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2024/05/18 13:20 |
海外文学のコラム・たまたま本の話「第12回 カーのトリックに物申す?」(ジョン・ディクスン・カー)

第12回 カーのトリックに物申す?

(ジョン・ディクスン・カー)

かつてこの人の書く作品を「この世にこんなにおもしろいものがあっていいのだろうか?」と評したのは、ミステリ評論家の故・瀬戸川猛資である。その言い草がふるっている。「駄作・バカ作の呼び声高い『剣の八』や『パンチとジュディ』も許してしまう。『五つの箱の死』『魔女が笑う夜』『孔雀の羽根』あたりになると、もう感動あるのみである」(「夜明けの睡魔」、1999年5月、創元ライブラリ刊より)。この人の書いた作品の出来栄えにひたすらひれ伏しているのかと思いきや、「要するに、何でもいいのだ」「やみくもに好きなだけである」と、まるであばたもえくぼの惚れ込みようである。

この人――ジョン・ディクスン・カーという作家には、常に両極端の評価がつきまとう。カーの作品なら何でも読むという熱狂的なファンもいれば、カーの名前を聞くだけで顔をしかめる人もいる。ミステリ黄金時代の本格派の巨匠の一人なのに、ここまで毀誉褒貶が激しい作家も珍しい。
そのカーの第1短編集の翻訳が「カー短編全集1/不可能犯罪捜査課」(宇野利泰訳、1970年2月、創元推理文庫刊)。「新透明人間」「空中の足跡」「ホット・マネー」「楽屋の死」「銀色のカーテン」「暁の出来事」「もう一人の絞刑吏」「二つの死」「目に見えぬ凶器」「めくら頭巾」の初期短編10編が収められている。原著は1940年の刊行。カーといえばギデオン・フェル博士やヘンリー・メリヴェル卿ものの長編というイメージが強いが、短編も数多く書いている。以下、取り上げる作品のトリックに触れているので未読の方はご注意を。

「ホット・マネー」は、ある街で銀行強盗事件が起きる話。盗まれたのは2万3000ポンドの大金である。犯人グループはすぐに逮捕されたが、紙幣が見つからない。盗んだ金はどうやら故買人の手に渡ってしまったらしい。故買人とおぼしき人物の屋敷でそれらしい現金を見たと秘書が証言する。その家の主人が書斎で大量の紙幣を広げていたという。しかし警察が書斎を捜索しても紙幣1枚見つからない。主人が書斎から出た形跡はない。果たしてスーツケース一杯の現金はどこに消えたのか。

種を明かせば、実は家具ではなく、部屋のスチームラジエーターの中に大量の現金を隠していたという次第。屋敷はセントラルヒーティングなので、暖炉やストーブではなく、スチームラジエーターが備え付けてある。ところがそれは見せかけの装置で、中は空洞になっていて石油ストーブが入っている。だから一応、暖房としても機能する(市販されているものだとカーは書いている)。探偵役のマーチ大佐は次のように説明する。
見せかけのスチームラジエーターは「構造上、がたがたする恐れがなく、しかも、大量の商品を入れることができる。そしてなによりも、すぐ目の前にあっても、それと気づくことのない品だ。いい代えれば、だれもそれを、家具の一つとは考えん。いわんや、その内部に、なにか隠せるなどとは、考えてもみない」「簡単にいうと、あれは、合鍵も文字合わせ錠も必要のない金庫なんだ」。
この隠し場所のトリックを聞いて、読み手はどう思うか。「心理的に見えない場所に隠す」、すなわちエドガー・アラン・ポーの古典的名作「盗まれた手紙」に匹敵する卓抜なトリックだと評価する読者がいる一方、おいちょっと待ってくれ、と思う読者もいるに違いない。ポーの時代ならともかく、この短編の書かれた1930年代のイギリス近代警察が、ラジエーターの中を調べないというずさんな家宅捜索をするはずもなかろう。そんな疑問がわく。

この短編集はトリックの宝庫といえるが、それらのトリックをひとつひとつ見ていくと読み手は半信半疑にならざるを得ない。「暁の出来事」では、死人と思われた人物が実は生きていて、脈拍を一時的に止めて死体を装っていたというトリックが登場する。「小さなゴムのボールを腋の下に挟み、その上で、腕を強くしめつけると、血行は止まります」「あのときのケイン氏の姿勢を思いだしてください。上膊は脇にあてていたが、肘から先、手首を診てくれといわんばかりに前にさし出していたはずです」。死体は確かにうつ伏せに倒れていたが、発見者が死体の心臓の鼓動の有無を確かめないという状況は考えにくい。そもそも死人が自分の腕を強く締め付けていたら、それは弛緩した死体ではなく生きている人間だということが発見者に分かってしまうはずだ。

おそらくカー本人にも、自らが考案したトリックに穴があることは分かっていたのではないか。「目に見えぬ凶器」では、体の13か所をめった切りにした凶器が部屋の中にあるはずなのに見つからないというトリックが登場する。種明かしは、凶器はガラスで作った短剣で、犯人はそれを犯行後に部屋の透明なガラスの水差しの中に放り込んだというもの。水を張った透明なガラスの容器の中に透明なガラスの短剣を入れても見えない、とカーは書くが、実際は見えないわけがない。熱帯魚の水槽の中にガラスの金魚鉢を入れてみれば分かる。

この話が17世紀イギリスに設定されているのは、近代警察ではないから捜査が甘かったのだ、というエクスキューズにも思える。そういえば、カーは後年、中世を舞台にしたオカルト趣味の歴史・時代ミステリを数多く書くように
なる。自らのトリックと近代の科学的捜査を決別させたかったのだろうか。
(こや)


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2011/08/09 10:57 |
コラム「たまたま本の話」

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