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2024/05/19 15:17 |
第111回 キム・ジヨンと現代韓国(チョ・ナムジュ) 文学に関するコラム・たまたま本の話
PDF版はこちらから
「そのころ政府は『家族計画』という名称で産児制限政策を展開していた。医学的な理由での妊娠中絶手術が合法化されてすでに10年が経過しており、女だということが医学的な理由ででもあるかのように、性の鑑別と女児の堕胎が大っぴらに行われていた」
韓国の女性作家、チョ・ナムジュが2016年に書いた小説「82年生まれ、キム・ジヨン」(邦訳は2018年12月、筑摩書房刊、斎藤真理子訳)を読んでいて、まず目に留まるのは、こんな一節である。「そのころ」というのは遠い昔のことではない。「1980年代はずっとそんな雰囲気が続き、90年代のはじめには性比のアンバランスが頂点に達し、3番目以降の子供の出生比率は男児が女児の2倍以上だった」と続く。わずか30年前の韓国の話なのである。
そこで、キム・ジヨンの母親は、姉、妹(ジヨン)に続いて懐妊した3人目の子供を自らの意志で堕胎してしまう。エコー検査でまたもや女児だということが分かったからだ。今度も女児だと医師から聞かされたとき、彼女は「もしもよ、今おなかにいる子がまた娘だったら、あなたどうする?」と夫に尋ねてみる。何をばかな、息子でも娘でも大事に産んで育てるもんだろう、という言葉を期待して。しかし夫は答える。「そんなこと言ってるとほんとにそうなるぞ。縁起でもないことを言わないで、さっさと寝ろ」
このあたりの描写はショッキングで、思わず息を飲むが、この夫だけがひどい男というわけではない。韓国社会全体の認識がそうだったのだ。数年後、彼女はまた子供を授かる。「男だったその子は無事に生まれてくることができた」。女、女と来て、ようやく生まれた男の子に、ジヨンの家では家族を挙げて愛情を注ぐことになる。ジヨン自身は弟ばかりが優先される現実に違和感を覚えているのだが。
こうした政策を続けて行った結果、韓国はどうなったか。「1990年代になっても韓国は、非常に深刻な男女出生比のアンバランスを抱えていた。キム・ジヨン氏が生まれた1982年には女児100人あたり106.8人の男児が生まれていたが、男児の比率がだんだん高くなり、1990年には116.5人となった。自然な出生性比は103~107人とされている」
同じ世代でこれだけ男児の数が増えてくれば、当然、教育にも影響が出てくる。当時は共学の中学があまりにも少なく、たとえ共学でも男女は別のクラスに分かれ、男子クラスの数が女子クラスの倍もできてしまう不均衡が見られたという。そこで政府は垣根を取っ払って、何年かの間に中学のほとんどを男女共学とする制度変更に踏み切った。
「82年生まれ、キム・ジヨン」が描いているのは、韓国の男女格差がこうして徐々に是正されていく過渡期の時代の物語である。統計データが丹念に描き込まれているから、韓国の現代史も同時に見えてきて、きわめて興味深い。
1995年にキム・ジヨンは中学に入学し、やがて高校に進学する。20世紀末のこの時期に韓国で起きたことは、まず1997年のIMF危機。アジア通貨危機に直面した韓国が国際通貨基金(IMF)に経済主権を委ねた事件で、国家の財政破綻が何とか回避される代わりに、社会全体にリストラの嵐が吹き荒れた。大統領には金大中(キム・デジュン)が就任。小説の中では、安定した公務員であったキム・ジヨンの父親も、退職勧奨を受けて退職することになる。
1999年には「男女差別禁止及び救済に関する法律」が制定された。2001年には「女性家族部」がスタートしたが、これは女性の地位向上、家族の健康福祉、多文化家族の支援、児童・青少年の育成・福祉・保護などを管轄する行政機関のことである。そう書くと、韓国の20世紀末から21世紀初頭にかけては、男女格差が縮まってきた時代であるかのように思われるが、小説の中ではこんな指摘がされている。
「キム・ジヨン氏が(大学を)卒業した2005年、ある就職情報サイトで100あまりの企業を対象に調査をした結果、女性採用率比率は29.6パーセントだった。たったそれだけの数値で、女性が追い風だと報道していたのである」。さらにこう続く。「同じ年、大企業50社の人事担当者に行ったアンケートでは、『同じ条件なら男性の志願者を選ぶ』と答えた人が44パーセントであり、残り56パーセントは『男女を問わない』と答えたが、『女性を選ぶ』と答えた人は1人もいなかった」。何のことはない、女性が働く現場に格差は歴然とあったのだ。
この後も小説の中では、女性勤労者の育児休暇取得率や、女性管理職の比率の低さについて指摘される。勤労者の賃金については、「大韓民国はOECD(経済協力開発機構)加盟国の中で男女の賃金格差が最も大きい国である」とまで書かれている。「2014年の統計によれば、男性の賃金を100万ウォンとしたとき、OECDの平均では女性の賃金は84万4000ウォンであり、韓国の女性の賃金は63万3000ウォンだった」
韓国は2008年に戸主制度廃止を主たる内容とする改正民法を施行している。戸籍というものがなくなり、一人一人の登録簿だけになったが、まだ父親の姓を継ぐ者がほとんどだという。母親の姓を継ぐと何か特別な事情があると思われるからだ。
「82年生まれ、キム・ジヨン」は、男女格差に満ちた韓国現代社会を生き抜いて来た1人の女性、キム・ジヨンが、2015年秋に心身に変調を来たし、精神科のカウンセリングを受けるところで終わっている。韓国では2016年秋の刊行以来、100万部を超える売れ行きを見せ、社会現象になった。フェミニズム小説としては異例のベストセラーである。
作者のチョ・ナムジュはもともと放送作家。1982年に出生した女児の中で一番多い名前がキム・ジヨンだったことから、本書のタイトルを決めたという。(こや)
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2021/01/12 14:34 |
コラム「たまたま本の話」

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