第34回 ヒッチコックお気に入りの作家
(ダフネ・デュ・モーリア)
サスペンスの名匠アルフレッド・ヒッチコック監督は、1925年の「快楽の園」から1976年の「ファミリー・プロット」まで生涯に53本の映画を撮っている。その彼がいちばん贔屓にした作家はだれか。つまり原作として選んだ作家は――ということだが、ウイリアム・アイリッシュ(別名コーネル・ウールリッチ)あたりではないか、と何となく思っていた。
調べてみると、サスペンスの巨匠アイリッシュ原作の映画は意外にも1954年の「裏窓」1本のみ。原案や脚色に数本かかわった劇作家はいるが、原作者として言えば、正解はダフネ・デュ・モーリアの3本。
ヒッチコックの1940年の映画「レベッカ」(原作は1938年発表の長編)と1964年の「鳥」(原作は1952年の短編集に収録)が有名だが、1939年の「巌窟の野獣」の原作も、実はデュ・モーリアが1936年に書いた長編「埋もれた青春」である。
それほどヒッチコックに気に入られたデュ・モーリアとは一体どんな作家だったのか。一時期は三笠書房などによって作品がずいぶん訳出されながら、いつの間にか代表作「レベッカ」くらいしか入手できなくなってしまったこの女性作家について、ありがたいことに創元推理文庫から「鳥―デュ・モーリア傑作集」(務台夏子訳、2000年11月刊)が出ている。
8編を収めたこの短編集には彼女の文学の魅力が詰まっているが、何はともあれ、まずは短編の代表作「鳥」について語らねばならない。
ストーリーはヒッチコックの映画でおなじみであろう。ある日突然、鳥類が人間を襲い始める。その恐怖を海辺の農場に住む一家の視点から克明に描いた作品である。ただしデュ・モーリアのシチュエーションを借りながらも、金髪美人が好きなヒッチコックは女優でモデルのティッピ・ヘドレンを主演に起用し、エヴァン・ハンターの脚色を得て、当時としては斬新な特撮技術を使うことでユニークな恐怖映画に仕立て上げていた。
テーマはいわば「人間社会に対する自然界の復讐」になるだろうか。それはそれでたいへん面白かったのだが、今回デュ・モーリアの原作を読んでいて気づいたことがある。次のような描写(以下、務台訳。作品の内容に触れるので未読の方はご注意を)が作中に散見されるのだ。
「ナット・ホッキンは、傷痍軍人であったため、恩給をもらっており、農場での仕事もフルタイムではなかった。彼は週に3日働き、比較的軽めの仕事――垣根作りや、屋根葺きや、建物の修繕など――を与えられていた」
「こうして働いていると、戦争が始まった当時のことが思い出された。そのころのナットはまだ独り身だった。彼はプリスマにある母親の家の窓全部に、明かり漏れを防ぐ覆いを作ったものだ。シェルターも作った。もちろんいざとなったらそんなものはなんの役にも立たなかっただろうが」
「ナットは気づいた。さきほどから流れているのはダンス・ミュージックばかりだ。本来なら『子供の時間』のはずなのに。彼はラジオのつまみに目をやった。まちがいない。局はBBCになっている。なのにダンス・ミュージックか。彼は軽番組局に合わせてみた。理由はもうわかっていた。通常の番組はすべて中止となったのだ。こうなるのは例外的なときに限られている。たとえば選挙のときなどだ。ナットは戦時中のことを思い出そうとした。ロンドンが大空襲を受けていたときも、こうだったろうか。だがもちろん、戦時中、BBCはロンドンに局を置いていなかった。番組は他の場所、臨時の局から放送されていたのだ」
ヒッチコック映画の刷り込みが強すぎるせいか、鳥の突然の襲来は不条理な自然の象徴ととらえられがちである。しかしこれらの描写を見ると、戦争の影が随所に色濃くにじみ出ていることがわかる。
あるいは鳥は、戦争という人類による愚考の暗喩になっているのではないか。鳥の襲来から身を守る営みは、敵の無差別攻撃から身を守る行為とイコールなのではないか。国営放送から正確なニュースが与えられない一家の姿は、国家が始めた戦争において情報統制される国民の姿にそのまま重なるのではないか。
同書の冒頭に収められた短編「恋人」にも戦争の影が差している。除隊したあと自動車修理工として働く青年と、映画館の案内嬢との短い恋を描いた純愛物語だが、それが意外な結末に発展する。
世間を騒がせているイギリス空軍兵士連続殺人の犯人がその案内嬢だったのだ。案内嬢は戦時中、ドイツ空軍に自分の家をつぶされた。その怒りが、味方であるはずのイギリス空軍兵士に歪んだ形で向けられたのである。
こうして見てくると、ヒッチコックが映画化に際して意図してか意図せずにか色を薄めた彼女の「戦争の影」といったものが、とても気になってくる。彼女は1969年に大英帝国勲章のナイト・コマンダーの勲位も得ているという。
同書の解説でミステリー研究家の千街晶之はデュ・モーリアについてこう書いている。「若き日には映画監督キャロル・リードと恋に落ち、1932年には美男で知られた英国近衛歩兵第1連隊の陸軍中佐フレデリック・アーサー・モンタギュー・ブラウニングと結婚するなど、彼女の青春は華やかなロマンスで彩られた印象があるが、本人は都会での社交生活を苦手とし、コーンウォールの荒々しい自然に囲まれた田園生活をこよなく愛した」。
なるほど、反戦映画の傑作でもある「第三の男」の監督や、イギリスのエリート軍人とのロマンスなどを経て流行作家になったのがデュ・モーリアだったのだ。ともすれば通俗的ロマンスと見なされがちな彼女の文学の根底には、戦争への批判精神が熱く流れている。(こや)
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