。その大都会を舞台に男女の愛憎や犯罪など、複雑に絡み合った人間関係が描かれる。さて、ここで振り返っておかねばならない。1960年というのはどういう時代だったのか。安保紛争の年であることは自明だが、1953年から始まる高度成長のちょうど中間点であったということは押さえておかねばならない。マクロ経済学の権威、吉川洋の書いた「高度成長 日本を変えた6000日」(2012年4月、中公文庫刊)によれば、「朝鮮戦争が終わった後、1950年代の中ごろから70年代初頭にかけて、およそ10数年間、日本経済は平均で10パーセントという未曽有の経済成長を経験した」という。吉川はデータを挙げる。
「1950年(昭和25)の日本を振り返ってみよう。この年日本の就業者の48パーセントは、農業・林業・漁業など『一次産業』に従事していた。つまり働いている日本人のほぼ2人に1人は『農民』であったわけだ。高校に進学する女子は3人に1人、男子も2人に1人は中学を出ると働き始めた」
「それから20年、高度成長が終焉した1970年(昭和45)になると、一次産業に従事する就業者の比率は、19パーセントまで低下している。逆に『雇用者』の比率は、64パーセントまで上昇した。20年間で、働く日本人3人のうち2人は『サラリーマン』になった。高校進学率は80パーセントを超え、しかも男女の格差が解消した」
1960年とは、高度成長という経済変革がまだまだ途上にある時代だった。男3人のうち2人がサラリーマンになっていく中で、中卒で就職したり、集団就職で都会に出てきたりした若者たちはまだ多く、彼らの働き場が徐々になくなってきていた。女の高校進学率が上がっていても、いったん売春婦に身を落とした女たちは日陰でずっと生き続けるしかない。売春防止法が1958年に適用されて以降、体を売る商売を続けようとする女たちは、非合法のコールガールになっていった。「飛田ホテル」や「口なしの女たち」に出てくる彼女らのように。
そして「女蛭」のサラリーマンとして出世したデパート宣伝部長も、女に人生を翻弄されて死んでいく。幸福な人生を送ったとは言い難い男の姿を、黒岩重吾の筆は鋭くとらえる。(こや)

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2019/01/09 13:32 | コラム「たまたま本の話」

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