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2024/04/20 12:18 |
海外文学のコラム・たまたま本の話 第37回 「8月の暑さのなかで」を読む(W・F・ハーヴィー)

第37回 「8月の暑さのなかで」を読む
(W・F・ハーヴィー)

 法政大学教授で翻訳家の金原瑞人が編訳した2冊のホラー短編集がある。「8月の暑さのなかで」(2010年7月)と「南から来た男」(2012年7月)で、いずれも岩波少年文庫刊。つまり中学生以上を対象に編まれた恐怖小説のアンソロジーなのだが、この2冊が大人も一読に値するほど充実している。芥川賞作家、金原ひとみの父親でもある編訳者の慧眼が冴えわたった傑作集になっている。

 出色の1編は、表題にもなっている「8月の暑さのなかで」だろう。これは恐怖小説の古典として有名な短編である。
原題はAugust Heatで、1910年に短編集の中の1編として発表。東京創元社の「世界大ロマン全集」第24巻や創元推理文庫の「怪奇小説傑作集」第1巻にも平井呈一訳(タイトルは「炎天」)が収められている。
ほかにも「8月の熱波」「8月の炎暑」の名で訳されたことがある。その名編を今回、金原は「8月の暑さのなかで」と訳した。ここ数年続く夏の猛暑を連想させる、絶妙なネーミングである。

 もっとも作者のW・F・ハーヴィー(1885~1937)に関しては、あまり詳しい資料がないようだ。
「イギリスの作家。ヨークシャア地方の裕福な家庭に生まれ、リーズ大学で医学を学ぶ。第一次世界大戦では軍医として従軍。爆発直前の駆逐艦で汽缶軍曹を救った功績により、アルバート勲章を下賜されるが、救助の際に痛めた肺に後遺症が残っていたことから、52歳で亡くなるまで、小説や自伝を書いて過ごした」と、金原は簡単に作者を紹介するに留まっている。
大文豪ではないのだろう。この分野の草分けである平井も、「モダン・ゴースト・ストーリー作家として(中略)作品の数は30編ほどしかありませんが、病弱な生涯をもっぱら恐怖小説に終始した人で、光り苔のようなかすかな燐光を放つその作品は、小粒ながらどれにも珍重すべき新しい恐怖がおののいています」と触れるのみ。わずか1、2編の短編によって恐怖小説史上に名を残す(「猿の手」を書いたW・W・ジェイコブズのような)作家であろうか。

 以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。物語は40歳の画家である「私」の手記になっている。猛暑の190×年8月20日、突如インスピレーションがひらめいた私は、被告人席で死刑宣告を受ける男の絵を朝から夕方までかけて一気に描く。それをポケットに突っ込んで自宅から7、8キロ離れた道を歩いていると、ふとある石工の家にたどり着く。
石工の男はまさに私が絵に描いた人物だった。しかも彼がいま展覧会の出品用に彫っている墓石には、私の名前と生年月日、そして死亡日が刻まれていた。なんと「190×年8月20日、急死」とある。今日ではないか。背筋が凍りついた私は、ポケットの中の石工そっくりの男の死刑宣告の絵を見せた。
今度は石工が驚く番だった。2人はこれまでどこかで会ったことがあって、そのため名前や生年月日や顔がお互いの記憶に残っていたのではないか。そんな可能性も考えるが、私も石工も身に覚えがない。さてどうするか。1時間以上かけて自宅に帰るのは危険だ。そう考えた私は、石工の勧めに従って、今日が終わるまで石工の家に留まることにする。

 私と石工は2人で部屋にいる。彼は妻を寝室にやったあと、小さな油砥石でせっせと道具を研ぎながら葉巻をふかしている。ラスト3行はこう描かれている(金原訳)。「もう11時を過ぎた。あと1時間もすればここを出ていける」「しかしそれにしても、この暑さは耐えがたい」「頭がおかしくなりそうだ」(ちなみに平井訳では、最後の1行は「この暑さじゃ、人間の頭だってたいがいへんになる」)。手記はそこで終わる――。いわゆる「奇妙な味」に属する短編で読後、理屈で割り切れない怖さが残る。

 いちばん顕著なのは、原因と結果が逆転し、結果から先に描かれていることだろう。私が絵に描いた「石工が被告人席で死刑判決を受ける姿」はあくまで結果で、その原因は物語の最後で暗示されるように「石工が私を殺したから」である。
そして石工が墓石に彫っていた「私の死亡日が今日である墓碑銘」はあくまで結果で、その原因は物語の最後で暗示されるように「私が今日死んだから」である。つまりお互い、結果から先にひらめき、画家の私はそれを絵に、石工はそれを墓碑銘にしている。

 死亡日も死刑判決も、すべての原因は石工が私を殺したことにある。しかしそれは怨恨や物盗りではなく、タイトルの通り、夏の暑さという人の手の及ばない理由によるものである。
原因があるから結果があるのではない。結果はすでにあらかじめ決められた運命のうちにある。人が人智を超えた存在に操られる。これは、そう呼んでいいのなら天啓によるものであろう。

 天啓を記述したものといえば、いうまでもなく聖書。そこで作中に何げなく挿入された次のような一節が重みを帯びてくる――「夕食のあと、(石工の)妻がギュスターヴ・ドレが挿絵を描いた聖書を持ちだしてきて、私は半時間ほどそれをほめなくてはならなくなった」。
ドレは19世紀フランスの著名な画家だが、ダンテやバルザック、ラブレー、ミルトン、バイロン、ポーなどの文学作品の挿絵も手がけている。有名なのはイギリス版の聖書に描いた挿絵で、この名声によって1869年、ロンドンにドレ画廊も開いた。

 ドレが挿絵も描く画家なら、「8月の暑さのなかで」の私も同じである。石工だって単なる職人ではなく、展覧会にも出品するアーティストだ。こうした両面を併せ持つ2人の登場人物が人智を超えた運命に操られていく。作者ハーヴィーは、「天啓の物語」を聖書ならぬ恐怖小説に仕立て上げたのではないか。(こや)


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2013/09/04 13:51 |
コラム「たまたま本の話」

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