第36回 愛の詩人ジョン・コリア
(ジョン・コリア)
ジョン・コリア(1901~1980)にはどうにもとらえようがない作品を書く人という印象がある。出世作となった処女長編「モンキー・ワイフ―或いはチンパンジーとの結婚」(1930年)は、ずっと遅れて1977年に講談社から邦訳が出たが、日本ではほとんど評判にならなかった。
独自に編まれた「ジョン・コリア奇談集」「ジョン・コリア奇談集Ⅱ」(ともにサンリオSF文庫)、「ザ・ベスト・オブ・ジョン・コリア」(ちくま文庫)もすでに品切れになって久しい。
現在入手できるのは、異色作家短篇集の1巻「炎の中の絵」(早川書房)と、日本で独自に編集された河出ミステリの1冊「ナツメグの味」(河出書房新社)のみ。名作とされる「夢判断」「クリスマスに帰る」「みどりの思い」などの短編はいくつかのアンソロジーで読めるが、ダールの「南から来た男」やエリンの「特別料理」に比べて知名度は低い。
つまり作品そのものが現在は目に触れなくなっているのだから、どういう作家かと問われても答えにくいだろう。
インターネットの「2002-2013ミステリー・推理小説データ・ベース Aga―Search」で、コリアはこう紹介されている――「その洗練された文章と鋭い人間観察、奇想と機知に富んだ幻想的な作風や時に見せる残酷なまでのユーモアはまさに”奇妙な味”と言われるにふさわしく、ロアルド・ダールやスタンリイ・エリンらの先駆けと位置づけられる作家といえます」。
なるほど「奇妙な味」というのは便利な言葉だが、やはり具体性に乏しい評ではある。
そう思っていた矢先に、コリアの短編集「予期せぬ結末1 ミッドナイト・ブルー」(井上雅彦編、2013年5月、扶桑社ミステリー刊)が出た。本邦初訳や書籍初収録を含めた16編の作品が収められている。もちろん日本で独自に編集されたもの。
1とあるように、出版元はこの作家別短編集「予期せぬ結末」をシリーズ化する予定らしい。「登場するのは『ヒッチコック劇場』や『ミステリーゾーン』に原作を提供していた作家たち」と編者の井上が序文で語っているように、次回配本にはチャールズ・ボーモントが予定されている。
とりあえず話をコリアに戻そう。
冒頭に置かれた「またのお越しを」は、以前「また買いにくる客」のタイトルで訳出されていた1940年の作品。
ある青年が闇で薬を売る薬剤師を訪ねる。薬剤師は彼に「死後、体内から検出されずに相手を100%殺せる毒薬があります。しかし金額はティースプーン1杯で5000ドル」という。青年が欲しかったのは媚薬のほうで、恋人の永遠の愛を得るにはどうすればいいか、と相談する。薬剤師は「それなら素晴らしい愛の薬があります。値段はたったの1ドル」と破格の値段で媚薬を青年に売る。
薬剤師のその後のセリフが効いている。「お客様のお役に立つのが、私の喜びでございます」「お客様がたは何年もたって、お歳を召して財もなされた頃に、今度はより高価な薬をお求めにいらっしゃいます。はい、どうぞお持ちください。効果は絶大ですぞ」、そして最後に「またのお越しを」と頭を下げる。
説明するのは野暮の極みだが、これは人生と愛の寓話になっている。人は若いときに愛を得たくなる。人生の中盤から晩年にかけてはその愛が冷めるものだ――そうコリアは語っている。「またのお越しを」という薬剤師の最後の一言は、作中の青年だけに投げかけられたものではなく、この短編を読む老若男女すべてに対するメッセージとなっている。それを安い媚薬と高い毒薬に例えるあたり、なかなか詩情あふれる作品ではないか。
コリアの生涯をたどってみると、医者や文学者を数多く輩出したロンドンの名家に生まれながら、彼の代になると生活は豊かでなくなっていて、正規の学校教育も受けなかったという。文学は叔父に薫陶を受けたそうで、前出のAga―Searchは「若くして詩人を志し、1920年に最初の詩集を自費出版。詩の雑誌<タイム・アンド・タイド>の編集にも携わっています。また当時滞英中だった詩人・西脇順三郎とも交流があったそうです」と書いている。つまりコリアの出発点は詩人だった。
詩人では食べていけるはずもないから、1920年代に短編小説を書き始める。「モンキー・ワイフ」の後、1935年にアメリカに渡ってシナリオライターとして活躍。同時に短編小説を「ニューヨーカー」「エスクワイア」などの一流雑誌に発表する。1940年代にはハリウッドで映画脚本の執筆に専念。1951年のジョン・ヒューストン監督の映画「アフリカの女王」の制作にも携わっているという。
こうした華やかな略歴を見れば都会派作家と思われがちだが、意外と動物が登場する作品が多いことに今回、気づいた。
「ミッドナイト・ブルー」に収められた「多言無用」(猫)、「メアリー」(豚)、「黒い犬」(犬)はもちろん、他にも「記念日の贈り物」(蛇)、「ギャヴィン・オリアリー」(蚤)などの短編に動物が登場する。そもそも処女長編からしてチンパンジーと人間のカップルの話ではないか。それ以外にも「みどりの思い」など、植物(というか怪物というか)がテーマの作品もある。
晩年のコリアはフランスのコートダジュールの村で20年以上も好きな園芸をして過ごした。実現には至らなかったが、ミルトンの叙事詩「失楽園」の映画化も夢見ていたという。
映画やテレビなど、アメリカのショービジネス界で有名になったから誤解されているだけで、コリアの本質は、出発がそうだったように詩人なのではないか。自然を愛した詩人といえば、ジュール・ルナールの有名な短文集「博物誌」を思い出す。それを「奇妙な味」で味付けするとコリア文学になる。そんな気がする。(こや)
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