第20回 シュロック・ホームズをご存じ?
(ロバート・L・フィッシュ)
前回は世界一有名な探偵シャーロック・ホームズの話。今回はシュロック・ホームズについて紹介したい。シュロックは、エンジニアにして作家のロバート・L・フィッシュが創造した探偵で、短編30数作で主役を務める(最初の短編集の邦訳は「シュロック・ホームズの冒険」、深町真理子ほか訳、1977年3月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)。その名推理ぶりをとくとご覧いただきたい。以下、いつものように内容に触れているので未読の方はご注意を。
シュロックの元に相談にやってきた女性依頼人を一目見て、彼はこう喝破する
(「アスコット・タイ事件」吉田誠一訳)。
「あなた(依頼人ミス・ウィンポール)が片鞍乗馬に凝っておられ、最近ラブレターをお書きになり、ここへおいでになる途中炭坑にお立ち寄りになったということ以外には、残念ながら、あなたの問題は皆目わかりません」。
まるでご本家シャーロック・ホームズの「こちらは以前、手仕事をしていた。嗅ぎタバコをやる。フリーメーソンの会員で、中国に行ったことがある。最近かなりたくさん書き物をしていた。そこまでははっきりしているが、それ以上はぼくにも想像がつかないよ」
(「赤毛連盟」中田耕治訳)を彷彿とさせる名調子だ。
さて、ではシュロックの推理の根拠は?
ウィンポールのスカートの外側、腿の外側中央部のちょっと上のところに、切り分けたパイのような形をした光った部分がある(現在、曲馬術ファンの間で大流行の、新しい型のアフリカ鞍頭の形にぴったり)。
彼女の右手の中指にいちご色のインクのしみがついている(これは商用や正式の手紙に用いるインクではない)。
彼女の左目の下に石炭の粉がついている(今は6月、貯蔵や暖房など普通の理由で石炭を扱うはずはないから、1年じゅう石炭がふんだんにある場所、すなわち炭鉱へ立ち寄ったに違いない)。
いやはや何たる観察力、さすがは名探偵――と思いきや、
スカートの光っている部分は女中がアイロンかけをミスしたからだし、
指についていたのはさっき食べたばかりの本物のいちごである。
石炭の粉と思われたものは、あわてて家を出たためにマスカラを付け損ねた跡だった、というのだから恐れ入る。
自分の推理がことごとく覆されたシュロックは面目丸つぶれだが、懲りずに依頼人の持ち込む事件に果敢に挑戦していくのだから、なおも恐れ入る。
例えば短編集の中の1編「アダム爆弾の怪」(小笠原豊樹訳)の場合。
新しい爆発装置を発明したアダムという男が、ノーサンバーランド州ニューキャッスルの郊外の廃坑を借りて科学実験の準備を始める。これを怪しいとにらんだシュロックと相棒のワトニイ(ワトソンならぬ!)は、アダムの狙いはほかにあるのではないかと疑う。
掃除人に化けて廃坑内部に潜入したシュロックは、そこにある書類に「E=MC2」「大量のキノコ」「サイクロトロン」などの言葉があるのを見つける。
「坑道は、なるほど、湿気といい、温度といい、キノコの栽培には最適の場所だろう」と考えながら、シュロックは坑道がイーストランド刑務所の真下を通ることを発見して、E=MC2の謎を次のように解く。
Eはイーストランド刑務所の頭文字、自乗のことはPowerとも言う、イーストランド刑務所に収監されている死刑囚の名前はMcPowers、したがってE=MC2はこの殺人鬼を脱獄させる暗号だ。
そしてサイクロトロンと記された大きな機械も「これは、奴の脱走が成功した場合、何か電気の操作によって奴をわれわれの手の届かぬ所へいちはやく逃がしてしまうための、新型の自転車(サイクル)にちがいない」と結論し、機械の電流の接続を逆にしておく。
