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2024/11/25 01:04 |
海外文学のコラム・たまたま本の話 第24回 南アフリカ発の傑作短編(アーサー・ウイリアムズ)


第24回 南アフリカ発の傑作短編
(アーサー・ウイリアムズ)

 1948年のこと。本国版「EQMM」、つまりエラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン編集部に1編の短編小説の原稿が送られてきた。南アフリカのケープタウンからで、作者はアーサー・ウイリアムズとあった。その短編「この手で人を殺してから」を一読した編集長のクイーンは驚嘆し、さっそく同年8月号の同誌「国別ミステリ特集」に作品を掲載。年次コンテストでも国外作品ベスト3に選出された。

 ところがこのウイリアムズという筆者、全くの無名どころか経歴すらサッパリ分からない。南アフリカ在住の作家と思われるが、小説のテーマが完全犯罪なだけに、「本当に自分でこういう殺人をやらかした犯人の手記ではないか」という噂さえ、まことしやかに語られるようになる。次回作も発表される気配はなく、やがて謎の覆面作家は、たった1編の短編でミステリ史上に名が残ることになった。

 今日、アーサー・ウイリアムズは、実はアメリカの大衆作家ジャック・M・ビッカムのことだとされている。ビッカムはウェスタン、スリラー、ミステリなどの分野で70冊を超える長編を残し、1997年に没した。「なるほど、正体はビッカムか」という話にならないのは、そちらの名前でも日本では馴染みが薄いからで、邦訳も1989年発表のテニス・ミステリ「タイブレーク」以降はなく、それも入手困難になっている。日本ではむしろウイリアムズ名のほうがはるかに有名だろう。
 ビッカムは1930年生まれとプロフィルにあるから、「この手で人を殺してから」を書いたときは、わずか18歳になるかならないか。若書きの短編ではあるが、いま読み返してみると興味深い面が見えてくる。以下、作品の内容に触れているので未読の方はご注意を。引用は早川書房編集部編のアンソロジー「天外消失」(2008年12月、ハヤカワミステリ刊)に収められた同作(都筑道夫訳)から。

 作品は主人公「わたし」の手記の形をとっている。「わたし」の元に、かつて恋人だった女が戻ってくる。女はヨハネスブルクの株式投資で大儲けした男と結婚したが、男は結婚したとたんにエゴイスト丸出しになり、それに耐え切れなくなった女が昔のよしみで「わたし」に助けを求めてきたのだ。しかしいま順風満帆に養鶏場を経営する「わたし」は女を助けず、逆に殺してしまう。やがて警察がやってくる。女の足取りが「わたし」の家で途絶えたため、不審に思って尋問と家宅捜索に来たのだ。ところが家や養鶏場を徹底的に調べても、死体は出てこない。実は「わたし」は、女の体を隅から隅まで粉砕機にかけて粉々にし、本来の骨粉餌と肉餌、血餌、アルファルファ草、とうもろこしなどに混ぜて、ひよこに食べさせてしまったのである。
 「(ひよこが)どんなに立派なひなどりに育ったかは、セロン(顔見知りの警官)に訊けばわかる。事実、わたしはこのすばらしい若どりたちのおかげで、名声をかちえたのだ。ほかの養鶏業者たちは、餌のまぜかたを訊きに押しよせてわたしを悩ませた」「セロンがこれを読んで、あんなに喜んでたべたひなどりの、体質や栄養分がなんであったかを知ったら、どんな顔をするだろう」

 物語は、新しく雇った家政婦の存在がわずらわしくなった「わたし」の暗示的な独白で幕を閉じる。「かわいそうに!(家政婦が)死んで悲しむものもない。ところで、わたしは来たるべきシーズンに、とくに優秀なストックを育てあげることで、夢中になっている。豊かでバランスのとれた餌をあたえて。国際養鶏協会の会長も、わたしの農場を見学したい、といってきている。わたしをかくも有名にしたすばらしいひなどりたちを、ぜひ見学したいと」

 ブラックユーモアにあふれた傑作である。もしも現在のようにDNA鑑定があれば……という疑問をぶつけるのは野暮というものであろう。何しろ1948年当時の南アフリカが舞台の作品である。アメリカ人があえて謎の覆面作家として、アフリカ大陸最南端の地から(という触れ込みで)このメッセージを届けた理由も、あるいはそのあたりにあったのではないか。

 南アフリカは古くから白人対黒人の人種問題に揺れている国で、1910年に4州(ケープ、ナタール、トランスヴァール、オレンジ)からなる連邦として統一された後も、1911年に鉱山労働における白人保護法「鉱山・労働法」を制定。1948年(この小説の書かれた年)に政権を握った国民党はアパルトヘイト(人種隔離)政策を本格的に推進していく。そんな状況の中で、人口の9割を占める黒人や混血、移民系の貧しい人々は、畜産やとうもろこし栽培などの農業や、金やダイヤモンドなどを採掘する鉱業に従事する以外になかった。登場人物が白人であるか黒人であるかは、一切書かれていないのだが、いずれにせよ小説で養鶏業者を描く際、大国アメリカを舞台にするよりリアリティーが生まれやすいのは事実だろう。

 また、作品には「わたし」と顔見知りの地方警察の巡査部長セロンが、最大都市ヨハネスブルクの警察本部から来た警部に捜査介入され、あげくの果ては、南アフリカとともに人種差別政策をとる近隣国――ローデシアの警察に突然、転任になってしまうくだりも出てくる。これは何らかの政治的圧力がかかったようにも読める。

 さらに、人の死体を食べて育ったひな鳥を食べる、その卵を食べる、さらにそのひな鳥の骨をすりつぶしてまた別のひよこに食べさせる、と人肉嗜食(カニバリズム)の連鎖が永劫に続くような無常観が漂う。1948年の南アフリカという舞台に、本格ミステリの要素が合致して、永遠の傑作がここに完成した。(こや)

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2012/08/12 11:06 |
コラム「たまたま本の話」

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