*** 自家目録を発行しました ***
第28回 「禁じられた遊び」のミシェル
(フランソワ・ボワイエ)
英語学者の梅田修が書いた「世界人名物語 名前の中のヨーロッパ文化」は近年屈指の名著である。1999年1月に講談社現代新書で刊行されたときも大変な話題となったが、その名著がこのたび講談社学術文庫の1冊に収められた(2012年9月刊)。
ヨーロッパの歴史と文化に根ざす名前の由来と変遷を探っていく試みで、その指摘は神話からハリウッドスターまで及ぶ。まことに含蓄にあふれた本で、現代新書から学術文庫に「昇格」したのも当然であろう。
「英語の男子名マイケル(Michael)やその女性名ミシェル(Michelle)は今日もっとも人気のある名前である」という1節が同書にある。マイケルの名をもつ人物として挙げられるのは、ロック歌手の故マイケル(Michael)・ジャクスン、映画俳優のマイケル(Michael)・ダグラスなど。それらマイケルの女性形がミシェルになる。ビートルズの「Michelle」という歌によって、1960年以降、とくに人気の名前になった。
ところがこの女性名ミシェル(Michelle)は、フランス語の男子名ミシェル(Michel)の女性形なのだという。
つまり女性名からleを取ると男性名となる。フランス語には男性名詞と女性名詞があって、leは男性名詞に付く定冠詞、laは女性名詞に付く定冠詞。leがないほうが男性名とは話が逆さまのようだが、それはさておくとしよう。興味深いのは、これらマイケル、ミシェルのルーツについて、著者がミカエル(Michael)に由来すると指摘している点だ。
言うまでもなく、ミカエルとは天上で神に代わって正義を行う大天使のことである。「ユダヤ・キリスト教では、神の使いをする天使たちがいて、神の意思を人間に伝えたり、人間の祈りを神にとりつぐ役割をはたしていると考えられています。そして、それらの天使のなかでも、ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエルは、神の玉座を四方から支えている大天使です」と著者は書いている。
そこで思い出したのが「禁じられた遊び」のこと。ルネ・クレマンが1952年に監督したフランス映画があまりにも有名だが、元々は文学作品である。原作は1947年にフランスの作家、脚本家のフランソワ・ボワイエが書いた同名の小説で、発表されると同時に世界的なベストセラーになった。
ボワイエ自身もダイアローグ(対話)担当として映画に多少かかわっているようだが、詳しくは分からない。この「禁じられた遊び」の孤児の少女の名前がポーレット(Paulette)という。そして少女の世話をするドレ家の少年の名前が、まさにミシェル(Michel)というのだ。
この映画は名作だから、多くの人がスクリーンで見ていることと思う。先日、DVDで見直してみて、ふと気づいたことがある。第二次世界大戦さなかの1940年のフランス郊外が舞台。ドイツ軍に爆撃され、両親を亡くしたパリの少女ポーレットの薄幸の運命を描いた作品だと記憶していたのだが、隣り合う農園の家族同士がお互いにいがみ合い、少女と少年が動物の墓に捧げるために墓地から十字架を盗み出す、という部分がむしろ中心になっている。「お涙ちょうだいというよりも、きわめて(反)宗教的な話だなあ」というのが、数10年ぶりにこの映画に再会しての感想だった。
いがみ合う2つの農園家族はミシェルら5人の子供のいるドレ家と、グアール家(小説ではガナール家)である。両家はどちらが戦争で武勲を残すかを競っていて、それがいがみ合いの原因となる。そしてドレ家のミシェルが動物の墓に捧げるために十字架を盗んだのを、グアール家の嫌がらせだと誤解し、両家の父親たちが取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう。
前回このコラムでも書いたが、隣り合う一家が争いを繰り返すシチュエーションには、1946年のウォルト・ディズニーのアニメ「マーチン家とコーイ家」という先例がある。小説「禁じられた遊び」の出版はその翌年。いずれも第二次世界大戦の終結直後で、お隣さん同士が争う話が時を置かずに米仏両国で生まれているのは偶然だろうか。戦勝国になったアメリカにもフランスにも、いつの間にか隣国や友好国との戦争に巻き込まれていった反省があって、それがこうしたシチュエーションに反映されているのではないか。十字架をめぐる誤解から分かるように、ちょっとしたボタンの掛け違いが戦争に発展するという歴史の教訓がここに読み取れないだろうか。
それらは推測の域を出ないにしても、「禁じられた遊び」で十字架を盗んで回る少年がミシェルという名前なのはきわめて興味深い。前述のようにミシェル=ミカエルだとすれば、本来は神と人間の間に立って両者の仲を取り持つはずの大天使自らが、「十字架を盗む」という許されざる大罪を犯していることになる。たとえ「名もなき動物たちの墓に捧げるため」という大義名分があるにせよ、正義の使者ミカエルにあるまじき行為であろう。
しかし戦争は数多くの「名もなき死者たち」を生む。少女=人間の切々たる願いに、大天使も踏み越えを行わざるを得なかったとすれば、それこそまさに戦争の悲劇ということになる。
映画の終盤で、少女ポーレットは戦災孤児院に送られる。ミシェルは彼女との仲を引き裂かれた悲しさに、十字架を引き抜いて川に投げ捨ててしまう。これも神に背く行為であるが、ポーレットが「ミシェル」「ママ」と名を呼びながら駅の雑踏を走っていくラストシーンで、カメラはポーレットをとらえたまま上方にスッと上がっていく。あたかも神が沈黙の中で大天使と人間をじっと見守ってくれているようで、とても美しい。(こや)
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第28回 「禁じられた遊び」のミシェル
