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2024/11/24 05:33 |
海外文学のコラム・たまたま本の話 「第42回 虹をつかむジェイムズ・サーバー」(ジェイムズ・サーバー)

第42回 虹をつかむジェイムズ・サーバー
(ジェイムズ・サーバー)

 映画「虹をつかむ男」が久しぶりにリメークされたというので話題になっている。1947年の最初の映画化ではコメディアンのダニー・ケイが主演。1939年、雑誌ニューヨーカーに発表されたジェイムズ・サーバーの原作はわずか10ページほどの短編(原題「The Secret Life of Walter Mitty」)だったが、脚本家のケン・イングランドとエヴェレット・フリーマンがプロットを大幅にふくらませ、名匠ノーマン・Z・マクロードが監督して一級品の喜劇映画に仕上げた。日本でも1950年に劇場公開されている(当時の邦題は「虹を摑む男」で、同年のキネマ旬報外国語映画ベストテン8位に入選)。
 今回の再映画化の邦題は「LIFE!」(本年3月、全国ロードショー予定)。雑誌「ライフ」の2000年の廃刊騒動をからめ、これまた原作をかなりアレンジして練り上げた独自のストーリーになっているらしい。うれしかったのは、映画の公開に合わせて原作「虹をつかむ男」を表題作とする短編集が文庫化されたことである(鳴海四郎訳、2014年1月、ハヤカワepi文庫刊)。かつて異色作家短篇集およびその新装版で出たジェイムズ・サーバーのオリジナル傑作選が、これで手軽に読めるようになった。

 この機会に、代表作「虹をつかむ男」を文庫版で読み直してみた。主人公Walter Mittyには「夢想にふける人」の意味がある――そう書いている英和辞典もあるほど本国では有名な作品である。現実では妻の尻に敷かれながら美容院や買い物に付き合わされる恐妻家のウォルター・ミティが、夢想の中では常にヒーローになる。「ある時は悪天候をモノともしない勇猛果敢な艇長、ある時はいかなる事態にも冷静に対処するスゴ腕の外科医、またある時は高潔なる射撃の名手、そしてまたある時は命知らずのパイロット……」(文庫版カバーより)。
 つまり現実で自家用車のスピードを出し過ぎて妻にしかられると、空想の中では悪天候の中でも勇敢にスピードを出して突き進む艇長になっているという次第。夢想と現実が尻とり遊びのように、交互にシニカルにつづられていくのが妙味である。

 翻訳した鳴海四郎は2004年10月にすでに故人となっていて、同書巻末の解説を鳴海に代わってH・Kなる署名の人物が書いている。中にこんな一節がある――「じつはサーバーは6歳のときに事故で片目の視力を失っており、また生涯にわたって残った目の視力の低下に悩まされていた」。驚いたので調べてみると、「『脳のなかの幽霊』を読む。」というインターネット記事の中にこうあるのを見つけた――「作家で諷刺漫画家のジェイムズ・サーバーは、6歳のとき、兄が投げたおもちゃの矢が右眼に突き刺さるという事故にあい、それ以来、右眼が見えなくなった。(中略)やっかいなことに、事故から何年かたって、左眼もしだいに衰えはじめ、35歳のときに完全に失明してしまった」。
 サーバーは1894年生まれ。とすれば1900年に右目の視力を失い、1929年には両目とも失明してしまったことになる。1929年というのは最初の著作「Is Sex Necessary?」(「Sexは必要か」「性の心理」などのタイトルでかつて邦訳あり)をE・B・ホワイトとの共著で出版した年である。
 失明といっても多少は見えていたのかもしれないが、作家としてのキャリアのほとんどを不自由な視力で過ごしたというのは驚くべきことであろう。しかもサーバーは文章だけでなくイラストやマンガも書く。それぞれの短編の扉や本文に描かれているユニークな自筆マンガは有名だが、今回の文庫版「虹をつかむ男」のカバーイラストもサーバー自身の手によるものである。満足にものが見えない状態で、長年ずっと文章や絵を描いていたのだろうか。
 実はサーバーは「シャルル・ボネ症候群」だったという説がある。シャルル・ボネ症候群とは視力の低下とともに、そこにないはずの人物、動物、建物などが見える症状のこと。脳には目から送られてきた映像を瞬時に認識し判断する必要があるから、処理時間を早めるために今まで経験してきた映像で補う働きがある。視覚システムに異常をきたすと、それをさらに補うため、脳は独自に像を作り始める。したがってかつて経験してきて、今は実際にそこにはない映像が見える気がする――という学説で、これを「幻肢現象」(ケガや病気で四肢を切断された人が、あるはずのない手や足の痛みを覚える症状)と類似したものと主張する学者もいる。

 「虹をつかむ男」の主人公ウォルター・ミティは、病院の前を通れば自分がスゴ腕の外科医になるし、新聞売りが裁判所の公判のニュースを叫ぶと高潔なる射撃の名手になる。雑誌の爆撃機の写真を見れば命知らずのパイロットになってしまう。ミティは目が見えているのだが、この症状はまさにシャルル・ボネ症候群に該当するのではないか。
 サーバー自身を長年にわたって悩ませた(あるいは楽しませた?)症状の経験が、おそらくミティという主人公のキャラクター造形には生かされている。

 ところで夢想部分の随所に「ポケタ・ポケタ」という擬音が登場する。それは水上艇のシリンダーの音であったり、手術室の麻酔器の音であったり、新式の火炎放射器の音であったりとさまざまだが、作品に見事な効果を与えている。原文ではpocketaとつづってある。pocketとはどうやら関係なさそうだが、夢想の中になぜわざわざ擬音を持ってきたのか、以前から気になっていた。サーバーがシャルル・ボネ症候群だったと考えると納得がいく。この症状が擬音をきっかけとして誘発されることは十分に考えられるからである。(こや)


ジェームズ・サーバー(ジェイムズ・サーバー)をWIKI PEDEIAで調べる

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2014/02/11 15:34 |
コラム「たまたま本の話」

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