第15回 異色の短編「信・望・愛」
(アーヴィン・S・コッブ)
江戸川乱歩が編集した「世界短編傑作集」(創元推理文庫)全5巻には、1860年に書かれたウィルキー・コリンズ「人を呪わば」から1950年のディビッド・C・クック「悪夢」まで、44編の傑作短編が年代順に収められている。いずれ劣らぬ珠玉の名品ぞろいだが、一番の異色作は第4巻(1961年4月刊)に収められている「信・望・愛」(1930年)だろう。
作者はアーヴィン・S・コッブ。専門のミステリ作家ではない。評論家の中島河太郎によれば、「アーヴィン・S・コッブはアメリカのジャーナリストであり、ユーモリストであり、また劇作家であった。1876年に生まれ、『ニューズ・デモクラット』の編集長などをはじめ、『サタデイ・イヴニング・ポスト』『コスモポリタン』誌などのスタッフとなったりした一方、ユーモア小説や短編集を著している。また映画脚本も手がけていて、1944年に死去した」(同書解説)とある。
以下、ストーリーの紹介となるので、未読の方はご注意を(引用は田中小実昌訳)。列車に3人の囚人が乗り合わせている。囚人はフランス人のラフィット、イタリア人のヴェルディ、途中から乗ってきたスペイン人のガサ。3人には本国送還のためそれぞれ1人ずつ監視官(刑事)が付き添い、ニューヨークへ向かっていた。2人の刑事が車中で食中毒にかかってしまい、残った1人が3人の囚人を監視することになる。
3人は本国送還されれば極刑が待っている。フランスの死刑は言うまでもなくギロチンである。フランス人のラフィットは「死刑になるおれには、それは永遠の長さだ。きっと、そうにちがいない。ギロチンの刃の下に首をさしだして待っている間に、今まで生きていた年月の何百倍も生き、そして何百回となく死ぬような思いがするだろう。それから、首が胴体からはなれる。おれのからだが二つになってしまうんだ」と、ギロチンによる死刑をおそれる。
スペイン人のガサは、スペインの法廷は血に飢えている、裁判官は被告を憐憫もなく罰するだけだと前置きし、こう言う。「やつらはおれをガロットにかける。ガロットってのは、でかい、がっちりした鉄の椅子だ。こいつに、両手、両足、胴体をしばりつける。そして頭を、まっすぐに立った柱にもたせかける。この柱にカラーのような鉄のバンドがついていて、そのなかにすっぽり首をいれ、後から死刑執行人が、そのねじくぎをしめるんだ」。そして「一寸きざみに息がつまり、死んで行くんだよ」と、ガロットによる死刑におびえる。
イタリアには死刑がなく、無期懲役である。しかし、イタリア人のヴェルディは「まったくひとりぼっちで監禁されるんだ。つまり、生きながら埋葬されるんだよ。監房の厚い壁のなかに、たったひとりでとじこめられる。ほんとうの墓場だ。大声をあげてわめいても、だれも答えてはくれん。沈黙と闇。このはてしない闇と沈黙のうちに気が狂い、死んでいくんだ」と、陽気なイタリア人にとって死刑よりも残酷な無期懲役におののく。
列車がニューメキシコ州の町に停車した一瞬の隙をついて、たった1人の監視官を殴り倒した囚人3人は、手錠の鍵とピストルを奪って脱走する。彼らはあれほど恐れていた本国送還と刑の執行から逃れ、自由の身になったように思われた。が、運命は彼らを逃さなかった。フランス人のラフィットは1人で逃亡する道を選ぶが、ホテルで追っ手に発見される。動き始めたエレベーターの中で従業員(「手の早い血の気の多いアイルランド人」と記述されている)と格闘の末、ドアに首をはさまれる。「まるで、なにかの大きな重い刃で首のところをすっぽりちょん切られたように、エレベーターのそとに首、中に胴体と、ラフィットのからだはきれいに2つになってしまったのだ」。
イタリア人とスペイン人も同様に死の運命にとらわれる。近くの小屋に住むメキシコ人の羊番を殺し、その男になり変わろうとしたスペイン人のガサは、脱走囚に襲われたことを装うためにイタリア人に体をがんじがらめに縛ってもらう。ところが縛るのにロープでなく牛皮を使ったのが命取りになった。「牛の生皮は、最初は、ただ首のまわりにまいてある程度だったのだろうが、時間がたつにつれて、それは鉄の輪のように首をしめつけ、刻一刻とちぢまって、おそろしい力で息の根をとめたのだ。つまり、スペイン人のガサは、正真正銘のガロットでじわじわと絞首刑にされたのだった」。
となればイタリア人の運命も想像がつくだろう。彼は入り込んだ谷で落石を受け、命からがら逃げ出したが、道がふさがり追っ手がやってくる可能性がなくなった。しかしそれは同時に、どこにも出口のない袋谷に迷い込んだことを意味する。「イタリア人のヴェルディは、栓をされた壜のなかの蝿のように、あるいは井戸の底におちこんだかえるみたいに、とじこめられてしまったのだった」。飢えて死ぬまでの間、あんなに恐れていた無期懲役さながらの孤独の苦しみに直面しなければならなくなった彼は、自ら命を絶つ。
ほとんどミステリとは言いがたいが、読めば読むほどよくできている話だ。さすが移民の国アメリカのジャーナリストらしく、各国の歴史や風土、因習を踏まえた上で見事な短編小説に仕上げている。調べてみると、アーヴィン・S・コッブは名匠ジョン・フォード監督の映画「プリースト判事」の原作者で、俳優としても同監督の「周遊する蒸気船」などに出演している。コッブの目に、アイルランド系アメリカ人のフォードは「血の気が多い」と映っていたのかどうか、聞いてみたかった気もする。(こや)
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(アーヴィン・S・コッブ)
