第33回 殺人鬼がレギュラーとは・・・
(ロード・ダンセイニ)
1878年、アイルランドに生まれたエドワード・ジョン・モアトン・ドラックス・プランケット、18代ダンセイニ男爵なる人物がいる。彼はイギリス陸軍の将校としてボーア戦争と第一次世界大戦に出征、1916年のダブリン暴動では暴徒の鎮圧中、顔面に銃弾を受けて重症を負うなどの戦歴を持っている。
そんな武勲を残すと同時に、彼はロード・ダンセイニ名義で小説も書いた。「ペガーナの神々」を始めとする6冊の幻想短編集が次々に刊行された1905年から1910年代。「エルフランドの王女」などファンタジー長編中心の1920年代。そしてそれ以降の1930年代は、ロンドンのクラブのほら話「ジョゼフ・ジョーキンズ」シリーズが5冊ある。ほかにも戯曲集、詩集、戦争小説集、アイルランドに関するエッセー、自伝などを書いたというから、長年にわたって多彩なジャンルで活躍した作家だったのだろう。
とりわけミステリーファンには忘れがたい1編がある。「二壜の調味料」。1928年ごろの作とされるが、日本では戦後、江戸川乱歩がいわゆる「奇妙な味」の代表作として絶賛したことから、多くの雑誌やアンソロジーなどに掲載された。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。
肉や塩味料理にかける調味料ナムヌモの訪問販売をしているスメザーズという男がいる。この男がふとしたきっかけでリンリーという紳士と共同で部屋を借りることになる。そんなある日、殺人事件が起きる。スティーガーという男がノース・ダウンズの町にある家で同棲中の女性を殺したらしい。しかし死体はもちろん殺人の証拠がいくら捜しても見つからない。
警察が厳重な見張りを敷く中、スティーガーは毎日、庭の木を切り倒して薪にする作業に打ち込む。彼は菜食主義者らしく、食料はすべて青果物店から買う。ところがなぜか肉料理専用の調味料ナムヌモを2壜、買ったという報告がもたらされる。
すべてのことを照合してリンリーは事件の真相に至る。「しかしなぜあの男は木を切り倒したのでしょう?」というスコットランドヤードの警部の質問に答えて、リンリーは答える――「ひとえに食欲をつけるためです」と。
この暗示的な結末を「世界短編傑作集3」(江戸川乱歩編、1960年12月、創元推理文庫刊)で読んだときの衝撃は忘れられない(訳名は「二壜のソース」)。分類すれば死体の隠し場所トリックであり、語り手のスメザーズと謎を解く紳士リンリーの関係はちょうどワトソンとホームズの関係に当たる。したがって典型的なミステリー短編なのだが、その枠組みに納まらない何かがある。
「二壜の調味料」は1952年にイギリスで出版されたダンセイニの短編集「THE LITTLE TALES OF SMETHERS AND OTHER STORIES」に収められている。全訳が刊行されたのは57年後(「二壜の調味料」、小林晋訳、2009年3月、ハヤカワ・ミステリ刊)。それによって分かったのは、「二壜の調味料」は独立した短編ではなく、スメザーズとリンリーの登場するシリーズものの第1作だったことである。短編集には全26編が収められているが、そのうちの9編――「二壜の調味料」に始まり「一度でたくさん」までがスメザーズ&リンリーものである。
驚くべきことに、シリーズ第2作「スラッガー巡査の射殺」、第4作「第二戦線」、第9作「一度でたくさん」でも殺人鬼スティーガーが容疑者として暗躍する。犯人がレギュラーで登場するミステリーなど前代未聞だろう。つまりスティーガーは第1作「二壜の調味料」の後でも第2作「スラッガー巡査の射殺」の後でも逮捕されずに野放しになっていることになる。なぜなら殺人の確固たる物証を警察がつかめなかったから。
リンリーの謎解きがいかにすぐれていたとしても、それは単なる推論に過ぎないとスコットランドヤードは判断した。
「警察はどちらの事件でも彼を逮捕することができませんでした。おかしな話でもあります。なぜなら、警察は彼が両方の殺人を実行した犯人であることを完璧に把握し、リンリーさんが協力してその方法を警察に教えたからです。それでも、警察は彼を逮捕できませんでした。確かに、捕まえたければ警察はいつでも彼を捕まえることはできました。しかし、無罪の評決になってしまうということなのです。犯罪者が有罪の評決を恐れる以上に、警察は無罪の評決を恐れていました」(「第二戦線」、小林訳より)
全9編をまとめて読むと、スコットランドヤードの警察官がリンリーの元を訪れてお知恵を拝借するという構造になっていることが分かる。それは「二壜の調味料」だけを独立した短編として読んでいては見えてこない。作者ダンセイニはスメザーズ&リンリーのシリーズを書くことで、物証にこだわるスコットランドヤード流捜査方法を猛烈に皮肉っているのではないか。
スコットランドヤードは、18世紀に始まった市民警察が1829年に首都警察として創設されたものである。ホームズものや、ロバート・バーの著名な短編「健忘症連盟」などを見ても分かるように、しばしば名探偵の卓抜な推理に敵対する存在として作品に登場する。
そもそも警察が事件をすんなりと解決する物語ならば、それは本格ミステリーではなく警察小説なのであって、警察でお手上げの事件だからこそ私立探偵にお知恵を拝借に来るわけである。ところがせっかく名探偵が真相を見抜いても、「証拠がない」という理由で逮捕することができないというもどかしさ。ダンセイニのこのシリーズからは、そんなスコットランドヤードに対する批判精神が見て取れるように思う。(こや)
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