首尾よく脱獄を未然に防いだとご満悦のシュロックとワトニイは翌朝、殺人鬼ではなくノーサンバーランド州全体が一晩のうちに消えてしまったことを新聞で知る。
説明するのは野暮の極みだが、アダムが廃坑で行っていたのは死刑囚の脱獄計画などではなく本当の原子力実験だった。
シュロックがサイクロトロンをいじったために、州全体が核爆発で、おそらく大量のキノコ雲を上げながら吹き飛んだという次第。
笑えない話だが、E=MC2の解釈には泉下のアインシュタイン先生も思わず笑ってしまうだろう。
訳者の一人、深町真理子があとがきで書いているように、シュロックものには「翻訳した場合に面白味の失われる洒落や語呂合わせ」がきわめて多い。そうした言語の垣根を乗り越えて、翻訳者はそれぞれ原典の持つ味わいをよく日本語に移し変えていると思う。
短編集の序文を書いたアンソニー・バウチャーによれば、「これらのフィッシュ作品こそ、ロバート・バー以来60余年にわたる擬似ホームズ文学の歴史中、最高のもの」だそうである。
「フィッシュ氏は、ほとんど先例のない二重のパスティーシュという離れ業を敢えてする――楽しげに(そして依然として愛情をもって)、ホームズ《原典》と、もうひとつの、ほとんどおなじくらいの不滅の伝説の両方を、同時に揶揄してのけるのである」と。
愛情をもってと補足されてはいるが、フィッシュはホームズを揶揄しているのだろうか。シュロックものを原典への揶揄ととるかオマージュととるかは、判断の分かれるところだ。
折しも3月からアメリカ映画「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」が公開されている。ホームズのイメージと違う、という声を聞くが、映画はちゃんとアイリーン・アドラーを重要な役で登場させ、原典にオマージュを捧げていた。
言うまでもなくアイリーンは、処女短編「ボヘミアの醜聞」に登場した、ホームズが世界でたった一人「あの女性」と敬称で呼ぶ存在である。(こや)
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(ロバート・L・フィッシュ)
前回は世界一有名な探偵シャーロック・ホームズの話。今回はシュロック・ホームズについて紹介したい。シュロックは、エンジニアにして作家のロバート・L・フィッシュが創造した探偵で、短編30数作で主役を務める(最初の短編集の邦訳は「シュロック・ホームズの冒険」、深町真理子ほか訳、1977年3月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)。その名推理ぶりをとくとご覧いただきたい。以下、いつものように内容に触れているので未読の方はご注意を。
シュロックの元に相談にやってきた女性依頼人を一目見て、彼はこう喝破する
(「アスコット・タイ事件」吉田誠一訳)。
「あなた(依頼人ミス・ウィンポール)が片鞍乗馬に凝っておられ、最近ラブレターをお書きになり、ここへおいでになる途中炭坑にお立ち寄りになったということ以外には、残念ながら、あなたの問題は皆目わかりません」。
まるでご本家シャーロック・ホームズの「こちらは以前、手仕事をしていた。嗅ぎタバコをやる。フリーメーソンの会員で、中国に行ったことがある。最近かなりたくさん書き物をしていた。そこまでははっきりしているが、それ以上はぼくにも想像がつかないよ」
(「赤毛連盟」中田耕治訳)を彷彿とさせる名調子だ。
さて、ではシュロックの推理の根拠は?
