*** 自家目録を発行しました ***
第26回 Heaven Can Wait!
(C・B・ギルフォード)
今回はちょっとややこしい話になるかもしれない。
3つの「Heaven Can Wait」について書く。
1943年制作のアメリカ映画「Heaven Can Wait」は、言わずと知れたエルンスト・ルビッチ監督の名作。死後の世界にやってきた男ヘンリー・ヴァン・クリーヴ(ドン・アメチー好演!)が、閻魔大王(His Excellencyと呼ばれている)を相手に自分のこれまでの人生を振り返るというストーリーである。彼はこれまでプレイボーイとして浮名を流してきたため、閻魔大王に「自分は地獄行きで当然だ」と訴える。しかし閻魔大王は「地獄行きは認められない。天国で君を待っている人がいる」と言い、ヘンリーを天国行きのエレベーターに乗せる――。
レスリー・ブッシュ=フェキート作の戯曲「Birthday」をサムソン・ラファエルソンが脚色した、ルビッチ初のカラー映画。日本では長らく幻の名作として知られていたが、ようやく1990年に「天国は待ってくれる」の邦題で初公開された。
ルビッチ映画から遅れること35年。1978年になって、「Heaven Can Wait」という1本の映画がアメリカで製作された。日本では「天国から来たチャンピオン」というタイトルで翌1979年に公開。
アメリカンフットボールチームの控え選手ジョー・ペンドルトン(ウォーレン・ベイティ好演!)が、スーパーボウルの前日、交通事故に遭って急死する。
自分の死に納得できないジョーが天国で確認したところ、天使のミスで50年早く天国に召されたことが判明。ところがジョーの肉体はすでに火葬されていた。そこでジョーと天使長ジョーダンは一緒に下界に戻って、代わりの“肉体”に、まもなく殺される運命にある会社社長のレオを選ぶ。やがてレオの肉体も明け渡さざるを得なくなったジョーは、アメフトチームの同僚トム(ケガで死を宣告された)の体の中に移り、スーパーボウルで大活躍する。
そして美しい女性と恋に落ちて――というよく出来たラブストーリー。ベイティとジュリー・クリスティという当時の人気スターの共演で日本でも大ヒットした。
こちらの原作はハリー・シーガルの1938年の舞台劇「Heaven Can Wait」。すでに1941年に一度、映画になっている。「Here Comes Mr.Jordan」で、日本では1946年に「幽霊紐育を歩く」の邦題で公開された。
3つ目の「Heaven can Wait」は、C・B・ギルフォードが1953年8月号の米国版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に書いた短編ミステリである(canは小文字)。
「探偵作家は天国へ行ける」のタイトルで日本版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」1959年4月号に訳載された(宇野利泰訳)。
ギルフォードは短編作家として「マンハント」や「アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン」などに数多くの作品を発表している。日本でも多くの短編がミステリ雑誌に翻訳されていて、1950~1960年代にはかなり人気のあった流行作家らしいが、詳しい経歴は分からない。調べた限り、日本では彼の作品が1冊にまとまった形跡はない。
人気探偵作家のアリグザンダー・アーリントンは死んで天国に行くが、天使長ミカエルから自分は何者かに殺されたのだと聞かされる。
そこでアリグザンダーは事件の真相を知るために、ミカエルの許可をもらって下界に戻り、「最後の日」をもう一度、繰り返す。すると驚いたことに妻、妻の愛人、秘書、甥、庭番の5人にアーリントン殺害の動機があったことが判明。結局、アーリントンは犯人が分からぬまま再び殺されてしまい、天国に戻ってくる。
誰が犯人だったかの謎(妻と妻の愛人の共謀)を解いたのは意外にも天使長ミカエルだった。
ミカエルが知恵を借りたのは、天国にいる「エドガー、アーサー卿、それにG・K・C」という顔ぶれ。言うまでもなくエドガー・アラン・ポー、サー・アーサー・コナン・ドイル、ギルバート・キース・チェスタトンである。
ミカエルの最後の台詞が心憎い――「そんなところだよ、アーリントン君。探偵作家は、一人残らず天国に来られることを、知らなかったのか?」。もっともこの最後の1行は、アンソロジー「天外消失」(早川書房編集部編、2008年12月、ハヤカワミステリ刊)に収録された最新訳の「探偵作家は天国へ行ける」からは削除されている。意図的な省略か、編集ミスかは分からない。
以上3つの全く別の話に、いずれも付された「Heaven Can Wait」のタイトル。深刻に考える必要はないのかもしれないが、3作における「死後の世界の導き役」を比較してみるとなかなか面白い。
ルビッチの監督作品で主人公の天国行きを決める閻魔大王His Excellencyには、大統領、首相、閣僚、大使などの意味がある。この場合、「閣下」と訳すのが適当かもしれない。
ベイティの主演映画では天使長Jordanがアメフト選手と一緒に下界に降りていく。このJordanは国名や川の名前のヨルダンと同義で、一説によれば「急に下る水」という意味がある。
ギルフォードの短編ミステリの天使長ミカエルについては説明不要だろう。天上で神に代わって正義を行う大天使で、神の意思を人間に伝えて、祈りを神に取り次ぐ役目を果たす。人名のマイケルやミシェルのルーツでもある。
要するに閣下は審判を下して人を天国に送り、ジョーダンは人を連れて天国から下界に降りていく。そしてミカエルは天国に留まりながら人(探偵作家)とともに正義の鉄槌を下す。状況は違っても「天国はそれを待ってくれている」のだ。(こや)
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第26回 Heaven Can Wait!
