第45回 フランス・ユーモア作家の教養
ピエール・ルイ・アドリアン・シャルル・アンリ・カミ
「カミは“イン・ザ・ワールド”――世界でいちばん偉大なユーモア作家だ。カミの本はどれも巧みなユーモアにあふれた傑作である。悲壮かと思うと滑稽で、高尚かと思うと珍妙で、そのふたつの相反するものが世界中の作者の卓越した腕前で交互に配される……。その笑いは万国共通のものである。世界じゅうの人間が理解できるものだ」
こう言ったのは、誰あろう、チャールズ・チャップリンその人である。史上最高の喜劇王から史上最大の賛辞を受けたのは、20世紀前半のフランスきっての人気ユーモア作家、ピエール・ルイ・アドリアン・シャルル・アンリ・カミ。長ったらしい名前のため、日本では昔から「カミ」で通っている。長編「エッフェル塔の潜水夫」や、シャーロック・ホームズのパロディー「ルーフォック・オルメスの冒険」シリーズなどが、かつて翻訳されている。
この人の経歴が面白い。エピソード満載の人生を送っている。最近出たカミの中編集「機械探偵クリク・ロボット」(高野優訳、2014年2月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)の訳者あとがきやインターネット資料から、彼のプロフィールをざっとおさらいしてみよう。
1884年6月20日、フランス南西部の町ポーに生まれる。彼の父シャルル・カミは当時28歳で、職業はセールスマン。一家の経済状態は良好であり、彼と3人の妹は中流階級に育った。ポーはピレネー山脈のふもとにあり、スペインに近い。そのせいか、小さいころは闘牛士になる夢を持っていた。父親の反対もあって、その夢はあきらめ、1903年、19歳のときにパリの国立音楽演劇学院で、コメディー・フランセーズの名優として知られたモーリス・ド・フェロディーに師事。だが修士の資格は得られないまま、オデオン座やテアトル・モンダン、リトル・パレス座などを転々とした。
結局、俳優としては大成しなかったわけだが、このあたり、若いころ同じようにイギリスの場末の舞台を転々としたチャップリンが、カミにシンパシーを感じるのもうなずける気がする。
頭角を現したのは、文章と絵のほうである。1910年、26歳のときに、葬儀店のための会報「挿絵入り 小さな霊柩車」という風変わりな新聞を創刊。この新聞は「『不死の存在』とされるアカデミー会員が不死であることを認めない唯一の新聞」という触れ込みで、ブラックユーモアにあふれる記事を載せて好評だったが、残念ながら隔週刊の第7号を発行したところで自主的に廃刊にしたという。
それが11月1日の「死者の日」だったというから、わが国の明治期の風刺戯画雑誌――「團團珍聞」「驥尾団子」の野村文夫や、「自殺号」を出して廃刊した「滑稽新聞」の宮武外骨などを彷彿させる遊び心の持ち主であったに違いない。
その後カミは「ジュールナル」「パリ・ソワール」紙などに小説やコントを寄稿し、40冊以上の著作を刊行する流行作家になっていく。彼はイラストも自分で描いた。アルフォンス・アレーやローラン・トポールなど、フランスには絵と文をどちらも物する作家が多い。風刺文学の一種の伝統なのかもしれない。
戦時中はナチスの台頭から逃れるため、生まれ故郷のポーの近くに引っ込むが、戦後はまたパリに戻って創作活動を行う。「機械探偵クリク・ロボット」はそのころ書かれた。晩年もユーモア・アカデミーの設立や国際ユーモア大賞を受賞するなど、活躍したが、1958年にパリでひっそりと亡くなった。享年74歳だった。
さて、そこで「機械探偵クリク・ロボット」である。2010年にハヤカワ・ポケット・ミステリで出たばかりの日本語訳が、早くも文庫になった。この「機械探偵」は、シリーズといってもわずか2編の中編しかなく、「五つの館の謎」が1945年、「パンテオンの誘拐事件」が1947年と、今から約70年前に書かれたものである。同書の訳者あとがきにあるように、まさに「過去からの贈り物」であって、現在から見ると、古めかしく色あせて感じる点も少なくない。
何よりもミステリーとしてテンポがゆるいし、暗号の謎解きにしても、フランス語つまり原文のダジャレになっているから、そのままでは日本語に移せない。訳者の高野は苦心して日本語のダジャレに置き換えているが、今ひとつ流れが良くない。昔からこの作品の存在が知られていても、なかなか日本に紹介されなかった理由はそのあたりにあるのかもしれない。
そうはいってもカミのユーモアのセンスはやはり傑出している。まずは「五つの館の謎」で登場したクリク・ロボットの生みの親の名前をジュール・アルキメデス博士にしたこと。あの古代ギリシャの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者、アルキメデスの直系の子孫という設定だ。「円周率の近似値計算」や「アルキメデスの原理」などを考案した偉人の名前が、技術の粋を結集した「機械探偵」の存在感に輝きを与えている。
続いて感心したのは、「パンテオンの誘拐事件」で、墓が荒らされ遺骸が「誘拐」された4人の知識人の名前である。ヴォルテール、ジャン=ジャック・ルソー、ヴィクトル・ユゴー、エミール・ゾラ。百科全書派とされる18世紀啓蒙主義の哲学者2人に、19世紀ロマン派と自然主義の作家が1人ずつ。いずれも近代フランスの知性を支えた巨人である。
しかもジャン=ポール・サルトルの「実存主義」(じつぞんしゅぎ、エグジスタンシアリスム)ならぬ「実欣主義」(人生の快楽を謳歌する哲学。じつごんしゅぎ、エクシタンシアリスム)を提唱するA・B・C・D・E・F・ジェーなる人物も登場する。ボリス・ヴィアンが1947年に書いた「日々の泡」にもジャン=ソール・パルトルなる哲学者が登場するから、サルトル批判はこの時代の流行だったのかもしれないが、カミのユーモアの奥にある教養には思わず舌を巻く。(こや)
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