第30回 ハヤカワ・ミステリは「よい悪書」
(丸谷才一)
英文学者にして芥川賞作家の日本文学界の重鎮、丸谷才一が亡くなったのは2012年10月13日のこと。小説、文芸批評、エッセー、翻訳とあらゆる分野で業績を残した丸谷だが、実は大変なミステリー通でもあった。
その長年にわたるミステリー評などをまとめた1冊「快楽としてのミステリー」(2012年11月、ちくま文庫刊)が、著者死去の直後に出版された。
冒頭の鼎談「ハヤカワ・ポケット・ミステリは遊びの文化」がきわめて面白い。出席者は丸谷と向井敏、瀬戸川猛資。これら稀代の読み巧者たちは今や3人とも鬼籍に入ってしまった。感慨ひとしおである。
鼎談ではハヤカワ・ポケット・ミステリ(現ハヤカワ・ミステリ)についてのウンチクが語られている。1989年新春の「東京人」18号に掲載されたものの再録だが、ハヤカワ・ミステリの部数や定価をめぐる一節が目を引く。
「向井 当初の出版部数は、どれぐらいだったんですか。
瀬戸川 昭和40年代前半ぐらいまでは、6000~8000というのが多かったんじゃないでしょうか。
丸谷 1万まではいかない?
瀬戸川 ええ。007や87分署は、例外で。
丸谷 もっともあのころは、ほかの本だってそんなにたくさん刷らなかったんですね。
向井 それに値段もかなり高かったんですね。一番安くて150円。平均して200円か300円でしょう。あのころ、昭和30年ごろの初任給は1万円ぐらいだから、いまでいえばだいたい5000円前後の本を買う感じです。
丸谷 ぼくの給料は、昭和30年ごろ、1万2000円なかったんじゃないかな。ハヤカワ・ミステリは近所の貸本屋で借りて読んでいた記憶があります。
向井 ぼくも、ほとんど貸本屋なんです。あのころの貸本屋というのは、いまのレンタルビデオ屋のようなものだから、6000しか刷らなくても、読んだ人の数というのは、その10倍以上あるんじゃないかな」
最後の「レンタルビデオ屋」というのがすでに懐かしい。この鼎談の行われた1989(平成元)年当時は、DVDもネットも地デジもまだなかった。それはともかく、この一節にはハヤカワ・ミステリ(昭和28年刊行スタート)だけでなく、昭和30年代日本における文化の受容ぶりがよく表れていると思う。
つまりこの時期、ハヤカワ・ミステリという「よい悪書」を受け入れる土壌がようやく日本にも根付きつつあったのである。
「よい悪書」とは何か。かつてこのコラムでギルバート・キース・チェスタトンの「ブラウン神父」について触れた。そのとき、経済学者でヨーロッパ文化に詳しい高橋哲雄の「ミステリーは労働者でなく知的ブルジョアの読み物」という指摘を紹介したことがある。そうした質の高い娯楽読み物のことを「よい悪書」と名付けたのが、ほかならぬチェスタトンなのである。そして昭和30年代日本における「よい悪書」の役割を担っていたのが、ハヤカワ・ミステリや創元推理文庫など、質の高い娯楽読み物を提供するシリーズだった。
2013年現在の大卒初任給を、まあ20万円だとしよう。昭和30年当時の初任給が鼎談にあったように1万円とすると、この58年間で給料はほぼ20倍になっている。物価も20倍になったと考えれば、当時150円のハヤカワ・ミステリは現在の価格で3000円。200円、300円ならばそれぞれ4000円、6000円。
つまり昭和30年ごろにハヤカワ・ミステリの新刊を買っていた熱心な読者は、今なら大枚6000円を払ってレイモンド・チャンドラーやエラリー・クイーンや007を読んでいたことになる。
知的ブルジョア層で多少は生活に余裕があったとしても、そんな出費はさすがに厳しいだろうから、買わずに貸本屋で借りて読むことになる。文芸批評の丸谷や書物に関する著作が多い向井が「ハヤカワ・ミステリを借りて読んでいた」とはいささか驚くが、昭和30年代には貸本屋が町じゅうにあった。ハヤカワ・ミステリだけではない。むしろ本は借りて読むという方が一般的だった。
その状況は19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリス読書事情に似ているように思う。前述の高橋哲雄は、「(イギリスにおける)小説の歴史に貸本屋の果たしてきた役割の大きさは、今日の、とくに若い世代には想像もできないだろう。
ミステリー読者層の成立・発展期である世紀末から両大戦間にかけての時代には、イギリスの新刊フィクションの大きな部分――ものによっては8割にも及ぶ――は貸本屋向けに出版された」と書いている(「ミステリーの社会学」、1989年9月、中公新書刊)。
やがてイギリスは1935年の「ペンギン・ブックス」創刊に始まるペーパーバック革命によって貸本屋が衰退していく。本は安価で提供されるようになり、買って読むものになっていく。
日本は昭和30年代、40年代に入っても貸本屋が全盛を誇っていた。イギリスに遅れること、30年ほどだろうか。これは全くの推測だが、当時のハヤカワ・ミステリの出版社(つまり早川書房)も、値段の高い本を何万部のベストセラーに仕立て上げるのはきわめて難しいわけだから、刷った6000部から8000部を確実に全国各地の貸本屋や図書館に配本してもらうことに力を注いでいたのではなかったか。
たとえ発行部数5000部であっても、借りて読む人が10倍いれば5万人。これはもう立派なベストセラーである。「よい悪書」ハヤカワ・ミステリは、こうして日本の読書文化に貢献してきたのだ。(こや)
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