第31回 ベストテン選びは辛口で?
(アガサ・クリスティー)
①そして誰もいなくなった(アガサ・クリスティー)
②Yの悲劇(エラリー・クイーン)
③シャーロック・ホームズの冒険(アーサー・コナン・ドイル)
④幻の女(ウイリアム・アイリッシュ)
⑤アクロイド殺し(アガサ・クリスティー)
⑥長いお別れ/ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー)
⑦薔薇の名前(ウンベルト・エーコ)
⑧ブラウン神父の童心(ギルバート・キース・チェスタトン)
⑨羊たちの沈黙(トマス・ハリス)
⑩火刑法廷(ジョン・ディクスン・カー)
――以上は「週刊文春」の今年1月4日臨時増刊号「東西ミステリーベスト100」で発表されたオールタイム総合ランキング海外編の上位10作。ミステリー関係者387人のアンケート回答をまとめたものである。
これが1985年に同誌が選んだベストテンとだいぶ顔ぶれが変わった、と話題になっている。ちなみに1985年版のベストテンは以下の通り。
①Yの悲劇
②幻の女
③長いお別れ
④そして誰もいなくなった
⑤鷲は舞い降りた(ジャック・ヒギンズ)
⑥深夜プラス1(ギャビン・ライアル)
⑦樽(フリーマン・ウィルス・クロフツ)
⑧アクロイド殺し⑨僧正殺人事件(S・S・ヴァン・ダイン)
⑩シャーロック・ホームズの冒険。
なあんだ、上位10作のうち6作が同じ顔ぶれじゃないか、と言うなかれ。わずか四半世紀余で4作も入れ替わったことの方が大事件なのである。思えば1985年は冒険小説やハードボイルドのブームだった。それらの作品が2013年版では軒並み順位を下げ、「薔薇の名前」(1980年発表)、「羊たちの沈黙」(1988年)と、比較的新しい作品がランクインしている。
とはいうものの、今回むしろ順位を上げたチェスタトンやカーを見れば、やはり本格物の古典は強いと言わざるを得ない。
今回の「ベスト」にはミステリーの論客4人による特別座談会も収録されていて、出席者の2人――大森望と千街晶之はクリスティーの「そして誰もいなくなった」がクイーンの「Yの悲劇」を抜いて1位になったことを高く評価している。
「千街 思うにこれは『Y』の評価が落ちたんじゃなくて、『そして誰もいなくなった』の評価が上がったんですね。若島正さんがクリスティーの原書にあたって、『明るい館の秘密』(『乱視読者の帰還』所収)という評論を書いた。これは、『そして誰もいなくなった』が実はきわめてフェアなミステリーなんだよということを証明する評論なんですが、そういう再評価の流れが今回の逆転につながったんじゃないですか。
大森 要するに、作中ですべての容疑者の内心の描写をしているにもかかわらず、犯人が誰なのか特定できないのはなぜかという問題ね。これまでの翻訳で読むと、クリスティーの叙述がアンフェアに見えるんだけど、若島さんは原書を検証して、作者がきわめてフェアな叙述を心がけていたことを明らかにした。(中略)
クイーンに比べてクリスティーって、新本格以降、本格ミステリー評論的にはあんまり日が当たらなかったじゃないですか。むしろ風俗小説的なうまさとか、キャラクターの魅力で読まれていて、クリスティーは素人受け、クイーンは玄人受け、みたいな空気がずっとあった。それが若島さんの評論で『クリスティー、やっぱりちゃんとしてるじゃん』ってことになった」
言うまでもなく「そして誰もいなくなった」は、「アクロイド殺し」と並ぶクリスティーの代表作。
お互い面識もなく年齢も職業も異なる10人の男女(8人の来客と2人の使用人)が、兵隊島という小島に呼び寄せられる。その夜、彼ら10人全員が過去に殺人を犯したことを告発する録音の声が流れる。そして童謡の歌詞をなぞるように1人1人命を奪われていき、最後に「そして誰もいなくなっ」てしまう話である。
それでは一体、犯人は誰なのか。そんな話だから、かつては本格ミステリーというよりもサスペンス小説と見なされていた。
若島の指摘については、ネタバレになるのでここで詳しく触れる余裕はないが、要するに第11章6と第13章1のパートで、誰のものとも特定できない心理描写(モノローグ)が出てくる。従来アンフェアと見なされていたその部分を、クリスティーはフェアに叙述していると主張した。この若島説については反論や否定的意見も多いが、その後、早川書房のクリスティー文庫で「そして誰もいなくなった」が新訳版で刊行された(青木久恵訳、2010年11月)ことなどを思えば、ミステリー研究に一石を投じたことは確かだろう。
もっともミステリーのベストテン選びにはこんな厳しい意見もある。
「オールタイムのベストテンとなると、いろいろなバイアスがかかる。ほとんどの人が、そのために読み返すことなどしないから、あいまいな記憶や歴史的評価に影響され、定番作品に無批判に点を入れてしまう」
「わたしが、アンフェアなミステリーの最たるもの、とみなす『幻の女』(W・アイリッシュ/1942年)が毎度ベストテンの上位に顔を出すのは、その顕著な例である。この作品の人気は、恣意的な視点操作による犯人の意外性で、支えられている。発表当時は、それで許されたかもしれないが、現今の基準からすれば見過ごしがたいご都合主義、というべきだろう。この手で、『こいつが犯人だ!』と鼻先に突きつけられれば、だれしも驚くのが当然だ」。
これはミステリー通の作家、逢坂剛のエッセー「ベストテンのマナー 公正な順位づけ不可能」(読売新聞2013年1月22日付夕刊)からの引用。「幻の女」は1985年②、2013年④といわば諸氏絶賛の鉄板の名作で、フェアかアンフェアかの論議はあまり聞いたことがない。それに対する辛口の意見だから驚く。
(こや)
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