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2024/04/29 21:29 |
海外文学のコラム・たまたま本の話 「第46回 ソーセージ並みに売れた名作 (ガブリエル・ガルシア=マルケス)」

第46回 ソーセージ並みに売れた名作 (ガブリエル・ガルシア=マルケス)
 4月17日、メキシコ市内の自宅でガブリエル・ガルシア=マルケスが亡くなった。享年87歳だった。晩年はリンパ腫や認知症を発症し、闘病生活を送っていたと伝えられる。読売新聞4月18日付首都圏版夕刊の紙面は、偉大な作家の死をこう伝えている。「コロンビア北部アラカタカ生まれ。ボゴタ大法学部に進んだ後、短編小説を書くようになり中退。新聞記者として働きながら創作を続け、1955年に処女作『落葉』を発表。67年に出版された『百年の孤独』がベストセラーとなり、世界のラテンアメリカ文学ブームを先導した。82年にノーベル文学賞受賞」。

マルケスの代表作は言うまでもなく長編「百年の孤独」である。20世紀文学の傑作とされるこの小説についても、同紙は触れている。「代表作『百年の孤独』は、カリブ海沿岸の架空の町マコンドを舞台に、開拓者一族ブエンディア家の波乱に満ちた100年の歴史を描いた長編。超現実的で幻想的な描写を織り込む手法『魔術的リアリズム』を駆使したことで知られる。25を超える言語に翻訳・出版され、3000万部以上を売り上げたとされる。日本でも大江健三郎さん、池澤夏樹さんらに影響を与えた」。
 新聞記事なのでどうしてもさらっとした書き方になるのだが、実際の「百年の孤独」はかなり難解な小説である。ざっと読むだけではストーリーやプロットがうまくつかめない。しかもラテン民族特有の舌を噛みそうな人物の名前が、血族100年の歴史の中で頻繁に登場するから、それが親なのか孫なのか、読んでいると頭が混乱してくる。そんな小説が世界のあちこちで名作と評価され、大ベストセラーになり、まさしく「ソーセージ並みによく売れた」のはなぜか。

先の記事で影響を受けた作家の一人とされる池澤夏樹は、4月21日付読売新聞首都圏版朝刊の文化面に「追悼 ガルシア・マルケス」と題する一文を寄せた。いかにも池澤らしい見取り図の立て方なので、長くなるが引用する。
「彼(マルケス)はまったく新しい文学の提唱者だった。小説は19世紀のヨーロッパで完成された。先進国の都市で生きる市民たちをリアリズムで描いて人間の本質を求める。フロベールとトルストイとジェイン・オースティンが代表」
「20世紀になると『ユリシーズ』を書いたジョイスと『失われた時を求めて』を書いたプルーストが出て、小説にできることをすべてやってしまった。言わば正規戦は終わり、散発的な掃討戦だけが残った」
「そういう黄昏の時期に『百年の孤独』というとんでもない作品が現れた。先進国でもなく、都市でもなく、正統リアリズムではないのにおそろしく魅力的。マコンドという架空の村に暮らす一族とその周囲の人々の100年を嘘みたいな口調で語る荒唐無稽な物語。エピソードがジャングルのように繁茂して、読む者はしばしば道に迷う。その五里霧中体験のいかに楽しいことか」。

要するにトーマス・マンもジャン=ポール・サルトルもアルベール・カミュもすべて「散発的な掃討戦」の担い手であると語っているわけで、乱暴ではあるが、さすがは世界文学に精通した作家の見解である。そういえば池澤は30年前の1984年に「『百年の孤独』の諸相」という論文を書き、すでに精緻な作品分析を試みていた(「ブッキッシュな世界像」1988年4月、白水社刊に所収)。追悼文でも、「彼(マルケス)とその仲間たちが言うマジック・リアリズムは世界中で若い作家たちを勇気づけた。こんな風に書いてもいいんだとみんなが思い、文学のシーンが変わってしまった」と締めている。

マルケス本人は自作「百年の孤独」についてどんなふうに語っているのだろう。死去の報と前後して訳出された、ガルシア=マルケスの全講演集「ぼくはスピーチをするために来たのではありません」(木村榮一訳、2014年4月、新潮社刊)の中にこんな一節がある。
「38歳の時(20歳で本を書き、それまでに本を4冊出していたのですが)、私はタイプライターの前に腰を下ろして、次のような文章を書きました。『長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。』(鼓直訳。新潮社)
この一文が何を意味し、どこから生まれてきたのか、さらにどこへ私を導こうとしているのか見当もつきませんでした。ただ、本を書き上げるまでの18か月間、1日も書く手を休めなかったことだけはよく覚えています」(同書所収「スペイン語のメッセージで満たしてもらおうと開かれている心――カルタへーナ・デ・インディアス。2007年3月26日」より)。まあこれも、小説さながらのけれん味にあふれた語り口ではあるけれども。

最後に、木村榮一の指摘が大変面白かったので紹介しておきたい。木村は多くのマルケス作品を訳しているスペイン文学・ラテンアメリカ文学翻訳の第一人者だが、マルケス追悼に合わせる形で出版された新著「謎ときガルシア=マルケス」(2014年5月、新潮社刊)の中でこんなことを書いていた。
「(マルケスの)祖母がケルト人の血を引いていることを思い起こさなければならない。祖母は幼いガブリエル少年をつかまえて、亡くなった人たちが今も生きているように話し(中略)こわがらせたと言う。死者が今も別のところに生きているという考えはケルト系の人たちが持っている考え方で(中略)こうした死生観が幼いガブリエル少年に大きな影響を与えたことは言うまでもない」「つまり、ガルシア=マルケスにあって幻想は、頭の中で作られたものではなく、彼自身の血となり、肉となって体の中に溶け込んでいるのである」。
「難解ながらよく売れる」マルケス文学の源泉に触れるような、卓越した着眼であろう。(こや)


ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケスをWIKI PEDEIAで調べる

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2014/06/08 17:19 |
コラム「たまたま本の話」

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