第35回 新しい「Someone Like You」
(ロアルド・ダール)
まだ半年が過ぎただけでいささか早計だが、これは今年の翻訳文学界最大の快挙であろう。
ロアルド・ダールの「あなたに似た人」の新訳版が刊行された(2013年5月、ハヤカワ・ミステリ文庫、1・2の2分冊)。田村隆一の名訳で知られる同書だが、今回これを新たに訳したのは田口俊樹。ローレンス・ブロックやマイクル・Z.リューイン作品の名翻訳で知られる第一人者である。
この名翻訳家の手によって、1957年10月のハヤカワ・ミステリ版刊行以来、半世紀以上ぶりに新しい「Someone Like You」が読めるようになった。しかも原書未収録の短編2編も収められている。まさしく翻訳文学ファンへの望外の贈り物といえよう。
改めて紹介の要もなかろうが、田村隆一(1923-1998)は、戦後まもなく詩誌「荒地」を鮎川信夫らとともに創刊した戦後詩界の巨人。軽妙なエッセーの書き手として知られ、ミステリーの翻訳書も数多い。アガサ・クリスティー「三幕の殺人」を訳したのはこの人である。
まずは新旧版のタイトルを比べてみる。田村訳(1976年4月、ハヤカワ・ミステリ文庫版による)と今回の田口訳で違いがあるのは次の8編。
・「兵隊」(田村訳)が「兵士」(田口訳)、
・「わがいとしき妻よ、わが鳩よ」が「わが愛しき妻、可愛い人よ」、
・「海の中へ」が「プールでひと泳ぎ」、
・「韋駄天のフォックスリイ」が「ギャロッピング・フォックスリー」、
・「お願い」が「願い」、
・「音響捕獲機」が「サウンドマシン」、
・「告別」が「満たされた人生に最後の別れを」、
・「クロウドの犬」が「クロードの犬」。
田村の名訳に敬意を払いながら、ダール作品の新しい魅力を引き出そうとする田口の努力が、タイトルの付け方にも表れている。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。
「My Lady Love,My Dove」の「Dove」には、「鳩」のほかに「無邪気な人」や「ハト派」の意味もある。むしろ「My Dove」と続けて、愛する人に呼び掛ける言い回しの「可愛い人よ」と訳したほうがしっくり来るのでは――とかねてから思っていた。
来客夫婦の部屋に盗聴器を仕掛けて会話を盗み聞き、彼らがいかさまブリッジを行っていたことを知ったとたん、自分たちにも同じことができるのでは、と提案する「わが愛しき妻」。それを「ハト派」の「可愛い人」と称するダールの皮肉さが、今回の田口訳でより伝わってくるようになったのはうれしい。
さらにうれしいのは、「Dip in the Pool」を「プールでひと泳ぎ」と訳してくれたこと。かつて田村はストーリー内容から「海の中へ」と意訳したのだろうが、この「Pool」はおそらく作中に登場する「Auction Pool」(運行距離を競売形式で賭ける行為)のことである。
「Dip」には「ちょっと浸す」の意味もあれば「すくい上げる」の意味もある。運行距離を自分の賭けた数字に近づけるため、「ちょっと浸る」つもりで自ら海に飛び込み、誰かに「すくい上げて」もらうのを期待する、賭けに取り憑かれた主人公の愚かな運命を、ダールはこのタイトルに込めているのだろう。田口の付けた「ひと泳ぎ」にはその辺のニュアンスがよく生かされている。
今回の新訳版を読んで感じたことは、ダールの付けるタイトルには一筋縄ではいかないものが多いということだ。「Galloping Foxley」の「Galloping」は「急速に進行する」の意味だから、フォックスリイが全速力で「私」をお仕置きしに駆けてくる――という、田村の「韋駄天のフォックスリイ」は正しい訳である(とはいえ韋駄天はちょっと古すぎるかもしれない)。
けれどもダールはもうひとつの意味として、50年も前の虐待された記憶が車中で急速によみがえって来る人間のフラッシュバック作用を、「Galloping」という表現で表したかったのかもしれない。田口はそんな事情も考慮した上で、「ギャロッピング・フォックスリー」とあえてカタカナタイトルのままにしたのではないか。
極めつけは「Lamb to the Slaughter」。田村の「おとなしい凶器」というタイトルがあまりにも素晴らしく、広く知られているために、今回、田口もそのタイトルを変更しなかった。これは直訳すれば「屠所に送られる子羊」であり、前に「Like a」を付ければ「身の危険も知らずに、子羊のように従順におとなしく」という意味になる。これは旧約聖書の「エレミヤ書」や「イザヤ書」にある一節である。
警察官の妻が夫から離婚話を突きつけられて、発作的に冷凍のラム(子羊)の腿肉で夫を殴り殺してしまう。現場検証と家宅捜査にやってきた仲間の警察官たちに、妻はそのラム肉を調理して食べさせてしまう――というストーリーは有名だろう。
ここにはダールのいくつもの含意があるが、何よりも秀逸なのは、「屠所に送られる従順な子羊」の立場、存在が次々に変わっていく点だ。最初の子羊は妊娠中の妻だった。なぜなら夫のためにおいしい夕食を作ろうとしていた彼女は、帰宅した夫から突然、離婚話を突きつけられるのだから。
次に子羊になるのは後ろ向きのまま殺されてしまう夫である。死の瞬間、彼は自分に迫る身の危険に全く気づいていない、まさに「屠所の子羊」であった。
そして最後は捜査にやってきた警察官たちが子羊になる。まさか自分たちがおいしくいただいたラム肉が凶器そのものだったとは……。彼らは知らず知らずのうちに、子羊が屠所に誘い込まれるように、事件の共犯(証拠隠滅)の立場へと誘い込まれてしまっている。
ここにあるのは屠所に子羊を送る人間がいつの間にか送られる立場になり、送られる立場の子羊が逆に送り手になるというシニカルな視点である。すなわち子羊も人間もすべてが「あなたに似た人」。今回の新訳は、ダールという作家の素晴らしさを改めて伝えてくれる。(こや)
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