(C・B・ギルフォード)
今回はちょっとややこしい話になるかもしれない。
3つの「Heaven Can Wait」について書く。
1943年制作のアメリカ映画「Heaven Can Wait」は、言わずと知れたエルンスト・ルビッチ監督の名作。死後の世界にやってきた男ヘンリー・ヴァン・クリーヴ(ドン・アメチー好演!)が、閻魔大王(His Excellencyと呼ばれている)を相手に自分のこれまでの人生を振り返るというストーリーである。彼はこれまでプレイボーイとして浮名を流してきたため、閻魔大王に「自分は地獄行きで当然だ」と訴える。しかし閻魔大王は「地獄行きは認められない。天国で君を待っている人がいる」と言い、ヘンリーを天国行きのエレベーターに乗せる――。
レスリー・ブッシュ=フェキート作の戯曲「Birthday」をサムソン・ラファエルソンが脚色した、ルビッチ初のカラー映画。日本では長らく幻の名作として知られていたが、ようやく1990年に「天国は待ってくれる」の邦題で初公開された。
ルビッチ映画から遅れること35年。1978年になって、「Heaven Can Wait」という1本の映画がアメリカで製作された。日本では「天国から来たチャンピオン」というタイトルで翌1979年に公開。
アメリカンフットボールチームの控え選手ジョー・ペンドルトン(ウォーレン・ベイティ好演!)が、スーパーボウルの前日、交通事故に遭って急死する。
自分の死に納得できないジョーが天国で確認したところ、天使のミスで50年早く天国に召されたことが判明。ところがジョーの肉体はすでに火葬されていた。そこでジョーと天使長ジョーダンは一緒に下界に戻って、代わりの“肉体”に、まもなく殺される運命にある会社社長のレオを選ぶ。やがてレオの肉体も明け渡さざるを得なくなったジョーは、アメフトチームの同僚トム(ケガで死を宣告された)の体の中に移り、スーパーボウルで大活躍する。
そして美しい女性と恋に落ちて――というよく出来たラブストーリー。ベイティとジュリー・クリスティという当時の人気スターの共演で日本でも大ヒットした。
こちらの原作はハリー・シーガルの1938年の舞台劇「Heaven Can Wait」。すでに1941年に一度、映画になっている。「Here Comes Mr.Jordan」で、日本では1946年に「幽霊紐育を歩く」の邦題で公開された。
3つ目の「Heaven can Wait」は、C・B・ギルフォードが1953年8月号の米国版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に書いた短編ミステリである(canは小文字)。
「探偵作家は天国へ行ける」のタイトルで日本版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」1959年4月号に訳載された(宇野利泰訳)。
ギルフォードは短編作家として「マンハント」や「アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン」などに数多くの作品を発表している。日本でも多くの短編がミステリ雑誌に翻訳されていて、1950~1960年代にはかなり人気のあった流行作家らしいが、詳しい経歴は分からない。調べた限り、日本では彼の作品が1冊にまとまった形跡はない。
人気探偵作家のアリグザンダー・アーリントンは死んで天国に行くが、天使長ミカエルから自分は何者かに殺されたのだと聞かされる。
そこでアリグザンダーは事件の真相を知るために、ミカエルの許可をもらって下界に戻り、「最後の日」をもう一度、繰り返す。すると驚いたことに妻、妻の愛人、秘書、甥、庭番の5人にアーリントン殺害の動機があったことが判明。結局、アーリントンは犯人が分からぬまま再び殺されてしまい、天国に戻ってくる。
誰が犯人だったかの謎(妻と妻の愛人の共謀)を解いたのは意外にも天使長ミカエルだった。
ミカエルが知恵を借りたのは、天国にいる「エドガー、アーサー卿、それにG・K・C」という顔ぶれ。言うまでもなくエドガー・アラン・ポー、サー・アーサー・コナン・ドイル、ギルバート・キース・チェスタトンである。
ミカエルの最後の台詞が心憎い――「そんなところだよ、アーリントン君。探偵作家は、一人残らず天国に来られることを、知らなかったのか?」。もっともこの最後の1行は、アンソロジー「天外消失」(早川書房編集部編、2008年12月、ハヤカワミステリ刊)に収録された最新訳の「探偵作家は天国へ行ける」からは削除されている。意図的な省略か、編集ミスかは分からない。
以上3つの全く別の話に、いずれも付された「Heaven Can Wait」のタイトル。深刻に考える必要はないのかもしれないが、3作における「死後の世界の導き役」を比較してみるとなかなか面白い。
ルビッチの監督作品で主人公の天国行きを決める閻魔大王His Excellencyには、大統領、首相、閣僚、大使などの意味がある。この場合、「閣下」と訳すのが適当かもしれない。
ベイティの主演映画では天使長Jordanがアメフト選手と一緒に下界に降りていく。このJordanは国名や川の名前のヨルダンと同義で、一説によれば「急に下る水」という意味がある。
ギルフォードの短編ミステリの天使長ミカエルについては説明不要だろう。天上で神に代わって正義を行う大天使で、神の意思を人間に伝えて、祈りを神に取り次ぐ役目を果たす。人名のマイケルやミシェルのルーツでもある。
要するに閣下は審判を下して人を天国に送り、ジョーダンは人を連れて天国から下界に降りていく。そしてミカエルは天国に留まりながら人(探偵作家)とともに正義の鉄槌を下す。状況は違っても「天国はそれを待ってくれている」のだ。(こや)
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