第47回 「殺人演技理論」とスタニスラフスキー・システム (ロバート・ブロック)
以前も当コラムで紹介した、扶桑社海外ミステリー文庫の短編集「予期せぬ結末」シリーズの刊行が、いよいよ佳境に入ってきた。1のジョン・コリア「ミッドナイト・ブルー」、2のチャールズ・ボーモント「トロイメライ」に続いて、この6月、「予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖」が出版された。満を持して巨匠ロバート・ブロックの登場である。ロバート・ブロックは、日本では主にアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」の原作者として知られているが、作家としてのキャリアは長く、しかも多岐にわたっている。インターネット資料などから、プロフィルをざっとまとめてみよう。
ロバート・アルバート・ブロック(Robert Albert Bloch 1917年4月5日 -1994年9月23日)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれの小説家、SF作家、ホラー小説作家、脚本家および映画原作者。父ラnファエル・(レイ)・ブロックは銀行員、母ステラ・ローブは社会活動家で、両親ともにドイツ・ユダヤ系アメリカ人である。パルプ雑誌「ウィアード・テールズ」の熱烈なファンで、同誌に掲載されたハワード・フィリップス・ラヴクラフトの作品に感銘を受け、1935年、同誌に「The Feast in the Abbey」を発表した。17歳にしてデビューというから驚く。この時期のブロックは短編小説を数多く執筆し、アンソロジーに作品が収録されるパルプ雑誌界の人気作家であった。
その時代を経て、ブロックを一躍有名にしたのは、1959年にアルフレッド・ヒッチコック監督の映画「サイコ」の原作を書いたことである。 ただし脚本などで協力した映画は、「サイコ」以外は英国アミカス・プロなどのB級ホラー作品が多かった。1959年、「地獄行き列車」(That Hell-Bound Train)でヒューゴー賞の短編小説部門を受賞。1994年9月23日にカリフォルニア州ロサンゼルスで没した。
さて、そこで「予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖」である。冒頭に収められた短編「殺人演技理論」について以下に書くが、ネタばれになるので未読の方はご注意を。
ミステリー作家の夫と意に添わない結婚をした妻が、劇団俳優の愛人と謀ってある犯罪を計画する。作家は自作に登場する絞殺魔が現実に現れ始めたと妻に訴える。その絞殺魔は俳優が扮したニセモノなのだが、半ばノイローゼになった作家は精神科医の元に相談に訪れることになるだろう。 そこを狙って絞殺魔に扮した俳優が精神科医を殺す。作家は自作のキャラクターが現実に現れて殺人を犯したと主張するが、もちろん警察は信じない。そしてノイローゼの作家は殺人の罪を着せられ、刑務所に収監される――。
そういうシナリオだったが、なんと俳優は精神科医だけでなく、当の作家までも殺してしまった。「なぜ殺してしまったの。罪をかぶせる人がいなくなって、私たちが怪しまれるじゃない」となじる妻に、俳優は襲いかかって彼女の首を絞めてしまう。かん高い笑い声を上げながら――。
このストーリー説明だけでは意味がよく分からないと思うが、「Method for Murder」という原題に読解のヒントがある。妻の愛人であるこの劇団俳優は、実はスタニスラフスキー・システムの熱烈な信奉者であった。
スタニスラフスキーとは、言うまでもなくロシアおよびソ連の俳優、演出家であったコンスタンチン・スタニスラフスキーのことである。彼は「俳優の感情や動作を演じる人物と完全に同一化してその人物になり切る演技法」を作り上げ、世界の演劇・映画人たちに多大な影響を与えた。
妻の愛人の俳優はその「なり切る演技」を崇拝するあまり、精神に異常をきたしてしまい、演技ではなく本物の絞殺魔(作家の作中人物)になり切ってしまったわけである。
ロバート・ブロックともあろう作家が何とバカな話を――と一笑に付せないのは、短編が発表されたアメリカという国と、1962年という時代に理由がある。スタニスラフスキー・システムがいちばん受け入れられたのは戦後のアメリカにおいてだった。
1920年代、スタニスラフスキーの演技理論に感銘を受けたアメリカ実験室劇場の学生リー・ストラスバーグらは「グループ・シアター」を設立、スタニスラフスキー・システムの普及に当たる。戦後の1948年、演劇学校「アクターズ・スタジオ」を創設したストラスバーグは、映画監督のエリア・カザンらを招き、スタニスラフスキー・システムをより大胆に体系化したメソッド演技法を確立していく。
つまりブロックがここで短編のタイトルにした「Method」とは、そのメソッド演技法のことなのである。この理論は「役柄の内面に注目し、感情を追体験することなどによって、より自然でリアルな演技・表現を行う」というもので、スタニスラフスキー・システムをさらに発展させている。
映画「波止場」で自分に銃を突きつけた兄をなだめるマーロン・ブランドや、「エデンの東」で父親に泣きつくジェームズ・ディーンの演技を思い浮かべてもらえば分かりやすい。やがてアクターズ・スタジオはポール・ニューマン、マリリン・モンロー、ニューシネマのダスティン・ホフマンら大スターを輩出し、メソッド演技法は1950年代から1960年代にかけてアメリカ演劇・映画界の主流となっていく。「殺人演技理論」の劇団俳優も、大スターの一員となるべくメソッド演技法を必死に学んでいた一人だったのだろう。
ただし、メソッド演技法には批判も多くあって、特にイギリスの伝統的な俳優陣――ローレンス・オリヴィエらは強く反対の立場を述べている。リアルな演技を心がけるあまり、薬物依存になるなど、精神や肉体を病んでしまった役者も多いからだ。あるいは「作中人物である絞殺魔になり切ってしまう俳優」を描いたロバート・ブロックこそが、ほかの誰よりもその批判者の代表格だったのではないか。(こや)
ロバート・ブロックをWIKI PEDEIAで調べる
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