(フランソワ・ボワイエ)
英語学者の梅田修が書いた「世界人名物語 名前の中のヨーロッパ文化」は近年屈指の名著である。1999年1月に講談社現代新書で刊行されたときも大変な話題となったが、その名著がこのたび講談社学術文庫の1冊に収められた(2012年9月刊)。
ヨーロッパの歴史と文化に根ざす名前の由来と変遷を探っていく試みで、その指摘は神話からハリウッドスターまで及ぶ。まことに含蓄にあふれた本で、現代新書から学術文庫に「昇格」したのも当然であろう。
「英語の男子名マイケル(Michael)やその女性名ミシェル(Michelle)は今日もっとも人気のある名前である」という1節が同書にある。マイケルの名をもつ人物として挙げられるのは、ロック歌手の故マイケル(Michael)・ジャクスン、映画俳優のマイケル(Michael)・ダグラスなど。それらマイケルの女性形がミシェルになる。ビートルズの「Michelle」という歌によって、1960年以降、とくに人気の名前になった。
ところがこの女性名ミシェル(Michelle)は、フランス語の男子名ミシェル(Michel)の女性形なのだという。
つまり女性名からleを取ると男性名となる。フランス語には男性名詞と女性名詞があって、leは男性名詞に付く定冠詞、laは女性名詞に付く定冠詞。leがないほうが男性名とは話が逆さまのようだが、それはさておくとしよう。興味深いのは、これらマイケル、ミシェルのルーツについて、著者がミカエル(Michael)に由来すると指摘している点だ。
言うまでもなく、ミカエルとは天上で神に代わって正義を行う大天使のことである。「ユダヤ・キリスト教では、神の使いをする天使たちがいて、神の意思を人間に伝えたり、人間の祈りを神にとりつぐ役割をはたしていると考えられています。そして、それらの天使のなかでも、ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエルは、神の玉座を四方から支えている大天使です」と著者は書いている。
そこで思い出したのが「禁じられた遊び」のこと。ルネ・クレマンが1952年に監督したフランス映画があまりにも有名だが、元々は文学作品である。原作は1947年にフランスの作家、脚本家のフランソワ・ボワイエが書いた同名の小説で、発表されると同時に世界的なベストセラーになった。
ボワイエ自身もダイアローグ(対話)担当として映画に多少かかわっているようだが、詳しくは分からない。この「禁じられた遊び」の孤児の少女の名前がポーレット(Paulette)という。そして少女の世話をするドレ家の少年の名前が、まさにミシェル(Michel)というのだ。
この映画は名作だから、多くの人がスクリーンで見ていることと思う。先日、DVDで見直してみて、ふと気づいたことがある。第二次世界大戦さなかの1940年のフランス郊外が舞台。ドイツ軍に爆撃され、両親を亡くしたパリの少女ポーレットの薄幸の運命を描いた作品だと記憶していたのだが、隣り合う農園の家族同士がお互いにいがみ合い、少女と少年が動物の墓に捧げるために墓地から十字架を盗み出す、という部分がむしろ中心になっている。「お涙ちょうだいというよりも、きわめて(反)宗教的な話だなあ」というのが、数10年ぶりにこの映画に再会しての感想だった。
いがみ合う2つの農園家族はミシェルら5人の子供のいるドレ家と、グアール家(小説ではガナール家)である。両家はどちらが戦争で武勲を残すかを競っていて、それがいがみ合いの原因となる。そしてドレ家のミシェルが動物の墓に捧げるために十字架を盗んだのを、グアール家の嫌がらせだと誤解し、両家の父親たちが取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう。
前回このコラムでも書いたが、隣り合う一家が争いを繰り返すシチュエーションには、1946年のウォルト・ディズニーのアニメ「マーチン家とコーイ家」という先例がある。小説「禁じられた遊び」の出版はその翌年。いずれも第二次世界大戦の終結直後で、お隣さん同士が争う話が時を置かずに米仏両国で生まれているのは偶然だろうか。戦勝国になったアメリカにもフランスにも、いつの間にか隣国や友好国との戦争に巻き込まれていった反省があって、それがこうしたシチュエーションに反映されているのではないか。十字架をめぐる誤解から分かるように、ちょっとしたボタンの掛け違いが戦争に発展するという歴史の教訓がここに読み取れないだろうか。
それらは推測の域を出ないにしても、「禁じられた遊び」で十字架を盗んで回る少年がミシェルという名前なのはきわめて興味深い。前述のようにミシェル=ミカエルだとすれば、本来は神と人間の間に立って両者の仲を取り持つはずの大天使自らが、「十字架を盗む」という許されざる大罪を犯していることになる。たとえ「名もなき動物たちの墓に捧げるため」という大義名分があるにせよ、正義の使者ミカエルにあるまじき行為であろう。
しかし戦争は数多くの「名もなき死者たち」を生む。少女=人間の切々たる願いに、大天使も踏み越えを行わざるを得なかったとすれば、それこそまさに戦争の悲劇ということになる。
映画の終盤で、少女ポーレットは戦災孤児院に送られる。ミシェルは彼女との仲を引き裂かれた悲しさに、十字架を引き抜いて川に投げ捨ててしまう。これも神に背く行為であるが、ポーレットが「ミシェル」「ママ」と名を呼びながら駅の雑踏を走っていくラストシーンで、カメラはポーレットをとらえたまま上方にスッと上がっていく。あたかも神が沈黙の中で大天使と人間をじっと見守ってくれているようで、とても美しい。(こや)
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