ウィンポールのスカートの外側、腿の外側中央部のちょっと上のところに、切り分けたパイのような形をした光った部分がある(現在、曲馬術ファンの間で大流行の、新しい型のアフリカ鞍頭の形にぴったり)。
彼女の右手の中指にいちご色のインクのしみがついている(これは商用や正式の手紙に用いるインクではない)。
彼女の左目の下に石炭の粉がついている(今は6月、貯蔵や暖房など普通の理由で石炭を扱うはずはないから、1年じゅう石炭がふんだんにある場所、すなわち炭鉱へ立ち寄ったに違いない)。
いやはや何たる観察力、さすがは名探偵――と思いきや、
スカートの光っている部分は女中がアイロンかけをミスしたからだし、
指についていたのはさっき食べたばかりの本物のいちごである。
石炭の粉と思われたものは、あわてて家を出たためにマスカラを付け損ねた跡だった、というのだから恐れ入る。
自分の推理がことごとく覆されたシュロックは面目丸つぶれだが、懲りずに依頼人の持ち込む事件に果敢に挑戦していくのだから、なおも恐れ入る。
例えば短編集の中の1編「アダム爆弾の怪」(小笠原豊樹訳)の場合。
新しい爆発装置を発明したアダムという男が、ノーサンバーランド州ニューキャッスルの郊外の廃坑を借りて科学実験の準備を始める。これを怪しいとにらんだシュロックと相棒のワトニイ(ワトソンならぬ!)は、アダムの狙いはほかにあるのではないかと疑う。
掃除人に化けて廃坑内部に潜入したシュロックは、そこにある書類に「E=MC2」「大量のキノコ」「サイクロトロン」などの言葉があるのを見つける。
「坑道は、なるほど、湿気といい、温度といい、キノコの栽培には最適の場所だろう」と考えながら、シュロックは坑道がイーストランド刑務所の真下を通ることを発見して、E=MC2の謎を次のように解く。
Eはイーストランド刑務所の頭文字、自乗のことはPowerとも言う、イーストランド刑務所に収監されている死刑囚の名前はMcPowers、したがってE=MC2はこの殺人鬼を脱獄させる暗号だ。
そしてサイクロトロンと記された大きな機械も「これは、奴の脱走が成功した場合、何か電気の操作によって奴をわれわれの手の届かぬ所へいちはやく逃がしてしまうための、新型の自転車(サイクル)にちがいない」と結論し、機械の電流の接続を逆にしておく。
首尾よく脱獄を未然に防いだとご満悦のシュロックとワトニイは翌朝、殺人鬼ではなくノーサンバーランド州全体が一晩のうちに消えてしまったことを新聞で知る。
説明するのは野暮の極みだが、アダムが廃坑で行っていたのは死刑囚の脱獄計画などではなく本当の原子力実験だった。
シュロックがサイクロトロンをいじったために、州全体が核爆発で、おそらく大量のキノコ雲を上げながら吹き飛んだという次第。
笑えない話だが、E=MC2の解釈には泉下のアインシュタイン先生も思わず笑ってしまうだろう。
訳者の一人、深町真理子があとがきで書いているように、シュロックものには「翻訳した場合に面白味の失われる洒落や語呂合わせ」がきわめて多い。そうした言語の垣根を乗り越えて、翻訳者はそれぞれ原典の持つ味わいをよく日本語に移し変えていると思う。
短編集の序文を書いたアンソニー・バウチャーによれば、「これらのフィッシュ作品こそ、ロバート・バー以来60余年にわたる擬似ホームズ文学の歴史中、最高のもの」だそうである。
「フィッシュ氏は、ほとんど先例のない二重のパスティーシュという離れ業を敢えてする――楽しげに(そして依然として愛情をもって)、ホームズ《原典》と、もうひとつの、ほとんどおなじくらいの不滅の伝説の両方を、同時に揶揄してのけるのである」と。
愛情をもってと補足されてはいるが、フィッシュはホームズを揶揄しているのだろうか。シュロックものを原典への揶揄ととるかオマージュととるかは、判断の分かれるところだ。
折しも3月からアメリカ映画「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」が公開されている。ホームズのイメージと違う、という声を聞くが、映画はちゃんとアイリーン・アドラーを重要な役で登場させ、原典にオマージュを捧げていた。
言うまでもなくアイリーンは、処女短編「ボヘミアの醜聞」に登場した、ホームズが世界でたった一人「あの女性」と敬称で呼ぶ存在である。(こや)
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