江戸川乱歩が編集した「世界短編傑作集」(創元推理文庫)全5巻には、1860年に書かれたウィルキー・コリンズ「人を呪わば」から1950年のディビッド・C・クック「悪夢」まで、44編の傑作短編が年代順に収められている。いずれ劣らぬ珠玉の名品ぞろいだが、一番の異色作は第4巻(1961年4月刊)に収められている「信・望・愛」(1930年)だろう。
作者はアーヴィン・S・コッブ。専門のミステリ作家ではない。評論家の中島河太郎によれば、「アーヴィン・S・コッブはアメリカのジャーナリストであり、ユーモリストであり、また劇作家であった。1876年に生まれ、『ニューズ・デモクラット』の編集長などをはじめ、『サタデイ・イヴニング・ポスト』『コスモポリタン』誌などのスタッフとなったりした一方、ユーモア小説や短編集を著している。また映画脚本も手がけていて、1944年に死去した」(同書解説)とある。
以下、ストーリーの紹介となるので、未読の方はご注意を(引用は田中小実昌訳)。列車に3人の囚人が乗り合わせている。囚人はフランス人のラフィット、イタリア人のヴェルディ、途中から乗ってきたスペイン人のガサ。3人には本国送還のためそれぞれ1人ずつ監視官(刑事)が付き添い、ニューヨークへ向かっていた。2人の刑事が車中で食中毒にかかってしまい、残った1人が3人の囚人を監視することになる。
3人は本国送還されれば極刑が待っている。フランスの死刑は言うまでもなくギロチンである。フランス人のラフィットは「死刑になるおれには、それは永遠の長さだ。きっと、そうにちがいない。ギロチンの刃の下に首をさしだして待っている間に、今まで生きていた年月の何百倍も生き、そして何百回となく死ぬような思いがするだろう。それから、首が胴体からはなれる。おれのからだが二つになってしまうんだ」と、ギロチンによる死刑をおそれる。
スペイン人のガサは、スペインの法廷は血に飢えている、裁判官は被告を憐憫もなく罰するだけだと前置きし、こう言う。「やつらはおれをガロットにかける。ガロットってのは、でかい、がっちりした鉄の椅子だ。こいつに、両手、両足、胴体をしばりつける。そして頭を、まっすぐに立った柱にもたせかける。この柱にカラーのような鉄のバンドがついていて、そのなかにすっぽり首をいれ、後から死刑執行人が、そのねじくぎをしめるんだ」。そして「一寸きざみに息がつまり、死んで行くんだよ」と、ガロットによる死刑におびえる。
イタリアには死刑がなく、無期懲役である。しかし、イタリア人のヴェルディは「まったくひとりぼっちで監禁されるんだ。つまり、生きながら埋葬されるんだよ。監房の厚い壁のなかに、たったひとりでとじこめられる。ほんとうの墓場だ。大声をあげてわめいても、だれも答えてはくれん。沈黙と闇。このはてしない闇と沈黙のうちに気が狂い、死んでいくんだ」と、陽気なイタリア人にとって死刑よりも残酷な無期懲役におののく。
列車がニューメキシコ州の町に停車した一瞬の隙をついて、たった1人の監視官を殴り倒した囚人3人は、手錠の鍵とピストルを奪って脱走する。彼らはあれほど恐れていた本国送還と刑の執行から逃れ、自由の身になったように思われた。が、運命は彼らを逃さなかった。フランス人のラフィットは1人で逃亡する道を選ぶが、ホテルで追っ手に発見される。動き始めたエレベーターの中で従業員(「手の早い血の気の多いアイルランド人」と記述されている)と格闘の末、ドアに首をはさまれる。「まるで、なにかの大きな重い刃で首のところをすっぽりちょん切られたように、エレベーターのそとに首、中に胴体と、ラフィットのからだはきれいに2つになってしまったのだ」。
イタリア人とスペイン人も同様に死の運命にとらわれる。近くの小屋に住むメキシコ人の羊番を殺し、その男になり変わろうとしたスペイン人のガサは、脱走囚に襲われたことを装うためにイタリア人に体をがんじがらめに縛ってもらう。ところが縛るのにロープでなく牛皮を使ったのが命取りになった。「牛の生皮は、最初は、ただ首のまわりにまいてある程度だったのだろうが、時間がたつにつれて、それは鉄の輪のように首をしめつけ、刻一刻とちぢまって、おそろしい力で息の根をとめたのだ。つまり、スペイン人のガサは、正真正銘のガロットでじわじわと絞首刑にされたのだった」。
となればイタリア人の運命も想像がつくだろう。彼は入り込んだ谷で落石を受け、命からがら逃げ出したが、道がふさがり追っ手がやってくる可能性がなくなった。しかしそれは同時に、どこにも出口のない袋谷に迷い込んだことを意味する。「イタリア人のヴェルディは、栓をされた壜のなかの蝿のように、あるいは井戸の底におちこんだかえるみたいに、とじこめられてしまったのだった」。飢えて死ぬまでの間、あんなに恐れていた無期懲役さながらの孤独の苦しみに直面しなければならなくなった彼は、自ら命を絶つ。
ほとんどミステリとは言いがたいが、読めば読むほどよくできている話だ。さすが移民の国アメリカのジャーナリストらしく、各国の歴史や風土、因習を踏まえた上で見事な短編小説に仕上げている。調べてみると、アーヴィン・S・コッブは名匠ジョン・フォード監督の映画「プリースト判事」の原作者で、俳優としても同監督の「周遊する蒸気船」などに出演している。コッブの目に、アイルランド系アメリカ人のフォードは「血の気が多い」と映っていたのかどうか、聞いてみたかった気もする。(こや)
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