第14回 史上最高の名探偵はだれか
(ハリイ・ケメルマン)
1841年、エドガー・アラン・ポーが「モルグ街の殺人」という1編の小説を書き、オーギュスト・デュパンなる1人の人物に殺人事件を解決させた。これが探偵を主人公とした小説の嚆矢とされる、とは推理小説史のイロハのイである。以来、シャーロック・ホームズ(作者はアーサー・コナン・ドイル)、ブラウン神父(G・K・チェスタトン)、アルセーヌ・ルパン(モーリス・ルブラン)、エルキュール・ポアロ(アガサ・クリスティー)、エラリー・クイーン(同名)、明智小五郎(江戸川乱歩)、ギデオン・フェル博士(ジョン・ディクスン・カー)など、ミステリーには洋の東西を問わず、無数の名探偵ないしそれに該当する人物が登場し、現場に残されたわずかな証拠から事件を解決していくことになる。
その中で史上最高の名探偵はだれか。無謀な質問にはそれ以上の思い切った答えが必要であろう。ここでわずか8編の短編にしか登場しない人物を挙げてみたい。ニッキイ・ウェルト。ニッキイは専門の探偵でもなければ警察関係者でもない。カリフォルニア州フェアフィールドに住むスノードン基金名誉英語・英文学教授である。アメリカの作家ハリイ・ケメルマン(1908~1996年)が書いた連作短編集「9マイルは遠すぎる」に登場する。
物語は長年の知人である「わたし」が、いわばワトスン役となってニッキイの名推理ぶりを語っていく。代表作はもちろん8編のうちの表題作。以下、引用は「9マイルは遠すぎる」(永井淳訳、1976年7月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)から。作品内容に触れているので未読の方はご注意を。
「たとえば10語ないし12語からなる一つの文章を作ってみたまえ」「そうしたら、きみがその文章を考えたときにはまったく思いもかけなかった一連の論理的な推論を引きだしてお目にかけよう」というニッキイの挑発に乗って、ある日「わたし」は英語で11語からなる次の文章をニッキイに伝える――「9マイルもの道を歩くのは容易じゃない。ましてや雨の中となるとなおさらだ」。この短い文章からニッキイは以下の推論を徐々に導き出していく。
○話し手はうんざりしている。
○彼は雨が降ることを予想していなかった(「ましてや」という言葉から)。
○話し手はスポーツマンや戸外活動家ではない(彼は実際に歩いてみた体験を語っており、歩いた場所はこの界隈という2つの仮定の上で)。
○話し手が歩いたのは夜中か早朝、夜の12時から朝の5時か6時までの間である(列車やバスがなくなり、車がつかまらない真夜中でもない限り、誰が好き好んで9マイル=約4時間も歩くだろうか)。
○彼はある町から外に出たのではなく、町に向かって歩いてきた(町から出たなら町で乗り物が都合できたはずだ)。
○9マイルは正確な数字を表している(10とか100というのはおおよその数字。加えて、町からある地点までの距離よりも、ある地点から町までの距離と考えるほうが、はるかに正確なイメージを抱きやすい)。
○彼はあるはっきりした目的地に向かっていて、しかも一定時間までにそこへ到着しなければならなかった。
○その約束の時間は4時30分から5時30分の間だった(約束が4時30分前だったら最終バス、5時30分以降だったら始発バスに乗っていたはずだ)。
○彼が何かの合図か電話連絡を待っていたとすれば、遅くとも午前1時までだった(約束が5時ごろだったら、1時には出発しなければならない)。
○歩いてきた町はハドリーである(ワシントン0時47分発の列車がハドリーで給水のため5時に停車し、8時にボストンに到着する。また、ハドリーからきっかり9マイルの地点に車を調達しづらいオールド・サムター・インという町がある)。
以上のような推論を積み重ねていって、ニッキイはこんな結論を導き出す――その男はおそらくワシントンからの電話をオールド・サムター・インの部屋で待っていて、ワシントン行き列車に乗っているある乗客の車両と寝台番号を知らされた。それからホテルの部屋を忍び出てハドリーまで歩いた。給水中の車に乗り込むのは簡単だ。
そしてまさにその通り、ワシントン0時47分発の列車内で他殺死体が発見されていた。
死亡推定時刻はボストン到着時刻8時の3時間前、ちょうどハドリーに給水停車した時刻5時とピッタリ一致する。そして、この犯罪史上稀なる偶然の一致は、実は偶然の一致ではなかった。「9マイルもの道を……」は「わたし」の頭に偶然に浮かんだ文章ではなく、レストランでふと耳にした二人連れ(犯人)の会話に触発されたものだった、というオチがつく。
作者のケメルマンは、自らが英作文の教壇に立っているときにこの話のヒントを思いついたという。それが1947年、「9マイルは遠すぎる」という短編に結実するまでに14年を要した。8編のニッキイ・ウェルトものが1冊にまとまったのはさらにその20年後である。
ほかの7編はそうでもないが、「9マイルは遠すぎる」だけは推論を積み重ねていく純粋に演繹的な手法で作品が組み立てられている。これは探偵が帰納的推理に頼るのが当然のミステリー作品としては例外中の例外、まさに驚くべきことであろう。けだしニッキイこそ、ユニークかつ史上最高の名探偵ではなかろうか。(こや)
永井淳をWIKI PEDEIAで調べる
(※「9マイルは遠すぎる」の翻訳者)
にほんブログ村
ブログランキングに参加しています。
クリックしてご協力いただければ幸いです。
ツイート海外文学作品についてのコラム「たまたま本の話」を掲載しています。
「たまたま本の話」は「miniたま」に毎号掲載しているコラムです。
「miniたま」は、インターネット古書店「ほんのたまご」とお客様を結ぶ架け橋として、
ご注文書籍とともにお送りしているミニコミ紙です。
「miniたま」のバックナンバーPDF版はこちらからどうぞ
PR