第4回 ヘンリイ・スレッサーの短編技法
(ヘンリイ・スレッサー)
星新一と阿刀田高といえば、当代きっての短編作家である。この2人がそろってロアルド・ダールをそれほど買っていないのは面白い。
ダールの名作短編集「飛行士たちの話」(1981年7月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)の解説で阿刀田は、あるパーティーの席上で星とダール談義をしたときのことを書いている。「評価の厳しさに差はあるけれど、“ダールにも結構愚作がある”という点で一致したのはすこぶる愉快であった」
注目すべきはこの後の文章で、阿刀田は別の作家の名を挙げて褒め上げている。「ダールと味わいのよく似た、もう一人の異色短篇作家にヘンリイ・スレッサーがいるけれど、打率が高いという点で言えば、スレッサーのほうがダールより断然上なのではあるまいか。つまりスレッサーの作品は読んで失望させられることが少ない。まず7、8割がたは満足できる出来ばえだ」。ダールに比べてここまで阿刀田に評価されるスレッサーとは、どんな作家なのか。
ヘンリイ・スレッサーは1927年、ニューヨーク市ブルックリンに生まれた。本名はヘンリイ・シュロッサー。どうやら家系はロシア、ドイツ系のユダヤ移民だったらしい。高校を卒業後、すぐに広告代理店に就職してコピーライターとなった。1950年代中盤から雑誌に短篇小説を書き始めるとともに、30歳代の半ばには自ら広告会社を興したというから、ビジネスマンとしても極めて有能だったに違いない。つまりスレッサーは専業作家でなく、二足のわらじを生涯にわたって履き続けた才人だった。
スレッサーといえば、映画監督のアルフレッド・ヒッチコックを抜きにしては語れない。「アルフレッド・ヒッチコック・マガジン」が創刊されるや、常連執筆者として迎え入れられ、同誌の看板作家となった。そして本国アメリカで1955年10月から放映が開始されたテレビドラマシリーズ「ヒッチコック劇場」「ヒッチコック・サスペンス」では、原作者として、あるいは脚本家として、その作品が取り上げられること40回以上に及んだ。つまりあの一話完結のドラマシリーズ全体の11回から12回に1回はスレッサーのかかわった作品だったわけである。
ヒッチコックが選んだスレッサーの短編集が2冊、翻訳されている。「うまい犯罪、しゃれた殺人」と「ママに捧げる犯罪」。このうち「ヒッチコックのお気に入り」と副題の付いた前者には、選りすぐりの短編17編が収められている(2004年8月、ハヤカワ・ミステリ文庫刊)。この短編集から、スレッサーという作家の魅力を考えてみた(以下、ストーリーに触れている箇所があるので未読の方はご注意を)。
一読して明らかなのは、収められているのがファンタジー系でなく、サスペンス系あるいはミステリ系のアイデアストーリーばかりなのに、最後までオチを読み手に悟らせない巧さである。
例えば「金は天下の回りもの(A Fist Full of Money)」は、同僚とのポーカーで給料をすっかり巻き上げられた主人公が、妻に弁解するために追いはぎにあったと偽装するが、なんと本当に金を盗んだという不良青年が逮捕されて、という話。
金は返ってきたが、その金は貧しい不良青年の生活費に当てられるべきものだったかもしれない。主人公は苦悩するが、実はその不良青年の持っていた金は、ポーカーで主人公から金を巻き上げた同僚から奪ったものだった……というオチがついている。
金は天下の回りものというタイトルに大きなヒントが隠されているのだが、最後まで結末が読めない。
「ふたつの顔を持つ男(The Man with Two Faces)」は、引ったくりに遭った老女が、犯人特定のために警察の手配写真アルバムを見せられるが、犯人でなく自分の娘婿の顔写真がその中にあるのを偶然に見てしまう。
老女は娘婿の素性についてよく知らない。自分の娘婿が犯罪者なのかどうか、娘にも相談できずに老女は悩むが、実は娘婿だけでなく娘も犯罪者の一員だった。
「引ったくり犯人が女だったら、あなたは自分の娘の顔を偶然、手配写真の中に見ていたところです」と老女に告げた警部の最後の一言が強く印象に残る。
スレッサーの持ってくる予想外のオチは、確かに阿刀田が言うように7、8割は満足できる切れ味を持っている。それはスレッサーの本業であるコピーライティングの技法が短編小説にも応用されているからのように思われる。
「金は天下の回りもの」で読み手は、追いはぎにあった偽装が本当になる不思議さに目を奪われ、それがなぜかという謎の解明よりも、不良少年の金を奪うことの良心の呵責に主人公と共に悩んでしまう。
「ふたつの顔を持つ男」でも、娘婿が犯罪者ではないかという老女の不安に読み手も巻き込まれ、まさか娘もその片割れだったという結末まで想像が至らない。
「ヘッドライン(見出し)でその広告テーマをすべて述べずに、ボディーコピー(商品説明)に誘い込み、そこで説得する」―これはコピー作法の古典的技法である。スレッサーの短編小説のタイトルがヘッドライン、ストーリー展開がボディーコピーだとすれば、彼の短編はまさにその流れでテーマを展開しながら、最後のオチで一気にひっくり返し、強い印象を読み手に与えることに見事に成功している。(こや)
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