第44回 われ酒の酌をする侍者たらん
(ヘクター・ヒュー・マンロー)
ヘクター・ヒュー・マンローはスコットランド系のイギリス人。父がビルマ(現ミャンマー)の警察長官を務めていた関係で1870年、ビルマに生まれた。2歳のとき母に死なれて、兄と姉とヘクターの3人はイギリスに帰国、2人の伯母の世話になって育つ。どうもこの伯母たちがしつけに厳しく、ヘクターたちとそりが合わなかったらしい。
ビルマの陸軍大佐を最後に退役してイギリスに帰国した父と、やがてフランス、ドイツ、スイスなどを旅行して回り、見聞を広めた。学歴らしきものはほとんどないという。24歳でジャーナリズムの世界に入り、海外特派員としてバルカン半島、ロシア、パリ各地の新聞社に勤務。38歳でイギリスに帰国したヘクターは、短編小説を発表し始める。短編135編と長編2編を残した後、第一次世界大戦が勃発すると、自ら志願してフランス戦線に出た。1916年、敵に銃撃され、46歳で名誉の戦死を遂げる。一説によれば、塹壕で戦友が煙草に火をつけたので「消せ」とどなった瞬間、弾丸が飛んできた。撃たれたのはヘクターのほうだったという。
死後も彼の作品は世界中の人々に読み継がれ、O・ヘンリーと並ぶ20世紀の短編の名手として評価されている。中でも「開いた窓」(The Open Window)は最も著名な1編であろう。
娘が来客に告げる――「もうすぐ伯母がまいります。3年前、猟に出かけたまま、沼地に飲まれて帰ってこない夫と弟たちと犬が、いつか帰ってくるのではないかと、ずっと窓を開けて待っているのです。内緒ですが、精神を病んでいます」。やがて伯母がやってきてその話の通りのことをしゃべるが、直後、本当に夫と弟たちと犬がずぶ濡れ姿で窓から入ってくる! 幽霊を見たショックであわてて逃げ出す来客。実はとっさの作り話が娘の得意技なのであった。
まるで、子供時代にそりが合わなかった自らの伯母への複雑な思いが反映されているような短編である。ユニークなのは、「開いた窓」ほか傑作の数々を執筆する際にヘクターが使ったペンネーム。「サキ」という。
この変わった名前は、11世紀ペルシャの科学者、哲学者、詩人であるオマル・ハイヤームの4行詩「ルバイヤート」に基づいている。ただし命名の由来についてはそのまま鵜呑みにはできない。南アメリカ産のサルの一種に「サキ」というのがあって、そちらから名前をとったという説もあるが、これはうがった見方かもしれない。ともあれ「ルバイヤート」からの命名説をとれば、該当部分は以下の通り。
「この道を歩んで行った人たちは、ねぇ酒姫(サーキイ)、
もうあの誇らしい地のふところに臥(ふ)したよ。
酒をのんで、おれの言うことをききたまえ――
あの人たちの言ったことはただの風だよ」
(「ルバイヤート」、オマル・ハイヤーム作、小川亮作訳、1979年9月、岩波文庫刊より)
酒姫(サーキイ)については、こう註にある――「酒の酌をする侍者。普通は女でなくて紅顔の美少年で、よく同性愛の対象とされた」。
「ルバイヤート」は今でこそ世界的古典に位置づけられているが、19世紀後半まではそうではなかった。全く無名の作品だったのである。実は19世紀のイギリス詩人エドワード・フィツジェラルドが、1859年に「ルバイヤート」の英語訳をひっそりと自費出版してから火がついた。それについては前出の岩波文庫版「ルバイヤート」に詳しい。
「フィツジェラルドが、1859年にその翻訳を自費出版の形で初版わずかに250部だけ印刷した時には、若干を友人に分けて、残りはこれを印刷した本屋に1冊5シリングで売らせたのであったが、当時はいっこうに人気がなく、いくら値を下げても買手がつかないので、ついには1冊1ペニイの安値で古本屋の見切り本の箱の中にならべられる運命となった」(前掲書)
最初はそんな状態だったフィツジェラルド訳「ルバイヤート」は、やがて識者の注目を集めるようになる。「ことに19世紀末から20世紀の初めにかけてオマル・ハイヤーム熱は一種の流行となって英米を風靡し、その余波は大陸諸国にも及んだ。ロンドンやアメリカには『オマル・ハイヤーム・クラブ』が設立され、またパリでは彼の名が、酒場の看板にまで用いられるほどであった」(同)
つまりヘクター・ヒュー・マンローが生まれた1870年ごろというのは、オマル・ハイヤーム熱がちょうどイギリスを中心に高まってきた時期に当たるのである。長じて、彼が各地で新聞記者を務めていた19世紀末には、そのブームがピークに達していて、「ルバイヤート」を読まざる者は知識人にあらず、という機運がおそらく欧米中に広がっていた。ひょっとするとヘクター自身が新聞記事を書き上げた後、パリのオマル・ハイヤーム酒場で毎日のように一杯、引っ掛けていたかもしれない。
時は20世紀初頭。欧米列強による帝国主義が推し進められる中、ヘクターは海外特派員を辞めてイギリスに引っ込み、自らの表現活動に入る。とすれば、ペンネームに「ルバイヤート」の酒姫の名前を借りてくることに何の躊躇があろうか。われ酒の酌をする侍者たらん――。主人に酒を注ぎながら「解き得ぬ謎」「生きのなやみ」「太初のさだめ」「万物流転」「無常の車」「ままよ、どうあろうと」「むなしさよ」「一瞬をいかせ」(「ルバイヤート」各章の表題)といった教えを授かるように、世界から物語を引き出し、練り上げ、紡いでいく。それが作家としてのヘクターの仕事であり、人生となった。そういえば、かのコナン・ドイルも「オマル・ハイヤーム・クラブ」に加入していたという話を聞いた。(こや)
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