第3回 ジョルジュ・ランジュランはスパイだった(ジョルジュ・ランジュラン)

第3回 ジョルジュ・ランジュランはスパイだった

(ジョルジュ・ランジュラン)

フランスで1950年代から70年代初頭にかけて活躍した作家に、ジョルジュ・ランジュラン(1908~1972)という人がいる。イアン・フレミングの007シリーズが世界的なブームを巻き起こした60年代に、「NATO情報部員シリーズ」と呼ばれる国際スパイ小説を数多く書き、好評を博した。我が国でも同シリーズの1作「魚雷をつぶせ」が早川書房から翻訳出版されている(原著64年、邦訳74年刊、現在は絶版)。

しかしランジュランの代表作といえば、何と言っても短編「蠅」だろう。53年に創刊された「ファンタジイ&サイエンス・フィクション」誌のフランス語版創刊号に掲載された。
巨大なスチームハンマーで頭と右腕を完全につぶされた科学者の死体が発見された。科学者は画期的な発明に取り組んでいたらしい。やがてその妻の手記が明らかにした想像を絶する真相とは……。発表とともに批評家から絶賛され、“20世紀に書かれた最も戦慄すべき物語”と評価されたこの短編は、アメリカ本国版「プレイボーイ」の編集長レイ・ラッセルの目に留まり、同誌の57年6月号に転載された。58年にはカート・ニューマン監督によって「蠅男の恐怖」のタイトルで映画化されている。
61年には「SFマガジン」3月号に訳出され、日本の読者にもお目見えした。この掲載が「当時企画が進行中だった<異色作家短篇集>のラインナップに、ジョルジュ・ランジュランの名が加わるきっかけとなった」と、評論家の三橋曉は指摘している
(新装版「異色作家短篇集5 蠅(はえ) ジョルジュ・ランジュラン」2006年1月、早川書房刊、解説より)。
ところが、それからがいけない。65年10月にオリジナル版「異色作家短篇集」の1冊として10編を収めた「蠅」が刊行された後、翻訳されたランジュラン作品は前出の「魚雷をつぶせ」のみ。あとは短編「殺人者」が「ミステリマガジン」86年10月号に掲載され、「蠅」がハヤカワ文庫に収録された(86年12月刊、現在は絶版)に留まる。ランジュランはすっかり忘れられた作家となってしまった。

ランジュランについて調べると、この作家が主としてフランスで著作活動を行っていても、実は英国人の両親の間に生まれた、れっきとしたイギリス人であることが分かる。国籍もイギリスで、驚くべきことに、第二次世界大戦中にはフランス語の堪能さを買われ、スパイ活動にも従事していた。「第二次大戦下ではイギリスのMI5に籍をおき、“ポマドウ”のコードネームでフランスに拘わるさまざまな情報活動に身を置いたという」
(前出の三橋曉の解説より)。

MI5とはイギリス情報局保安部のこと。ウィキペディアによれば「イギリスの国内治安維持に責任を有する情報機関」で、かつては軍情報部第5課と呼ばれた。サマセット・モームやグレアム・グリーンが所属していたと最近、明らかにされたMI6(かつての軍情報部第6課、現イギリス情報局秘密情報部)ほど有名ではないが、現在も国際テロ対策などの活動で知られている。

ランジュラン自身は戦時中の体験についてこう書いている。「私の仕事は前線保安警察という名の部隊を掩護するというものだった」「ダンケルク会線以後も、私は、フランス語の能力と、フランスにかんする知識とを買われて、そのまま使命をつづけた」「戦争終結後もずっと軍服すがたで、私は有名な情報局のフランス部門に配された」
(オリジナル版「蠅」、稲葉明雄の解説より)。
なにぶんスパイ活動に関することだから、本人も明言していないが、この情報局というのがおそらくはMI5のことだろう。

その体験が後年、「NATO情報部員シリーズ」の執筆に大いに役立ったわけだが、このたび異色作家短篇集の「蠅」を読み返してみて、ふと気づいたことがある。ほかならぬ非日常かつ超自然の物語を集めたとされるこの本にも、自らのスパイ活動にかかわる要素が色濃くにじみ出ていることだ(以下、ストーリーに触れる箇所があるので未読の方はご注意を)。
「彼方のどこにもいない女」は、テレビのブラウン管に現れた見知らぬ女性と主人公の不思議な触れ合いを描いている。女性は「長崎で原子爆弾が爆発したとき、ちょうどその中心にいました。分子と原子が崩壊、反物質化してテレビのブラウン管にのみ姿を現すのです」と語り、主人公とその関係者に進行中の核実験の中止を訴えるが、最後は中型爆弾の爆発で街は壊滅する。
「考えるロボット」は、チェスをするロボットとそれを操る伯爵をめぐる登場人物たちの冒険譚。チェスロボットはついにとらえられなかったが、残された犬ロボットをとらえて分解すると、中から犬の脳と声帯が現れた。

ランジュランはイギリス情報局保安部で働いていたときに、あるいはこれらの作品の発想の元となる情報を入手していたのではないか。反物質化して電波で送信される人間。生物の脳と身体部品で作られたロボット。21世紀の現在になっても荒唐無稽な、こうした科学技術の具体化に、第二次世界大戦当時の連合国や相手国がすでに取り組んでいた可能性がないとは言い切れない。そもそも代表作の「蠅」が、分解と合成を瞬時に行う物質移動の話であり、もしもこんなことが実現すれば諜報技術は飛躍的な発展をとげるに違いない。

いわゆる奇妙な味の作品を集めた「異色作家短篇集」の中でもとびきり異色な作家がランジュランだ。だからロアルド・ダールやレイ・ブラッドベリのようにポピュラーな人気を得られないのかもしれない。(こや)

にほんブログ村 本ブログ 海外文学へ
にほんブログ村
ブログランキングに参加しています。
クリックしてご協力いただければ幸いです。

海外文学作品についてのコラム「たまたま本の話」を掲載しています。
「たまたま本の話」は「miniたま」に毎号掲載しているコラムです。
「miniたま」は、インターネット古書店「ほんのたまご」とお客様を結ぶ架け橋として、
ご注文書籍とともにお送りしているミニコミ紙です。

「miniたま」のバックナンバーPDF版はこちらからどうぞ


2011/01/26 18:12 | コラム「たまたま本の話」

<<第4回 ヘンリイ・スレッサーの短編技法(ヘンリイ・スレッサー) | HOME | 第2回 「思考機械」とジャック・フットレル(ジャック・ヒース・フットレル)>>