第13回 ロンドンの霧が書かせた傑作
(トマス・バーク)
1949年のこと。かの大御所、エラリー・クイーンがミステリに精通した24人の関係者(自身を含む小説家、批評家など)にアンケートを実施した。内容は「古今東西を通じて12編のベストミステリ短編を選んでほしい」というもの。テーマがあまりにも大きかったせいか、アンケートに回答を寄せたのは半数の12人に留まった。得票は最高で12票ということになる。
12票のうち3票を獲得した作品は以下の6編。「犬のお告げ」(ギルバート・キース・チェスタトン)、「ナボテの葡萄園」(メルヴィル・デイヴィスン・ポースト)、「ジョコンダの微笑」(オルダス・ハックスレイ)、「黄色いなめくじ」(ヘンリー・クリストファー・ベイリー)、「ほんものの陣羽織」(エドマンド・クレリヒュー・ベントリー)、「疑惑」(ドロシー・リー・セイヤーズ)。4票はなく5票が「健忘症連盟」(ロバート・バー)、「13号独房の問題」(ジャック・フットレル)の2編。そして6票が「ぬすまれた手紙」(エドガー・アラン・ポー)、「赤毛組合」(アーサー・コナン・ドイル)、「偶然は審く」(アンソニー・バークリー)の3編。
いずれ劣らぬ古典的名作ばかりだが、これらの11編を抑えて最高位に輝いたのは「オッターモール氏の手」(トマス・バーク)だった。得票は8票。目利きぞろいの投票者の3分の2がこの短編を傑作と認めたことになる。当時ほとんど無名に近かったバークが、ポーやドイル、チェスタトンよりすぐれたミステリ短編を書いた作家として、世界的に認知された瞬間だった。
「オッターモール氏の手」はこんな話である。以下、作品の内容に触れているので未読の方はご注意を。霧に包まれたロンドン市街に絞殺魔が現れる。最初は住民の夫妻が殺され、続いて第2の殺人(少女)が起きる。ロンドン警察は本署の巡査部長を始め、総動員体制で捜査に当たるが、犯人の手がかりは全くつかめない。そして第3の殺人(警官)、第4の殺人(元船乗りの老夫婦とその娘)が発生。被害者は総勢7人になった。
若い新聞記者が事件の取材に当たる。記者はふと思いつく――「サンドイッチにハムが入っているなら、そこにハムを入れた人間がいなければならない。7人の人間が殺されたとすれば、だれかがそこにいって彼らを殺さなければならない。人間のポケットにはいるような飛行機や自動車はありはしない。だから、だれかが走り去ったか、そこに踏みとどまったかして逃げたのでなければならない」。彼は、警ら中のロンドン警察巡査部長オッターモール氏のところに行く。
いつも殺人現場にいて捜査に当たっている氏に、「なぜ君は罪のない、あれだけの人々を殺したのかね?」と新聞記者は尋ねる……。つまり連続絞殺事件の犯人は当の巡査部長オッターモール氏で、新聞記者も第5の殺人の被害者になるという結末でこの話は終わる。
警察官による犯罪や、より猟奇的な殺人事件が頻繁に描かれる現代小説のレベルから見ると、「オッターモール氏の手」はさほどの衝撃を読者に与えないかもしれない。しかしこの小説が書かれた当時、1931年のロンドンではそうではなかった。街にはひっきりなしに濃霧が立ち込め、隣に住んでいる人間の顔も判然としないという状況が、現実のものとしてあった。
江戸川乱歩がイギリスの作家アーサー・マッケンの小説について評した「群集の中のロビンソン・クルーソー」という言葉がある。まさにロンドンの霧は、そこに住む群集を、大都会の中にもかかわらず孤立させてしまう力を持っていた。「オッターモール氏の手」にも濃霧の描写があちこちに見られる。霧に包まれたロンドン市街に住む人々にとって、隣にいる謎の人物が、オッターモール氏さながら白い手袋をはめた手を伸ばして自分の首を絞めに来るという想像は、単に空想や妄想のレベルにとどまるものではなかっただろう。
作者のトマス・バークは1886年、ロンドンのイーストエンドに生まれ、1945年に没した。両親を幼いころに失い、孤児院で育ったとされる。エラリー・クイーン編のアンソロジー「世界傑作推理12選&ONE」(新庄哲夫訳、1977年9月、光文社カッパ・ノベルス刊。作品本編からの引用も同書より)によれば、バークのプロフィールは次のように紹介されている――「英国の短編作家、エッセイスト。ロンドンの南京町ライムハウスを描いたものや貧民街を舞台にした犯罪小説が多い。
生粋のロンドンっ子として、町の隅々まで知りぬいている彼の作品には、独特のメロドラマ的な雰囲気が漂い、第1作『ライムハウスの夜』(1916年)が代表作とみなされている」。19世紀末のロンドンに生まれ、濃霧に包まれたこの街で20世紀前半を生き抜いた人間にしか書けなかった傑作、それが「オッターモール氏の手」なのである。
短編集「ライムハウスの夜」には、「The Chink and the Child」という作品が収められている。「シナ人と子供」のタイトルでかつて邦訳もされているが、これがサイレント映画「散り行く花」(1919年、D・W・グリフィス監督)の原作であることを今回、初めて知った。映画はロンドンのライムハウスを舞台に、少女役のリリアン・ギッシュと中国人青年の悲恋を描いた永遠の名作。そこに描かれた少女の父親の暴力性はすさまじく、銀幕で見て驚かされたものだが、そういえばオッターモール氏とどこか通じるものがあったと、いま思い至った次第である。(こや)
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(※オッターモール氏のモデルとして)
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