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2024/11/25 11:45 |
海外文学のコラム・たまたま本の話 第18回 史上で最も偉大な短編(フレドリック・ブラウン)
第18回 史上で最も偉大な短編
(フレドリック・ブラウン)

「創元推理文庫」創刊50周年を記念して、2010年12月、発行元が「東京創元社 文庫解説総目録 1959.4-2010.3」(高橋良平+東京創元社編集部編)を出した。本編と資料編が2冊セットになった豪華本で、眺めていると時間を忘れるほど楽しい。1959(昭和34)年4月の創刊から50余年に及ぶ歴史を振り返りながら、創元推理文庫史上最高の短編集、最高の短編は何だろうかと思った。

同文庫創刊の2年後、短命に終わったが「創元ブックス」という新書サイズの叢書が4冊出ている。その第1回配本(1961年7月)は「スポンサーから一言」(ともう1冊)。1963年9月には同文庫にSF部門が新設され、第1回配本は「未来世界から来た男」だった。「スポンサー」「未来世界」ともに作者はフレドリック・ブラウン。つまりブラウンこそは東京創元社が社運をかけてトップバッターに送り出すドル箱作家だった。その後、ブラウンの多くのミステリー長編やSF長編が同文庫で出たが、それらよりも広く読まれたのは彼の短編集だった。SFで5冊(アンソロジー含む)、ミステリーで2冊ある。その中から最高の短編集として「まっ白な嘘」(1962年5月刊)を、最高の短編として同書収録の1編「史上で最も偉大な詩」をここで推してみたい。

「史上で最も偉大な詩」はこんな話だ(引用は中村保男訳。以下、内容に触れているので未読の方はご注意を)。駆け出しの新聞記者だった「わたし」が大物批評家にインタビューし、「史上で最も偉大な詩は?」と尋ねる。批評家は熟考の末、「やっぱりカール・マーニーの詩だろうな」と答える。「わたし」はあいにくその名に聞き覚えがない。批評家はマーニーの話を始める。

アメリカの若き資産家であり詩人であったマーニーは、一人乗りの帆船で冒険旅行に出る。途中、嵐に遭って南米チリ沖の小島で難破する。そこは都会の1ブロックしかない小さな無人島で、跡形もなく壊れてしまった船から食料と水、ラジオ、航海日誌、紙、筆記用具などをやっとのことで持ち出したマーニーは、やむなく蒸気船が通りかかるのを待ちながら無人島生活を始める。洞穴を掘って住居を作り、食料が切れると魚を獲って食べ、飢えをしのいだ。水は島にある泉から調達した。栄養失調や病気で体や精神が衰えながらも、彼は一人で9年間、生き延びた。

そんなマーニーの心の支えになったのが詩作だった。遭難して数か月後、彼は一大長編詩の制作に取り組み始めた。救助されるまで時間がかかるだろうと気づいていたから、完璧な言葉が見つかるまで何日、何週間でもひとつの句に費やした。1年半ほど経って、彼はラジオ(受信専用)で自分のフィアンセが別の男と結婚したことを知った。3年後の1929年には、株式市場の暴落によって自分が無一文の破産者になったことを知らされた。4年が過ぎ、ラジオも磨滅して外界との接触はすべて絶たれた。すでに救助される希望は捨てていた。

「それでもあの詩、一大長編詩は執筆をつづけた。今では、それによって名声と世の承認を得たいために書くのではなく、書くこと自体が目的と化していた。彼を生きつづけさせるもの、寒さと空腹と寂しさに意味を与えるもの、表現を与えるものが、この詩だった」「彼は詩作をつづけた。伸ばすよりもむしろ改善に力を注いだ。(中略)圧縮。今では、それが仕事の眼目となった。(中略)ついに彼はそれを最後の1滴、ぎりぎりの精髄、ただ1音節の1語に圧縮していた。とうとうものにしたのだ! 彼の身に起こったすべてを表現する完璧の詩が遂に」。

救助の船がやってきて、彼は岸に近づいてきた水夫にその1句を絶叫する。「それ以後もいく度か彼はこれを絶叫した、が、他の言葉はついに1度も語らなかった。彼と9年の歳月とが合作した偉大な詩のみが彼の口から漏れた」。それは「無題で4文字から成る1語の印刷不能の詩」だった。具体的にどんな詩だったか、作者フレドリック・ブラウンは記していない。

こうして書き写していてもいい話だと感心してしまうが、それを記事にした「わたし」の原稿は編集長によって没になる。「もしマーニーが帰ってから詩の1句以外なんにも言わなかったとしたら、島で起こったことを、どうしてその批評家が知っているんだろうか?」というわけだ。なるほど、よく出来たオチまでついている。

かつて私(というのは筆者のこと)はこの「4文字から成る1語」をLOVE(マーニーはフィアンセを愛していた)、LIFE(生き延びた)、POEM(詩を作りながら)、NINE(9年も!)、HELP(説明不要)などではないかと考えていた。結局、その詩は具体的な単語ではなく、「印刷不能」な人生そのものを意味しているのではないかと思い至った。

ところが最近、フレドリック・ブラウンの経歴を調べていて、彼が作家になる前にミルウォーキー貿易新聞や別の出版社で校正係をしていたことを知った(翻訳家の稲葉明雄が別の本の解説で書いていた)。一説によれば、プロの記者や作家が書く原稿を校正していて、こんな程度のものなら俺でも書けると思ったという。

その後、彼は校正係を続けながら文筆生活に身を投じ、人気作家としての地位を確立する。父親も広告業に携わっていたそうだから、言葉に関してはひときわ鋭敏であっただろう。他人の原稿やゲラ刷りを読みながら、「この文章はこうしたらいいのに」「もっとふさわしい語句がある」「この部分を削ればすっきりするはず」といった思いが頭の中を駆け巡っていたに違いない。そうした自らの校正係としての経験が「史上で最も偉大な詩」に結実したのではなかったか。(こや)

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2012/02/08 11:19 |
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