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2024/05/07 05:30 |
第5回 エリンとビアスの奇妙な関係(スタンリイ・エリン)

第5回 エリンとビアスの奇妙な関係

(スタンリイ・エリン)

スタンリイ・エリンの代表作といえば、言うまでもなく短編「特別料理」(1948年発表)であろう。「異色作家短篇集 改訂版」の第2巻「特別料理 スタンリイ・エリン」(1974年9月、早川書房刊)でこの小説と出会ったのは35年以上も前だが、いまだにそのときの衝撃が脳裏を離れない。

先日、その「特別料理」を久々に読み返した。こんな一節に目が留まった。料理店主スピローに、得意客である会社社長のラフラーとその部下コステインが、調理場を見た客がいるのかと尋ねる場面だ。

「ところで、本音を吐けよ、スピロー。誰か、あんたが使ってる連中のほかに聖なる料理場に入って見た者があるのかい?」
スピローは、目を上げた。「あなたの頭の上にあります」と、彼は熱を帯びた口調でいった。「その肖像の人に、わたし、見せてあげました。とても仲よしの友達で、一番長いこと、店をひいきにしてくれた人。その人が、わたしの店の台所に絶対はいれないわけでないことの証拠」
コステインはその画を眺め、あらためて気がついてびっくりした。「あれは……」と、彼は興奮していった。「有名な作家で――知ってるでしょう、あなただって――すばらしく辛辣な皮肉な短篇小説を書いて、それからふいにメキシコへ出かけていなくなっちまったあの作家じゃありませんか!」(田中融二・訳)

驚いた。具体的な名前こそ書いていないものの、「あの作家」とは、言わずと知れたアンブローズ・ビアスのことではないか。

アンブローズ・ビアスは1842年、アメリカのオハイオ州で生まれた。作家、ジャーナリスト、コラムニストとして活躍した。短編小説にもすぐれたものは多いが、何と言っても有名なのは1911年に発表された「悪魔の辞典」。風刺と諧謔に満ちた言語定義集である。

晩年のビアスは、1913年、南部の古戦場をめぐる旅に出たところまでは分かっているが、その後の消息は詳らかではない。10月27日にサンアントニオ入りし、11月末にメキシコはエル・パソの対岸ファレス市に到着。パンチョ・ヴィヤ軍のオブザーバーとして参加し、チワワ州チワワに到着したことまでは判明している。
1913年12月26日、「明日は軍隊の出入りの慌しいチワワからオヒナガに行くつもりだ」と記した友人宛の手紙を最後に、消息を絶っている。アメリカ文学史上、最も有名な失踪事件の一つと言っていい
(以下、ストーリーに触れている箇所があるので未読の方はご注意を)。
「特別料理」の結末で、主人公のラフラーはスピローの店で食事をしながら「わたしは今晩、社の南米の出張所に不意打ち視察旅行に出かける」とコステインに突然告げる。そこにスピローがやってきて、ラフラーに「では今晩、調理場を見せて差し上げる」という。
スピローが調理場に通じるドアにラフラーを迎え入れる姿を眺めながら、コステインは店を後にする。「スピローは片手で誘うように大きくドアを開け、もう一方の手はほとんど慈しむようにラフラーの肉づきのいい肩にかかっていた」(田中訳)という世にも有名な最後の一節で小説は終わっている。

ここで物語の前半にさりげなく挟んでおいたビアスのメキシコでの失踪のエピソードが、南米に行くラフラーの運命に重なる。確かにサビが効いた結末かもしれないが、ビアスの失踪が誰かに食べられたという発想はちょっと突飛すぎるのではあるまいか。

そこで「悪魔の辞典」を見ると、さらに興味深い記述があった。ビアスは「屠殺場」という言葉の定義を次のように書いている。
「畜生どもが畜牛を虐殺する場所。通常、人間の棲息地からやや離れたところに位置している。その肉を貪りくらう輩が、流血の現場を目撃してショックを受けないようにするためである」(奥田俊介、倉本護、猪狩博・訳)。

あるいはこのあたりからエリンは、「特別料理」の想を得たのかもしれない。スピローの店の料理のうち、ごくたまに出される極上の特別料理の食材は「アミルスタン羊」(アフガニスタンとロシアの間の荒地に生息する羊)に違いないとラフラーは言う。実は何の肉かは言うまでもない。
その肉の屠殺場がスピローの調理場だとすれば、すべてがビアスの定義に符合する。エリンがビアスから借りたのは、単に失踪のエピソードだけでなく、発想そのものだったのではなかろうか。

余談だが、ビアスの失踪は創作欲を刺激するらしく、さまざまな作家がそれを題材に小説を書いている。
カルロス・フェンテス「老いぼれグリンゴ」、ロバート・A・ハインライン「失われた遺産」、ジェラルド・カーシュ「壜の中の手記」など。
なかでもイギリスの女流作家ブリジッド・ブローフィーは、1973年にまとめられた短編集の1編「一つの文学史」で、ビアスは実はメキシコから南アメリカに行き、アンデス山脈の中の名もない村で長寿の薬草に出会い、現代アルゼンチンの作家ホルへ・ルイス・ボルヘスとなって生き続けた、と書いている。(こや)


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2011/01/26 18:22 |
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